晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

鳩山友紀夫 白井聡 木村朗 『誰がこの国を動かしているのか』

2016-10-31 20:19:22 | Weblog

 『誰がこの国を動かしているのか』(鳩山友紀夫、白井聡、木村朗対談 詩想社新書 2016年刊)            

 なぜ、核兵器禁止条約に関する国連決議に被爆国であるこの国が反対するのだろうか、TPP、沖縄辺野古基地・・現在の政治情況を新書でシンプルに理解することのできる非常に価値ある一冊だ。

 民主党が政権を執った2009年夏、本来ならば小沢一郎が総理になるべきだったのだろうが、小沢の改革実行力を恐れた検察官僚が些末な政治資金の罠を仕掛け、小沢に権力を渡さなかった理由も見えてくる。

 現在を読み解くキーワードは、対米従属と忖度である。単純にこの国が米国の圧力に屈しているというよりも、米国の意向を政治家、官僚、マスコミが自ら忖度して従属度を強めているというのが答えだ。

 僕が書店でこの本を手に取った動機は、政権中枢部にいた鳩山氏が、何を語っているのかを知りたかったからだ。鳩山氏は本書で、「誰がこの国を動かしているのか」について、当事者である総理大臣の自分でさえも正体を見抜けなかったと語っている。

 当時の鳩山首相の動きで、米国にとって一番許すことのできなかったのは、東アジア共同体構想だった。対米自立的な構想を掲げた鳩山氏に対する妨害工作をやったのが、官僚たちである。本来は、官僚は自らの意思を持たず、政権が掲げた政策を実現するための道具として全力で働くべき存在なのに、である。

 このブログ2015.2.6で「野党は外交で活路を開け」で、誰がやっても五十歩百歩の内政問題に野党はいくらエネルギーを注ぎ込んでも展望を示すことはできないと書いた。米国一辺倒の外交にオルタナティブを示すべきで、現在、少しの可能性を実践しているのは、鳩山友紀夫氏(由紀夫を改名)とアントニオ猪木氏くらいだと思っている。どちらも、マスコミからは、奇人変人扱いの人格攻撃を受けている。

 マスコミが持ち上げ始めたら、そこには嘘があり、バッシングを受けるようならば、そこには幾ばくかの真実が存在する。

 本書で、全ての縛りから解かれた鳩山氏は、この国の行方に展望を示している。誠実で、理念を持った政治家であることがわかる。ただ、政権を長持ちさせることができなかった理由、性格的な淡泊さも見えてくる。

 ただ、ひとつ疑問が残った。アへが前のめりになっている日ロ関係だ。すでに米国の了解を取り付けているのか、大統領選挙の空隙を突くつもりか。

 参考までに、僕は、鼎談者の一人、本書でも理論的な骨格を提示している『永続敗戦論』の著者白井聡に注目してきており、このブログでも2010.8.28から5回、『「物質」の蜂起をめざしてーレーニン、〈力〉の思想』、『未刊のレーニンー〈力〉の思想』、2014.9.27『日本劣化論』(笠井潔との対談)、2015.11.29『「戦後」の墓碑銘』、2016.5.1『戦後政治を終わらせる』について記述した。

 

 

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『オーバー・フェンス』  山下敦弘監督

2016-10-22 09:24:10 | Weblog

 ゴミの埋め立て処分場では、発生する有害物質の地下土壌への浸透を防止するため、樹脂製の遮蔽シートを引いて、その上にゴミを廃棄し覆土する。現状の豊洲では、その逆をやれば良いのではないか。地下空間に露出している土砂部分に遮蔽シートを被せ、コンクリートを打つなどして徹底的に有害物質を地下に封じ込めておけば良いのではないでしょうか。今更、建造物を解体してやり直すとか、場所を変えるとかではなく。

 

 『オーバー・フェンス』(山下敦弘監督 東京テアトル70周年記念作品 2016年作品)

 山下監督の作品は、数年前に『マイバックページ』(2011年作品)を観た。その時の想いは、このブログ、2011.5.28に載せた。山下監督の作品は、不機嫌な人を描く。一見幸せそうに見えるが、どこかに闇を抱えた人間を描く。そして、原作は佐藤泰志氏。今年の春に北海道文学館で特集を観たあの屈折の作家だ。早逝した函館出身の作家で、映画化3作目となるこの映画も函館を舞台にストーリーが展開される。

 舞台は職業訓練校で、人生の途上で何らかの挫折を経験した者たちが主人公だ。世の中は、そんなに簡単なものではない。都合良くいくものではない。若い女の子たちは屈託なく笑っているが、それほど楽しいものではないよ。訓練生たちは、それぞれが重い重石のような過去を引きずりながらも、何とか再スタートを目指す。

 自分を大きな棚の上に置いて、他人を批評し、憤って見せるワイドショーのコメンテータ、番組に臨むため無理にテンションを上げ、たいして楽しくも無いのに大騒ぎをしているバラエティ番組の出演者。のように生きている人びとを時として主人公がワンフレーズで突き刺す。観客も痛い。

 人と人の距離感もこの映画の主題だ。男と女が何となく気になり出し、惹きつけ合う。しかし、近づきすぎ、それぞれ事情を抱えた相手の内面に入り込み過ぎると、拒絶感が生じ衝突してしまう。どちらかが人を傷つけ、傷つけられる。分かれると戻りたくなり、戻ると別れたくなる。よくある話だが、切なさを残す。

 映画をたくさん観ているわけではないが、たまたま観たいと思う映画がそのような傾向にあるのか、2月に観た『恋人たち』(橋口亮輔原作・脚本・監督)(このブログ2016.2.11)と、今の社会に生きる人々の描き方が似ている。このような映画が撮られる社会とは、不機嫌な社会と言って良いのではないか。

 

 

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戦後左翼史 その29 1940年代前半 政治犯釈放 党再建

2016-10-16 17:12:33 | Weblog

 久々に20℃を越す日曜日。柔らかな日差しの中、少し運動ができ汗を流すことができた。

 昔の都市ガス製造法は、石炭を乾溜していたので、石炭に含まれる不純物が製造現場では発生した。盛土問題が話題になっているが、東ガスの敷地だったことはあまり報道されない。それは、マスコミのお得意さんだからか。いま、全国各地のガス屋さんは戦々恐々としているのではないか。

 

 戦後左翼史 その29 1940年代前半 政治犯釈放 党再建    

 1960年頃からの新聞の切り抜きをもとに、僕なりの考えの整理をしているが、現在の政治情況を把握する上でも、特に日共に関して、戦後の出発点の情況を考えてみる必要がある。ソ連、日共、新左翼には同じDNAが流れていると思うので、新左翼については特に取り上げていない。

 『戦後日本スタディーズ 全3巻 ①「40・50」年代、②「60・70」年代、③「80・90」年代』(岩崎稔・上野千鶴子・北田暁大・成田龍一編著 紀伊國屋書店 2009年刊)を再読した。掲載されている論文については読者の好みもあるだろうが、玉石混交である。その中で、各巻の巻末にある道場親信氏による年表は、無数にある事象からのピックアップの基準、それらの細部にわたった正確な記述と読んで楽しい職人的な技によって作られたものである。

 1960年以前の歴史については、この道場氏の年表から、左翼関連の事項を抜き出して、それに対する僕の考えを述べてみたい。(*特に、日本共産党関連について★印を付した。)

 

◎1940(昭和15)年(日中戦争泥沼化、大政翼賛会発足)

1月 毛沢東、「新民主主義論」発表

★4月 野坂参三、延安で「日本の革命的プロレタリアートの当面の任務」発表

(*は僕の考え)*野坂は胡散臭い人物である。戦前日共党員として、ソ連、中国、米国を行き来しているが、そこでどのような人物と接触を持ち、どのようなことを行っていたのだろうか。野坂は、戦後党内で最高地位まで上り詰めた人物であるが、ソ連崩壊後ソビエト共産党関連の資料が公開になり、同志を売ったとして100歳にして除名された。スパイが最高位にいた党とは、いかなる組織なのであろうか。日共は、除名で事を済ませてしまい、自らの党史における野坂の果たした役割の総括をしていない。否、党の正統性が失われる故にできないのであろう。

8.20 トロツキー、メキシコで暗殺

 

◎1941(昭和16)年(12月太平洋戦争開始)

3.7 合法左翼出版物一斉発禁

4.13 日ソ中立条約調印(モスクワ)

6.22 独ソ戦開始

10.2 ドイツ軍、モスクワ攻撃開始 12.8 ヒトラー、モスクワ撤退を命令

10.15 国際スパイ事件として尾崎秀実逮捕 10.18 リヒアルト・ゾルゲ逮捕

 

◎1942(昭和17)年(ミッドウェー海戦で日本海軍大敗)

★6.29 中西功ら上海反戦グループ検挙

8.22 ドイツ軍、ソ連スターリングラード攻撃開始 11.22 退却開始

 

1943(昭和18)年(学徒出陣)

★2月 延安で日本人民反戦同盟結成 1944.1 日本人解放連盟に改組

4.13 ポーランド・カチンの森でソ連軍によるポーランド軍兵の虐殺死体発見

5.15 コミンテルン執行委員会、コミンテルン解散を決議

★5.26 中央公論社員ら共産党再建謀議を図ったとして逮捕(横浜事件)

11.28 テヘラン会談(ローズヴェルト・チャーチル・スターリン)

 

◎1944(昭和19)年(B29東京初爆撃)

4.15 伊、バドリオ政府再編、共産党のトリアッチ入入閣

6月 『改造』休刊

7.10 情報局、中央公論社・改造社に自発的廃業を指示

 

◎1945(昭和20)年(敗戦)

2.4 ヤルタ会談(ローズヴェルト・チャーチル・スターリン)

4.5 ソ連大使モロトフ、日ソ中立条約を延長しないことを通告

5.15 最高戦争指導会議、対ソ終戦交渉方針決定

7.17 ポツダム会談(トルーマン・チャーチル・スターリン) 7.26 ポツダム宣言発表

8.14 中ソ友好同盟条約調印

★8.15 徳田球一、志賀義雄ら府中刑務所内で獄内細胞会議(東京)

*徳田、志賀は戦前、壊滅前の日共中枢部を担っていた。戦後は、彼らを中心として党が再建されるが、野坂―宮本との権力闘争に敗れた。もし、彼らが引き続き党を率いていたら、どのようになっていただろうか。想像するに、その後の新左翼の離反は無かったかも知れない。少なくても常にいざという時に常に敵前逃亡し、利敵行為を行いような党にはならなかったと思う。勝算も無いのに全選挙区に候補者を立てるのが典型的な例だ。

8.24 ソ連軍、平壌入城

8.30 毛沢東・蒋介石重慶で停戦を会談

9.25 パリで世界労働組合大会 10.8 世界労連結成

★10.10 政治犯5,000人釈放、自由戦士出獄歓迎大会、日本共産党の徳田球一ら「人民に訴う」発表 

*なぜか、各刑務所から一斉に出獄した他の同志たちと異なり宮本は1日早く網走刑務所を出ている。そこには、他の政治犯たちと顔を合わせることの無いような配慮があったのではないか?獄中での待遇も違っていたという話もある。もし、否、かなり怪しいと思うが、宮本が権力側と通じるような関係にあったとしたら、トップ2(野坂―宮本ライン)が腐敗していた党とは、いかなる組織なのであろうか。

10.14 平壌で金日成帰国歓迎市民集会

★10.20 『アカハタ』再刊

★12.1 日本共産党第4回大会(再建大会)、書記長に徳田球一

*(参考)行動綱領、その第1項は、天皇制の打倒、人民共和政府の樹立となっている。新執行部の中央委員は、徳田球一、志賀義雄、袴田里見、金天海、宮本顕冶、黒木重徳、神山茂夫、書記局員は、徳球.黒木.紺野与次郎.竹中恒三郎.山辺健太郎。再建日共は、徳球-志賀でスタートした。

12.16 米英ソ、モスクワ外相会談、朝鮮信託統治・極東委員会・対日理事会などに合意

1230 新日本文学会結成、『新日本文学』創刊準備号発刊(宮本百合子「歌声よおこれ」) ~2004.12

12月 『人民戦線』創刊 ~49.7

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