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戦後左翼史 その15 1963年① 中ソ論争公然化 原水協

2016-03-26 17:17:39 | Weblog

 書棚がインテリア化しました。北菓楼札幌本館は、大正15年に北海道庁立図書館として建設され、道立三岸好太郎美術館としても使われた建物を改築しています。2階レストランの壁面全体に本が収納され、知的な雰囲気を出そうとしています。

 

戦後左翼史 その15 1963年① 中ソ論争公然化 原水協

1963年(僕8歳、小学校3年生)に国内外であったこと。

中ソ論争公然化、部分的核実験停止条約調印、原水禁世界大会分裂、ケネディー暗殺

★1963.1.1道新 人民日報 イタリア共産党書記長に反論 重ねて世界会議要求

1963.1.4道新社説 矛盾の極限に立たされた世界

1963.1.4道新 フルシチョフソ連首相 まず軍縮で国内の経済建設“時をかせぐ”のが先決

★1963.1.4道新 ソ連に“真正中国共産主義者同盟”誕生、在留中国人が本国共産党から独立

★1963.1.4道新 毛沢東中国共産党主席 ソ連非難で国際的孤立 失敗だった国内政策 大躍進政策の失敗 1958八中全会 彰徳懐国防部長、毛批判で粛清 陳雲副総理の復活

★1963.1.4道新 人民日報がトリアッチ批判 激しく平和共存攻撃 “核兵器の前にひるむな”

1963.1.5道新 フルシチョフ首相東独党大会に出席 ベルリンで新攻勢か

1963.1.5道新 中国共産党機関紙「紅旗」社説 平和共存を非難 現代修正主義の危険傾向

★1963.1.7道新 「虹旗」フルシチョフ路線をきびしく批判 中ソ分裂の危険増す 調整の動きもあるが・・

★1963.1.7道新夕刊 プラウダ はじめて中国を名指しで批判、「中国は、極左、冒険主義である」 中ソ論争が公然化

★1963.1.8道新夕刊 プラウダ社説の真意 公になった中ソ論争 毛主席を教条主義者と断定

★1963.1.9道新社説 新局面の中ソ論争をどうみるか

★1963.1.9道新 フ首相東独党大会出席の意図、“中ソ対立”討議へ 東独首脳の更迭の固めも

★1963.1.9道新夕刊 北京各紙 プラウダ社説を報道せず モンゴル“フ路線”支持

★1963.1.10道新 中ソ論争をこうみる 野々村一雄(一橋大学教授) 平和共存ゆらぐ恐れ 回避策は中国の国連加盟 

★1963.1.12道新 注目の東独党大会 共産圏の指導原則確立へ 中国批判渦巻こう ワルシャワ条約諸国・NATO“不可侵”も提案か 英共産党 中ソ論争中止を求める声明発表

1963.1.14道新 東独党大会のフ首相演説 西側、ベルリン政策緩和を期待 国連軍駐留具体化か

★1963.1.15道新 新段階に入った中ソ対立 ロバート・K・マッケップ(米極東問題専門家) 論争は激化の一途 “首座”をめぐる闘争へ 

★1963.1.15道新 きょうから東独共産党大会 中ソの思想統一へ フ首相 ベルリン問題提起か 東独 スターリン派の実力者メ―ヴィス氏(国家計画委員会委員長)を経済失敗で更迭

1963.1.16道新 東独社会主義統一党大会開く きょうフ首相演説 各国首脳ら百人が参加 日本から米原昶(あきら)日共中央委員会書記が参加

★1963.1.16道新 ウルブリヒト第一書記(東独)が提案 西独と交渉の用意 ベルリン解決に七項目 中ソ論争、世界平和に影響 西独と交渉の用意

1963.1.17道新 フルシチョフ演説詳報 西ベルリンも自由市に 対独講和期限つけず

★1963.1.18道新 フルシチョフ首相“言論休戦”の背景 共産主義の統一へ一応中国の出方を観測

★1963.1.19道新夕刊 伍修権中共代表の演説要旨 “論争休戦”に条件 ラ東独第一書記 中国に“休戦”呼びかけ

★1963.1.19道新夕刊 東独党大会 事実上終わる 対決避けた中ソ フルシチョフ路線の勝利

★1963.1.21道新 中ソ論争に社党の見解 公正な処理を望む 日中関係の特殊性を強調しながらも事実上ソ連路線支持に傾く 党内 ソ連支持の和田派 中国支持の平和同志会 (日共は中国支持)

★1963.1.27道新 人民日報 東独党大会の中共非難を報道

★1963.1.29道新夕刊 中国人民日報 フ首相をやり玉に手厳しく批判

★1963.1.31道新 中ソ対立の行方 中国は依然強気 “休戦”のソ連 当分平行線か

★1963.1.31道新 北朝鮮党機関紙「労働新聞」が社説 中ソ間論争で強く中国支持

1963.1.31道新 ソ連文化界に“寒波”“暴風”広がる一方 注目される抽象表現芸術 作家エレンブルグ、作曲家シェスタコビッチ、作家ネクラソフ、詩人エフトシェンコ、中学教師アレクサンドル・ソルジェニツィン「イワン・デニソビッチの一日」(ラーゲリの実情)

1963.2.1道新 海外時評 EEC交渉の決裂 英国加盟(決裂)―ドゴールの意図・フランスの共同市場は割れない イギリスー欧州に背を向ける アメリカー今こそ忍耐必要 ソ連―大西洋同盟ヒビをひろげる

★1963.2.4道新 ソ連誌が論評 共産圏内の対立深まる パリの観測筋 日共1.24アカハタ社説を重視 中国のいう世界共産党会議を呼びかけ 日共党内で両派の論争があるか?

(参考)中ソ論争(★印)と日共党内(れんだいこ氏のHPに学ぶ。)

1963.2.13~15「第5中総」、袴田から中ソ論争の経過報告。党中央は初めて中ソ論争の存在を認めた。党内でソ連的見解と中共的見解が衝突。ソ連支持者は志賀.鈴木.神山.中野.内野竹千代.砂間一良.平葦信行.谷口善太郎.須藤五郎.江口喚ら。中共支持派は分かれていて、一つは無条件支持派で紺野.春日.聴濤.土岐.安斎.西沢(隆)ら。一つは綱領の立場に依拠する形での支持派で宮本.袴田.岡.松島.米原.西沢(富).高原ら。態度保留は、野坂.蔵原ら。党は形式的に不介入、実質的に中共寄りの決議「全世界の共産党.労働者党はかたく団結しよう」を採択した。

★1963.2.10道新夕刊 ソ連党機関紙プラウダ声明 世界共産党会議に賛成 意見の相違を解消 二党間会議も受ける

★1963.2.11道新 モスクワ観測 共産党会議受け入れ ソ連大きな譲歩

★1963.2.11道新 社“中ソ論争”の検討へ 成田報告だけでは不満 “原水協”の分裂状態

1963.2.11道新夕刊 AA連帯会議終わる 中・印代表が和解 沖縄の日本変換要求も決議

★1963.2.12アカハタ 2.10付けプラウダ社説(要旨)共産主義運動のマルクス・レーニン主義的統一のために、社会主義諸国の団結のために

1963.2.14道新 一段落したコンゴ情勢 無能力な中央政府 紛争再発の危険去らず

1963.2.15道新夕刊 インド共産党が提案 世界共産党会議を12月に

1963.2.20道新夕刊 米議会外交筋言明 ケ大統領が報告 ソ連・キューバから撤兵 3週間以内に数千人、第一般近く到着化

★1963.2.22道新 人民日報 中国 中ソ論争で新態度表明か ソ連側の主張を紹介 大衆討議の資料に提供

◎1963.2.22道新 分裂状態だった日本原水協(安井郁理事長) 半年ぶりに(社共の)妥協成立 2.21声明 いかなる国の核実験にも反対 原水爆の完全禁止 平和共存

(参考)原水協(◎印)(れんだいこ氏に学ぶ)

日本原水協の常任理事には日共党員もおり、最初は2.21声明に賛成し、日共本部に報告するが、本部は拒否を決定。この本部の決定により、大衆団体内部で決められたことが簡単にくつがえされてしまった。そこに日本原水協という大衆団体の論理は日共の党派の論理に従属しなくてはならないという論理がある。

*(*僕の考え)平和運動、労働運動、学生運動など多様な考え方を持つ大衆運動において、その中にいる党員は時に不可解な主張や行動をしたり、突然方向転換をすることがある。その理由も説明できずに。背後には必ず党の指示がある。これも日共がいつまでも大衆からの信頼を得ることができない理由だと思う。

◎1963.2.23道新 社党中執委 原水協統一協定を了承

★1963.2.23道新 ソ連の主張を紹介した人民日報 二つの見方 香港の専門家筋 ソ連の孤立化政策反撃 徹底的な対決めざす モスクワの西欧側 “冷たい休戦”続けよう 平和共存も変えない

◎1963.2.23道新夕刊 日共 原水禁運動再開に反論(内野統一戦線部長)「いかなる国のいかなる核実験のも反対」は誤り まだ分裂活動残る

1963.2.23道新夕刊 マリノフスキーソ連国防筋が警告 キューバ侵せば大戦 ソ連陸海軍45周年記念日 ラスク米国務長官演説 ソ連 核戦争欲せず

★1963.2.24道新夕刊 毛主席とチェルネンコ中国駐在ソ連大使と会談 羅瑞卿中国副首相 中ソ団結を強調

★1963.2.25道新夕刊 西側 中ソ接触を重要視 歩み寄る可能性も

1963.2.26道新 時評 インドの中立主義―その政治的な効用 入江啓四郎(成蹊大学教授)

★1963.2.27道新夕刊 人民日報社説 “くい違いはどこからきたか”モスクワ宣言守れ 兄弟党会議を開く用意 周中国総理演説 経済計画の達成を要望

★1963.2.28道新夕刊 フ首相演説 核停協定譲れぬ査察回数 平和共存続ける

★1963.2.28道新 香港筋の見方 中ソ関係最悪事態へ 論争は続こう 強硬な人民日報社説 ソ連の陳謝迫る

 

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戦後左翼史 その14 1962年② 白鳥事件 キューバ危機

2016-03-19 09:09:57 | Weblog

 2012.3.16に吉本隆明が亡くなってから4年。札幌市内では「横超忌」というイベントもあるようですが、僕はひとり「幻想忌」と名付けています。そして、相変わらず古書店やネット古書店から購入して読んでいます。氏の「独断と偏見」による大胆な論理の追っかけから考えるヒントを得ています。「吉本さんならどう考えるかなあ?」と。

 

 戦後左翼史 その14 1962年② 白鳥事件 キューバ危機

1962.9.1道新夕刊 険悪化するアルジェリア 民衆の平和の声よそに“流血寸前”が続く

1962.9.2道新社説 社会党のこんごの課題

1962.9.2道新夕刊 アルジェリア両派が武力衝突 仏軍は警戒体制に まさに内戦前夜

1962.9.3道新 韓国紙報道 ガリオア・エロア資金を転用? 請求権の一部に

1962.9.12道新 ガリオア・エロア対米債務返済協定発効する 大平外相とライシャワー駐日大使承認文書を交換

1962.9.18道新 人民日報 チトー(ユーゴスラビア大統領)を現代修正主義と攻撃 中ソ論争に新たな波紋

1962.9.26道新夕刊 ソ連・ユーゴ“友好的”空気の中で公式会談を開始 ブレジネフ議長のユーゴ訪問

1962.9.29道新 中共中央委コミュニケ発表 人民公社強化を決定

1962.10.1道新 久野収(評論家)10月の論壇から 原水禁への反省 “平和運動の不在証書”にずり落ちる 

1962.10.14道新社説 決定版にならぬ石炭調査団の答申

1962.10.20道新 二つに割れた平和運動 全道労協、共産党と一線を 道民大会不参加を決める

1962.11.7道新 向坂氏、江田理論(「新しい社会主義のビジョン(未来像)」論)を批判、右寄りの改良主義、“旧左社綱領”に戻れ、社会主義的に改憲が必要

1962.11.17道新 フリードマンIMF為替制限局長 IMF対日年次協議終わる 為替制限認めない 早急に自由化促進を

1962.11.18道新 11団体が発表 広島大会の基礎報告 すべての核実験停止

1962.11.20道新 ソ連共産党中央委員総会開く フルシチョフ首相報告、農工生産面ですでに成功 指導組織再編へ 順調な七か年計画 明年度総工事生産高を8%増

1962.11.20道新夕刊 ソ連共産党中央委員総会 フルシチョフ新理論展開 利潤は社会に奉仕

1962.11.21道新社説 画期的なソ連の党機構改革

1962.11.22道新社説 11.21解決の道を開く中国の停戦声明(中印紛争)

1962.11.22道新 新局面迎えた中印国境紛争 インド(ネール首相)の態度微妙、中国ラダク確保ねらう

★1962.11.23道新 口頭弁論を待つ白鳥事件、1952.1発生、帰宅途中を射殺、日共の計画的犯行と断定、札幌信用金庫佐藤英明理事長、不正事件を内偵、理事長死去、佐藤直道(日共)自供から村上国治、村手宏光、高安知彦を逮捕、佐藤博、宍戸均逃亡中

(*は僕の考え)この事件について、これまで何冊か読みましたが僕の関心は、事件の真相はどこにあったのかということよりも、党と党員の関係、日共と外国党この事件の場合中国共産党との関係にある。党の方針に従って2階に上がったが、その方針は一部の党員による誤った方針だったから、梯子を外された。関係者の人生は大きく狂わされたが、その後の党は知らん顔を決め込んだ。これは、この党が政権(権力)に関与した場合、いとも簡単に同じ論理が人々に適応されることを示している。

1962.11.26道新 中ソ再燃した対立 共産圏の“黒い雲” “キューバ後退”がきっかけ 強まる東欧、アジアグループの分極化、団結にようやくヒビ

1962.12.3道新夕刊 チトー・ユーゴ大統領、訪ソ、フ首相らと会談へ 伊共産党トリアッチ書記長は中国を激しく批判

1962.12.4道新夕刊 伊共産党大会で中印紛争 ソ連、暗に中国非難

1962.12.6道新夕刊 首相、当面の問題を語る 共産主義には対抗、だが日中貿易拡大は別問題

1962.12.7道新夕刊 フルシチョフ・チトー第一回会談開く 友好発展で話し合い

1962.12.7道新夕刊 自民党内外に池田批判 外交路線論争表面化か 対中国政策に不満、波紋呼ぶ12.3ケネディ中国封じ込め発言

★1962.12.13道新夕刊 フルシチョフ首相、ソ連最高会議で演説、“平和共存”の正しさ強調、中国、アルバニアを激しく批判、キューバにみる教訓、核戦争の危機救う、ユーゴ関係改善へ米に“不侵攻宣言”実行求む

*10月に発生したキューバ危機は、ソ連が、米国のキューバ不可侵のメッセージを信頼して、ミサイル基地の撤去に応じ回避された。米国は、ソ連が譲歩しない場合は、開戦することを既に決定しており、米ソ全面核戦争、人類滅亡の一歩手前の情況にあった。僕は人間というものは困難に直面した場合、必ずや知恵を出して危機を克服しようとする生き物だと思う。結果的に、キューバ危機は、米ソホットラインを生み出し、部分核実験停止条約に繋がる。これがソ連ではなく情況認識が主観的な中国だったらどうであったか。僕は、福島第1原発問題も核を忌避するのではなく核と向かい合いうことにより必ずや人間の知恵によって克服できると思っている。

1962.12.17道新 フ首相、対印書簡で中国非難か、故意に国境紛争

1962.12.17道新 香港筋、人民日報社説を重視、フ首相と対決か、ソ連―ユーゴ攻撃を機に

1962.12.22道新社説 中ソ対立をどう理解すべきか

1962.12.22道新 チトー大統領訪ソの成果、新友好関係結ぶ、非同盟の一線は譲らず、異なる路線の“共存”で原則的一致

1962.12.23道新夕刊 フ首相、ユーゴ訪問を受諾、両国の友好関係強化、ソ連国連代表、ゾーリン氏解任、フェドレンコ前駐日大使を任命

★1962.12.24道新 新段階に入った中ソ関係、キューバ危機、中印紛争を契機に正面切って対立、“国家的利害”が結びつく

○ソ連①社会主義陣営拡大化と核兵器出現で戦争は避けられる。

   ②米帝は“張り子の虎”かも知れないが核兵器という歯をもっている。

   ③スターリン個人崇拝を徹底的に否定

○中国①戦争か平和かは帝国主義の出方にかかっているので警戒すべきだ。

   ②米帝は“張り子の虎”である。

   ③スターリンはあやまちを犯したが功績も大きかった。

 これまでの経緯

 1953.6   スターリン死去

 1956.3   フルシチョフ首相、スターリン批判(第20回ソ連党大会)

 1957.11 12か国共産党、モスクワ宣言を発表

 1958.8  フルシチョフ・毛沢東会談

 1960.4   中国、フルシチョフ路線の間接批判開始

 1960.12 81か国共産党会議、モスクワで開催

 1961.10  フルシチョフ、アルバニア批判(第22回党大会)

 ★1962.10  キューバ危機発生

 1962.12  フルシチョフ首相、中国批判、チトー訪ソ

 

 

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戦後左翼史 その13 1962年① 原水禁運動

2016-03-15 20:34:37 | Weblog

 衆議院道5区補選及び参議院選における日共のねらいは、自公政権打倒にあるのではなく、民主党の解体と行き先を失った票の日共への移動にあると思います。日共は、野党5党合意や民主との協定を結んだなどと「自己犠牲」を払ったことを宣伝していますが、そもそも1人区で候補を立てる大義が無いのです。日共と関係を持つことは、引き回され、組織が揺さぶられるということは、これまでの歴史から学ぶべきだと思います。

 

 戦後左翼史 その13 1962年① 原水禁運動

1962年(僕7歳、小学校2年生)に国内外であったこと。

中ソ論争の激化、米ソの核実験めぐり原水禁運動混乱、キューバ危機など

1962.1.12道新 社会主義協会、構造改革論を正面攻撃、本質は改良主義、向坂逸郎(前九大教授、党顧問)、太田薫(総評議長)、大内兵衛(元法大総長)、相原茂(東大教授)、鈴木茂三郎(党顧問)

1962.1.13道新 江田社党書記長、向坂氏らに反論、構造改革を推進、改良なき政党に魅力なし 鈴木氏通じ周首相へ石橋湛山元首相書簡―米ソ含め平和同盟、中国要望、社会党の“積極中立”は“平和中立”に

1962.4.27道新 外務省筋、中ソ和解で見解 完全には理解していない

1962.4.28道新 中ソ関係は転換したか “静かな和解”へ動く 中国“急進”から“漸進”主義へ

1962.5.4道新 複雑化する社党の党内事情 陰にこもる抗争、消えぬ書記選のシコリ

1962.5.4道新 総評運動方針基本構想 最賃1万円を要求、物価手当共闘呼びかけ

1962.5.4道新 河上委員長 自民党見解に反論、無責任な物価攻撃

1962.6.22道新夕刊 昨年度勤労者の家計調査 実収入中間層伸びる、響いた物価の値上がり

1962.6.29道新 自民、社党質問状に回答 “国民の意志尊重を”多数支持の原則を強調

1962.6.30道新 質問状、社、自民に反論、一党独裁の危険

1962.6.30道新 アルジェリアあす住民投票 注目される欧州人の動向

1962.7.3道新 7.1参議選、自民142(前回137)、社66(69)、民社11(16)、同志会7(11)、共4(3)、無所属20(11)、計250(244)、全国区で日共2、岩間正男(現)、鈴木市蔵(新)

1962.7.14道新夕刊 ソ連政府声明、核実験再開の用意

1962.7.15道新夕刊 軍縮世界会議終わる 核実験に反対のメッセージを採択

1962.7.15道新夕刊 自民首脳、今秋訪韓か 日韓予備交渉を推進

1962.7.17道新 37年度経済白書の内容 緩慢な過熱調整、国際収支は急速に改善、長く続いた好況、設備投資“期待”が過剰招く

1962.7.19、20、21道新 池田内閣の課題 外交:多難なEEC対策、日韓問題、党内の突き上げ予想、経済:安定成長の確立へ、文教:重点は大学の管理、社会、家庭は空白のまま

1962.7.20道新 日韓会談 政府予備折衝に態度固め 9月がヤマ場か

★1962.7.24道新 原水協 ソ連大使館へ抗議文 核実験認められぬ

1962.7.25道新 外人が持つ株券の送金、来月から制限緩和 対日投資増加を予想 田中角栄蔵相、懸案実現に踏み切る 国際収支好調

1962.7.26道新 “煮詰まった”新産業体制 “自由化”の防衛 財界、政府の介入認める

1962.7.27道新 社説「生活保護基準の改定」21%引き上げ、60万世帯

1962.7.27道新 平和経済計画会議(大内兵衛代表)で経済白書を発表 成田成長案は矛盾 限界来たのに無理押し

1962.7.28道新 アルジェリア内紛の背景 “歴史的独立”で対立、生活窮迫、大衆の不満高まる

1962.7.28道新 社会党地方オルグ会議 江田書記長 党は沈滞、保守化、脱皮を強調

★1962.8.2道新 第8回原水禁大会 各国から実情報告、すべての実験に反対

★1962.8.6道新夕刊 社会党、原水禁大会から大会役員を引き揚げ検討 米ソともに一切に反対

1962.8.6道新 総評、新組織方針を発表、地域共闘をより強化、組合民主主義の徹底図る、政治闘争の限界を反省、旧組織綱領草案は1958年発表

★1962.8.7道新 原水禁大会、社・総評側が(ソ連の核実験に抗議)退場、大混乱、分裂状態で閉幕、広島大会も混乱、強行採決に中ソ代表ら退場

★1962.8.8道新 社説「原水禁指導者の反省をうながす」

★1962.8.10道新 世界平和大会長崎大会も混乱し、アッピールの採択やめる

*(*は僕の考え)原水禁運動の対立を図式的に表すと、社会党.総評系は、「あらゆる国の核実験に反対」と主張、ソ連が後押し。共産党と原水協は、「ソ連は米帝と結託、中国の足を縛ろうとしている」とする中国の見解に同調。中国と日共の「社会主義国家=平和勢力」、「資本主義国家=米国=戦争勢力」という図式、だから米国を打倒するためには核戦争は不可避であるという考え方と、冷戦構造のもとで人類が生き残るためには核戦争を避け平和共存しか選ぶ道はないというソ連の考え方の対立があった。中国、日共、原水協の「社会主義陣営=平和勢力=きれいな核」という認識は、主観的な思い込みによる情況認識に埋没してしまい、冷静で客観的な分析ができていなかったと思う。

1962.8.11~13道新 東欧三国を見て ポーランド:史上“最良の時代”社会主義と宗教が共存、ハンガリー:楽でない市民生活 建物に生々しい弾痕、ユーゴスラビア:“独自の社会主義”自負 人気絶大のチトー大統領

1962.8.15道新 矢臼別の背景を探る 日本最大の演習場になる? 大演習や兵器の近代化で広い“場所”が必要 第二次防衛計画(防衛庁)

1962.8.29道新 衆議院法務委員会、志賀氏(日共)見解ただす 米軍の日本人逮捕に令状いらない 法的根拠は日米合同委員会合意書

1962.8.31道新 社会党中委第一回政治報告を承認 “鈴木文書”などに批判(日中共同声明)

 

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戦後左翼史 その12 1961年⑤ 高度経済成長

2016-03-08 20:35:56 | Weblog

 昨年の3月末まで勤めていた会社の同期会に参加したのですが、現職の人たちから放たれるピリピリとした緊張感を感じました。去年の今頃は僕もこのビリビリした感じを持って仕事をしていたのだと思う。1年間で僕は少し変わったのだと思う。

 

 戦後左翼史 その12 1961年⑤ 高度経済成長 

 *(*は僕の考え)1960年7月に発足した池田内閣は、10年間で国民所得を倍増する計画を謳い、この国はここから1973年のオイルショック頃まで高度経済成長路線を突っ走ることになる。僕は、1961年4月に小学校に入学し、1973年3月に高校を卒業しているので、経済成長と自分の成長期が完全に一致する。インフレ政策では、物価高には苦しみながらも、次から次と新製品が生み出され、世の中が日ごとに確かに豊かになっていくのを実感した世代である。このため、人間は様々な困難に直面するだろうが、必ずや知恵や技術で克服するだろうという楽観論をベースに持っている。

従って、教条的な左翼が持つ資本家VS労働者観、富める資本家に対して窮乏化した労働者が反乱を起こし社会を変革するという理論に対しては惹かれるものは無かった。しかし、青年期には疎外論、物象化論にはかなり影響を受けたと思う。

1961.11.1、2アカハタ 論壇時評「日本の平和運動のあり方 坂本、日高両氏の発言について(上)」米ソ核実験に反対、日共はソ連支持 「日本人民の要求はなにか 松下氏の所論その他について(下)」星野力アカハタ編集局次長

1961.11.6アカハタ 「人事院勧告と米日反動の科学政策」木戸良雄(自然科学者)

1961.11.6道新 ワルシャワ条約機構からアルバニア追放か

1961.11.7道新夕刊 革命記念日“臨戦態勢”を強調 マリノフスキー 北京のソ連革命記念集会 中国側冷たい態度

1961.11.10道新 アラシをよぶ?尺別鉱(雄別炭鉱、音別町)、暴露された“生産阻害”の秘密指令 デッチ上げと労組、会社側は首謀者10名を解雇

1961.11.19道新 解説「低調に終わった社党中央委」①帝国主義復活論と②構造改革論は事実上タナ上げ 党内対立さらけ出す 江田書記長①は早計、②は成果を過大に認められないに批判

1961.11.20道新 フルシチョフ首相のアルバニア非難が意味するもの いぜん尾を引く中ソの対立 くい違う国家的要求、根底にひそむソ連への不信感、甘美な“連帯の時代”は過去に 1948年ユーゴはコミンフォルム脱退

1961.11.25アカハタ 国際社会保障憲章(草案)を第5回世界労働組合大会に提出 

1961.11.25、26アカハタ 労働解説 国際社会保障憲章(草案)の理解のために 社会保障はたたかいとるもの、軍拡反対、軍事費を社会保障へ

1961.11.28アカハタ 労働者教育協会が声明を発表(11.21)“学習の友”編集部更迭について 高垣礼次郎(副会長)、広田久隆(常任理事)、前野良(同)、横山不二夫(同)

(参考)・前野良:戦後入党、専従職員。大内兵衛、小林良正、今中次麿、渡辺良通、井汲卓一、松本七郎らと「社会主義政治経済研究所」を創設。綱領論争で1961年除名

1961.11.28アカハタ カナダ共産党来月1日に大会、綱領改定を主議題に、アメリカ帝国主義の支配を一掃

1961.11.28道新 社党、明年の政治方針案まとまる 非同盟、軍事中立、「この国は、帝国主義復活の過程にある」

1961.11.28道新 総評臨時大会開く、春闘方針を提案

1961.11.29道新 総評大会終わる、三池支援など10件決議

1961.11.29道新 社説「矛盾が目立つソ連の核停新提案」「総評臨時大会の残した問題点」

1961.11.29道新 春闘に臨む総評と日経連 総評:低賃金を打ち破る、“抑制論”に強気で対抗 日経連:景気低迷がタテ、自由化に不安、“定昇の線”守り抜く

1961.11.29アカハタ 「核実験停止会議再開にあたってのソ連政府声明」(全文)

1961.11.29アカハタ 労農解説「ILO87号条約 批准問題をめぐって」(守谷)

1961.11.29、30アカハタ 論壇時評「社会主義と帝国主義の真実とデマ」(上)、「政府反動にたいするたたかい」(下)石田精一アカハタ編集局次長

1961.11.30アカハタ 主張「政府の『低賃金白書』と当面する賃金闘争」

1961.11.30アカハタ 解説「総評臨時大会」(守谷)、春闘賃上げと最賃性を結合、“積極中立”論に批判

1961.12.16道新 世界労連大会閉幕、行動綱領を採択、闘争目標を“米帝”に

1961.12.16道新 国連本会議、中国の締め出し決定、5か国案(重要事項指定)を可決

1961.12.17道新 社説「中国代表権表決の意味するもの」

1961.12.17道新 中国加盟問題、来年はどうする?ゆだんできぬ西側、米国内にも二つの中国論

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戦後左翼史 その11 1961年④ 主観と客観の転倒という宿痾

2016-03-03 20:59:27 | Weblog

 明日は、昨年の3月末まで勤めていた会社の同期会。同じ同期でも最年長の僕と一番若いのとでは7歳の開きがあるので、あと6回この時期に退職を祝う会がある。36年間お疲れさま。僕の経験から、退職直後は身体に気をつけてほしいと真に思う。

 

 戦後左翼史 その11 1961年④ 主観と客観の転倒という宿痾

*(*は僕の考え)反党分子というレッテルを貼った党内粛清が続く。現在も党に対して批判的な意見を持っている党員は存在するだろうが、彼らに党を離れるという選択肢はないようだ。党無くして生きることができなくなっているのだろう。僕などは、嫌ならさっさと離党してしまえば良いのにと思うが、万一党を出ることになった場合には、僕らの想像を超える精神的なダメージを負う、人格の破壊につながってしまうという。

1961.9.1アカハタ 中央委員会本館総細胞を8.25総会決議で、津島薫(本名飯島侑)、長谷川浩、藤原春雄を除名、春日一派と結びつく反党行為

(参考)・長谷川浩:戦前入党、戦後中央委員、政治局員,1950年徳田球一らとともに公職追放、1961年党の新綱領に反対して除名。1981年統一労働者党を結成。

1961.9.2アカハタ 「一部文学者党員の声明について」蔵原惟人中央委員会幹部会員

1961.9.4日本読書新聞 関西新左翼の現状 社会主義労働者協会結成 思想運動としての統一戦線を

1961.9.15道新 上半期の労働情勢(労働省まとめ) 若年、技能者が不足、就職難の中高年齢層、緊密化した社会党と総評

1961.9.15道新 読者の声 共産党市議より(釧路市春採 三国達郎35歳、釧路市議)、ソ連は平和勢力

(参考)三国達郎:釧路文学会1972年発行「釧路文学60号創刊20年特集号」に「ソビエト駈けある記」を掲載

1961.9.15アカハタ 日ソ協会(会長石橋湛山、副会長北村徳太郎、鳥島)“核実験声明”めぐり内紛 結論は来月に持ち越す ソ連の核実験はやむを得ないか

(参考)8.31ソ連は1958年から停止していた核実験を再開した。

*主観と客観の転倒は、左翼に共通する宿痾だ。「社会主義国家=平和勢力」という主観的な思い込みが、「資本主義国家=戦争勢力」という図式的理解につながり、どこの国が核実験を実施しても、放射性物質が生じるという客観的な事実が見えなくしてしまう。ここから、社会主義国の核は、「きれいな核」とうような評価が出てきて、結果的にこの国の平和運動を分裂させてしまう。自分たちの主観的な願望が客観的な事実の認識を曇らせてしまった例である。

1961.9.16図書新聞 「構造改革論の充実と進歩」池山重明(評論家) 形成過程を解明(津田、不破氏ら):『講座現代のイデオロギー3構造改革論の形成』で不破哲三「構造改革とレーニン主義」、日本への適用を試みる(佐藤昇)

1961.9.17アカハタ 「学生の間における党の建設と学生運動の前進のために 主要都道府県学生部長会議の討議と結論」(8.30)中央委員会青年学生部

1961.9.18道新 「国際危機克服のために 問題意識を忘れて眠りつづけている日本」上原専禄一橋大名誉教授 政治力学心得てのソ連の行動か ベルリン問題

1961.9.20アカハタ 時の問題(経済) 日米経済委と財界 対米従属の再結成について おちこぼれちょうだいへ活発に動く

1961.9.21~28アカハタ 「現在の経済情勢」(1)~(5)中央委員会経済調査部

「貿易赤字と“自由化”で「所得倍増」くずれる、早くも激動の時期に」「対米貿易で恒常赤字、深刻深まる外貨危機」「独占、外貨、技術導入に狂奔、自由化推進に新たな矛盾」「搾取強める“自由化”米、露骨なくり上げ強要」「矛盾深まる“急速な膨張”労働者階級の闘争激化必死」

1961.9.21アカハタ 「反党分子の必然の道―共産党の成果への憎しみと妨害―」石田精一アカハタ編集局次長 下村義雄、正村公宏(アカハタ編集局細胞)、喜田照哉(熊本)、内藤知周を除名

1961.9.22アカハタ 時の問題(経済) アメリカバナナの進出 日本市場独占から果樹栽培を大きく圧迫 これまでは台湾バナナのみ 中南米、フィリピンから

1961.9.22アカハタ 岩手大学学生細胞が決議、一部学生党員の反党行為と断固たたかう

1961.9.25アカハタ 労働「人事院勧告(8.8)と公務員の賃金闘争」不当に低い人事院勧告(7.1%、0.4か月) 生活と権利守るたたかいが必要、

1961.9.28アカハタ 「反党分子の月間『産業労働』誌 労資協調主義の宣伝」不破哲三労働運動研究家

1961.9.28アカハタ 「総合2か年計画の呼応運動前進のために 活動家を党員にそだてあげる計画を」下司順吉中央委員(大阪府委員会副委員長)

(参考)・下司順吉:1997年第21回党大会で名誉幹部会委員に再任(85歳)

1961.10.16アカハタ 反党分子の策動封じた出版労連大会(10.7、8)たたかう労働者は敵を見抜く(大場)、読書新聞、合同出版、三一書房、新評論批判

1961.10.22道新夕刊 ソ連共産党大会代議員 反党グループ除名 満場一致で支持 モロトフ(元外相)、カガノビッチ(元第一副首相)、マレンコフ(元首相)、ウォシロフ(前最高会議幹部会議員)、ブルガーニン(前首相)、ペルブーヒン(元第一副首相)、サブーロフ(元第一副首相)、シエピーロフ(前外相) 反党派、アルバニアを非難(ミコヤン第一副首相、コスイギン第一副首相) 

1961.10.23道新 ローマの社会主義インター大会 新綱領や民社党(日本)加盟で対立、社会党(日本)の脱退、除名も予想、ソ連党大会でのミコヤン第一副首相発言、目立つモロトフ攻撃

1961.10.28アカハタ ソ連共産党大会第九回 活発な発言つづく、党生活のレーニン主義基準を確立、シュバルニク統制委議長の反党分子の罪状暴露

1961.10.29アカハタ ソ連共産党大会中委報告 綱領報告討議について フルシチョフ第一書記の結論

1961.10.29道新 ソ連党大会、コズロフ書記が規約改正報告、スターリン主義克服、アルバニア党大会あて書簡でフルシチョフ首相に反撃、ブルガリア、キューバはソ連支持

1961.10.29道新夕刊 第22回ソ連党大会でスターリンによる1930年代後半の“大粛清”真相暴露、フルシチョフ首相

*この時期になって再びフルシチョフがスターリン批判を行ったのはなぜか。1956年の第20回党大会で明らかになった事実がなぜこの時期に再び大きく報道された理由がわからない。

1961.10.29道新夕刊 米軍当局者が言明、極東基地のB-52、25メガトン2個を積載 在日スポークスマン談 日本、沖縄には無い

1961.10.29道新夕刊 アルバニア問題 静かな解決はない コズロフ書記報道

 

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