晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

ザ・ニュースペーパー札幌 2010春公演

2010-05-30 10:09:08 | Weblog
 ザ・ニュースペーパー札幌 2010春公演

 昨夜、公演を見た後「回転すし」へ。一つ一つの握りは、普通のすし屋さんと比べると今ひとつの質です。職人さんも、加工済みのネタとシャリを合わせているだけですから、そのまま寿司屋さんとしての独立は中々難しいでしょう。売りは、それなりの説明を付けた新鮮なネタと、店の雰囲気です。

 普天間基地移設問題で、鳩山首相が福島少子化大臣を罷免するなど、公演前日の夜、政局が大きく動きました。今回はザ・ニュースペーパーがどこまでこの新鮮なネタを調理しているかに興味がありました。結果は、期待通りです!

 NPは、8名の役者とひとりの歌手からなる異色の劇団ですが、ひとりひとりの役者としての実力はそんなに持ち合わせていないと思います。昔、情況劇場や黒色テントから個性的な俳優が輩出しましたが、NPからはおそらく無いでしょう。歌手も唄は聞かせる質のものですが、商業的に売れるかどうかは疑問です。

 しかし、札幌では毎年春と秋の2日間4回公演が恒例となっていますが、常に満員です。固定したファンがいます。政治や時事ネタをバッサリと笑い飛ばしながら切る、皇室のようなタブーにも挑戦する潔さ、そんなところが支持されている理由なのでしょう。

 ただ、NPは関東仕様でそれなりに抑制が効いているように思えます。コテコテが好きな関西のお客さんの前では、もっと過激にやらないと受けないように思えます。

 次回は、11月に再び札幌に来るそうです。政局は大きく変わっていることでしょう。

 
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もう少しやってほしい鳩山首相

2010-05-18 21:01:40 | Weblog
へそ曲がりな私は、全く評価していなかった鳩山首相が、マスコミにこぞって批判されている様を見ていて、もう少しやってほしいと今思っています。
      


 普天間問題を継続的に追いかけては来ていないのですが、昨年末に5月末までには決着させると言ったのは、確か鳩山自身だったと記憶しています。
 その5月末が近づいてきて、マスコミ、野党、また与党の一部まで、期限を守れないのなら辞任すべきとの声が出ています。
 さて、ここに至って、「決着」の定義を鳩山自身が示し始めています。政府の考え方の方向性を閣議で示すことが、決着なのだそうです。社民党に配慮して閣議決定はしませんと。沖縄の住民、この国の国民、米国の意向を含めた合意だろうなどと思っていたのは、とんだ肩透かしです。
 
 私は、この鳩山現象は大変面白いと思います。自らを追いつめるような目標設定をしているようですが、その目標の定義も自らするので、どのような情況になっても目標は達成できるのです。これを、詭弁とか、一貫性が無いとか、思いつき発言とか、だまし討ちとか言っても始まらないと思います。

 これぞ、鳩山式の理科系的思考法の表れなのではないかと思います。彼は、多変量解析によって、その時点における最適な解を求めているからです。多くの変数は、時々刻々変化するので、自ずと解も変化するのです。

 従来の政治家は、発言がぶれてはいけないとか、信念を曲げてはいけないとか、変わってはいけないという価値観の上で発言していました。また、我々もこの常識に慣れてしまっていました。しかし、変わらないということは、本当に適切な判断をもたらすのでしょうか。鳩山首相は、そこを超えている政治家なのではないかと感じています。私は、鳩山式思考法による政治をもう少し長く見てみたいと思っています。

 
 普天間問題については、戦後65年間にわたる米国とこの国の関係をめぐるドラマの最終章だと思います。我々は、この1年間だけを見ていてもこのドラマのストーリーを追うことができない。もちろん、性急に結論も出ないでしょうし、出してはいけないと考えます。

 太平洋戦争における沖縄戦、米国の占領、講和条約と日米安保条約、冷戦、日本国憲法・・そして、3月に明らかになった日米の密約(これは、数少ない鳩山政権の評価ポイントです。)などを、丁寧に追って考えるべき問題です。

 米軍基地や海兵隊訓練の全国への分散が進められようとしています。これによって私たちが沖縄だけに痛みを押し付けてきたことが明らかになります。反面、地元への移転に対して、それぞれの地域から反対の声が上がることでしょう。その中で、日米安保の見直し論議に火が点くことを期待します。



 
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『風景 2010』 その5(モヤモヤさまぁーず)

2010-05-16 17:19:30 | Weblog
 昨日、今日と2日続けて暖かい日になったので、ようやく桜が咲きました。

 昨日は、会社の元上司のお見舞いに伏古まで練習を兼ねてランニング。今日は、改めて白石サイクリングロード沿いの名所「万生公園」に行ってみました。

 昨日よりは、花がたくさん咲いていましたが、八重桜が未だなので、桜のトンネル状態にはなっていませんでした。しかし、春を待ちわびたように多くの人がお花見をしていました。

 今日は、曇り空でしたが、空が青いと桜も引き立ちますね。



 最近、日曜日の夜はテレビ三昧になっています。19:00から「モヤモヤさまぁーず2」(テレビ東京系列)、20:00から「竜馬伝」、21:00から「新参者」(TBS系列)です。

 「モヤモヤさまぁーず2」は、以前深夜枠の番組だったのが日曜ゴールデンに移ってきたそうです。何のためにもならない、どうでも良い番組に見えますが、何ともそのテンポが良いのです。

 モヤモヤという言葉は、心の中の悪い意味のモヤモヤ感という意味もあるのでしょうが、この番組では言葉にできないモヤモヤとした雰囲気を醸し出しているのです。さまぁーずの2人と彼ら芸人さんに負けないキャラクターを何気なく発揮する大江アナが、たわいの無い会話をしながら街をぶらつき、意味の無いこだわりをもちながら台本も無いような番組が進みます。

 テレビ東京制作番組に共通しているのは、他局のバラエティにありがちな、タレントたちが強いられているような妙なテンションの高さがないことです。この番組に起用されるようになったらタレントも落ち目と言われている「いい旅・夢気分」や、くもじい、くもみによる「空から日本を見てみよう」など見逃しても全く後悔しないが、私のお気に入り番組になっています。

 



 

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フォーラムin札幌時計台 柿崎明二

2010-05-14 19:57:43 | Weblog
 JR札幌駅と大通公演を結ぶ地下通路、随分とできています。大通側より札幌駅方面を覗く。

そろそろ暖かくなってほしいです。


 フォーラムin札幌時計台 5th Series 2010 Spring「民主政治の行方を考える」

 第21回 柿崎明二(共同通信社政治部次長・編集委員)2010.5.12

 たまにライブで話を聞くのも良いものだ。今回は、メディアの最前線で政治を追いかけている人の話なので、多少政治好きの私は期待を持って参加した。

 柿崎氏の講演を聞いて、民主党の内部が少し見えたので、私なりのアレンジをしながら人物評的に紹介する。

 鳩山首相は、猜疑心、コンプレックスが強い。これは、自民党を出てさきがけを作った時、竹村や田中秀征ばかりに世間の注目が行った際に見えた一面。権力欲も強い。本気で友愛社会を作ろうと思っている。しかし、友愛社会の具体的な中身は無い。仙石氏に言わせれば、全く社会科学思考能力が無い人。

 理想を掲げて自分で押していく。理想は下げない。5月末で決着できなくても目標を降ろさずやるのではないか。彼は自分で作った民主党を愛している。オバマは、人間としての鳩山に悪印象を持ってしまっている。

 次に、小沢幹事長は、民主党を特に愛していない。自由闊達ないわゆる民主党らしい人たちを排除したいと考えている。いつ解党して政界再編しても良いと思っている。ケンカは強い。なぜなら、程度というものを知らず、相手が死んでも良いと思っているから。

 物事をやり過ぎで、過剰な権力志向を持っている。政調室を廃止し、幹事室に陳情窓口を一本化した。政策と選挙の窓口を一緒にしてしまった。国会で質問をしたことは少ない。選挙で勝って多数派形成することしか考えていない。

 辞任すると立件されると思っている。反対に、このままだと参議選に負けるとも思っている。自分の権力を残す形で辞める方法を模索している。

 次に、平野官房長官は、昨日と同じ今日、今日と同じ明日で良いと考えていて、長期的な目標など全くない人。力無し、パワー無し、威光無し。彼がなぜ官房長官になったかは、記者の間では謎である。本来は、首相のために這いずり回らなくてはならないのに、動くことができない。

 ポスト鳩山候補の人たち、枝野、前原、玄場、野田、仙石、(菅)らは、小沢切りで動いている。金が無いので、昔の政治家のように料亭では無く、つぼ八や和民で飲んでいる。メールでも情報交換している。

 一方の自民党は、業界、公明党が離れたので、ガタガタ状態。若手が少なく、ベテランだけが残った。

 民主党の功罪は、事業仕分けでの情報公開や密約解明などで意義があった。政権交代をしたことは、評価できるが、もうひとつの自民党に過ぎなかったとの幻滅を国民に与えたのは罪。政治主導(S+V)と言っているが、何をどうするという目的(O)が無い。

 今後において様々な展開が想定されるが、首相が交代した場合は、衆議院も解散して、国民に信を問うべき(ダブル選挙)。柿崎氏は、この可能性が大きいと見ている。解散しない場合は、自民党がそこそこで、みんなの党が躍進、民主党は惨敗だろう。

 民主党の起死回生は、普天間の県外、国外移設しかない。もう一つは、負けを覚悟で、マニフェストの書き直しを掲げ、積極的に解散に打って出る道か。


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1970年

2010-05-11 22:06:57 | Weblog
 『思想の言葉Ⅱ「思想」1962―1975』(岩波書店編集部編 2001年刊)

 1970年の年表には、3月大阪で日本万国博覧会が始まるとともに、赤軍派学生、日航よど号をハイジャックとある。6月政府、日米安保自動延長を声明、7月初の光化学スモッグ発生、11月三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊でクーデターを扇動、割腹自殺とある。また、ベトナム戦争、三里塚闘争と世の中は騒然としていた。(私は、高校1年生)

 「思想」1970年7月号に掲載された、福田歓一東京大学教授、政治学)の『専門職業』から感じたことを記す。

 福田氏は、1970年以後「専門職業」(現在は、「専門職」という言葉が使われている。)社会の専門化と情報化の進行によって、その数が拡大するとともに、地位も上がっていくであろうと述べる。

 その中で、新しい分野に専門職が生まれ、また、才能に恵まれた青年は組織人への拒否を深めるとともに、専門職に進む傾向を予想する。

 しかし、日本の専門職には、自律性の不足、内部規律の不徹底、官民などの連帯が薄弱などの問題がある。

 最後に、プロフェッショナリズムを階級意識と民主主義の障害物としてきた「既成左翼」に問題を提起している。


 1969年でも触れたが、このエッセイにも労働観の問題が存在する。私たちの会社や組織には、いわゆる専門職と一般職、スペシャリストとジェネラリスト、事務系と技術系などの区別がある。

 そして、社員育成の方針や組織の形態、労働過程のあり方、ポストや賃金などの処遇を巡って、しばしば議論や対立が繰り返されている。

 中国では文化大革命において、精神労働と肉体労働の止揚が謳われ、知識人は批判されるとともに、都市から農村へ「下放」された。

 私は、組織における共同主観性の構築が労働観に必要であると考えるが、その共同主観性を作り上げるためにも、専門職のあり方を含め答えを見出したいと考える。

 主観的で、観念論的な議論になるが、組織マネジメントの上手い人、人の使い方の上手い人は、組織の構成員をいかに上手く乗せているか、言い換えれば、いかに「共同幻想」を持たせているかではないだろうか。
 
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『風景 2010』 その4

2010-05-09 15:58:56 | Weblog
 かつて自分が暮らしたことのある場所、学んだ場所、働いた場所、通い慣れた道路などには、特別の磁力を感じます。

 ここも、1970年代の2年間ほど働いたことのある場所なので、その移り変わりが気になっていました。

 1997年11月に北海道拓殖銀行が破綻し、北洋銀行に経営が譲渡されました。この事態は、私の感覚の中では、トヨタが倒産して、ダイハツに吸収合併されたようなものです。懐かしのビルは、2007年に解体され、このたび新しいビルになりました。

 モニュメントとして旧拓銀本店にあった金庫の扉が地下に展示されています。それを見ている時に、全く見ず知らずの紙袋をたくさん持った???おじさんが、「たくぎんの扉は10トンだけど、三井銀行本店の扉は50トンもあって、列車で運べなくて船で運んだ。」と説明してくれました。

 最近、知らない人から声をかけられる事が多くなったのは、私の心のどこかに隙ができているためなのでしょうか。
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日刊スポーツ豊平川マラソン

2010-05-05 21:14:14 | Weblog
 今シーズン初めてのマラソン大会参加。第22回日刊スポーツ豊平川マラソン大会のハーフマラソンに参加した。

 記録は、見るも無残なものであったが、走れる喜び、太陽を一杯に浴びて身体を動かせる喜びを感じながら、やっとのことで完走。

 結果が出なかった原因は、自分の弱さを含め様々あるが、冬の間の走り込み不足、4月になって慌てて練習しても、付け焼刃なことでは騙せないスポーツであることは十分知っているのだが。

 こんな時は、最初から飛ばして途中苦しくなったら何とか我慢しながら行くか、最初抑えて後半ペースを上げるか、今日は後者を選択したのだが、最初抑えたのに、後半スタミナ切れの最悪パターンに、2日の20km走の疲れも明らかに感じた。

 ようやく雪が解け、走れる季節が来たのだから、今日見つかった課題をこれからクリアーしていけば良いと思う。

 先ずは、走り込み量を増やしてスタミナを付ける。腰痛から腰が落ちているフォームを、腹筋、背筋を鍛えて、腰高フォームに。短距離のスピード走でペースアップを。

 シーズンは始まったばかり。走れる喜びを感じながら、自分の身体との対話を続けていく。


 

 
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1969年

2010-05-04 21:04:40 | Weblog
『思想の言葉Ⅱ「思想」1962―1975』(岩波書店編集部編 2001年刊)より

 1969年の年表をめくると、1月東大安田講堂封鎖解除、7月アポロ11号月面着陸とある。さらに、今につながる事柄では、2月B52撤去要求沖縄県民統一行動、12月佐藤・ニクソン会談、沖縄の’72年返還、安保堅持を声明とある。最近明らかになった日米の密約、沖縄基地問題は、40年を経たまさに今日まで。

 「思想」1969年8月号に掲載された、水田洋(名古屋大学教授、社会思想史)の『あそびとしての学問、たたかいとしての学問』から感じたことを記す。

 1969年は、大学闘争としては1968年という高揚期を過ぎ、1970年代になると党派闘争が激しくなる、そんな時期である。

 水田氏は、東大全共闘の最首悟氏(助手共闘)の「自分の一番の底には、生物学が本当に好きであることがある」という言葉を捉え、マルクーゼの労働の遊びへの転化に倣い、好きなものとしての学問は楽しい遊びではなくてはならない。それが苦痛としているのは、権力、資本、既成体制としての大学である。

 しかし、抑圧的諸条件との闘いを抜きにした学問というものがありうるであろうか。権力や資本といった学問外的抑圧を排除したとしても、学問をすることそのものは既成の学問という体系(権威)への反逆であると述べる。

 
 水田氏が前半で述べているのは、職業としての学問という特殊性があるが、マルクスの「疎外された労働」観でそのものであろう。資本のもとでの労働は本来的な労働では無いと。

 ただし、これをマルクス「資本論」第8章「労働日(時間)」に矮小化した議論、資本のもとでの労働は苦役以外の何ものでもない、人間は、労働以外の自由時間で自己を回復する、しかるに労働者の戦いの歴史は、労働時間の短縮を目指してきたのである、などという言説は論外と考える。

 私は、水田氏のエッセイから新たな労働観の提示の必要性、それも実際に労働している者の実感を伴った労働観の獲得無しには、オルタナティブの提示はできないと考える。

 労働は、苦痛か?長時間労働、単純労働など苦痛と感じる側面はおおいにある。また、会社や組織の方針の下では、個人の考え方が必ずしも生かされないことも多い。
 苦痛だけか?上司に誉められたり、判断を任されたり、お客さんに感謝されたり、人の役に立っていると感じた時は楽しい。
 労働の無い状態は楽しいか?若者の就職難、働き盛りのリストラ、定年、福祉が整っていて生活不安が無い場合でも、楽しいように思えない。
 職業選択の基準は?その職業が好き、やりがいを感じる、高収入、安定、これしか無い、
労働時間以外で自己実現ができるか?好きなことができる。本来の自分に戻れる。それだけか。

 こうやって自問自答しているのだが、人間は労働においても、労働以外においても関係性を求めているということがわかる。他者との関係の中で、自己を位置づけながら生きている。それは、楽しいとか、苦しいとかといった個人的な主観ではなく、他者との関係構築の中でどのような共同主観性を持てるのかということではないだろうか。

 
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『風景 2010』 その3

2010-05-02 17:42:46 | Weblog
 昨日も暖かいと思ったのですが、今日は昨日より5℃も高く18度を越しました。こうなると身体が疼くので、私の聖地真駒内競技場へ行きました。以前は、北海道マラソンのスタート地点だったので、ランナー達はここに来ると心弾むものを感じます。

 ランニングは、簡単な自己対話の時間です。走り始めは、その日の体調や天候と自分との折り合いポイントを見つけようとします。中盤は、スタミナの残量と疲労の度合いを計りながらペースを調整します。終盤は、休めば楽になるとの誘惑と、最後まで走りきろうとする意志との闘いです。そして、最後は小さな達成感を得るか、挫折感を味わうかどうかです。

 今日は、真駒内公園内3kmの周回コースで走りこみをする人、豊平川河川敷のサイクリングロードを走る人で賑わっていました。競技場の中は、テニスコートになっていますが、人はまばらでした。

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『思想の言葉』

2010-05-01 20:47:20 | Weblog
 『思想の言葉 「思想」1962―1969 Ⅱ』(岩波書店編集部編 2001年刊)

 普段はあまり行かない郊外の大型書店で10年ほど前に出版された一冊の古い本に出会った。『思想の言葉』全4巻のうちの第二巻目である。

 本書は、硬派な印象があって今まで購読したことが無い岩波書店発行の月刊誌『思想』に連載されているエッセイ「思想の言葉」が収録されている。

 調べると、『思想』は、1921年(大正10年)10月の創刊で現在(2010年5月号は1033号)まで続いている歴史のある雑誌であった。「思想の言葉」は、1947年に始まったエッセイで、本書全4巻は、そのうち1962年から1989年までの分をまとめている。

 今回購入した、第二巻は、1969年1月(535号)から1975年12月(618号)をまとめていて、読み始めると当時起きた事象の記憶、後付された知識、自分の生活(1969年は、14歳から15歳であるから中学生の自分)などが思い出されて興味深く、また当時論じられていた話題も一過性のことから、今に至るまで影響のある事柄まであり、大変面白く読んでいる。

 1969年は、私にとっては、「紀元前」から「紀元後」にかけての出来事であるが、登場するエッセイストは、当時の論壇を飾った言論人であるとともに、岩波アカデミズムの推奨マーク付きの人で、言ってみればいわゆる進歩的文化人、戦後民主主義者などと呼ばれる方々である。

 ちなみに、1969年に掲載されているのは、河野健二、粟田賢三、蝋山芳郎、家永三郎、日高六郎、福田歓一、上山春平、水田洋、花田清輝、益田勝実、京極純一、梅本克己の各氏である。

 毎日、寝床読書でダラダラと2,3本読んでいるが、1962年の最初から読みたくなってきた。このペースで、1年12ヶ月分を5日で読むとして、全4巻28年分なら140日ほど楽しめることになる。秋が来るなあ。
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