晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

エルフィンロード開通しました

2007-03-31 17:59:13 | Weblog
 上野幌・北広島間のエルフィンロードが除雪されて開通しました。

 道の両側は、数十センチの雪が残っていますが、サイクリング、ランニングOKです。数ヶ月振りに試走しましたが、快適ランでした。



 ブログを「試行」して、1年になります。自分ながら良く続いたと思います。アクセスしていただいている方も週500件位だから驚きです。拙文を読んで下さっている方、コメントをお寄せいただいた方に感謝です。


 4月になり再び本格的な「晴走雨読」生活を目指そうと思っています。先ず、5月5日の豊平川ラン&ウォークのハーフマラソンの参加申し込みをしました。



 送別会モードを脱して、読書もゆっくりとしたいものです。
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『僕が批評家になったわけ』

2007-03-27 20:19:07 | Weblog
 この時期、会社には人事異動などでそわそわ感が漂っています。退職者を送る会なども多く、先週と今週で7回の飲み会があります。
 
 また、年度末で夜や土日の営業が続いています。



 『僕が批評家になったわけ』(加藤典洋著 岩波書店 2005年刊) 図書館から借りていたのをようやく読み終えたのですが、何にも感想らしきものが残りませんでした。

 加藤典洋といえば、「敗戦後論」で話題になった評論家ですが、今まで全く読んだことが無く、ちょっと触れてみようかというのが動機でしたが、フィーリングが合わないのか、感性が鈍ってしまったのか、並ぶ言葉に反応できませんでした。

 原因は、多分こちらの側が消耗しているからなのでしょう。年に何回かのスランプです。今は、何とか時間を作って「晴走雨読」を実践したいと切に思っています。

 

 明日も、送別会があります。

 

 
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追悼 K.Mさん

2007-03-22 20:17:45 | Weblog
 今朝、元上司が亡くなりました。若いときと中堅の頃、お世話になった方です。退職後2年しかたっていません。

 K.M氏の周囲の評価は、大変温厚な方とのことでしたが、若かりし頃の私の姿勢に対して、「こんな社員を見たことが無い。」と怒られたことがあります。周囲も「あの人があんなに怒ったのを見たことが無い。」と言う程で、私はよほど逸脱していたのだと思います。

 K.M氏は、お酒を飲むと愉快で、ちょっとHで、楽しむのが上手な方でした。大変失礼ですが、部下から見て、平時には仕事もそつなくこなすが、格別際立ってキレ者という印象はありませんでした。

 しかし、彼の真骨頂は、危機的な状況の時です。あの腹のくくり方、腹の据わり方、ただ者ではありませんでした。誰も真似をすることのできなく、周囲を唸らせるものがありました。

 常に覚悟を持っている方で、決して、他人に責任を転嫁したり、逃げたりするような事は、ありませんでした。

 やはり人物でしたので、最後は副社長になられました。


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浜田寿美男さんのお話

2007-03-18 21:38:05 | Weblog
 昨日は、営業があったので、本日久々に屋外でラン。風が強く冷たく、そこまで来ていた春が遠ざかったかのようでした。



 奈良女子大学教授 浜田寿美男さんのお話を聞きました。浜田氏は、自白や供述調書の鑑定などを研究する法心理学や子どもの発達心理学などの専門家です。

 数年前、奈良で子どもが殺された事件がありました。犯人の小林某については、人格障害と言われていますが、一言で表すと、「人生を捨てている」という人だそうです。幼い時はひょうきんさもある普通の少年だったのが、10歳の時に母が死亡して以来、性格が変わったそうです。

 子どもの事件が多発し(犯罪は減少しているそうです。)、今、一斉に「子どもを守れ」というキャンペーンが行なわれているが、これは子どもに人間不信を教育している。また、世間には、変わっていると言われる者が非常に生きにくい、社会に排除の気分があるということです。



 子どもは、守られる存在ではない。昔は、生活者のひとりとして、家族の中で役割を担い、自信を得て、生きる力を蓄えていた。力を発揮して生きるという実感を持てた。

 では、力を身に付けて行くとは、何のために身に付けるのか。子どもは力を将来のために付けるのではない。今、力を使って生きることが重要なもだ。しかし、学校は、将来のために勉強すると言う。学んだことが、生活につながる感覚を持てない。

 

 私たちは、自分の体で、ここの今を生きている。手持ち力で生きている。出来ないことに対しては、手持ちの力をやりくりするしかない。その結果として、力ができてくるかも知れない。



 小一時間程の話でしたが、実物の浜田氏の身体から発する言葉として聞けたのは、氏の著作を何冊も読むよりも、実感として自分の中に残りました。


 「人間は、今持っている力で全力で生きるよりないのだから。」

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首相動静(夕食の部)

2007-03-17 10:06:31 | Weblog
 ついに、某週刊誌でも潰瘍性大腸炎によるステロイドの副作用の心配をされ始めた「大きな声の出ない」安倍ちゃんの健康状態が心配で、夕食を調べました。

 この食べっぷりからは心配は吹っ飛んでしまいそうですが、また別の心配が生じました。

 かつて青島幸男は、自民党は財界の妾と発言をして問題になりましたが、この1週間だけからもアベシンゾーの財界、業界、政界との付き合いからは、時代遅れの保守政治家の姿しか浮かんできません。

 コイズミに比べて、教養のひとかけらも見えない行動は、国民から最悪、最低人気だった森に酷似している。




(以下は、参考として)
3月10日(土) 午後6時59分、東京・富ケ谷の私邸着。会食なし。
3月11日(日) 午後7時1分、東京・赤坂の赤坂ツインタワー着。レストラン「ロウリーズ・ザ・プライム・リブ東京」で昭恵夫人、岸信夫自民党参院議員ら親せきと食事。
3月12日(月) 午後6時43分、東京・銀座の日本料理店「松山」着。豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長、氏家斉一郎日本テレビ取締役会議長、三重野康・元日銀総裁らと会食。
3月13日(火) ハワード豪首相との首脳会談。午後7時20分、公邸着。7時23分、和室で夕食会開始。
3月14日(水) 午後6時44分、東京・紀尾井町の赤坂プリンスホテル着。同ホテル内の宴会場」で日本経団連の奥田碩前会長、今井敬名誉会長ら財界人と会食。「サファイアホール」。
3月15日(木) 午後7時20分、東京・西麻布の中国料理店「中国飯店」着。「アジアの子ども達に学校をつくる議員の会」メンバーの遠藤利明文部科学、渡辺博道経済産業両副大臣らと会食。
3月16日(金) 午後7時36分、東京・紀尾井町の赤坂プリンスホテル着。同ホテル内のフランス料理店「トリアノン」で衆院予算委員会の金子一義委員長と与党理事メンバー、尾身財務相、塩崎恭久官房長官らと会食。


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拉致異論

2007-03-16 21:13:37 | Weblog
 先日の6カ国協議以降、この国の外交は孤立感を深めている。各国が協調して対北朝鮮政策を実行しようとしている時に、「拉致」問題が棘としてのど元に刺さっているようだ。



 和田春樹氏は、「拉致問題ー解決への道」(別冊sekai764号)で、興味深いが、この国の世論の大勢とは異なる見解を示している。

 2002年9月17日、小泉首相は、金正日の拉致と工作船派遣に対する謝罪を受け入れて、平壌宣言に署名して帰国した。当初は、この結果を被害者の家族も受け入れる方向に向かい、世論も小泉訪朝を支持、評価した。



 しかし、9月19日救う会全国協議会の緊急声明で、救う会の幹部が、事態を逆転させる論理を編み出した。

 「北朝鮮の情報には根拠がない。日本政府も事実かどうか確認していない。従って生存している可能性がある。日本政府が家族に死亡を伝えたことにより、現在も生きている被害者が殺されてしまう危険が高まっている。」との支離滅裂な論理で。



 さらに、2004年12月、横田めぐみさんの遺骨の鑑定の結果を細田官房長官が発表した際、新たな政府見解が付け加わった。

 「真相究明、生存者の帰国要求、対応が無ければ厳しい措置をとる。」とした上に、「生存している行方不明者、安否不明者については、生存しているという前提で帰国を要求する」と付け加えた。ここから、「全ての被害者は生きている」という現在の論理が始まった。



 この国の外交は、交渉を断絶して、体制転換(北朝鮮の崩壊)を通じての問題の解決という路線を進んでいる。



 さて、家族を奪われた者の悲しみ、怒りは想像もできないほどつらいものであろう。安易な同情のレベルを超えていると思う。

 そのことを、前提としながらも、家族会の主張、行動は、被害者としての範疇を超えていると感じる。極めて政治的である。否、政治的に利用されている。利用されている点からは、彼らは2重の被害者であると思う。

 今後の東アジアでのこの国の位置を考えると、もう少し冷静な対応が必要と思うが、加熱した世論は、拉致問題への異論をタブー化している。



 「アジアの片隅で、このままずっと生きてゆくのかと思うのだが・・♪」




 

 

 
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お国のために

2007-03-14 20:32:43 | Weblog
 3日前、日曜日の歩道です。今は、雪が積もり冬に逆戻りです。

 ヒヤッとしました。対向車線を走っていたワンボックスが、バランスを崩して中央分離帯に乗り上げてきました。向こうは登り坂、こちらは下り坂。こちらの車線まで飛んできたら、大事故になっていたかも知れません。

 日常的でないことが、目前に起こっている瞬間は、事態の意味をよくつかめないものです。後になって、恐怖心が起こってきました。



 「あなたは国のために死ねますか」と突然問われたら、どう答えますか。

 「死」というものを経験した人は生きていないので、まず死ぬ実感がありません。

 「国」というのも行為の対象とするには、観念的な存在で、愛する人のためとか、家族のためとかに比べると漠然としています。また、現実に自分の命と引き換えに誰かを本当に助けることをできるのか、わかりません。燃え盛る火の中に飛び込みますか。肉親に臓器を提供しますか。

 

 「国のため命を捧げた」時代が本当にありました。今、再びそのようなことがこの国の総理をはじめとして「美しい」と讃えられています。

 死後の世界に価値を求め、死の恐怖を超越できるような教育や死から逃れられない体制をつくりあげたのです。「死んで靖国で再び会おう」と。まさに、宗教的な気分が社会を被っていたのでしょう。



 気がつけば、批判がタブー化しようとしています。



 

 
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田中康夫 『日本を』

2007-03-12 21:19:12 | Weblog
 2001年2月田中康夫前長野県知事は、脱ダム宣言を行なった。2007年2月8日村井某新長野知事は、脱「脱ダム宣言」を表明。再び、公共事業が眠りから覚め、歴史が後戻りしている。

 『日本を』(田中康夫著 講談社 2006年刊)は、新党日本を結党した田中の決意宣言である。

 田中の作品は、「噂の真相」に連載されていた「ペログリ日記」や浅田彰との対談「憂国呆談」シリーズで親しんできた。しかし、数年前からは、彼は表現者から政治化へ転職している。



 その田中をどうとらえたらいいのだろうか。

 変革者は、優等生ではダメである。例えば、日共の志位委員長は、東大を出ていて、頭が良さそうで、品行方正で、ひとつの間違いも犯しそうに無く、何で彼は共産党なの!

 貧しくて、苦しくて、逃れられなくて、不満があって、絶望的で、それを巧く表現できない人々の気持ちが志位にはわかるはずがない。



 田中は、既成の道徳とか、常識とか、価値観を彼独自の哲学で超えている。それを自らの言葉で表現していることから、「変革者」としての素養を備えていると感じる。

 でも、田中を前にして、人間として生理にフィットする人と全く拒否感を持つ人がいることだろう。





 志井を志位に訂正('00,3,15)
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左翼の感性

2007-03-11 14:03:38 | Weblog
 「1億総中流」といわれた時代がかつてありました。また、現在でも自動車、衣服、装飾品、食材・・・高級品が求められ、かなり売れているといわれています。

 先進資本主義国では国民生活の水準は高く、豊かさを享受しているとの認識が一般的です。



 資本主義のグローバル化が進む中、この国は、新保守主義的な経済政策をコイズミ以降とっています。勝ち組と負け組、格差社会なる言葉も広がっています。

 生活保護世帯が急増、非正規雇用の増加によるワーキングプアや老齢世帯やひとり親世帯の状況も深刻です。国は、増税、低金利政策など大衆収奪で財政危機を乗り切ろうとしています。

 高度経済成長、バブル経済、冷戦の終焉で、一時は不用品扱いの「左翼」の感性が再び試されています。

 「現代の貧困問題」を正面から問うべき情況です。野党とか、革新とか、看板では無く、その感性が試されています。



 「自由とは、必然性を認識すること」とは、現在の必然的なことをどう認識できるかです。

 明治維新に際し、倒幕で一致したが、攘夷思想を最後まで捨てれなかったのは、自由ではなかったと言うことです。倒幕、開国が歴史的な必然性でした。

 いま、歴史はどのように進んでいくのかを認識できるか否かが、自由を獲得できるかどうかの岐路です。

 
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初勝利 コンサドーレ札幌

2007-03-10 20:52:24 | Weblog
 札幌ドームでの今季初戦、勝ちました。内容はともかく、最低限の結果が出たことで希望がつながりました。月曜日から元気に働けそうです。

 さて、三浦コンサは、昨年までのスタイルと変わっていました。パスをつないで着実だが攻撃までの時間がかかっていた柳下コンサから、前線に放り込み、フォワードに当てて一気に攻め込むカウンター型が基本になったようです。

 しかし、札幌の苦手とする4バックも定着までは、少し時間がかかりそうです。 新外国人は、ディフェンスのブルーノは、安定していましたが、フォワードのダビは、シュートを全く打たず、消極的に感じました。もしかして、スカかも知れません。

 相手の鳥栖は、昨年よりチーム力は低下しているようで、中位以下程度の実力ではないでしょうか。1-0の結果からは、今のコンサの力は、リーグの中で、4-6位位なのでしょう。もっと、もっと力をつけていかなければJ1昇格は厳しいでしょう。

 今日は、1万3千人余で開幕戦入場者数の最低を更新してしまいました。結果を見せないと観客はハムに行ってしまいます。

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2007コンサドーレ

2007-03-09 20:04:00 | Weblog
 2週間休日無しで働き少し疲れ気味、でもこれも明日があるからがんばれたのです。夜の営業も何のその、長かった冬も去り、待ちに待った春です。そうホーム初戦、サガン鳥栖との戦いです。

 J2暮らしも5年目、財政的に苦しいチームは、戦力の補強もお金との相談が先、でも魂のこもった試合を見せてくれればいい。52歳のジジイでも42km走るのです。若いプロ選手なら90分位平気で走らなくては。

 

 冷静に評価すれば、今期も全てが上手く行って3位、下手をすると7位くらいの力しかないでしょうが、サポーターに元気をくれる試合を見せてほしい。

 明日、ぶざまに負けるようならば、社会的に存在感が消えうせてしまうだろう。それ位の崖っぷち状態です。

 ♪行けサッポロ、勝利信じ、最後まで戦え~
 
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左翼への批判

2007-03-04 20:12:55 | Weblog
 週末は、気温も高く雪解けも進みました。土、日ともに営業で、昨日の午後軽めのランニングのみでした。



 知人のブログ「Retriever Legend's blog」で、左翼のことが取り上げられていましたので、便乗します。(「論座」から引用されています。)

 学生運動、平和運動、反公害運動、有機農業、共同購入運動、反原発運動、反核運動、環境運動・・・時流に乗ったテーマで、少し反体制的で反権力的な雰囲気。そこには、いつも同じ顔の活動家(運動屋)がいます。

 自分だけが正しく、異なる考えを聞けない、理解できない、許せない左翼が。(ここまでは一部、自戒も含んでいます。)

 仲正昌樹は、「現代日本のサヨクたちには、個別具体的な問題を着実に解決しようとする誠実さはないのか!」と怒っています。(「『左翼知識人』の自滅」アソシエNo18)

 私も、抽象的な表現で、「大きな声の出せない総理」と使います。他の方は「頭のからっぽな総理」「岸信介のDNAを引き継いだ」なんて言い回しをしています。特に、具体的には証明できませんが、情緒に訴えることができると思います。

 仲正氏の批判の方法である「具体的な問題に対して、具体的に批判を」からは、現在の体制を前提にした小手先の微縫策しか出てこないと考えます。

 「真実は、細部に宿る」と言われます。「重箱の隅を突く」とも言います。しかし、小さなことなど、どうでもいいのです。

 このように、左翼の思考は、弱点だらけです。批判に対して、特に異議もありません。どうせ、今は最悪、最低の状況ですから。



 左翼は、虐げられた者(社会的弱者)の視点と歴史的に体制として考える視点さえ外さなければいいと思っています。

 株と思想は、最低の時が買い時です。従って、左翼思想は今が買い時です。最後に、自由とは、必然性を認識することです。

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『万世一系のまぼろし』

2007-03-03 16:34:29 | Weblog
 『万世一系のまぼろし』(中野正志著 朝日新書 2007年刊)

 初代の神武天皇の不在は証明されているのか、昭和天皇の戦争責任は、「万世一系」説の発明、象徴天皇制の今後などがテーマとされている。
 
 本書では、女系天皇容認の立場から男系説が検証されている。



 天皇制という制度が、「人」という生物の連続性によって担わなくてはならない所に、かなりの無理がかかっている。

 1組の男女から生まれる子孫を男性だけで繋いでいくということは、確率的にも非常に低い実現性であり、そこに、男女同権などにより側室を持てないなどの制約がかかれば、男系男子での継承はほとんど奇跡に近いものがある。



 現皇太子が雅子さんと結婚するとき、マスコミは祝賀ムード一色だったが、その時に、ただ「雅子さんがかわいそう」という感想を持ったことを覚えており、週刊誌などの報道を読むと、その思いは今も全く変わらない。

 

 
 

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拝啓、父上様

2007-03-01 20:17:08 | Weblog
 毎週木曜日10時は『拝啓、父上様』を欠かせません。

 30年位前に、「前略、おふくろ様」ってのがありましたが、姉妹編ですね。

 神楽坂という古い世界にも時代の波がやってきて、古い考えと新しい考えの交錯を、それぞれ個性的な人物を絡ませて、楽しく、少し悲しく描いています。

 登場人物で、二重丸は、二宮くん(一平役)と関ジャニ∞の横山くん(時夫役)です。雪乃ちゃんの高島礼子もいわゆるいい女を巧く演じています。八千草薫は、年を取っても、かわいらしさがあります。 

 一平の父親は誰なのか、きっと最後まで謎解きはしないと思いますが、今どきこんなに多くの人間がひとつの場所で密度濃くつきあいをしていることってあるのだろうか。

 

 調理場シーンのカメラワークは、その極限的な忙しさをよく表現していると思います。
 ラストの森山良子の歌だけは、音声を消していますが。

 脚本は、倉本聰で、少し前にこの時間枠でやっていた「優しい時間」も二宮くんでした。
 
 15年位前に富良野塾の芝居を見たときは、自給自足など塾の実態を聞いて、前途に夢と希望のある若者を騙して、住み込みでただ働きをさせて、誰も食えないようないい加減な芝居をさせているとんでもない奴だと倉本を酷評しましたが、年を重ねて少し良くなっているのでしょう。

 

 
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