晴走雨読

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ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』 ⑦ 「国家を考える」ノオト その9 崩壊 分散

2021-01-30 13:08:46 | Weblog

テレワーク化が進み都心の広いオフィスが不要になったため電通や日本通運が本社ビルを売却するという。他の企業もこれに続けば、大都市における不動産価格の暴落の始まりになる。企業が保有する資産価値は減少、金融機関が不動産を担保に融資していると・・・いつか見たバブル崩壊時の景色に似ている。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)⑦ 「国家を考える」ノオト その9 

『第6章 初期国家の脆弱さー分解としての崩壊』(P169~P198)から学ぶ。

(著者)この章で、「崩壊」は「分散」を意味するキーワードになる。「崩壊」ということばは、通常は初期国家が衰えていくという文明の悲劇、ネガティブな意味で使われる。しかし、実際には国家が分解して元々小さな定住地に戻っただけのことであり、「分散」というポジティブなことばを使うべきだ。「崩壊」の内実は、大きいが脆弱な政治単位(国家)から、小さな安定した要素への「分散」であり、必ずしも悲観的なものではなかった。政治秩序の単位は大きい方が小さいよりいいと決めつけるのはよくない。

以下、初期国家の脆弱性の原因を説明する。

(著者)初期国家の脆弱性に関する外生的原因としては、干ばつや気候変動がある。だが、重要なのは農業が持つ内生的原因である。具体的には、①作物と人と家畜(およびそれに付随する寄生虫や病原菌)の集中によって伝染病が流行した。②都市化で森林破壊が進み侵食によるシルトの堆積によって洪水を招いた。③集中的な灌漑農業によって土壌が塩類化し収穫量が低下、それが耕作放棄に繋がった。

さらに、人びとの交易に伴う移動、戦争による軍隊や難民の移動が伝染病を拡げた。戦争のためにマンパワーを軍事的な防御へ振り向けたことも国家の弱体化に繋がった。以上のような原因によって、国家が押しとどめようとしたにも拘らず人びとは田舎に散らばろうとした。

(*僕)今の時代、効率化のために集中するという考え方が主流だが、このコロナ禍であらためて「分散」という考え方が浮上したと考える。三密回避、時差出勤、テレワーク、田舎への人口移動と分散化傾向が見られる。

(通説)国家への人口集中を文明の勝利として見る一方で、小さな政治単位への「分散」を政治秩序の機能停止や障害として捉えている。国家の「崩壊」は、それに伴う多くの死亡者や人間悲劇を暗示する。また、それは狩猟採集や遊牧といった原始的な生業形態への退行であり野蛮と暴力への転落だとする。

(著者)国家の「崩壊」は、有益な政治秩序改革の始まりとして見るべきだ。都市を放棄して田舎へ逃げ出すことで人命が救われたケースも多い。「分散」は、戦争、課税、伝染病、凶作、徴兵からの逃避。すなわち国家の放棄は解放として経験された。

最後に著者は、これまでの論理展開をもとに重要なことを述べている。(以下引用)(P198)「分散化は、国家が課してくる負担を軽減するだけでなく、ある程度の平等主義の先駆けの可能性すらあるのではないだろうか。最後に、文化の創造を、頂点である国家センターとだけイコールで結ぶ必要性はない。だとすれば、脱中央集権化と分散をきっかけに、文化的創造の再定式化と多様性が進むこともあるのではないだろうか。」

(*僕)著者が言わんとしている社会のイメージが見えてくる。国家という枠組みを前提にした人間活動の集中的な取り組みは、効率的ではあるが脆さも内在しているからだ。「国家の否定」によって、平等社会、文化の創造、多様性社会の実現が可能になる考え方を示唆する。

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ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』 ⑥ 「国家を考える」ノオト その8 強制 逃避

2021-01-26 11:21:24 | Weblog

寒い日が続いているが、毎日同じ場所、同じ時刻にカラスがやってくる。今は全てが雪の中なのに何を食べているのか。彼らは餌を見つけた時が食事の時間なのだ。狩猟採集生活をしていた人類の暮らしを想像する。食料を求めて点々と移住していたが、動物とは異なり、予め収穫ができる場所や時季、未来のために資源を保存することなどの知識は持っていたのだろう。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)⑥ 「国家を考える」ノオト その8

『第5章 人口の管理―束縛と戦争』(P139~P168)から学ぶ。

(*僕)国家の誕生にあたってのキーワードは、「強制と逃避」だ。

(著者)人口を獲得することは初期国家の中心的関心事だった。人を集め、権力の中核近くに住まわせ、その場所を離れさせることなく、非生産的なエリートが食べていくための余剰物分までを生産させる必要があった。しかし、農民層はわざわざ自分から進んでエリート層に収奪されるような余剰分の生産はしない。そこで生産させるためには強制が必要だった。ただ、それには農民層(臣民)たちが大量に逃避してしまい国家が崩壊するリスクもあった。

 

(P144)「国家と奴隷制」では、農民層(臣民)の逃避防止と奴隷獲得の関係を説明する。

(著者)奴隷制は国家出現以前から存在していたが、初期国家は生産人口と余剰生産を最大化するために奴隷制度を取り入れた。そこでは、戦争は領土の拡張というよりも捕虜獲得のために行われた。征服した土地から集団で連れて来られて強制的に定住させられ戦争捕虜は奴隷労働力になった。こうしたことは、自国農民層(臣民)の脱走や反乱を防止するための方策でもあった。

 

第5章に関して著者は、「序章」で重要なことを述べている。(以下引用)(P25)「もし最初期の国家形成が主として強制による事業だったことが示されれば、ホッブズやロックのような社会契約論者が大切にした国家観―市民的平和や社会秩序、恐怖からの自由という魅力で人びとを引きつけた磁石としての国家観―は見直しが必要だろう。」

(*僕)以上から僕は、ホッブズ的な自然状態「万人の万人に対する闘い」は、国家出現前の狩猟採集社会の情況を必ずしも表現していない。恐怖の自然状態から自分の生命を守る権利を、国家なるものに譲渡し服従するという社会契約に至りそこから国家の発生を導くという理論をベースにして国家の起源を語ることはできないと考える。

(著者)初期の国家は強制力を用いて形成したにも関わらず、疫学的、生態学的、政治的に脆弱で、崩壊や分裂により人口の維持に失敗したところが多い。

 

 

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ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』 ⑤ 「国家を考える」ノオト その7 初期国家 

2021-01-20 14:56:06 | Weblog

潮目が変わるという言葉がある。さて2021は一体どのような年になるのだろうか。僕は、様々なことで「潮目が変わる年」になると思う。コロナの流行は?日本(世界)経済は?政治は?僕らの生活は?・・当然それらも変わるだろうが、もっと総合的、俯瞰的な観点から見て我々人類が世界をどのように認識しているかに関わる大変革があるのではないかと予測したい。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)⑤ 「国家を考える」ノオト その7    

『第4章 初期国家の農業生態系』(P109~P138)から学ぶ。

(通説)国家は豊かな地域で興った。狩猟採集から定住、そして国家の出現は直線的な変化だった。

(著者)定住した人びとが作物化した穀物を育て、1,000人以上の住民からなる町での商業活動は、国家らしきものが登場する紀元前3300年頃よりも2000年も前(新石器時代)から始まっていた。

(著者)国家らしきものには、税(穀物、労働力、正金かは問わない)の査定と徴収する役人、分業(機織り、職人、聖職者、金属細工師、官吏、兵士、耕作者など)、また王を頂点とし神官や首長などの社会的階級の存在、町が城壁で囲まれていることなどの特徴があった。また国家づくりに必要なのは富であり、富は収奪が可能な穀物と権力のもとに動員できる人口だった。

(著者)国家の臣民としての耕作民が一定の地域に集中した理由は、紀元前3500―2500年頃に海水レベルが低下し乾燥化が進んだためであった。耕作可能地が急激に減少することで採集や狩猟が困難になり、水の比較的豊かな場所に人口集中が起り国家形成につながった。しかし一方では、不安定な降雨、洪水、害虫の攻撃、作物・家畜・人間の病気などによって、農耕を捨て狩猟採集や牧畜生活に戻った住民もいた。

 

(P120)「穀物が国家を作る」では、初期国家が雑穀を含めた穀物を基礎としていたことを説明している。

(著者)なぜなら穀物だけが、集中的な生産、目視、分割、税額査定、貯蔵、運搬、収奪、地籍調査、保存、配給に適した作物だったからだ。国家の役人が農地を測量し、収穫量を推定、税を見積もる。食生活において穀物に替わるものがない場合には国家の形成が可能になってくる。反対に、狩猟採集民のように生業がいくつかの食物網にまたがっている間は、国家は起こらない。また、穀物生産(農耕への課税)が止まれば、国家は弱体化する。初期国家が生成する頃は、政治の中心地の外側には世界人口の大半が移動性の人びと(遊牧民、狩猟採集民)がいた。

(*僕)生活が豊かであれば人びとは変化を望まない。1日3,4時間程度の労働で食べていくことができた狩猟採集生活をあえて自ら捨てる理由はない。一方、国家らしき権力のもとで定住し農耕生活を営むことはそれほど楽なことではなかった。そこでは労働の長時間化、生産物が税として徴収されるなど過酷な暮らしが待っていた。そのため、国家を捨てて狩猟採集に戻る事例もあった。

(*僕)穀物はその特徴として2面性を持ち、重要な食糧資源であるとともに、権力による収奪の手段でもあった。それが書名の反穀物という意味だと考える。

 

(P127)「壁が国家を作るー防御と閉じ込め」では、城壁の役割を説明する。

(著者)城壁は、外部から遊牧民を入れないためであるが、重要なのは逆に、国内の耕作(納税)者を外に逃亡さないために築かれたということだ。人びとを決まった場所に押し留め、承認なしには移動させなかった。

 

(P129)「文字が文化を作るー記録と識字力」では、国家と文字の関係を説明する。

(著者)国家に必要なのは記録と登録と測量だ。そして文字の登場と国家の出現は同時期であった。国家を作ろうとする者が臣民の管理のために必要な表記法として。記憶や口承を超えた文字を発明した。また、土地と人びとを収奪するために統計が必要だった。

 

 

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2021賀正 ひとは持っている力を何とかやりくりしながら今を全力で生きていく以外にない 

2021-01-03 16:05:32 | Weblog

元旦の羽鳥慎一モーニングショーで放映された富士山の初日の出です。テレビ画面を写しました。

 

2021賀正 ひとは持っている力を何とかやりくりしながら今を全力で生きていく以外にない

「僕らは、自分が現在持ち合わせている能力を何とか振り絞って、今ここを全力で生き抜いていくしかないのだ。」という言葉は、10数年前このブログを始めた頃に、発達心理学者である浜田寿美男氏の講演で衝撃的を受けて以来自分の中に居続けている。当時は、心理学の講演など全く興味もなく理解できないだろうと思いながら、行きがかり上仕方なく出掛けたのだが、予想に反し自分の心に刺さるような言葉の連続であり、生涯に渡って心に残るようなお話であった。

さて世の中はコロナ禍の真っ只中にあり、中でも抵抗力の弱い人、高齢者や障がい者、疾患があり体力が落ちている人たちをコロナが直撃している。これらの人を含め多くの人が2021年を生きていくためにこの言葉を支えにしてほしいと思う。そして、僕自身もコロナウィルスと闘いここの今を生き抜いていくための言葉にしたい。

今年も、怒れる時、悩める時、喜ぶ時、悲しむ時、恋人できた時、病に倒れた時、勝利をつかんだ時、人生を語る時など・・がきっと待っているであろう。(吉田拓郎『ファミリー』の歌詞を参考にした。)だがどんな時でも、「僕らは、持っている力をやりくりして全力で生きていくしかないのだ。」

そういえば1年前の年末(2019.12.28)に、『2019もこのブログ、極私的備忘録ですが、読んでいただきましてありがとうございます。「ウソから始まった五輪」の年、2020がグダグダになるであろうことを祈念して本年を閉めたいと思います。』と書いた。1年経って世界中がここまで変わるとはその時点では全く予想もできなかった。今となっては五輪を開催できるかかどうかというレベルの話ではない。社会は異次元に入り込んでしまったのだ。僕は弱虫だけど日々怯えながら暮らしているわけではない。朝から晩まで四六時中何となく嫌なモノ、何か気持ちが悪いモノがつきまとっている感じなのである。

だからこの時期には、「ポスト・コロナ」「夜明けは近い」などと根拠も無く希望的な観測は言えない。残念ながら逆に絶望に近い予感がする。コロナで国・地方の債務がころまで以上に膨らんで、もう経済的な「信用」が持たないのではないかと危惧している。財政、国債、通貨(円)、株価の連鎖崩壊!そして、医療、福祉、年金、雇用、教育・・・制度の崩壊へ。そんな悪夢を想像してしまう。だが万一そうなったとしても、僕らは「今ここを生き抜くしかない」のだ。

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