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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

最首悟

2009-05-25 20:55:42 | Weblog
 昨日の練習で、再び恵庭市戸磯「むらかみ牧場」案内板の前を通りました。次こそ「タカトシ牧場」まで行って見ようと思います。



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊)その5

 最首悟(1936年生まれ)には『水俣を抱き旅立つ 霧中をゆく巡礼者の姿』と題したインタビューを行なっている。氏は、東大闘争では助手共闘で活躍、その後水俣病への関わりや自らのお子さんが障害を持っていることなどから、それらについての思索活動を続けている。私は氏の著作には触れたことは無いが、これまでに雑誌『現代の眼』や『情況』においていくつかの論文を読んでいる。

 以下引用で最首氏の思索の特徴を示したい。「水俣や解放同盟や障害者、在日朝鮮人の人たちの話を聞いて『知らなかった!』と思い知らされる。」次に、その人たちから「『あんた、俺達の気持ちが分かるか!』といわれるが、分かるはずがない。」

 「『知らないこと』から『知ること』へ、そしてそこから進んで『分からない』ということを確認するというには、非常につらいことなんです。しかし、何処までつき合うかというと、これが、本当に難しい。」

 このように氏は、答えの出ない問いを真摯に問い続ける。

 最後に若者へのメッセージでは「社会と関わりたくなくて、信じられなくて、先行きが見えなくて、けれどもその中で人が信じられる。それが何を生み出すか、それに賭けてみたい。」と述べている。

 ただ、氏の議論は、ちょっと間違うと「俺の酒が飲めないのか。」「俺の気持ちがわかるか。」という酒癖の悪い輩の言っていることと同じになってしまう。障害者の気持ちは障害者にしかわからないなどと言われてしまえば、議論はそこで止まってしまう。物事をどちらかというと合理的に考えてしまう私にとっては最も苦手で不毛な議論に思えてしまう。


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