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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『報道局長 業務外日誌』

2009-11-29 20:35:04 | Weblog
 『報道局長 業務外日誌』(金平茂紀著 青林工藝舎 2009年刊)

 北海道旭川市出身、TBS元報道局長、現アメリカ総局長である金平氏の2005年8月から2008年5月までの日記。私がこのブログを始めたのが2006年4月。その3年半と時期が重なり、その間に起こった出来事など、読んでいてああそうだったなと思い出すことこと多し。

 業務外日誌ということで、直接仕事に関することは書かれていないが、業務外も大変多忙で、関心も行動も幅広いことがわかる。

 本も様々なジャンルを良く読んでいる。それで、私も金平氏の読んだ本の中から、姫野カオルコという作家の本を図書館から借りて読んでいる。

 コンサートにも出かけ、音楽も随分と聞いている。ただ、気になるのは、その音楽を聞いて「元気をもらった」という表現。見ている方がこの言葉を乱発するものだから、勘違いしてしまうスポーツ選手などが出てしまう。

 氏の日記本をずっと読んできているが、今回は自己との対話の掘り下げが浅く、何事にも淡白な感想となっている。その原因を、氏は現場から外れて管理職になったためと説明するであろうが、私が思うに、それは報道業務という所詮他人事の情報集めばかりをやってきたことによる感性の摩滅ではないだろうか。



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『実録 神戸芸能社』 その2

2009-11-26 20:11:30 | Weblog
 『実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄 三代目と戦後芸能界』(山平重樹著 双葉社 2009年刊)その2

 ヤクザと芸能から考えた。

 この国の地金が時々露になる時がある。

 1970年代、ロッキード事件の際は、政治家と商社を繋ぐフィクサーとして児玉誉士夫なる右翼の大物の存在が表に現れた。氏は、スポンサーとして戦後長らく政権を担った自由民主党の設立にもからんでいる。

 阪神淡路大震災の際に、被災者への炊き出しなどいち早く動き出したのが、神戸に拠点を持つ広域暴力団山口組といわれている。しかし、これは表向きの顔であって、彼らは常に影響力を保ち続けるために、政治ゴロを使って行政や政治家に働きかけたり、マスコミで活躍する芸能人にも彼らの影響下にある者もいると聞く。

 この国の中で、差別を受けているとされる在日朝鮮・韓国人、被差別、障害者団体・・も芸能、右翼、暴力団、政治家との密接な関係を持っている。いずれもタブーの間隙に強烈なエネルギーを持っている。

 この国において、世間において、会社という空間において、(左翼)思想を持っていない、無思想という名の体制への忠誠イデオロギーを振りかざし、左翼を排撃する側は必ずこの保守の地金という陥穽にはまると考える。

 保守の地金の中は、自己保身にとって居心地の良さそうなところに思えるが、その実、理不尽な服従と忍耐を強いられることを無意識の中で自覚しなければならない世界である。

 組織を離脱するには、指をつめなければならない。上司の命令を拒否すれば会社を辞めなければならない。


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『実録 神戸芸能社』 その1

2009-11-24 19:27:44 | Weblog
 『実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄 三代目と戦後芸能界』(山平重樹著 双葉社 2009年刊)

 久々に一気に読めるノンフィクション作品だった。著者の山平氏は文章もにテンポがあって大変読みやすい。素材が良くても調理が拙いと美味い料理にならないが、山平氏の手にかかって上手な作品に仕上がっている。

 映画で言えば、「仁義なき戦い」、物書きでは、猪野健治、竹中労を思い出すような内容である。

 表の看板は、「神戸芸能社」、実態は山口組興行部。山口組三代目田岡一雄の生涯を描いている。しかし、田岡氏はヤクザ者に対しては筋を通し厳しいつきあいをするが、素人に対しては温和な対応、氏の器の大きさを描く。

 この国のアンダーグラウンドは、皆が繋がっている。ヤクザと芸能界のみならず、漫才、浪曲、歌謡曲、プロレス、相撲などを通じて、芸能プロダクション、政・管・財界、右翼、自民党。地下で全部繋がっていることがわかる。

 鶴田浩二、美空ひばり、三橋美智也、西郷輝彦、舟木一夫、渚ゆう子、力道山、児玉誉士夫などが登場する。

 芸能興行を通じてヤクザの勢力拡大が図られる。戦後、国が落ち着きを取り戻すのと同時期に芸能も拡大に続く拡大が図られる。しかし、昭和39年警察庁のいわゆる「頂上作戦」で、ヤクザ系の興行が公共施設から締め出される。田岡組長の死、神戸芸能社も終焉を迎えこの物語も終る。

 果たして、今の芸能界やいかに。いわゆる暴力団とは完全に無縁ではあるまい。山平氏には、現在の興行の世界も描いてほしいものだ。


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勤労感謝の日

2009-11-23 17:03:44 | Weblog
 比較的暖かな一日だったので、夕方ラン。日暮れが随分と早くなった。午後4時にはもう暗くなってしまう。

 本日の日没時刻は、札幌で16時05分だそうだ。12月にかけてもっと早くなり、12月3日から15日の16時00分が最も早い日没時刻で、その後は少しづつ早くなるということだ。



 本日は、勤労感謝の日、戦前は新嘗祭と呼ばれていた日である。

 昭和の戦前には祝日と祭日(大祭日)が分かれていて、祝日は5日あり、

 四方節(1月1日)四大節の一つで、天皇が早朝に、天地四方を拝する日、
 新年宴会(1月5日)宮中で行われる新年の祝賀行事、
 紀元節(2月11日)日本書紀の神武天皇即位日、
 天長節(4月29日)昭和天皇誕生日。明治天皇は11月3日、大正天皇は8月31日、
 明治節(11月3日)四大節の一つで、明治天皇の遺徳を仰ぐために昭和2年に制定された。明治時代は天長節。

 また、祭日は、7日あり、
 元始祭(1月3日)皇位の元始を寿ぐ、歴代皇霊の鎮祭を行う儀式、
 春季皇霊祭(3月21日頃)春分の日に皇室が歴代天皇・皇后・皇族などの皇祖の神霊を祀る儀式、
 神武天皇祭(4月3日)神武天皇崩御の日、
 秋季皇霊祭(9月23日頃)秋分の日に皇室が歴代天皇・皇后・皇族などの皇祖の神霊を祀る儀式、
 神嘗祭(10月17日)その年に収穫した新しい米で作った神酒・神せんとを伊勢神宮に奉る儀式、
 新嘗祭(11月23日)天皇が新穀を天神地祇に勧めて神を祀り、自らも食す、
 大正天皇祭(12月25日)大正天皇の崩御の日。

 いづれも天皇制を背景としており、宮中の儀式と密接な関係がある。

 祝祭日は戦後に大きく改められたが、名称が変わっても11月23日の勤労感謝の日、2月建国記念の日、4月29日昭和の日は、正に昭和天皇の天長節。11月3日は文化の日、12月23日は平成の天長節、春分の日、秋分の日と戦前と同じ日になっている。この国は、まだまだ天皇制の呪縛から逃れられないのだ。

 ただ、近年は、ハッピイマンデーが創設されるなど、その休日のいわれを忘れてしまうような休日の設定になってきているが、歴史的な根拠を失ったただの休日化も問題と考える。

 

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東京DOGS

2009-11-22 19:31:12 | Weblog
 未だに我が家のTVは、地デジ対応に買い換えていません。今のTVが写らなくなるまで買い換える必要が無いからと考えるからです。地デジによる強制的な買い替えは、省エネとか地球温暖化とかを唱えていることとどこで整合性があるというのでしょうか。

 2011年7月、生活から突然TVは消えたらどうなるのでしょうか。私の場合、ニュースとサッカー中継、そして他人の不幸にワクワクしてしまう災害などの現場中継と週に1本か2本の連続ドラマくらいですが、見れなくなります。でも、ラジオだけの生活も悪くないと思います。



 10月からの秋ドラマでは、フジテレビ月曜9時「東京DOGS」だけを見ています。視聴率もトップを走っているみたいだし、そこそこストーリーも面白いドラマになっています。

 1回毎の小ストーリーと全体を貫く大ストーリーが上手く展開しています。音声や映像の切り替えがテンポ良く見せていますが、意外と話しの展開が分かりやすく、私のようなストーリー音痴(登場人物が多くなるとダメ、ストーリーが多く輻輳するとダメ)でも、付いていけています。

 それと、最近の女優でイチオシだと思う吉高由里子が主演を張っているのも見ている原因です。彼女の持つ雰囲気は、デビューした頃の秋吉久美子の持つ何ともアンニュイな感じに似ているように思います。もう少し、ドラマごとに役づくりのバリエーションが増えれば大女優になると思います。

 というわけで、明日の「東京DOGS」が楽しみです。

 


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『金融危機後の世界経済を見通すための経済学』

2009-11-18 19:38:04 | Weblog
 朝、会社へ出かける時には、ジャージとランニングシューズを持って営業が終った後に、ジムでひとっ走りと思っているのですが、いざ営業終了となるとヘトヘト状態になり、とても走る気力がありません。

 雪もちらつく季節になりましたが、今年の合計走行距離は過去最低でしょう。距離の短縮に反比例して、どうも体重が増えてきています。怖くて体重を量ろうという気持ちになれません。

 このように書くと、全体的にネガティブな感じを受けると思いますが、決してそんなことでも無く、気力、知力は充実しています。不思議な「晴走雨読」生活の領域に入ってきています。



 『集中講義 金融危機後の世界経済を見通すための経済学』(本山美彦著 作品社 2009年刊)

 本書に付けられたすばらしい題名とジャック・アタリの著作を出版している作品社という出版社に魅かれ購入した。しかし、世界経済のこれからなど本書を読んでも全く見通せるものではない。

 2008年9月リーマン・ショック以降の世界経済情勢について、克明にその後の動きを記している。

 今回の危機の原因は、新自由主義イデオロギーに基づく規制緩和、自由化路線である。反対に、危機への対策は公的資金の投入や国有化など国家の経済過程への介入路線であり180度の方向転換である。

 各章の結びに、「事態が恐慌まで進む下地はできあがっていた。」「すでに世界恐慌の形が現れている。このままではドルは持たない。世界は奈落の底に落ちつつある。」「恐慌が来るのが先か、システム改革が先か、システム改革はもう間に合わないだろう。」・・と絶望的な言葉が続いているが、その根拠は説明されず、また危機からの脱却の展望も示されていない。

 以上のことから、本書は駄本の類といってもいいであろうが、かろうじて欄外の注書きや巻末の用語解説がとりあえず新しい経済用語辞典として役立つのではないか?

 本山氏はこんな経済学だったかな。もう少し歴史的な視座を持った、言い換えればマルクス経済学の人かと思っていた。フィーリングが合わないタイプ?

 

 
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『戦後革命論争史 上巻』

2009-11-15 15:43:14 | Weblog
 『戦後革命論争史 上巻』〔戦後日本の分析〕(上田耕一郎著 大月書店 1956年刊)

 日本共産党が近年より社会的影響力を持っていた時代には、古本市場で本書は上下巻で3万円台の値段が付いていた。現在は、著者上田氏が死亡、不破氏もリタイア、党の価値下落とともに、本書の値段も急降下している。

 はしがきで、上田氏は、本書は弟不破哲三との共著であると記している。しかし、1997.10.9付け石堂清倫氏から宮地健一氏あての手紙「戦後革命論争史出版の経緯について」で、石堂氏は、石堂清倫、内野荘児、勝部元、山崎春成、小野義彦らとの共同作業によっていることを明らかにしている。(宮地健一HP参考)

 1956年の出版後、上田兄弟は、党内に留まるため彼等の構造改革路線を自己批判し、1964年に本書を絶版にしている。その後、上田兄弟は党官僚として出世し、大衆的な人気も得ていたが、それを心良く思っていなかった最高指導者宮本顕治は、1982年になって改めて上田・不破兄弟を査問し、自己批判書を「前衛」1983年8月誌上に「民主集中制の原則問題をめぐってー党史の教訓と私の反省」として公表させたのである。理由は、党内問題や綱領問題を党外出版物で論じたことが30年近く経って再び批判されたのである。

 その背景としては、1982年当時、イタリア共産党を初めとしたヨーロッパ各国の共産党が、議会によって多数を得て社会変革を成し遂げるというユーロコミュニズム路線(構造改革路線そのもの)で成長し、その影響が日共に及んでおり、上田兄弟もその路線にある(自己批判をすれどもやはり構造改革路線を捨ててない)として宮本が制裁を加えたのである。

 本書は、3編からなり、第一編では、平和革命論、第二編では、民族解放民主革命、第三編では、日本人民民主主義革命が論じられている。

 第一編の野坂参三が唱えた占領下平和革命論も、それなりに読ませる内容であるが、党の名誉議長までした野坂氏が100歳になってから、過去に同志を売ったとして除名処分にされた事実を知っている後世の我々から見ると、虚しさを感じてしまう。
 
 日常的に下部活動家の献身的な姿も見ているが、その物言えぬ姿、上層部の抗争と堕落の歴史を大衆は知っている。日共の歴史上、その路線の誤りによる犠牲はあまりにも多い。
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『18時開演』 吉田拓郎

2009-11-14 19:48:30 | Weblog
 『18時開演 TAKURO YOSHIDA LIVE at TOKYO INTERNATIONAL FORUM 2009.07.04(SAT) 17:00開場』       

 午前中の営業終了後、CDショップへ直行、2009.11.11発売吉田拓郎2009ライブを3日遅れで購入、「16時開演」2時間半あまりだが、あっと言う間に聞き終える。なんとMCも全部収録されているコンサート完全版!

 オープニングは何?拓郎は、コンサートツアーの都度アレンジを変えるので、前奏が始まるとこの曲は何?そこが楽しみのひとつ。いつもは、「春だったね」のようなアップテンポな曲で始まるが、今回は、語りかけるようなスローな曲で始まる。

 1曲目の終了後、「HAVE A NICE DAY」と言ったきり長い沈黙!どうしたのだろうか。やはり体調が悪いのだろうか。

 拓郎の曲は、悲しいことやつらいことがあった時でも人生の応援歌だったのだが、今度ばかりは聞いている僕らの方が拓郎の応援団の気持ちになっている。

 再開。

 人はいつも力を振り絞りながら生きている。それは、病に倒れた時、痛みに耐え、苦しみに耐えるときに改めて知る。

 いつもの拓郎になってきた。MCも愉快。コンサートで毎回思うこと。この時間がいつまでも続いてくれと。

 いい事ばかりは続かない。悲しいことやつらいこともやってくる。人は力を振り絞りながら生きるしかないのだから。

 懐かしい曲が続く。いつしかLASTの雰囲気が漂ってくる。このLASTが拓郎のLASTのような気がする。二度ともう会えない悲しみがこみ上げてくる。憂いのあるサックスの響き。

 最後の曲は、「ガンバラナイけどいいでしょう」。今の拓郎からのメッセージ!
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『戦中派天才老人・山田風太郎』

2009-11-10 19:36:22 | Weblog
 『戦中派天才老人・山田風太郎』(関川夏央著 マガジンハウス 1995年刊)

 作家の関川夏央氏が、1993年10月から1995年1月までの1年4ヶ月にわたり、毎月山田氏のお宅を訪ね、座談をしたことを関川氏風にまとめた「山田風太郎」物語である。

 1922年生まれの山田氏は、年代的には、私の親たちと同世代であることから、氏の語ることは何とも親しみが湧いてくる。このインタビューの頃の山田氏は70代前半であったが、自分ではもうそれ程長く生きることが無いような事を言っていた。しかし、その後はまあまあ元気だったのであろう、結局2001年に79歳で無くなった。 

 山田氏は、自分のことを「アルツハイマー」ならぬ「アル中ハイマー」というなど、すっ呆けた味をかもし出す老人であるが、どこと無く憎めない「真情あふれる軽薄な」人物であり、そこが私が山田氏を好きな理由である。

 近くの図書館の本棚の隅から借りてきて、毎日寝床で少しづつ読むと、何となくほんのりと心安らかな気持ちになれて、寝てしまうことができる。どうでもいい内容ながら、とってもいい感じの本なのである。

 山田風太郎には、この種の聞き取りを本にしたものが多く、次に寝床読書をしようとしているのは、森まゆみ著『風々院風々風々居士 山田風太郎に聞く』である。
 

 
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ザ・ニュースペーパー公演in北海道

2009-11-08 08:59:28 | Weblog
 ザ・ニュースペーパー公演in北海道(11.7 道新ホール)

 札幌で年2回公演が定例化しました。春の公演以降、8.30総選挙をはさみ、NPにとっては、ネタが満載ということなのでしょう。

 昨日の公演では、時間の大半を政治ネタ、民主党への政権交代に使っていました。鳩山、管、小沢、岡田、前原、亀井、福島、田中真紀子、宗男、麻生、小泉、進次郎、谷垣・・と役者が勢ぞろいです。

 笑いのポイントは、いずれも民主党のスタンスの曖昧さに発しています。

 観客の平均年齢は、およそ60歳くらいか、私も含めて年配者でぎっしり満席でした。結構スレスレの台詞も笑いで吹き飛ばす、2時間笑いっぱなしです。TVのバラエティ番組やお笑い番組とは、また質の異なった笑いです。NPは、この分野の開拓者であると同時に他に追随を許さない独走ぶりを見せています。

 最後は、東京都千代田区千代田1丁目付近にお住まいの「さる高貴なご一家」のコントで締めくくってもらいました。



 

 



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『新型インフルエンザ・クライシス』

2009-11-06 21:04:52 | Weblog
 せっかく積み上げた社会が崩れ壊れていきます!


 『新型インフルエンザ・クライシス 新版』(外岡立人著 岩波ブックレット 2009年刊)

 外岡氏は、2008年まで小樽市の保健所長を務めた公衆衛生学の専門家である。インフルエンザ騒ぎが始まった頃、マスコミで発言をしていたが、皆が大騒ぎする中、ひとり冷静なコメントを発していたが、次第にマスコミに登場しなくなった。

 「鳥を警戒していたら、そこに来たのは豚だった!」

 1918(大正7)年秋から1920年春過ぎまで、流行性感冒によりこの国で45万3千人が死亡したとされる。いわゆるスペイン・インフルエンザである。これは、まさしく鳥インフルエンザであり、世界中で5千万人から1億人の死者が出たとされており、現在の私たちが最も恐れている鳥インフルエンザと遺伝子構造が似ている。(*)ブックレットP12

 (*)P19 なお、現在流行している豚インフルエンザウィルスの源流は、1918年のスペインインフルエンザに溯るとされている。(上記(*)と著者の記述は矛盾している。)60歳以上の人、特に、1957年以前に流行していたスペインインフルエンザの末裔に感染していた人には抗体があると言われている。

 2009年4月20日、米国CDC(疾病対策予防センター)は、新型豚インフルエンザによる人の発症例を発表。今回の、大騒ぎ!はここから始まった。

 5月9日、「国内初の感染者が見つかった」と当時の舛添厚生労働大臣が発表。国・地方の過剰な対策、マスコミの過激報道。

 最初は、飛行機に同乗していた人が隔離されたり、学校なども全面休校になり、マスクや消毒液の品切れが相次いだりしていたが、徐々にインフルエンザの症状が明らかになるにつれ、その警戒レベルがダウンしてきている。しかし、未だに、通常の季節性に比べて異常な警戒をしている。

 その原因は、この国において、例年の季節性インフルエンザと同レベルな「豚」の発生に対して、危険性の高い「鳥」を想定した行動計画をそのまま用いたからなのである。

 一連の事態から、この国のヒステリックなパニック体質、情報の真偽を検証しないで垂れ流すマスコミ、パフォーマンスしか考えていない政治家、的確で有効な対策を打てない行政(官僚の劣化)・・問題ばかりが浮かぶ。

 ●これらは、「危機管理」という名の「治安訓練」なのでしょう。


 そして、今ようやくワクチンを打ち始めているが、打ち終わる頃には流行も終っていることだろう。


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建設的野党?

2009-11-01 13:08:39 | Weblog
 後に著者らが自己批判し絶版処分した幻の書、『戦後革命論争史』〔戦後日本の分析〕(上田耕一郎(弟 不破哲三との事実上共著)著 大月書店 1956年刊)を読みかけている。

 政党内での意見の違いは当然あり、ある意味それは政党の活力になる。日本共産党とて、当然あるはずのことだが、コミンテルン型=「外部対抗・内部規範」型組織なので、なかなか表に出にくいのである。

 最近、どうやら日共内で路線論争があるらしいことが表面化している。私の近傍の知人や党から公式に発せられるメッセージ、その中でもこの間の民主党に対するスタンスの動揺からそれを推測できる。

 日共は、2009.7.12東京都議会選挙までは、日共は、民主党を自民党と変わらぬ、自民党を補完する第二自民党と位置づけ、唯一正しい革新政党は日共であるとして、対民主党強行路線をとっていた。

 しかし、都議会選挙における民主党の躍進、日共の後退(絶対負けを認めないので自己評価は善戦か健闘)を受けて、路線の大転換を図っている。それは、唐突に、7.18中央委員会常任幹部会声明から使い始めた「建設的野党」なる言葉である。

 そして、8.30総選挙翌日の8.31常任幹部会声明で、民主党勝利へ大賛辞を贈ったのである。日共自身は、かろうじて現状維持、自民党の敗北という歴史的大チャンスをものにできなかったというのに、民主党の勝利に自分たちも勝ったような気分を表明したのである。「日本政治にとって大きな前向きの一歩」「新しい歴史の始まり」と。(ナンセンス!)

 推測であるが、党内で正しいのは唯一日共だけとする前衛党主義、対民主党強硬路線から、社会民主主義的な現実路線、民主党との共闘路線への転換があったのではないか。それには、戦略を廻って対立、論争があり、その結果力関係の逆転があったのであろう。不破が、志位が、市田がどの路線かはわからないが。


 さて、「建設的野党」とは、「良いことには協力、悪いことにはきっぱり反対、問題点を問いただす。」という方針だそうである。

 日本語として、何とも違和感を持つ言葉である。是々非々を「建設的」というのか。何でも反対しない事を「建設的」と称するのか。

 日共にとって「建設的」とは、来るべき社会の構築のことを言うのではないのか。本来、共産党を称するなら未来社会の姿を示し、そこに至る過程を「建設的」と言うべきである。私は、日共と社民党が合体する日も近いのではないかと予測する。

 
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