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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

1976年5月10日のことへのこだわり

2015-08-30 13:27:27 | Weblog

 1970年発行の『情況』。うら表紙の裏に「南陽堂書店」のラベルがあるから、古書で買って読んだのだと思う。自室で読んだか、茶店で読んだか覚えていないが、血湧き肉躍る気持ちで読んだと思う。

 

 1976年5月10日のことへのこだわり

 1976年5月10日のことは、何回かこのブログに書いた。(2015.5.16、2014.12.24、2012.2.12ほか)僕21歳、大学3年目、札幌で行われた講演会。実物の吉本を見たのは、最初で最後。

 『吉本隆明〈未収録〉講演集〈9〉物語とメタファー』(筑摩書房 2015年刊)に、埴谷雄高の『死霊』第五巻刊行と高橋和己の追悼を記念し、札幌、仙台、京都で開催された講演が掲載された。

 1976年5月10日、作家講演実行委員会(北大以外に札幌大学の有志もいるよう)主催による。会場は北海道大学クラーク会館。講演会のタイトルが〈勇気を甦らす〉。講師は、吉本のほか、小川国夫「宇宙論と現代文学」、秋山駿「理由のない人間」、そして当日の司会は内村剛介、とある。

 小川、秋山のご両人も話したことは記憶しているが、演題は覚えていなかった。司会がロシア語の内藤先生だったこともすっかり忘れていた。

 吉本の講演で覚えているのは、埴谷が『死霊』において、時間的、空間的に無限の未来から、現在を照射する見方を描いているということだった。過去の歴史に学んで、現在を捉えるのは普通の方法論であるが、未来から現在を捉えるのは、その後ずっと僕の頭の中に残った。

 僕の卑近な例で言えば、仕事上様々なことで行き詰ることがあるが、埴谷ほど壮大なイメージではないが、少し先の方から今を見たらどういうことになっているのだろうか。今だけを見て、悩んでいてもしょうがない。未来から現在を見たら、そこから落としどころが見えてきた、そんな経験も思い出される。ひとつだけ、実になったことである。

 そして、突然おまけに甦ったことは、この講演の翌日から風疹に罹患し、発熱とかゆみで1週間ほど寝込んだ記憶である。2日くらい熱で動けなかったのと、その後は発疹が酷くて食堂や喫茶店、店屋、風呂屋に行けなくて、大変に難儀したのであった。当時はケータイも無く、友人と連絡をとる方法も限られていたので、外に出ることができなければ、偶然に訪ねて来るのを待つしかなかったのだ。

 

 

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恋愛論 吉本隆明ノオト その9

2015-08-26 10:04:47 | Weblog

 安保法制の国会中継を見ていて、野党、特に民主党、共産党の質問者の中に、自説だけを披露していて、アへ首相を論戦で追い詰めない議員が目立つ。特にお利口さんに見える議員。アへを理論で窮地に追い込まない限り、アへから見れば、法制に理解を得た、審議を尽くしたということになるのだが、その危機感が感じられない。今はそれだけ重要な局面ということに無自覚だ。法案が可決されたら、腹を切る(議員辞職)する位の決意を見せてほしい。

 

 恋愛論 吉本隆明ノオト その9

 若い頃から論争に明け暮れた吉本も、晩年は、子育て、いじめ、ひきこもり、恋愛など日常的な話題について、気さくに語る好々爺を演じていた。しかし、その場の思い付きだけで語っていたのではないと思う。そこでは、『共同幻想論』『心的現象論』の成果、自己、対、共同幻想、感覚と心、国家の廃絶といった吉本原理論をしっかりとベースにしてその応用で語っていることがわかる。

 吉本自身の結婚に至る個人史は、のっぴきならぬ困難を乗り越えた末に、ということはこれまで様々なところで書かれている。今回は、聞き語り形式の『超恋愛論』(吉本隆明著 大和書房 2004年刊)から、さすが吉本!と感じたフレーズを中心にノオトする。

 恋愛とは「覚醒剤をのむようなもの、今まで寝ていた神経が起き上がっていきなり自分が活性化する」、「細胞同士、遺伝子同士が呼び合うような感じが本来的な恋愛の感覚」と語る。そして、「誰が見てもこの人がいい」というような人なんか、恋愛においてはありえない。「その人にとっていい人」が絶対的に存在するというのが恋愛だ。たくさんの異性にちやほやされるとか、出会いのチャンスが多いとかは本質的に関係ない。いわゆる「もてる」「もてない」みたいなものは、意味がない。金があるとかないとか、美人だとか不美人だとか、うちの親はこの人を気にいってくれるかどうかとか関係ない、と言う。

 時代によって、恋愛の形は変わるが、恋愛感情の中心点のようなものは変わらない。人間の精神のうち、視聴覚系を主とする感覚的な部分は変わっていく。感覚を補助、拡大する道具、例えば電子機器の発達によって、感覚が鋭敏になったり、感覚の範囲が広がったりする部分では恋愛感情や形態が変わる。しかし、相手の人を好きになったときの心の状態、非感覚的な部分は変わらない。

 独身のときは、婚姻届を国に届けることよりも、結婚生活の内実、一緒に暮らしているということそのものの方が大事と思っていた。しかし、あるときを境に、婚姻届の意外な重さを実感した。法律が意外な重さで個人にのしかかってくることを感じた。その理由は、最初に宗教が生まれ、そのうち最も強固な部分が法律となり、さらに国家もまたそこから生まれたからだ。従って、婚姻届を出すことは、一種の宗教的行為なのではないかと思う。

 *(*印は僕の感想部分)僕は、フェミストではない、だからと言って男女差別論者でもないと思っている。女性が多数を占めていた職場での経験から、男性は理論的に頭で理解できたら、たとえそれが自分の考えと違っていても動く。しかし、女性は頭で理解して一時的には動くが、少し経つとリバースしてくる。一度決めたことでも腹の中で納得していなければ、必ず蒸し返しがあり、中々難しい存在だと思っている。男だってそういう人はいるでしょう、と言われると思うが、この決めつけは偏見でしょうか?

 *80歳を超えた方なのですが、奥さんに先立たれ、独りで暮らしていたが、同じような境遇の友人から再婚を勧められ、色々な曲折はあったが再婚をして、元気が甦ったと言う方がおられる。60歳で死に損なった僕であるが、この先そういうこともあるのだろうか、反対に僕が先に死んで、妻が再婚ということもあるのだろうな。今はそっちの可能性が高いと思う。

 

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リハビリ―、読書、テレビ

2015-08-22 14:36:49 | Weblog

 リハビリ―、読書、テレビ

 寝床で使っているラヂオです。災害用なのでライトとサイレン、ハンマーが付いています。ハンドルで発電機を回して充電する方式なので、10分位で聞こえなくなります。その時は、また50回くらい回します。従って、つけっぱなしで寝てしまうことはありません。

 ほぼ毎日散歩をして体力の回復を図っています。自分の考えている目標の40%位になったかなと感じています。

 ゴリッと歯ごたえのあるような本は未だ読む気になれません。普段はほとんど小説を読みませんが、ミステリーなら読めるかも知れないと思い、今年度の江戸川乱歩賞を受賞した『道徳の時間』(呉勝浩著 2015年刊)を読みました。学校を舞台とした過去に起きたある事件をめぐり、現在と過去が繋がり、様々な人間が登場して場面が展開されます。読者をグイグイと引き込む力を持つ作品です。ただ、ミステリーにありがちな最後の謎解き、フィニッシュがあっけなく、あまり納得のいくものではありません。別の落とし方もあったと思います。

 今まで毎日こんなにテレビを視たことはありません。国会中継、高校野球、ワイドショーを随分見ています。NHK、NHK―Eテレ、TBS、テレビ東京はそれぞれ比較的独自路線で特色のある番組を作っていますが、テレビ朝日、日本テレビ、フジテレビの3局は似たりよったりです。

 寝屋川で起きた中学生の事件などを見ていると、警察情報に依存しているだけで、取材方法や伝え方、表現方法などはほとんど同じです。また、ワイドショーで取り上げる話題の順番までこの3局は同じです。なぜこのようにテレビが画一化してしまったのでしょうか、これなら3つも局は不用で一つのチャンネルで十分と思います。

 NHKのアへ政権へのおもねりぶりは異常です。ニュースで伝える際の国会論議の切り取り方、伝え方のどこにも批判精神も感じられず、アへ政権の大本営発表になっています。アへが長州出身を過剰に意識した政治家なのをおもんばかった今年の大河ドラマ「花燃ゆ」もストーリーが迷走して誰が主人公なのかわからなくなっており悲惨なできになっています。アへのお気に召さなかった賊軍の会津藩を舞台とした「八重の桜」よりも低レベルです。これでは視聴率が取れないのも当然です。

 

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石光真人 『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』

2015-08-16 10:25:00 | Weblog

 8月14日に発表されたアへ首相の戦後70年談話、聞いていて僕は95点だと思った。しかし、翌日の朝刊は、「引用だけ」とか「主語がない」と批判している。確かに、アへは有識者懇談会の報告に拠ったとも言っている。しかし、この談話を語ったのは、まぎれもなくアへ自身の口からである。この事実を薄めてはいけない。

 今後は、この談話の思想と安保法制の考え方の違いを追及すれば良いのである。アへは、その矛盾を突かれた時に必ず有識者懇談会を逃げに使うだろう。主語が無いと言う批判は、その逃げ道をわざわざ用意したことになる。アへが心から談話を発表したのか、本心は違うのかはこの際どうでもいいことである。アへの逃げ口上に手を貸してはならない。

 

 『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著 中公新書 1971年刊)                    

 8月13日(木)北海道新聞朝刊に、「歴史と語る」と題した内田樹氏のインタビューが掲載された。出自が怪しい北海道の人間にとっては、あまり実感が湧かないのであるが、この国に連綿と続いている地下水脈を語っている。

 (以下引用)「幕末の戊辰戦争、西南戦争での敗戦処理がうまくいかなかった。明治の日本では、国民的統合が果たされなかった。陸軍では、(官軍であった長州閥出身で政治に押さえを効かせていた)元老山形有朋が亡くなって(大正11年没)、1930年代に「旧賊軍」藩士の子弟が大量に入り込んだ。太平洋戦争時首相だった東条英機の家は岩手、満州事変首謀者石原莞爾は山形、板垣征四郎も岩手。「旧賊軍のルサンチマン(遺恨)」を抱えた彼らが(戦争へと)暴走したのは薩長がつくった「明治のレジームからの脱却」を目指したため」

  そして、内田氏が紹介している一冊が、『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著 中公新書 1971年刊)である。この本、2015年1月で56版を重ねる超ロングセラーである。旧幕府の有力藩であった会津藩が薩摩長州から朝敵の汚名を着せられ、会津城落城、下北半島(二戸、三戸、北あたり)へ移封、その屈辱と寒さと飢えの体験を、のちに陸軍大将になった柴五郎が書き遺した遺恨の体験記である。官界、政界は薩長土肥以外の者はいかに優秀であっても入り込む隙がなく、わずかに軍だけに機会があったというもの。

 他で知ったことだが、東条英機の父も陸軍の軍人、陸大一期主席だったが、薩長出身者に出世を阻まれ相当に悔しい思いをし、その思いを子に託したと。

 維新から太平洋戦争まで、一見すると一枚岩で強固に統合されていたかに見える明治国家体制は、その水面下で薩摩、長州と旧幕府勢力、東北諸藩を中心とした奥羽越列藩同盟の対立があった。僕は、その地下水脈を辿ると、1600年の関ヶ原の戦いで徳川に付いたか、豊臣に付いたかで、親藩か外様かに分かれたところに起源を持つと考える。そして、岩手の小沢一郎が総理になれず、岸、佐藤、アへと長州出身者が続いていることからも戦後もその水脈はあると思う。

 これも他で知ったことだが、奥羽越列藩同盟が明治天皇の義叔父、孝明天皇の義弟である輪王寺宮能久親王を東武皇帝として掲げ、東北朝廷を目指した動きもあったという事実。(『戦後思想の「巨人」たち』(高澤秀次著 筑摩選書 2015年刊)*駄本)

 

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安保法制

2015-08-09 11:12:51 | Weblog

 近くのスーパーで紙おむつが不足しているとの表示が出ていました。40年前の1974年石油危機ではトイレットペーパーが不足しましたが、今回の原因は中国からの観光客による「爆買」だそうです。これを儲けと考えるか、迷惑と考えるか。この国は、原料を輸入して、加工して売って存続している、いわゆる「加工貿易」国と小学校の時に習いました。

 

 安保法制

 入院中、体調のいい時に、参議院の安保法制特別委員会のTV中継を視聴した。いくつか、感想を記す。

 はじめに、国会中継するかどうかの判断は、誰がしているのか。国会の申し合わせに従っているとしたら、NHKは言論機関としての機能放棄であり、NHK自身が決定しているとしたら権力におもねり過ぎである。磯崎内閣総理大臣補佐官の参考人招致を中継しなかった例を指摘したい。磯崎は東大法学部卒、その頭脳を安保法案作りに使った確信犯である。もう一人、横畠内閣法制局長官も東大法学部卒、歴代の長官とは憲法解釈を変えろ、その代り長官にするという人事で操られたのだろうか。

 中谷元防衛大臣、防衛大卒で自衛隊のエースと思って見ていたが、意外と軍事を知らない。調べると、陸自経験4年間だった。中谷氏は、質問者の質問の意味をくみ取れない、法制の微妙な論理展開に頭が付いていけない。隣にいる岸田外務大臣のバカにしたような表情が絶妙であった。頼りにならない防衛相に代わってアへ首相が空疎だが気迫ある答弁でヤル気を見せていたが。

 佐藤元久参議院議員、防衛大卒、イラク派遣隊隊長、通称「ひげの隊長」、彼こそが陸自のエースと感じた。『昭和陸軍全史1~3』(川田稔著 講談社現代新書)を読んだが、徐々に軍人が政治の中枢部に影響力を持ち、戦争に突入していった歴史を振り返ると、ひげの隊長が今後どのような政治的処遇を受けていくか、注視していく必要がある。

 僕はかねてから野党の活路は外交にあると記してきた。政府与党とは違うチャンネルを構築し、政府及び政府がマスコミを使って流布する情報とは異なる情報を得るべきであり、独自の情勢分析が必要だ。しかし、法制論議を聞いていると、野党も日米安保(同盟)を前提としており、そのため質問が情緒的で鋭さに欠けていた。日本は米国だけを見ているが(片思い)、はたして米国は日本だけを見ているのだろうか。米国は米中関係にもきちんと保険をかけている。

 泥沼化していた日中戦争から太平洋戦争に至った経緯をみると、あの昭和陸軍でさえ、独の動き、独がソ連に侵攻するのか、仏降伏後の英がいつまで持つか、孤立主義の米は欧州へ参戦するのか、満州国境でのソ連との対峙、中国国内の国民党と共産党の関係、日英同盟関係を保持するのか、米国のアジア太平洋での戦力、資源調達を含めた日本の戦争遂行能力・・・驚くほど複眼的な見方を持っていたと思う。(『昭和陸軍全史』参考)僕が昭和陸軍に対して持っていた固定観念が覆った好著。

 米国のスタンスは、日本が「集団的自衛権」を行使できるようになると米国の負担が軽くなるのでYES、しかし「靖国参拝」や「従軍慰安婦」など日本が周辺諸国との関係を悪化させるような動きにはNOと考えていると思う。

 野党は、政府が持ち出してくる軍事的脅威の例示をつぶせていない。アへ首相が言う、ホルムズ海峡の機雷掃海は、7月にイランが核協議に合意した時点でその根拠が無くなった。中国による南シナ海の油井開発は、軍事基地を作っているわけでは無いので、軍事的脅威ではなく外交問題である。

 IS(イスラム国)対応もアへ首相の軍事的なセンスを疑うことのできる責めの材料である。日本人がISに拘束されているのに、1月に、よりによってイスラエル国旗の前でISに対峙をするための援助を声明、救出のための現地対策本部を米国とともにISを爆撃しているヨルダンに置いた。このセンスの無さ、情勢分析ができない政府に、集団的自衛権の行使などできる能力を有しているとは思えない。

 野党は。独自の情報を持っていないので、何か言うと、親イスラム、親中国、親北朝鮮、親韓国、親ロシアと思われて現在の排外的な世論から浮いてしまうことを恐れている。仮に北朝鮮から一発のミサイルが発射されれば、原発と同様に今の世論は雪崩を打って法制賛成の方に傾くと予想するが、いかがであろう。不謹慎ながら、困った時の北朝鮮頼み!

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不安定狭心症 その2

2015-08-07 10:24:43 | Weblog

 退院3日目、ゆっくりとした生活。少し散歩をしたがほんの少しの上り坂もきつい。ショッピングセンターに行くが、人が多く感じてしまい交差が上手くできない。少しずつ元に戻すことができればと願う。

 発端は、7月24日(金)7:00前の朝食時胸がつかえたような苦しさ、しかし間もなく消える。会社へ行こうと準備をしていた7:30頃、再び息ができないような苦しさ、我慢できないこともないが、普段とは違う。会社に、胸が苦しいので病院に行ってから会社に行きますと連絡する。間もなく消える。8:00過ぎ、再び苦しさ、病院は9:00からだが、早い方がいいと判断する。救急車は隣近所も含めて大事になるのでタクシーで大きな病院へ行く。

 教訓:判断の基準は、我慢できる、できないではなく、普段と違うかどうか。

 病院の待合には100人を超える患者が待っている。苦しいことを説明すると、問診、診察を急病扱いで直ぐに対応していただく。4回目の苦しさがやってくる。直ぐに、検査室へ搬送。

 カテーテル挿入。右手首の局所麻酔だけなので、意識もあり、医師、スタッフのやりとりも全部聞こえる。造影剤を入れると心臓にある3本の冠動脈のうち1本の根元のところ1か所が完全に詰まっているところがある。バルーンで血管を広げる時、医師にこれをすると直ぐに楽になりますと言われる。その瞬間から本当に快適になる。バルーンは、圧力と加圧時間の設定が重要なのだろう。10気圧とかストップウォッチで20秒などと計測している。その後、ステントという金属の管を挿入。これも管径と長さの設定が重要と思われた。検査から処置まで1時間から1時間半くらいか。

 手術中は、スタッフの動きや会話から緊張感が伝わり、かなりやばいのかなと不安になる。死に対する現実化を感じるが、ただ、このまま死ぬことはないだろうとは思っていた。

 その後は、集中治療室で3日間。左腕点滴2か所、右腕は止血のため完全固定、導尿管、絶食。定期的に採血をして、酵素の濃度を測る。冠動脈が詰まって心臓の筋肉に血液が流れなくなると壊死が始まり、血中の酵素が増えるのでその経過を測定しているとのこと。結果的には詰まってから3時間から4時間が経過していたが、酵素の濃度がそれほど上がってなく、心臓へのダメージは少なくて済んだとのこと。ダメージが大きいと「心筋梗塞」という病名になる。

 翌週の28日(火)、2回目の処置。前回の検査で見つかっていた冠動脈が細くなっている2か所にカテーテルを入れて、バルーン、ステントを入れる。一度経験しているので緊張も無く医師を信頼していた。

 予定では、数日間の入院予定だったが、その後、発熱と頭痛で3日間点滴と投薬。血管を広げる薬の副作用なのか、院内のウィルスに感染したのかは不明。経過を見ながら8月4日(火)に退院。約1か月余りの自宅療養の診断が出る。まだ、時々頭痛があったりしてすぐれないが、かなり弱った体力の回復を図りたい。

 幸運:もし発作が翌日の25日(土)に起きていたら、その日から1泊2日でバスを使ってお客さんを引率して田舎にいく仕事があり、きっと全体に迷惑をかけられないとギリギリまで我慢しただろうし、また近くに適切な処置のできる病院があったかどうかもわからないので重篤になっていたかも知れない。

 幸運:これまでの知人たちの話からこの病院はいいよという評判を聞いていたので、どこに行こうかと考えた時、良い判断ができたと思う。担当の医師も腕もいいし、大変信頼できる方だったし、看護師ほかスタッフも連携が取れていて、献身的に看護をしていただいた。

 

 

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不安定狭心症

2015-08-04 19:36:29 | Weblog

 不安定狭心症

 7月24日(金)朝、胸の苦しさがあり病院へ行くと、カテーテル挿入検査。心臓にある3本の冠動脈の1本が完全に詰まっており、バルーン療法で血管を広げ、ステントという金属の管を挿入。28日(火)カテーテルで他の2か所にバルーン、ステント。病名は不安定狭心症、心筋梗塞の一歩手前ということ。

 本日8月4日(火)退院、12日間の入院は現職時代では経験なし。今後はしばらく自宅で療養、かなり弱った体力の回復を図りたい。今日は、ここまで。

 集中治療室を出てから9日間見続けた病室の風景

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