書棚がインテリア化しました。北菓楼札幌本館は、大正15年に北海道庁立図書館として建設され、道立三岸好太郎美術館としても使われた建物を改築しています。2階レストランの壁面全体に本が収納され、知的な雰囲気を出そうとしています。
戦後左翼史 その15 1963年① 中ソ論争公然化 原水協
1963年(僕8歳、小学校3年生)に国内外であったこと。
中ソ論争公然化、部分的核実験停止条約調印、原水禁世界大会分裂、ケネディー暗殺
★1963.1.1道新 人民日報 イタリア共産党書記長に反論 重ねて世界会議要求
1963.1.4道新社説 矛盾の極限に立たされた世界
1963.1.4道新 フルシチョフソ連首相 まず軍縮で国内の経済建設“時をかせぐ”のが先決
★1963.1.4道新 ソ連に“真正中国共産主義者同盟”誕生、在留中国人が本国共産党から独立
★1963.1.4道新 毛沢東中国共産党主席 ソ連非難で国際的孤立 失敗だった国内政策 大躍進政策の失敗 1958八中全会 彰徳懐国防部長、毛批判で粛清 陳雲副総理の復活
★1963.1.4道新 人民日報がトリアッチ批判 激しく平和共存攻撃 “核兵器の前にひるむな”
1963.1.5道新 フルシチョフ首相東独党大会に出席 ベルリンで新攻勢か
1963.1.5道新 中国共産党機関紙「紅旗」社説 平和共存を非難 現代修正主義の危険傾向
★1963.1.7道新 「虹旗」フルシチョフ路線をきびしく批判 中ソ分裂の危険増す 調整の動きもあるが・・
★1963.1.7道新夕刊 プラウダ はじめて中国を名指しで批判、「中国は、極左、冒険主義である」 中ソ論争が公然化
★1963.1.8道新夕刊 プラウダ社説の真意 公になった中ソ論争 毛主席を教条主義者と断定
★1963.1.9道新社説 新局面の中ソ論争をどうみるか
★1963.1.9道新 フ首相東独党大会出席の意図、“中ソ対立”討議へ 東独首脳の更迭の固めも
★1963.1.9道新夕刊 北京各紙 プラウダ社説を報道せず モンゴル“フ路線”支持
★1963.1.10道新 中ソ論争をこうみる 野々村一雄(一橋大学教授) 平和共存ゆらぐ恐れ 回避策は中国の国連加盟
★1963.1.12道新 注目の東独党大会 共産圏の指導原則確立へ 中国批判渦巻こう ワルシャワ条約諸国・NATO“不可侵”も提案か 英共産党 中ソ論争中止を求める声明発表
1963.1.14道新 東独党大会のフ首相演説 西側、ベルリン政策緩和を期待 国連軍駐留具体化か
★1963.1.15道新 新段階に入った中ソ対立 ロバート・K・マッケップ(米極東問題専門家) 論争は激化の一途 “首座”をめぐる闘争へ
★1963.1.15道新 きょうから東独共産党大会 中ソの思想統一へ フ首相 ベルリン問題提起か 東独 スターリン派の実力者メ―ヴィス氏(国家計画委員会委員長)を経済失敗で更迭
1963.1.16道新 東独社会主義統一党大会開く きょうフ首相演説 各国首脳ら百人が参加 日本から米原昶(あきら)日共中央委員会書記が参加
★1963.1.16道新 ウルブリヒト第一書記(東独)が提案 西独と交渉の用意 ベルリン解決に七項目 中ソ論争、世界平和に影響 西独と交渉の用意
1963.1.17道新 フルシチョフ演説詳報 西ベルリンも自由市に 対独講和期限つけず
★1963.1.18道新 フルシチョフ首相“言論休戦”の背景 共産主義の統一へ一応中国の出方を観測
★1963.1.19道新夕刊 伍修権中共代表の演説要旨 “論争休戦”に条件 ラ東独第一書記 中国に“休戦”呼びかけ
★1963.1.19道新夕刊 東独党大会 事実上終わる 対決避けた中ソ フルシチョフ路線の勝利
★1963.1.21道新 中ソ論争に社党の見解 公正な処理を望む 日中関係の特殊性を強調しながらも事実上ソ連路線支持に傾く 党内 ソ連支持の和田派 中国支持の平和同志会 (日共は中国支持)
★1963.1.27道新 人民日報 東独党大会の中共非難を報道
★1963.1.29道新夕刊 中国人民日報 フ首相をやり玉に手厳しく批判
★1963.1.31道新 中ソ対立の行方 中国は依然強気 “休戦”のソ連 当分平行線か
★1963.1.31道新 北朝鮮党機関紙「労働新聞」が社説 中ソ間論争で強く中国支持
1963.1.31道新 ソ連文化界に“寒波”“暴風”広がる一方 注目される抽象表現芸術 作家エレンブルグ、作曲家シェスタコビッチ、作家ネクラソフ、詩人エフトシェンコ、中学教師アレクサンドル・ソルジェニツィン「イワン・デニソビッチの一日」(ラーゲリの実情)
1963.2.1道新 海外時評 EEC交渉の決裂 英国加盟(決裂)―ドゴールの意図・フランスの共同市場は割れない イギリスー欧州に背を向ける アメリカー今こそ忍耐必要 ソ連―大西洋同盟ヒビをひろげる
★1963.2.4道新 ソ連誌が論評 共産圏内の対立深まる パリの観測筋 日共1.24アカハタ社説を重視 中国のいう世界共産党会議を呼びかけ 日共党内で両派の論争があるか?
(参考)中ソ論争(★印)と日共党内(れんだいこ氏のHPに学ぶ。)
1963.2.13~15「第5中総」、袴田から中ソ論争の経過報告。党中央は初めて中ソ論争の存在を認めた。党内でソ連的見解と中共的見解が衝突。ソ連支持者は志賀.鈴木.神山.中野.内野竹千代.砂間一良.平葦信行.谷口善太郎.須藤五郎.江口喚ら。中共支持派は分かれていて、一つは無条件支持派で紺野.春日.聴濤.土岐.安斎.西沢(隆)ら。一つは綱領の立場に依拠する形での支持派で宮本.袴田.岡.松島.米原.西沢(富).高原ら。態度保留は、野坂.蔵原ら。党は形式的に不介入、実質的に中共寄りの決議「全世界の共産党.労働者党はかたく団結しよう」を採択した。
★1963.2.10道新夕刊 ソ連党機関紙プラウダ声明 世界共産党会議に賛成 意見の相違を解消 二党間会議も受ける
★1963.2.11道新 モスクワ観測 共産党会議受け入れ ソ連大きな譲歩
★1963.2.11道新 社“中ソ論争”の検討へ 成田報告だけでは不満 “原水協”の分裂状態
1963.2.11道新夕刊 AA連帯会議終わる 中・印代表が和解 沖縄の日本変換要求も決議
★1963.2.12アカハタ 2.10付けプラウダ社説(要旨)共産主義運動のマルクス・レーニン主義的統一のために、社会主義諸国の団結のために
1963.2.14道新 一段落したコンゴ情勢 無能力な中央政府 紛争再発の危険去らず
1963.2.15道新夕刊 インド共産党が提案 世界共産党会議を12月に
1963.2.20道新夕刊 米議会外交筋言明 ケ大統領が報告 ソ連・キューバから撤兵 3週間以内に数千人、第一般近く到着化
★1963.2.22道新 人民日報 中国 中ソ論争で新態度表明か ソ連側の主張を紹介 大衆討議の資料に提供
◎1963.2.22道新 分裂状態だった日本原水協(安井郁理事長) 半年ぶりに(社共の)妥協成立 2.21声明 いかなる国の核実験にも反対 原水爆の完全禁止 平和共存
(参考)原水協(◎印)(れんだいこ氏に学ぶ)
日本原水協の常任理事には日共党員もおり、最初は2.21声明に賛成し、日共本部に報告するが、本部は拒否を決定。この本部の決定により、大衆団体内部で決められたことが簡単にくつがえされてしまった。そこに日本原水協という大衆団体の論理は日共の党派の論理に従属しなくてはならないという論理がある。
*(*僕の考え)平和運動、労働運動、学生運動など多様な考え方を持つ大衆運動において、その中にいる党員は時に不可解な主張や行動をしたり、突然方向転換をすることがある。その理由も説明できずに。背後には必ず党の指示がある。これも日共がいつまでも大衆からの信頼を得ることができない理由だと思う。
◎1963.2.23道新 社党中執委 原水協統一協定を了承
★1963.2.23道新 ソ連の主張を紹介した人民日報 二つの見方 香港の専門家筋 ソ連の孤立化政策反撃 徹底的な対決めざす モスクワの西欧側 “冷たい休戦”続けよう 平和共存も変えない
◎1963.2.23道新夕刊 日共 原水禁運動再開に反論(内野統一戦線部長)「いかなる国のいかなる核実験のも反対」は誤り まだ分裂活動残る
1963.2.23道新夕刊 マリノフスキーソ連国防筋が警告 キューバ侵せば大戦 ソ連陸海軍45周年記念日 ラスク米国務長官演説 ソ連 核戦争欲せず
★1963.2.24道新夕刊 毛主席とチェルネンコ中国駐在ソ連大使と会談 羅瑞卿中国副首相 中ソ団結を強調
★1963.2.25道新夕刊 西側 中ソ接触を重要視 歩み寄る可能性も
1963.2.26道新 時評 インドの中立主義―その政治的な効用 入江啓四郎(成蹊大学教授)
★1963.2.27道新夕刊 人民日報社説 “くい違いはどこからきたか”モスクワ宣言守れ 兄弟党会議を開く用意 周中国総理演説 経済計画の達成を要望
★1963.2.28道新夕刊 フ首相演説 核停協定譲れぬ査察回数 平和共存続ける
★1963.2.28道新 香港筋の見方 中ソ関係最悪事態へ 論争は続こう 強硬な人民日報社説 ソ連の陳謝迫る