晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『いなほ保育園の十二ヶ月』

2009-05-03 18:18:50 | Weblog
 数日前から気温が急に高くなった。5日のハーフマラソンを目標にちょっと長めの走り込み兼花見。白石サイクリングロード南郷通り9丁目付近の万生公園の桜のトンネルは3分咲きくらいで、満開はもう少し後。

 暑さ対策ということで真冬と同じウィンドブレーカーの上下では、暑い!暑い!



 『いなほ保育園の十二ヶ月』(北原和子著 聞き書き塩野米松 岩波書店 2009年刊)

 埼玉県桶川市にある無認可保育園「いなほ保育園」における保育の実践記録である。北原代表の保育に懸ける情熱とポリシー、「一番大事なのは一人一人の時期を見抜くことなんです。」という言葉に表れる子どもたちの発達に応じた細かな心配りの機微など、まさに氏の経験から得た理想がここに体現している。

 2007.10.27の当ブログ「俺ルール!」で触れた、富山市「にぎやか」における認知症高齢者、知的障害者、発達の遅れのある学齢前児童が、生活を共にしているのだが、ここも代表の阪井由佳子氏の理想が展開されている実践例である。

 このようなカリスマ的な代表の持つ理念の展開例は限りなくある。幼稚園、保育園、障害者施設、高齢者施設など福祉分野には従来から篤志家が存在する。企業でも創業者の理想に社員が共鳴している例がある。本田技研工業のホンダイズムと呼ばれているような例。理念を共有する結社、サークル、セクト、党・・さらに宗教組織はその典型である。

 「自由とは、必然性の認識である。」(ヘーゲル)とすれば、上記のサークル的小宇宙の中では、その構成員間で理念という必然性が共有され、そのことで自由を得ていると感じることができるのであろう。それは、しばしば構成員らの「生きがいがある。」とか「やりがいがある。」という言葉で表出されている。

 本書に戻る。北原氏は、せっかく保育園で子どもたちや保護者を手塩にかけて育て、教育したのに、小学校に入ると今までの積み上げが壊されると嘆く。例えば、ウシやニワトリは有害な配合飼料を食べているので、「いなほ」では、牛乳や卵を給食に取り入れていない、それを理解していたはずなのに・・ということになる。

 では、そうならないためには、サークル的小宇宙の理念を普遍化する必要がある。小学校も中学校も、会社も、地域にも北原氏の理念の共感してもらわなければならない。さて、その時、それらの構成員は、自発的に共感を持って受け入れるであろうか。必然性として認識するであろうか。しかしそこに何らかの強制力が働いていれば、自由はスポイルされることになる。

 「理想の普遍化につきまとう悪魔」と呼んでもいい。

 本日は、日本国憲法記念日、次回は、この論理を憲法に応用して考えてみる。
コメント
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