晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

「官」と「民」の棲み分け

2008-03-31 20:18:46 | Weblog
 明日4月1日からは新年度、様々なスタートが切られる。新しい会社の発足、これまでお役所がやっていた事業が民間で実施など。

 私はこれまで、新自由主義を批判してきているが、小泉改革の「民間でできることは民間で」という思想は紛れも無い典型的な新自由主義路線である。では、行政への民間活力の導入は全て否定すべきことであろうか。

 そこで、「官」(行政)と「民」(企業)の棲み分けは可能かを考えてみる。

 ここでは、「官」は、公平や公正を、「民」は、効率を重視する、と前提とする。

 両者の仕切りを間違えて、「官」が「民」の分野に必要を超えて入り込んでいくと、独占企業的な非効率が生じる。例えば、高速道路の通行料のように、既得権益の温存を図るような対応を続けていれば、人びとの生活の向上にはつながらない。

 反対に、「民」が「官」の分野を侵食しだすと、公平や公正の確保が難しくなる。市場メカニズムからは、公正、公平の概念は出てこない。


 「官」と「民」の棲み分けのルールを以下のようにしたらどうだろうか。 

 ①利用者軽視(いわゆるお役所仕事)の「官」の経営を牽制するという意味で、民間活力の導入は必要である。

 ②既に民営化されたJRやNTTの例からは、利用者に対するサービス提供の基盤となる施設(ハード)は、「官」が税により公的な負担で整備を行い、その管理や運営(ソフト)に「民」のノウハウを活用する。



 今どき絶滅種のブログですが、明日から3年目に突入です。

 時々、本末転倒的な気持ちになる時があります。ここには、「感じたことを書こう」と思っていますが、「書くことが目的になっている」と思うことがあります。

 共感を得ようなどと思っていません。私自身の頭の整理のためにやっているのですから。
 

 
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走り込み

2008-03-30 19:55:24 | Weblog
 今月は、何とか100km位は走ろうと考えていたのだが、週末に走り込みをしないと目標をクリアーできそうもない。

 昨日は、気温が低く(2℃くらい)先週の日曜日から全く走っていなかったので10数kmのラン、夜に会社の送別会が2ヶ所掛け持ちであり、行ったり来たり、今朝の体調はかなり疲れが残っているという感じだったが、午後から20数kmの強行走り込み。

 今日も気温が5℃くらいと寒い一日で体が冷え切ってしまったが、後半バテバテながら何とか月間100kmの目標に10kmほどのおつりができた。

 未だ、3月なので体が重い感じだが、ゆっくりならある程度の距離はこなせるところまで、しかし、スピード走が全然できない。

 体はかなりの消耗で、頭の中は空っぽ、最高だ!
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『地域の力』

2008-03-26 20:23:36 | Weblog
 『地域の力ー食・農・まちづくりー』(大江正章著 岩波新書 2008年刊)

 3月22日の「夕張から世界へ 第3回」で、「化学肥料と農薬付けに対抗する有機農業による生産者と消費者の連帯、大量生産・大量消費型の工場制大工業に抗する、地域の職人による手作り生産などか。私は、この種の運動に賛同するが、圧倒的な力で攻め寄せるグローバリズムに対抗するには、あまりにもちっぽけな闘いのように思われる。」と書きましたが、まさにこの種の運動の実践を紹介しているのが本書である。

 実践のテーマは、酪農と食の安全と学校給食、大型店に抗する地元商店街と地域コミュニティ、特産品開発で高齢者の生きがい、地産地消と学校給食、クリーン農業、林業の再生、公共交通と路面電車(LRT)の復活、市民農園などである。

 私の読後感は、この本も「あまりにもちっぽけな闘い」の域を超えていないというものである。

 私たちが考えなければならないのは、例えば、自由貿易体制の根幹であるWTO(世界貿易機関)から離脱して一国レベルの生業が構想できるか、一国などという国家にこだわらない社会の構想ができるかではないか。



『遙かなる』(by 吉田拓郎)

ここじゃない もっとどこかへ 行ってみたくて
ここじゃない もっと遠くへ 行ってみたくて
ここじゃない もっとどこかを 私は探した
ここじゃない もっと遠くを 私は探した

Another World まだたどり着けない
Another World まだたどり着けない
Another World Another World



 
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「チベットの聖なる谷へ」

2008-03-24 21:44:30 | Weblog
 『ミラレパの足跡ーチベットの聖なる谷へー』(伊藤健司著 地湧社 2000年刊)

 チベットのことが知りたくて、それはチベットの政治的なことや経済的なことではなく、そこに住む人びとの暮らしの様子が知りたくて、図書館から一冊の本を借りた。

 著者は、1961年生まれの旅するフォトジャーナリストである。この本は、中国領チベットとネパールの国境、ヒマラヤの標高5000メートルあまりの山中を単独の徒歩で旅した記録である。

 税関手続き無しの半ば密入国なので、ネパールの警察や中国の公安を避けながらのたびである。宗教を否定した文革で破壊されたチベット民族の宗教施設、世捨て人のように山中で修行する老僧、深い谷間の集落で暮らす人々。

 著者は、見たこと、体験したことしか記していない。今回のチベットの事態を解く様な記述もない。ただ、そこには近代文明の持つ効率性とが合理性などの価値基準とは全く異なる文化があるということだけだ。

 

 
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『篤姫』

2008-03-23 17:18:27 | Weblog
 白石サイクリングロードの延長、上野幌から北広島までの「エルフィンロード」が除雪され開通しました。
 未だ、両側に積雪がありますが、開通は例年より早いのではないかと思います。サイクリング、ランニングOKです。



 今年は、NHKテレビ日曜夜の大河ドラマ『篤姫』を30数年ぶり位で毎週欠かさず観ています。たまたま第1回を観た時、ドラマの舞台が昨年「いぶすき菜の花マラソン」で訪れた鹿児島、指宿の風景だったので、つい見入ってしまいました。

 宮崎葵ちゃんの「篤姫」も好演技で毎週の展開を楽しみにしています。


 『幕末の大奥』(畑尚子著 岩波新書 2007年刊)は、歴史家による幕末の大奥と篤姫の生涯を描いています。

 NHKドラマの原作は小説家の宮尾登美子ですが、歴史家の描く篤姫は、小説家のそれとは異なり、人間臭さ、性格などは伝わってきません。資料に忠実な描写ですので、事実については小説より正確なのでしょうが、面白みには欠けます。

 私たちの日々の暮らしが、それほどドラマチックなことばかりでないのと同じように、エンターテイメントと歴史とは違うのでしょう。
 
 
 
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夕張から世界へ 第3回

2008-03-22 11:43:01 | Weblog
 本日は、春を探しに長距離ラン、今シーズン初めてゆっくりでしたが20数キロを走りました。わざわざ春を探すためにそんなに走らなくてもいいのでは。そうです。目的は、走る方にあります。

 久々の遠出で、小さな発見がありました。雪が解けて間もない歩道脇で、ふきのとうが顔を出していました。きっと雪の下で、既に成長をしていたのではないでしょうか。



 フォーラム in 札幌時計台(2008.3.18)、「―夕張から世界へー」のテーマで、立命館大学 高橋伸彰教授の講演 第3回 

 高橋教授は、資本主義の論理と福祉国家は両立しない、福祉国家の存続は難しいという。では、どうすれば良いのか。

 不合理な文化が支えてきた地域社会のネットワークが、合理的な文明が支える都市生活に侵食されている。合理主義の典型は、アメリカ型のグローバリズムである。その行き着く先は、格差社会への不満や地球環境問題の制約であり、人びとに幸福感を与えない。

 高橋教授は、グローバルな資本の論理に抗する市民の論理に期待するという。その運動の参加者は、非正規労働者、自営業者、農民、消費者、学生などであり、運動の対象は、雇用条件の改善、環境、平和、教育、貧困、安全、地域問題など幅広い問題とする。そして、国民経済の枠内に止まることなく、世界中の人びととの連帯を目指す。

 イメージできるのは、化学肥料と農薬付けに対抗する有機農業による生産者と消費者の連帯、大量生産・大量消費型の工場制大工業に抗する、地域の職人による手作り生産などか。



 私は、この種の運動に賛同するが、圧倒的な力で攻め寄せるグローバリズムに対抗するには、あまりにもちっぽけな闘いのように思われる。生産性とか収益性という合理主義の哲学に対して、これらの運動の哲学は、どこか自己満足的な臭いを感じてしまう。

 今、求められるのは、資本の論理を圧倒する哲学なのだろう。柄谷行人氏の講演に期待したい。
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夕張から資本主義国家を考える 第2回

2008-03-21 20:01:29 | Weblog
 フォーラム in 札幌時計台(2008.3.18)、「―夕張から世界へー」のテーマで、立命館大学 高橋伸彰教授の講演 第2回


 前回は、炭鉱町では、企業がインフラの整備や自治体の代わってサービスの提供を行なっていたので、炭鉱が閉山になるとそれまで企業に依存してきた行政はそれらを急に運営しなければならなくなったことを述べた。

 高橋教授の論は進む。夕張のように地域の崩壊が続いていくと、現代の国民国家が壊れ、福祉国家体制も破壊される。

 今、日本型福祉国家は危機に直面している。

 福祉国家を支えてきた3つの要因とこれまでの社会。①人間の慈愛心:3世代家族では相互扶助が健在、核家族化後も家族の絆は強く、仕送りや老親の世話のほか、社会的再分配政策にも支持が見られた。

 ②リスク回避としての社会保険:男性正社員中心に同質的なグループ内でリスクプールが可能であった。

 ③資本主義の論理:有能な労働力の確保のための企業福祉を進め、資本主義体制を脅かす戦争国家や社会主義国家に対抗するための福祉国家では、福祉予算の拡大が図れた。

 しかし、3つの要因の中で、現在起きていることは、

 ①核家族が分裂し単身世帯が増加し、慈愛心が希薄化、地域コミュニティも崩壊している。(夕張)
 ②非正規雇用の増加、サービス産業化で、仲間意識が低下、自己責任論が台頭し、社会保険制度が危機を迎えている。
 ③冷戦の終焉、経済のグローバル化により、小さな政府論、労働需要のスポット(市場)化が進む。

 そもそも資本主義の目的である「貨幣資本の増殖」と福祉の目的である「人びとの生涯にわたる安心と安全の実現」は、両立しない。

 そこには、ポスト資本主義、資本主義のオルタナティブが求められている。



 私が聞きたかったのは「ここから」である。資本主義をどうやって変えるのか。資本主義に替わる社会はいかなる社会なのか。

 高橋教授は、それらは柄谷行人氏の講演のお楽しみということだ。



 伊達ハーフまで1ヶ月を切った。週末は天気も良さそうだし、久々の長距離走をやろう。
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夕張の真実 第1回

2008-03-20 10:27:07 | Weblog
 フォーラム in 札幌時計台(2008.3.18)、「―夕張から世界へー」のテーマで、立命館大学 高橋伸彰教授(専門は、日本経済論)の講演を聞いた。

 高橋氏は、三笠生まれ、夕張で中学校まで過ごしたそうだ。どちらも炭鉱町で、私の育った釧路の炭住街と同じような情景を語られていて、大変親しみを感じた。



 今回の収穫は、夕張が財政破綻した真の理由がわかったことである。

 この間、メディアでは、中田前市長を始めとする夕張市の自己責任論が展開された。破産した観光施設への投資が、どれだけ破綻の原因になっていたかの検証はなかった。

 国の石炭から石油へのエネルギー政策の転換に際し、北炭(北海道炭鉱汽船)は、本来は閉山対策に利用すべき国からの閉山交付金を、新鉱開発(新大夕張炭鉱)に投入して失敗した。ここが、他の産炭地と大きく異なるところである。

 夕張市の負債600数十億円のうち、倒産した北炭からのライフラインの買取や整備に500億円強、観光施設への投資による市の借金は100億円強である。従がって、財政破綻の主因は、北炭が企業責任で賄っていた市民サービスを閉山によって急に市が代替するために必要となった借金である。



 このことを理解するためには、釧路の頃も思い出しながら、炭鉱町の様子を説明する必要がある。

 一言でいうと、生活全てが炭鉱で成り立っている。それは、炭鉱に繋がっていれば、何とか暮らしていけるということだ。

 炭鉱事故で、夫を失っても炭鉱は奥さんを関連企業などで再雇用し生活の面倒を見てくれる。事故は、頻繁に起きていて、亡くなった人の炭住の玄関には、「忌中」の張り紙がしてあった。

 地域全体に全山放送が流れ、出炭量など日常的な情報が流れていた。災害の発生を知らせるサイレンもあった。炭鉱病院、映画館、温泉レジャーセンター、共同風呂、神社などを炭鉱が運営し、一般市民にも開放していた。日用品は、配給所や購買部で「つけ」で替えたので現金が無くても当座の生活は何とかなった。

 炭住が確保され、粉炭を固めた豆炭がふんだんに配給された。暖房費が無料なので、がんがんストーブを焚いて冬でも室内では半袖で過ごした。電気、水道はどうだったかはわからない。市議会には、炭鉱枠の議席が確保されていた。

 炭鉱内の階層が地域であからさまになっていて、鉱業所長をトップに、社員、鉱員の序列によって住宅の大きさや設備に差があった。鉱長の社宅は高台の見晴らしの良い所にあって、塀が回されていてお屋敷といった感じだった。鉱員になると木造の長屋、それにも2戸、4戸、6戸長屋と序列があった。

 この他に、下請け、孫受けの鉱員がいて、生活に格差があった。下請けの鉱員の子どもには、九州と北海道の間を何回も転向していた同級生もいた。私達が生まれた年、昭和29年に発生した太平洋炭鉱での大事故でお父さんを亡くし、お父さんの顔を見たことがないという子どももいた。

 早朝に勤務を終えてくる三番方の家の近くでは、日中は寝ているので子どもたちは大きな声で遊ばないというルールがあった。
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チベットに思いを寄せて

2008-03-16 20:30:51 | Weblog
 一連の事件報道後、近くの生協で売っていた、COOPの冷凍「上海餃子」を食べました。まずまずの美味でした。特に問題は発生していません。



 チベットで暴動が発生して、中国政府の弾圧で死者が多数出ているという報道がされている。抑圧された少数民族が圧制に抗議して蜂起したとのだろうか。宗教の問題もありそうだ。

 今日は、朝から中国をどう捉えたらよいかと考えています。先に、中国とこの国との関係は、双方に感情的な嫌悪感はあるが、経済的には米国とを上回った関係になっていることを書きました。

 現在の中国社会の抱える問題の根本には、中国共産党政府の正当性の問題がある。なぜ、共産党が政権党でなければならないのか。言い換えれば、共産主義(社会主義)の実現を目指さない共産党がどうして政権運営をする必要があるのかという問題である。

 既に、中国共産党は、マルクス主義(毛沢東主義も含めて)を前提とした統治を放棄しており、逆に現在の中国共産党は儒教を社会思想の中心に据えようとしているのではないか。和諧社会(調和ある社会)なる目標を現政権が掲げていることからもわかる。



 上記の根本問題が解決されないで、近代化、市場経済化、資本主義化を進めていることから、様々な矛盾が噴出していると考える。

 経済成長がめざましい中国社会であるが、この国と同様に格差問題は深刻である。従来の平等社会では効率が悪いので、「先富論」、豊かになれるものから豊かになろうという考え方を選択、その結果が格差問題である。結果の平等から機会の平等と捉えてもいい。

 これらは、若者の意識にも微妙に影響を与えている。「ニューリッチ、金持ちになりたい、しかし金持ちは汚い。」、「コネはいけない、しかしコネは有益だ。」



 今後、本質的に共産党理念の自己否定を含む成長優先でいくのか、再び格差の解消、公平・平等概念の復活、社会主義路線への揺れ戻しがあるのか。13億人の行方は、アジアの隣人として我々の生活にも直結している問題である。

 SEKAI’2007.2~9「中国社会はどこへ行くのか」園田茂人と中国人研究者の連続対談を参考にした。



 気温6℃、春の空気を吸いながらのランニング、汗で体が冷える感覚がない。3ヶ月待ったようやくやってきた北国の春。10kmがやっとな体を、4月20日伊達ハーフを目標に徐々に走り込みをして作っていきたいと思う。
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北海道新幹線は必要か。

2008-03-12 21:23:09 | Weblog
 「月寒アンパン」です。月寒の地で、100年も前から創業している老舗。以前から、話しには聞いていたが初めて食しました。普通のアンパンと月餅の中間といった感じです。長く愛されるコツはどこにあるのでしょうか。



 「北海道新幹線」について、先日の時計台フォーラムで金子勝氏が、ストロー効果ということを言っていた。それは、新幹線が通ると、ストローで吸い取られるように中央に金や人が吸い寄せられ、地方都市は栄えるより衰退してしまうという理論。

 特に、現在、北海道の財政が危機的状況なのに、将来の人材を育てるための教員の給与を削って、新幹線を通そうとしている。全くナンセンスであると。



 私は、まず既に新幹線が繋がっている東北や九州の実態を検証した方が良いと思う。地方の拠点都市は新幹線によって変わったのか、新幹線を望んでいるのは、本当に地方の方なのか、実際は公共事業を狙う中央の資本が仕掛けているのではないか。乗客は、航空機から新幹線にシフトしたか、在来線はどうなったか・・など本当の情報が不足していると感じる。

 現状は、何となくオール北海道で推進すべき課題として語られており、誰も疑問を呈しない情況になっている。

 この夏の、「洞爺湖サミット」も同質の課題であり、誰も反対できない情況が作られつつある。これについては、稿を改める。

 

 
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ザ・ニュースペーパー

2008-03-10 19:42:34 | Weblog
 700名ほどで満員の道新ホールでコント集団「ザ・ニュースペーパー IN 札幌」公演を観ました。



 2時間、風刺に富んだ内容でたっぷりと笑わせてくれました。今回の話題は、小泉、安倍、福田、石破、ヒラリー、オバマ、東国原が登場する政治ネタ。三浦和義やムネオちゃんも出てきました。また、インド洋上の海上自衛隊、社会保険庁、赤福と石屋製菓の偽装、そして「さる高貴なご一家」の近況などでした。

 かつらとメイクで顔をつくり、しぐさと言葉の特徴で誰なのかは一目瞭然です。

 初めてザ・ニュースペーパーを観たのは、15年以上前で、彼らが未だ無名の存在で、面白い劇団がいるよという情報で上演活動に関わったことがあります。その後、筑紫哲也の「ニュース23」などで取り上げられ、人気が急上昇、今では首都圏で彼らの公演チケットは、プラチナチケットと呼ばれているそうです。



 しかし、大衆に知られるようになってから、笑いの質が変わったようにも感じます。以前の公演では、特に「さる高貴なご一家」などは、触れてはいけないタブーに触れたような独特の緊張感が感じられました。

 今の笑いの質は、会話上のはぐらかしや駄洒落とギャグ、しぐさや形態のオーバーなマネが中心で、彼らの持つ鋭い批判精神が薄れているように感じます。

 これは、'70年代には反体制と呼ばれたアングラ演劇やフォークソングが社会的に認知され、演出家やシンガーソングライター達が各種の章をもらったり、いっぱしの文化人面をし始めた頃から、その批判精神が失われ、ただのエンターテイメントになってしまった情況と良く似ている。

 
 
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オン・ザ・ロード

2008-03-09 19:37:44 | Weblog
 

 土中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくる啓蟄のように、いよいよランナー達が始動し始めました。

 今日は、2週間前の猛吹雪がウソだったかのように、10℃位まで気温があがり、すっかり春の陽気になりました。アスファルトの出た歩道で何人ものランナーとすれ違いました。

 私も、今シーズン初めてスノーランニングシューズを止め、夏用のシューズで久々の歩道の感触を楽しみました。やはり、雪上や氷上とは違いグリップが効いて前へ前へ進む感じがしました。

 おそらく、今日のランナーの一日は、午前中に走るか、それとも名古屋国際女子マラソン後に走ったのではないでしょうか。



 レースは、高橋尚子に注目が集まり、沿道の観客も例年より多くいたように見えました。しかし、序盤で失速。何か言い訳をするのかな、と思っていたら、レース後、昨年の夏に右ひざを手術していた事を明かし、これが私の今の実力ですと。

 高橋には、引き際が見えていないのだろう。強きの発言をする理由は、自分を応援してくれるスポンサーのために仕方がないと思うが、「すべての人に勇気を与える走りを」や「夢はきっとかなう」とかの言葉は、何の根拠も無く、その結果も確かめることのできない言葉です。

 若く勢いのある時には、微笑ましく聞こえても、数年前からはかなりの勘違いにしか聞こえなくなってきていた。かつて、会社の先輩が言っていた。「何で、高橋尚子に人生を説教されなければならないんだ」と。

 高橋を見ていて感じる。私たちは、いつも道の途中なのだが、例えば会社や社会でもいつか必要とされない時が来る。その時の、身の処し方をそろそろ考えておかねばならないのだなと感じた。

 



 
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フォーラムin札幌時計台

2008-03-06 20:25:58 | Weblog
 年度末で、仕事もそこそこ忙しいところに、会社の上司の親が亡くなり、葬儀の手伝いなども重なり、先週の先輩の死もあって気持ちがどうも沈みがち。

 おまけに、日曜日の夕方ランニング、歩道除雪車の後ろ、キャタピラのガタガタ道と、その間のツルツル路面を走って、かなり腰に付加がかかったのだろうか。月曜の朝からひどい腰痛に。

 そんな時、新聞の片隅に、小さなイベント記事があり、気分転換に講演会でも行って見ようかと。



 フォーラム in 札幌時計台~政治を語ろう 未来を創ろう~ 第2シリーズ「民主主義の地平を広げる -地域自治から世界共和国へ-」主催、デモスノルテ、司会は、山口二郎(北海道大学教授)とありました。

 <第5回>は、3月4日(火)講師:金子 勝(慶応義塾大学教授)、早速仕事の後、札幌時計台ホールへ。

 講演の内容は、http://demosnorte.kitaguni.tv/ がコンパクトのまとめています。

 テレビで見るのと生身の実物とはかなり違います。声の質、背の高さ、表情などから持っていたイメージが変わる場合があります。金子さんも、テレビ以上にエネルギッシュで、アジが効いたしゃべりでした。

 一貫してこの国の危機を語り続ける金子さん、しかし、彼は決して「大きな物語」、すなわち体制論を語ることがありません。社会のシステムをひとつひとつ検証し小さな選択肢を提起しますが、社会変革の道筋を示そうとはしません。

 この後の登場人物は、<第6回>3月18日(火)以下18:30~講師:高橋 伸彰(立命館大学教授)、<第7回>4月4日(金)講師:片山 善博(慶応義塾大学教授、前鳥取県知事)、<第8回>5月16日(金)講師:上野 千鶴子(東京大学教授)北海道初登場、<第9回>5月21日(水)講師:柄谷 行人(評論家)北海道初登場 と豪華な顔ぶれです。

 このフォーラム、これまでも面白そうなゲストの話を聞いていたのですね。

 《1st series》のテーマは、「瀬戸際の戦後日本~ここから何処へ向かうのか? 」で、第1回2007 8/14(火)講師:辛 淑玉 、第2回8/15 (水)
講師:山口 二郎、ゲスト:中島 岳志 、第3回11/14(水)講師:香山 リカ 、第4回11/20(火)講師:佐藤 優 と開催されています。

 何とか、時間をやりくりしてこの後の講演に行きたいと思っている。著名人の話しは、日常の中に非日常があって、とても刺激になった。
 
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『アジア・太平洋戦争』

2008-03-01 14:42:19 | Weblog
 ミッキーマウスは、米国文化の象徴。

 『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史⑥』(吉田裕著 岩波新書 2007年刊)

 この国の敗戦が1945年、私が生まれたのは1954年で、戦後9年しか経過していなかった。現在2008年、戦後は62年が経過した。

 こどもの頃、NHKラジオで引揚者や行方不明者の名前を呼んでいた記憶がある。街角には傷痍軍人もいた。防空壕の跡や、海岸で菊のマークの入った手榴弾のおしりを拾ったこともある。

 その後、僕たちは随分と遠い所まで来てしまったような気がする。でも、戦争を知らない僕らの世代でも、何かしら意識の中にあの戦争が生きている。



 『アジア・太平洋戦争』は、新書のボリュームながら、あの戦争について知らなかった事実が随所に出てくる。学校(小学校も中学校も高校も)で習った歴史は古代から始まるが、明治にたどり着いた頃に3学期が終ってしまって、この国の近現代史に届かない。

中国や韓国では、若者に近現代史を学んでいるのだろうが、この国でも日本史や世界史という教科の他に、歴史の中に近現代史という教科を学ぶ必要がある。 
以下は、この本からわかった、「なるほど、そうだったのか」諸々。

 あの戦争は、アメリカとの戦争というイメージが強いが、開戦時、日米間には決定的な対立は無かった。従がって本当は、対米戦争を極力回避しつつ、対英戦争に主力を注ぎたかった。

 真珠湾奇襲攻撃の違法行為について、駐米日本大使館(外務省の出先機関)の事務怠慢による責任とされているが、無警告攻撃を重視した軍の圧力に外務省(本省)が屈した結果であること。

 開戦時の太平洋地域においては、日本の戦力は米国を凌駕していた。これが、短期決戦で勝つという幻想につながった。この状態は、ミッドウェー海戦に敗れたまでは続いており、ガダルカナル島の攻防戦以降、戦力が逆転した。

 米国映画の上映禁止などの反米キャンペーンは、1943年に入りガダルカナル島敗北以降のこと、政府や軍部は、対米戦の重要性を充分認識していなかった。国民の間にも、米国に対する強固な敵愾心が存在していなかった。



 日本軍が侵攻した地域を地図に落としてみると、良くぞこんなにアジアの遠くまで、否、オセアニアにまで行ったものだと感じる。この展望を持たない戦略が、後で補給路を断たれてしまい、餓死という戦争とは無縁の死に方を強制される悲劇を生んだ。



 先週は、職場の先輩の本当に悲しい通夜や送別会、夜の営業などが続く。先週に続いて、明日も日曜営業。

 読書不足で心が安らがず、練習不足で体が安定せずを脱しなければ。





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