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ラピダスの本質  国策会社 内国植民地 2nm半導体技術

2024-01-20 13:55:39 | Weblog

ラピダスの本質  国策会社 内国植民地 2nm半導体技術 

数年前から僕はあるサークルで北海道の歴史を勉強している。時々考えるのは「何のために歴史を学んでいるのか?」ということだ。ある出来事についての背景などを知ることができると「ああ、そういうことだったのか」と喜びを感じることがある。また、世界の未来を考えるためには過去の歴史に学ぶことが大事だともいわれている。

まだ勉強途上で軽々には言えないが、明治からの北海道の歴史を一言でとらえると、「内国植民地」だと思う。北海道の人が本州を内地と呼ぶことに象徴されるように、国内植民地なのだ。地場の資本が弱いので何かを起業する場合には独力ではできず、つねに本州資本の力が必要だった。また、国は先導して、北からのロシアの脅威に対抗するため、屯田兵の入植をはじめ北海道開拓が国策として進められた。

以上のことから今を考える。千歳市に半導体の製造拠点としてラピダスが建設中で、ラピダスは北海道経済の希望の星になっている。道内のマスコミからは、用地造成、工場建設、上下水道や道路などのインフラ整備、従業員ためのマンションやアパート建築などの需要が大きいと景気のいい話ばかりがマスコミから報道されている。だが肝心の、2ナノメートル半導体の量産技術が未だ確立されていない、製品を販売する顧客が決まっていないなどというネガティブな情報は片隅で少々伝えられている程度だ。さらに、今のところトヨタ、NTTなど民間8社からの出資が73億円なのに対して、国から1兆円近くの公費投入が決定されているのも不自然と思う。

この情況をどのように捉えたらいいのだろうか。歴史を学んでいるものとして、最大限の想像をめぐらしてみたい。

先日、ある方と話をした。「ラピダスで製造する半導体は米国軍事産業からの要望である。台湾や韓国にある半導体工場が地政学的リスクにさらされているために、これからを見据えて日本に製造拠点をつくる(移す)のだ」という。

僕はなるほどと思った。地政学的リスクを考えると台湾のTSMCが熊本に工場を建設している理由もわかる。台湾の工場が稼働できなくなった場合に対する保険の意味があるのだろう。ゆえに日本のラピダスが選ばれたのだろう。だが、大手民間資本は技術開発と販路の見込みに確信を持てないため現実的な判断から様子見ということで腰が引けているのだろう。しかし、何ごとも米国に従属した判断をしている政府は、宗主国である米国からの要望は絶対的なものであり、無条件に従うべきという姿勢から前のめりになって既に約1兆円も支援を決めたのだろう。まさにこれらからラピダスの国策会社としての性格が明らかに見えてくる。

さらにその方は、「現在、技術を開発中のIBMは、浮き沈みの大きい量産からは手を引いていて、低コストで製造できる海外に委託先を求めている。そのためラピダスにはできる限り低コストで製造することが求められているのだ」ともいう。

早々に北海道にラピダスの進出が決まった要因は、第一に北海道の地価が安いことが有利に働いたのだろう。また、賃金や大量に使う水なども安価に抑えられる見込みがあると判断されたためであろう。また、僕の推測では、ラピダス製の半導体製品が米国軍需産業からの求めだとすると、他国から工場が攻撃されることは許されないために隣接地にある航空自衛隊千歳基地の存在もあるのではないかと思う。

また、以前から僕は気になっていたのだが、ラピダスで表舞台に出てくる会長の東哲郎氏、社長の小池淳達氏ともにずいぶんと高齢なのだ。本来最先端産業のリーダーはベンチャーの臭いがしてしかるべきと思っていたが、なるほどIBMの下請け工場であればさもありなんということだ。ここからもこの国でリスクを冒しながらも新しい技術や産業が創出されてこない理由が見える。ラピダスはベンチャー企業ではないのだ。

以上から、歴史に学んだとおり北海道は明治以来、いつまで経っても内国植民地の様相だということがあらためてわかった。そして今、道内の大学など東北の大学と協力して有為な人材を有望な就職先としてのラピダスに送り込もうとしている。学生はラピダスの本質をよく理解してから進路を考えるべきだと考える。

 

 

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鹿砦社編集部 『ジャニーズ帝国60年の興亡』

2024-01-07 16:19:20 | Weblog

能登半島地震(1日)、羽田空港での衝突事故(2日)と波乱の年明けになりました。テレビで何回も同じ映像を見ていると徐々に慣らされて無感動になっていく自分がいます。洪水のような報道の中ではたして肝心なことが報道されているのだろうかと思います。志賀原発の現状はどうなっているのでしょうか。政府もマスコミも国民に対してフェイクに気を付けろといいますが・・

 

『ジャニーズ帝国60年の興亡』(鹿砦社編集部編 鹿砦社 2023年刊) 

歌手、俳優、タレントなどで活躍している芸能人といわれる人たちは、それぞれ優れた才能を持っているからだと思うが、表舞台で仕事ができて多くのファンに応援される存在になるためには所属する芸能事務所の力が相当影響するとも思う。その中でもジャニーズ事務所の持つ力は他を寄せ付けない圧倒的なものがあったのだろう。そう、少し前までは。昨年3月にイギリスBBCが取り上げてからは、大手マスコミが堰を切ったようにその内実を批判し始めた。また、それもジャニー喜多川が亡くなっているのも影響しているのだろう。

僕はこの話題でいくつかの問題を考える。ひとつは、過去において『週刊文春』、『噂の真相』、鹿砦社も含めていくつかのメディアが報じたにもかかわらず大手マスコミはスルーを決め込んでいた。その理由は、ジャニーズ事務所とバーターな関係ができていて報じることができなかったといわれている。ジャニーズ以外にも大手芸能事務所は他に何社もある。ということは、同様の関係、すなわちマスコミが取り上げるのをはばかられる事実が他にもあると推測される。

もうひとつは芸能以外にも共通するのだろうが、絶大な権限を持ったカリスマが支配する物言えぬ閉鎖的な組織においては、理不尽な要求も受け入れなければならないという組織の持つ支配構造の問題だ。非合理なオキテがまかりとおり、デビュー、センター・・を餌に夢多き少年たちが弄ばれた。これもジャニーズだけの問題ではないはずだ。

後者の組織構造の問題は、程度の差はあるが僕らが所属していた会社組織も風通しが悪ければ同じようなことが起こる可能性がある。会社組織の場合、人事権を振りかざすことが社員に対して一番言うことを効かせる手段になる。自分の意志と違う指示を受けた時に、違うことは違いますと言えるか、唯々諾々と従うか。頭に浮かぶのは、家族を食べさせるために辞めるわけにはいかない。耐え忍ぶしか道はないという考えだ。

本書は2部構成で、第1部は「苦境に立たされるジャニーズ」と題し、鹿砦社が過去においてジャニーズ事務所との間で出版をめぐって係争した記録の復刻だ。鹿砦社にはジャニーズ事務所批判の先駆者という自負があるのだろう。でも少し鼻につく文章だ。

第2部は、「ジャニーズ60年史 その誕生、栄華、そして」で、こちらは面白い。例えば、田原俊彦は「たのきんトリオ」としてブレイクする前に何回か売り出しを試みたがパッとしなかったのだ。60年の歴史を簡単にまとめると、ジャニーズに始まりフォーリーブスの解散で人気が凋落、低迷期を脱したのはたのきんトリオ、そしてSMAP、嵐でピークを迎えた。驚くのは、実に多くの少年たちが市井から見出され、育成され、デビューを果たしているのだが、その中で人気を得て表舞台で活躍できたのはほんの一握りだということだ。無名のまま夢を諦めざるを得なかったり、いくつものユニットが組み換えられたりするのは、すべて喜多川氏の気持ちひとつだったのだ。だから彼らは不当な要求も受け入れたのだ。

ただ、少年たちを被害者としての面ばかりで見てはいけない。不祥事、非行、犯罪と彼らの素行が酷いことにも驚くのだ。これは、ジャニーズ事務所の力が強かったがゆえに、少年たちのスキャンダルを握りつぶし表沙汰にならないようにしたからであろう。本書に書かれていて既に明るみになった事案だけでもすごい数なのだから事務所がもみ消したのも相当あるのだろう。

 

 

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