晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『モリのいる場所』 沖田修一脚本・監督 

2018-05-21 14:09:08 | Weblog

日大アメリカンフットボール部とアへ政治の共通点。指示をしたのか、忖度があったのかに関わらず、リーダーは腹を切らねばならないということが忘れられている。それは、政治、行政、企業、学校・・組織を維持するための大原則だ。アへの振る舞いがこの国全体の組織倫理を蝕み始めている。

 

『モリのいる場所』(沖田修一脚本・監督 日活 2018年作品)  

昭和天皇の「この絵は、何歳の子どもが描いたのですか?」との問いかけに、取り巻きたちが慌てるシーンでこの映画は始まる。主人公のモリこと熊谷守一、94歳の画家を山崎努が、その妻76歳を樹木希林が演じる。舞台は、昭和49年、東京都豊島区千早町の住宅街。

30年間、彼は、自宅及びその敷地を出たことのない。モリは、一日中、庭の木々、雑草、花、鳥、虫、池の魚などをじっと観察し続ける。夜半になると妻に促されて創作活動をする、そんな毎日。僕は、この映画を観ながら、埴谷雄高の「脳髄の中に未来のヴィジョンさえ確かに持っていれば、蜘蛛の巣のかかった部屋でごろごろと寝ていても革命者なのだ。」と言う言葉を思い出した。

他者からは、あまりにも狭い世界で生きているように見えるモリだが、モリはしっかりと宇宙と繋がっている。全世界を獲得していることがわかる。

どのように生きるのか、どのような関係性を築いていくのか、残された時間を意識するようになった僕ら世代に問いかけてくる。50歳代以上、必見の映画だ。

ディノスシネマズ札幌劇場、19日(土)封切り第1回目上映には、多くの観客が入っていた。

 

 

 

 

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渡辺京二 『幻影の明治 名もなき人びとの肖像』 司馬遼太郎批判

2018-05-16 13:39:36 | Weblog

指導をいただいた先生が言っていた。学者には二つのタイプがあるという。寿司屋か、乾物屋かだ。今日仕入れたネタを今日出すのか、時間をかけて乾燥・熟成させてから出すか。僕のこれまでの会社員生活はまさしく寿司屋だ。これからは、残された時間でどんな乾物をつくろうか。

 

『幻影の明治 名もなき人びとの肖像』(渡辺京二著 平凡社 2014年刊) 司馬遼太郎批判 

ひと昔前の政治家なら、好きな作家は誰かと聞かれて、保守・革新を問わずほとんどが「司馬遼太郎」と答えていたと記憶する。歴史に関心の強い人たちも圧倒的に司馬ファンが多かったと思う。偏屈物の僕は、何となく司馬は怪しいと疑っていた。

僕の司馬体験は、1969年のNHK大河ドラマ『竜馬が行く』を観たこと。原作は、ずっと後になって1980年代後半、30歳代の頃、正月休みに一気に読んだ。僕らが持つ坂本龍馬のイメージ、薩長同盟成立のキーマン、亀田社中をつくり世界を駆け巡る貿易商、これらは司馬作品からの影響が強いことによるものだろう。

本書『幻影の明治』第三章「旅順の城は落ちずともー『坂の上の雲』と日露戦争」は、見事なまでの司馬遼太郎批判になっている。何となくぼやっとしていた司馬の正体を作者は痛烈に浮き彫りにした。

印象に残ったフレーズを引用する。冒頭から、「とにかく小説と銘打ちながら、講釈につぐ講釈で、その中身もとても本気でつきあえる代物ではない。」と厳しい。「断片的な小説の部分を長大な歴史講釈でつないでゆくというこれまで誰も試みなかった(松本清張に同じ傾向があるが)作りになっている。」最近、清張の遺作『神々の乱心』を読んだが、その通りだ。

「司馬は、明治日本のゼロから始まった近代化が成功したのは、世界史上の奇跡にほかならぬといいたいのだ。」「明治の軍部は、昭和の軍部のような精神主義の阿保ではなかった。そう物語ってみせることによって、彼(司馬)は、敗戦によって自己喪失した日本人に自信を取り戻させた。」戦後の国民の気分にマッチしたから、渡辺京二氏が指摘するように史実の解釈が歪んでいたとしても、国民的歴史作家といわれたと思う。

明治150年めぐる動きは今のところ静かだ。

 

 

 

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朝鮮戦争 休戦から終戦へ 

2018-05-05 13:21:00 | Weblog

朝鮮戦争 休戦から終戦へ        

希望的な未来を述べたい。それは、朝鮮半島情勢が大きく変わり休戦状態から終戦に至る可能性が出てきているからである。               

文在寅韓国大統領の情況打開力に驚く。さすがキャンドル革命で民衆の期待を背負って大統領になった人物だけはある。今年に入り、ピョンヤン!五輪に北朝鮮を参加させたのを契機に、米韓、韓中、中朝、南北朝鮮を結びながら、北朝鮮を米国との交渉テーブルに着かせた成果はノーベル平和賞ものだ。以前にも書いたが、昨年の時点で北朝鮮が2018年になるとそのスタンスを大きく変えると予測していたのは、知っている限り拓殖大学の武貞秀士氏だけだった。

さて、米朝会談である。トランプ大統領は、解りやすい人なのかも知れない。得か損か、買ってもらえるか否か、儲かるかどうか、意外とシンプルな物差しを持っているのではないか。彼が、米朝対話に踏み込む決断を決めた理由も見えてくる。仮に、朝鮮戦争が終ると軍事的な対峙の必要性がなくなることから在韓及び在日米軍の必要性もぐっと減り、駐留に要する経費が節約できる。米国が、他国のため、世界のために何か使命感を持って大きなお世話をする時代でなくなったのだ。

朝鮮戦争の終戦は、日本の未来が変わる好機になる。いわゆる軍事的な対米従属状態を脱するチャンスだと考える。1950年、朝鮮戦争の勃発を契機に自衛隊の前身組織が創設され、1951年、サンフランシスコ平和条約で占領状態を解消したが、同時に締結された日米安保条約により米軍が駐留するようになった。また、日米地位協定により主権が制限されている。

朝鮮戦争の終戦で、東アジアにおける長かった冷戦状況も変わる。隣国同士が軍事的に対峙する時代は終わり、お互いの人々の生活を豊かにするために、様々なモノや情報を交換できるようになり、これまで岩盤のように立ちはだかっていた国家の軛から解放される時代が来る。ヨーロッパ共同体にように国家の壁を低くし、政治的な体制は異なっても共生できる東アジア型の共同体が構想できる。アへ氏に言いたい。憲法改正などというドメスティックな議論をしている場合ではない。

このような局面にある中、アへ外交はひとり蚊帳の外状態だ。韓国や中国に頼み、米国にすがるしかない姿は独立国家としてはみっともない。北朝鮮と交渉する術がないのである。だからといって野党に外交チャンネルがあるかといえば無いのも残念。もしあればもっと別の情報をもとに現状を打開できたと思うが、加計・森友劇場に現を抜かしている体たらくだ。(このブログ2015.2.6「野党は外交で活路を開け」を参考にしてほしい。) 

大きな問題が残っている。朝鮮戦争が終ると、北朝鮮との間には戦争に係る国家賠償の問題が未解決であり、直ちに浮上する。それが、どれほどの規模になるかは、不勉強でわからないが、この問題は、日本が単独で解決しなければならない歴史的な課題である。いつまでも米国のポチのように振る舞うことはできない。

 

 

 

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