晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『毒と薬の世界史』

2008-11-30 15:24:51 | Weblog
 11月最終日、風が強く、気温も低く、すっかり冬になったような気分。そんなことで、本日は雪読生活。11月は、このブログも随分がんばって書いたと思う。1ヶ月で19回は今までで一番多い。質より量になっているような気もする。12月は、仕事もそれなりに忙しくなるだろうから、こんなわけにはならないだろう。



 『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』(船山信次著 中公新書 2008年刊)

 良書である。本書には、歴史、地理、化学、医学など総合的な知識が詰まっている。「総合学習」というテーマの不明確な教科が義務教育で行なわれているが(既に、無くなりましたか?)、外部から見ている限り無駄に時間を費やしているように思えるが、本書のような本をベースに1年かけて勉強すれば、子ども達の頭の中に人文科学と自然科学の全体の見取り図を描くことができるのではないか。

 また、近年、事件において薬物が使用されたり、無意味な健康ブームでも薬物の名前が様々に紹介されているが、それらの薬物(毒物)の物質上の位置取りも大体わかる。麻薬、覚せい剤、筋弛緩剤、抗生物質などである。

 エピソードをひとつだけ、「散歩」という言葉の由来の部分を引用する。

 古代中国の鉱物薬に「五石散」がある。気分を爽快にする強い薬である。薬効があらわれることを散発というが、散発となったら歩かなければならない。これを「散歩」という。

 最古(平安時代)の医書に丹波康頼(俳優丹波哲郎の先祖に繋がる。)が著した全30巻の『医心方』の中に、鉱物薬を用いた際の薬害についての記述があり、鉱物薬の害から逃れるためには、歩きまわらなければならず、「散歩」という言葉はここから生まれたという。




 
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ザ・ニュースペーパー 結成20周年記念公演

2008-11-29 17:15:38 | Weblog
 『ザ・ニュースペーパー 結成20周年記念 札幌公演』11月22日道新ホール

 今年2回目の札幌公演だと思いますが、近年は毎回観ています。2時間余り、ずっと笑えます。とても政治的で、ブラックなコントが続きます。

 XーJAPANのあの曲とともにコイズミそっくりが登場、大きな声の出せないアベ、せっかくモノマネが板についてきたのにもう辞める福田、コントの題材に事欠かないアッそーと役者が勢ぞろい。

 今回の公演で新たに知ったこと。アッそーさんは、敬虔なクリスチャンなのだそう。従がって、来年夏の靖国神社参拝はかなり複雑なことになるらしい。与党には、ナンミョーホーレンゲー教もからんでいるので、本当に複雑なことになると思います。


 東京都千代田区千代田1丁目1番地あたりにお住まいの「さる高貴なご一家」の登場で笑いもピークに。ご家族の本音と思えるような発言もあって、スレスレ感がまたいいのです。

 少し寂しいのは、観客の年齢が比較的高いこと、若い世代の姿はほとんどいない。映画に行っても、テント劇場に行っても、若い方が少ないということは、自分と若い方との志向性に大きなギャップが出来てしまっているためなのでしょう。



 
 
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『女房逃ゲレバ猫マデモ』

2008-11-28 21:04:11 | Weblog
 誕生日前、運転免許の更新に行く。違反暦があり、青色(ゴールドではない。)カード。写真撮影の時、担当の若い女性からしつこく指導される。

 「トレーナーの襟のファスナーを上までしめて下さい。」「はい」、「メガネが下がっています。」「はい」、「髪の毛が立ってますが」「ほっといて下さい」ぶちっ!



 『女房逃ゲレバ猫マデモ』(喜多條忠著 幻戯書房 2008年刊)

 喜多條忠といえば、かぐや姫の「神田川」「赤ちょうちん」「妹」、梓みちよ「メランコリー」、キャンディーズ「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」などのヒット作を飛ばした'70年代を代表する作詞家。

 その喜多條氏が初めて小説を書いたとのことで、早速購入。しかし、「天は二物を与えず」なのでしょう。「餅は餅屋」、やっぱり作詞家に専念していた方が良いと思った。天才詩人、天才小説家にあらず。

 ストーリーは、女房に逃げられた子連れの男が、生い立ちや青春時代を回想したり、現在の日常を描いたりしているのだが、ミーイズムに徹し過ぎているため、子ども達をはじめ周囲の人の気持ち、何よりなぜ女房と別れたのかは最後までわからない。

 喜多條氏の実生活に少し味付した作品と思われるが、あまりにも自己中心的な表現が多く、他者に伝わるものが少ないと感じた。盛り込まれているエピソードは、部分的にちょっと面白いときもあるが、全体に締まりの無いだらしなさが貫かれている作品である。

 読んでも益にならず、読まなくて損のない本である。

 
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『旅立ち』

2008-11-27 19:40:34 | Weblog
 映画『旅立ち~足寄より~』(今井和久監督 PLUSMIC CFP製作 2008年作品)札幌スガイディノスにて

 配役は、松山千春役に大東俊介、STVラジオ竹田ディレクター役に荻原聖人、千春の父親に泉谷しげるなど。泉谷の物言わぬオヤジははまっていました。

 ストーリーは、千春がずっとその恩を口にしていますが、彼を見出してくれた竹田氏とその突然の死、北海道を拠点に歌っていくと決意した千春の原点を描いています。

    私の瞳がぬれているのは
     涙なんかじゃないわ 
      泣いたりしない
   この日がいつか来る事なんか
  二人が出合った時に知っていたはず
   私の事などもう気にしないで 
  貴方は貴方の道を歩いてほしい

 超大作ではないが、B級映画としては見終わった後に温かいものが残る秀作。私は、千春ファンではないが、なぜあんなに生意気で、無礼な千春がみんなに愛されるのかがわかります。彼は、同じ足寄出身の某氏が逆境にあっても決して見捨てなかった。損得では判断しない彼の信念の原点がわかります。

 必見ではありませんが、時間があれば是非お薦め作品です。見ていませんが、中居正広主演の「私は貝になりたい」よりは、いいかも。
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『ヨーロッパ的普遍主義』 その2

2008-11-24 17:06:46 | Weblog


 大丸札幌店B1イートイン「Ile de France 」でクラムチャウダー、先週木曜日の「とんねるずのみなさんのおかげでした」で、中居正広君が食べていました。

 とろとろに煮込んでいて、あまり塩辛くなく美味、ただ、アサリが細かく刻まれていたのは残念、ちょっと貧弱。


 
 週末ラン、午後3時の気温0.3℃、日差しも弱く寒くなりました。距離は短くてもストレッチなど入れながらで足はパンパンに。




 『ヨーロッパ的普遍主義』 その2

 著者は、「私が本書で示そうとしているのは、権力の普遍主義がつねに、部分的で、歪められた普遍主義であったことである。それを私は「ヨーロッパ的普遍主義」と呼ぶ。なぜならそれは、近代世界システムの支配者層にとっての利益を追求する、汎ヨーロッパ世界の指導者および知識人によって唱導されてきたものだからだ。私はさらに、ほんとうの普遍主義―本書では「普遍的普遍主義」と呼ぶーに進むための道筋についても論じたい。」と述べる。

 さらに、「なんらかの超個別主義的立場―この星のいたるところで唱導されているあらゆる種類の個別主義的思想のすべてに平等な価値を求める立場―に撤退することはできない。なぜなら、超個別主義は、実はヨーロッパ的普遍主義と現在権力を有する者たちー彼らは非平等主義的で非民主主義的な世界システムの維持をもくろんでいるーの力に対する隠れた降伏にほかならないからである。」と述べる。

 
 次に、第1章「干渉の権利はだれのものかー野蛮に対する普遍的価値」に入り、著者は最初に「近代世界システムの歴史は、ヨーロッパの諸国家・諸民族が、世界の他の地域に拡大していく歴史であった。」と述べる。

 




 
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『ヨーロッパ的普遍主義』 その1

2008-11-23 09:58:28 | Weblog
『ヨーロッパ的普遍主義 近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学』(イマニュエル・ウォーラーステイン著 山下範久訳 明石書店 2008年刊)

 この著書は、2004年11月ブリティッシュ・コロンビア大学セント・ジョンズ・カレッジにおける「世界のパースペクティヴ」というタイトルの3回連続の講義を基にしている。

 読者は、はじめに「今日における普遍主義の政治学」で、著者からいきなり挑発される。

 私たちが自明の事として受け入れている、人権、民主主義、市場原理、科学的実証性などは、「ヨーロッパ的普遍主義」という暴力に支えられているのではないか。
 
 本当の普遍主義、著者はそれを「普遍的普遍主義」と呼ぶが、「既存の世界システムに対する真のオルタナティブの構築を目指すならば、普遍的普遍主義の内容を系統立て、制度化していく道を見出さなければならない。」と主張する。

 導入部から中々の構えだが、さて、本書は私が求めている「血湧き肉踊る」内容になっているだろうか。


 
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「白州次郎と白州正子」展

2008-11-18 21:29:29 | Weblog
 『激動の時代を美しく生きる「白州次郎と白州正子」展』(大丸札幌店7階ホール)

 白州次郎なる人物を詳しく知らない。最近関係本など出版されて何かとクローズアップされているようだ。敗戦直後、日本国憲法成立を描いた映画「日本の青い空」(2年前のGWに取り上げた。)で、対GHQ相手に通訳のような人物が登場したのが白州である。

 敗戦でこの国の人々全員が打ちひしがれたような表情の中で、他人事のような顔をしていた人物であった。児玉誉士夫や笹川良一のような黒幕ではなく、表舞台、日の当たるところを歩いた人物のようである。

 生まれも育ちも良く、戦前のヨーロッパに留学し、身に付けるものは全て外国製の一流品、背が180センチもあり、非の打ち所の無い紳士。

 一方、妻の正子は、随筆家ということだが、こちらも育ちが良く、金に任せて骨董品を収集、今回そのコレクションの一部が展示されたいた。

 テレビの「なんでも鑑定団」でしか見たことに無かった、伊万里、古伊万里、友人である魯山人に焼かせたという焼き物・・・東西から集めた本物を見ることが出来たのがわずかな収穫か。「いい仕事」は、素人にもわかりました。

 
 なぜ、今、白州次郎が注目されるのか。この国が格差社会になり、今までは人知れず静かに過ごしていたセレブの代表見たいなのが、堂々と世の中に出てこれるようになったのか。それにしても、随分と遠いところにいる人たちと思った。

 


 連続テロ事件! 埼玉県、中野区で元厚生事務次官を狙ったテロが発生。社会保険庁長官経験者を狙っていのか。組織的背景は? 
 

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『現代日本の詩歌』

2008-11-17 20:20:44 | Weblog
 『現代日本の詩歌』(吉本隆明著 毎日新聞社 2003年刊)

 あの吉本隆明が、谷川俊太郎、大岡信等々・・現代日本における27人の詩人を評論。詩は吉本の本職のはずだが、その批評はぎこちなく、バッサバッサと切るのかと思いきや、恐る恐るという感じ。

 まったく素人の私がこの手の本を読む魂胆は、言葉の使い方が巧くなったり、語彙を拾ったり、少し可能性が広がるかも知れないという淡い期待。

 従がって、特にそこから法則性や新しい真実を見出すなどということはありえず、すっ飛ばしながら読みきり。

 で、一番印象に残ったのは、茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」の一節。

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 1926年生まれの茨木さん、戦争に一番いい時期を奪われたことをテーマにしています。


 現在の私のセンチメンタルからは、「あなたが一番きれいだったとき」てな感じで書ければいいなあと思います。

 

 
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『まなざしの地獄』

2008-11-16 17:25:54 | Weblog
 今年が最後となる第30回東京国際女子マラソン、渋井陽子が最初から飛び出したが、例によって最後は失速、途中3位につけていた第1生命の尾崎好美が逆転勝利。終盤手に汗握るデッドヒートで自分も走りたくなる。(相当単純だと思うが)

 最近のゆっくりとだらだら走る練習を見直し、翌日に筋肉痛が出るような筋力トレーニングを意識して走る。老化している身体にビシビシと鞭を入れるイメージで。



 『まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学』(見田宗介著 河出書房新社 2008年刊)

 本書に収録されている、「まなざしの地獄」の初出は、「展望」(1973年5月号)、単行本収録は「現代社会の社会意識」(弘文堂 1979年)、「新しい望郷の歌」の初出は、「日本」(1965年11月号)、単行本収録は「現代日本の心情と論理」(筑摩書房 1971年)である。

 この2本の論文に、見田の弟子、大澤真幸が解説を付けた120ページ程の小さな本である。

 その時代に発生した象徴的な事件から社会を読み解く試みは昔から社会学者の得意とするところである。「まなざしの地獄」では、1968年から1969年にかけて起きた連続射殺事件(少年N.Nによる)を分析している。

 解説の中で、大澤は、本年2008年に発生した秋葉原事件(Kによる)と比較して、『「まなざし」を規準においた場合に、欲望のベクトルがまったく逆になっている』と指摘する。

 N.Nのように、「アイデンティティの内実(貧困、無知)を否定的に意味づけられた者にとって、(都会の)まなざしは地獄である。」のに対して、Kの場合は、だれからも注目されない「まなざしの不在(無視)が地獄」であった。そこに、時代の違いがあると言う。

 その中間に、1997年に神戸で起こった連続児童殺傷事件(当時14歳の少年Aによるとされている。)がある。彼は、自分を「透明な存在」と名乗った。ちなみに、秋葉原のKは、少年Aと同い年、少年N.Nは、神戸事件の年1997年に死刑を執行された。



 本書は、表現も平易で非常に読みやすい。社会構造の分析も論旨明快である。お薦め本である。ただ、社会学と言うのは、対象である社会をどのようにでも切れるものであるということを付記しておきたい。
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金融サミット

2008-11-15 20:16:31 | Weblog
 9時前に週末ランに出かけました。今朝は、深夜の気温が高く、早朝にかけて急に気温が低下したためでしょうか、濃い霞がかかっていました。春先にある現象だと思いますが、晩秋には珍しいような気がします。

 気温2℃、キリッと寒かったのですが、営業も兼ねながら午前中に走れました。




 金融サミット             

 世界20カ国から首脳がワシントンに集まり、現在の世界的な金融危機への対応策を検討する金融サミットが開催されている。

 2007年夏から始まったサブプライムローンの破綻、そして2008.9.15リーマン・ブラザーズショック、その原因について85歳のエコノミストの宮崎勇氏が言及している。(「必要なのは内需拡大とセーフティネット」SEKAI2008.12)

 米国発の金融危機の原因は、経常収支の不均衡にある。日本、中国、ロシア、産油国の黒字が、金利の高い赤字国米国に流入した。その過剰な資金が融資先を求め、最後に低所得者に対する住宅融資だった。それが破綻したのだ。

 この構造を是正するためこの国がすべきことは、国際協調と内需拡大策である。海外からの投資の受け入れ、外国人労働力の受け入れを進める。そして、消費を拡大するため、減税を実施すべき。というものである。


 この議論、ずっと前にも聞いたことがありませんか。1980年代、中曽根首相の時代に出された「前川レポート」です。日米の貿易不均衡を是正するため、日本は規制緩和(民活)と内需拡大を求められました。その時とそっくりです。

 そうなると、歴史は繰り返しているということになります。景気循環という言葉があります。19世紀の終わりには、10年周期で顕著な景気循環がありました。振り返れば、1987.10.19ブラックマンデー、2000年ITバブル崩壊、2007年サブプライムローンの破綻とおよそ10年周期で米国発の危機があります。

 1987年のブラックマンデーの後、東欧革命がありソ連型社会主義が崩壊、2000年のITバブル崩壊の翌年に、2001.9.11があり、イスラム原理主義の台頭がありました。これらのことから類推すると、今回の金融危機と連動した、予想外の大きな政治的変動が起こるのではないでしょうか。




 
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「定額給付金」阻止 私の提案

2008-11-14 21:35:26 | Weblog
 「定額給付金」阻止 私の提案         

 リーマン・ショックは、麻生にとって神風であった。世界的な金融危機のおかげで、解散総選挙をぶっ飛ばすことができた。

 今、国民の鼻先に「定額給付金」という餌が撒かれた。しかし、批判が渦巻いている。バラマキだ、選挙目当てだ、地方へ丸投げだ、財政危機なのに後で消費税を引き上げられるのは嫌だ、所得制限をどうする、課税所得になる・・・ でも、くれると言うのだからもらっておこうというのが大方の国民の反応なのだろう。



 さて、私が批判したいのは、政府・与党ではない。政権をよこせと言っていた民主党と他の野党である。「定額給付金」に対して低次元で手続き的な批判ではなく、真っ向から「反対・阻止」を唱える政党が皆無な事である。日共ですら今週の「赤旗」日曜版に一言も批判を乗せていない。

 「反対・阻止」を叫べば、政府・与党が、苦しんでいる国民をせっかく救済しようとしていたのに、「民主党(その他野党も)のせいで、できなくなりました!」とキャンペーンされることを恐れているのではないか。

 コイズミ改革の結果を格差・貧困社会として批判していたのなら、財源である2兆円を使って、これだけのことができるという対案を今こそ見せるべき時と考える。

 現在の大衆迎合主義的な態度では、政権など執れる資格が無い、と断定しておこう。



 ちなみに、私の対案は、この2兆円を全国の地方自治体に対して、全額を住民の福祉の向上に使うべきなどの使途の制限を付けて交付してはどうかと考える。そして使途は、若者の就労や医療費、介護保険料の軽減など自治体に創意工夫を競わせるのである。

 1988年、竹下内閣の時、ふるさと創生事業として全国の自治体に1億円が配られた。当時の予算は4,000億円くらいであったろうから、2兆円はその5倍の巨費である。

 民主党も共産党も社会民主党も逃げるな、千載一遇のチャンスだ。
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『社会主義はなぜ大切か』 その5

2008-11-12 19:44:28 | Weblog
 試合開始前、コンサドールズジュニアが雰囲気を盛り上げます。これから観客がどんどんつめかけ、選手のピッチ練習、先発メンバーの紹介となっていきます。徐々にサポーターの気持ちが高ぶってきます。



 『社会主義はなぜ大切か』 その5

 「第5章 連帯社会主義への道」の続き

 「協議経済」への転換、社会主義をめざす革命は、法(律)に則って実現できるし、実現しなければならない。(著者は、「則法革命」と呼ぶ。)

 政党組織論について、民主集中制は、少数意見の扱い、組織決定後の新たに生じた事態への迅速な対応に課題がある。

 著者は、現体制のオルタナティブとして、①自衛隊を国連指揮下の日本平和隊に、②領土問題では、関係国による共同管理を、③警察については、そのチェック機構として、社会的中立性を保持した市民による「真相究明委員会」の創設、④国民投票と国民発意を、提起している。

 また、憲法について、その改正案としては、①第29条財産権において、資本制的私的所有を廃絶して、生産手段や資源、国土は、国民全員のもので、「連帯占有」されること。②第1条天皇制の廃絶を提起している。


 (全体を通しての私の感想)
 このように本書の結びとしての提案は、全く陳腐なものになってしまっている。問題提起までは、そこそこ読ませるものがあったが、来るべき社会の構想や具体的システムの提起になると貧弱なものになってしまうのは、左翼の伝統的な弱点の現れであろう。

 左翼は、自分だけが絶対的に正しいという確信(客観的に証明されていない。)を武器に、他者を批判するが、具体的な対案や実行可能で有効な方策を構築することができないのである。

 もし、その確信が正しいとすれば、圧倒的多数が全く左翼の言うことに誰も振り向きもしないこの現実、これをどう理解したら良いのであろうか。左翼は、無謬神話を破壊し、自己批判から出発すべきであろう。

 20世紀の終わりから、資本主義社会と社会主義社会の負け比べが始まり、現状は社会主義社会の敗北が確実である。しかし、それが資本主義社会の勝利かどうかは、結論が出ていない。

 社会主義社会は、資本主義社会のネガとして構想されたが、そこには重大で致命的な欠陥があった。そこで、再びポジとしての資本主義社会を選ぶか、社会主義社会の更なるネガとして「もうひとつの社会」を構想するか。私は、後者を選ぶ。

 

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『社会主義はなぜ大切か』 その4

2008-11-09 16:56:20 | Weblog
 2007年1月に指宿菜の花マラソンに参加した時いただいた菜の花が、今頃咲きました。遠く鹿児島で採れた種ですが、最北の北海道の地で雪が降る季節になってようやく花を咲かせました。



 『社会主義はなぜ大切か マルクスを超える展望』(村岡到著 社会評論社 2005年刊) その4

 「第2章 社会とは何か」で、著者は、個人、家族、社会、経済、政治、文化、国家を規定してきた。そして、最後に、「歴史」を検討する。

 はじめに著者は、唯物史観について、①土台と上部構造の関係、②階級闘争の観点から分析するが、マルクスの誤りとして、経済の課題評価、反対に政治と法(律)が過小評価されたことを指摘する。

 続いて著者は、社会や歴史を経済、政治(法律)、文化の各領域・レベルに応じて独自に認識すると同時に、それらを複合的に包括的に把握する必要があるとする、唯物史観に変わる複合史観を提起する。


 最後に、「第5章 連帯社会主義への道」では、

 著者が構想する社会主義像における「社会を構成する原理」は、「愛と平等」である。それを、「連帯社会主義」と呼ぶ。

 社会主義社会での経済システムは、「協議経済」である。その特色は、「生活カード制」という分配システムにある。「生活カード」の仕組みは、①生存に必要な生活資料に相当する「生活カード」が社会から給付される。②カードと生活資料を引き換える。生活の難易さだけが給付量の差異をもたらす。労働と分配との分離・切断される。

 生産物の生産は、「協議生産」であり、その前提は、①「労働」を「義務労働」として実現する。「義務労働」は、「愛ある労働」であり、「疎外された労働」の対極にある。②生産手段の「連帯占有」の実現である。

 「協議生産」の内実は、①「生産物の評価」を「協議評価」によって実現する。原料と原価償却分、労働の質と労働時間、道徳的・社会的基準などを考慮する。②「自主的計画」と「公共的計画」の二重の生産システムを構築する。

 「協議経済」は、「市場経済を揚棄する対極」として位置づけられるが、その弱点は、「協議」が困難なことにある。そのため、「未知・未存」である。



 第5章はまだ続きますが、つくづく左翼は(私も含めて)、批判は得意とするところだが、社会の構築は危なっかしくてとても任せられないと感じる。
 また、独善性の病理も深刻なものがある。
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浦和レッドダイヤモンズサポーターに学ぶ

2008-11-08 19:35:55 | Weblog
 アウェイ側の席はレッズサポーターで満員。ドームでは初めての光景だと思います。そして、このような事は、またしばらく無いでしょう。



 浦和レッドダイヤモンズサポーターに学ぶ         

 今さら、J1におけるコンサドーレ札幌の闘いぶりをあれこれ言っても始まりません。チームの資金力が無い、選手個々の能力が低い、モチベーションも失った、監督の戦術に疑問、観客動員が伸びない・・・様々な理由が言われています。

 本日、札幌ドームで行なわれた第31節浦和レッドダイヤモンズ戦には、2万9千人近い観客が入り、中でもレッズサポーターが1万人も来てくれました。

 そこで、感じたことは、サポーターの質が違うと言うことです。レッズサポーターは応援にメリハリが効いていました。良いプレーには拍手と歓声というのは同じですが、チョンボには、味方であっても容赦ないブーイングを浴びせていました。

 それは、試合中だけでなく、試合開始前のアップ、前後半のインターバル中の練習でも、良いシュートやキーパーのファインセーブには拍手をしていました。

 そうすることで、選手は練習中も気が抜けないのだろうと思います。サポーターが常に見ていることを意識させることは、選手を育てるのに友好なのだろうと思いました。

 また、試合の流れを良く読んだ応援をしていました。マッタリと応援歌を歌い続けているコンササポーターと、ここぞと言う時に声援をするレッズサポーターは違っていました。洗練されていました。札幌サポーターも学ばなければなりません。そして、選手を厳しく見守ることが選手を育てるのだろうと思いました。

 試合後、2年間夢を見せてくれた三浦俊也監督が成績不振の責任をとる形で辞意を表明しました。来季は、J2で再スタートです。無いものをほしがっていても始まりません。チームを強くするために、我々サポーターに出来ることから始めたいと思います。
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追悼 筑紫哲也

2008-11-07 20:17:29 | Weblog
 筑紫哲也さんが亡くなられましたが、少し若すぎます。

 10年ほど前に筑紫さんと直接話をしたことがあります。とは言っても、2人だけでの会話ではありません。北海道内で活動している市民大学の関係者が倶知安に集まった際に、筑紫さんがゲストで参加してくれた際のことです。

 深夜まで至った「夜なべ談義」では、参加者がそれぞれの思いを語ったのですが、さすがジャーナリスト、聞き上手で、どんどん人の話を引き出します。また、自らも本当に情報を吸収しようとする姿勢が伝わってきました。

 お酒も強くて、結構ガンガン飲んでいたと思いますが、全く変わりませんでした。煙草もスパスパやっていたと記憶しています。

 筑紫さんは、ニュース23を月曜日から金曜日までこなした後、毎週ほとんど地方から呼ばれるとの事でした。倶知安の時も、翌日(日曜日)は、ニセコで逢坂町長(当時)に会うとの事でした。全く、底なしの体力の持ち主のように見えたものです。

 当時は、久米宏のおちゃらけ突っ込みコメントと、筑紫さんの真面目コメントの闘いでしたが、筑紫さんの「多事争論」の方が批評としては鋭いものを持っていたような気がします。

 マスメディアでの発言も大きな制約を持つ中で、筑紫さんの何とか自分の思いを伝えようとしている姿勢が伝わってきたものです。

 先日の上田耕一郎、今日の筑紫哲也と、比較的ファンだった方が居なくなるというのは何とも寂しい気持ちになります。なお、上田耕一郎の死亡について、「赤旗日曜版」に、全く記述が無いのですが、何か意図でもあるのでしょうか。

 
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