晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

花崎皋平

2009-05-23 21:11:40 | Weblog
 札幌東急デパート地下1階イートイン「花城」焼き魚定食、美味い鮭でした。

 拓郎がCDのジャケットでしている銀・黒の細い斜めのストライブのネクタイを探したが見つからず。



 知人の見舞いに行った後、新札幌から札幌駅に向かおうと決めていたのに、気付いたら地下鉄の券売機に1,000円札を入れ、値段表を調べていた。しかし、いくら見ても新札幌発で札幌までの料金が表示されていない。

 200円分を買って乗ってしまい、降車してから精算でもいいかなと思った時、どうしてここにいるのかな。JRでしょ。俺、何してるの?えっ!大丈夫?ヤバイな。



 『図書新聞インタビュー 語りの記憶・書物の精神史』(米田綱路編著 2000年 社会評論社刊) その3 

 花崎皋平(1931年生まれ)には『認識に賭ける “生きる場の哲学”を求めて』と題したインタビューを行なっている。花崎氏は、かつては北大の教官であったが1960年代末の全共闘運動において、北大本部封鎖をした学生たち(本部封鎖7戦士として有名)の弁護人を引き受けた後、自らの国立大学における教官の身分に疑問を持ち、職を辞す。

 その後在野の哲学者として、道内で北電伊達火発パイプライン建設阻止闘争など住民運動などに関わりながら思索活動を続けている。

 氏の初期の著作『力と理性―実践的潜勢力の地平から』(現代評論社1972年刊)、『風はおのが好むところに吹く』(田端書店1976年)、『生きる場の哲学』(岩波新書1981年刊)には接していたが、氏の実践から導き出した哲学、そこに連ねられている言葉が私にはあまり響くもので無い。

 氏の道内における運動(反公害、反原発、反差別、リブ、アイヌ解放、自由学校「遊」など)への功績は大なのであろうが(それはどこに行ってもそこに氏の顔があったことから)、反面、道内の運動が氏のレベルに連動してしまい、そこに停滞しているとも言える。

 以下、インタビューから引用する。「いま働きかけたからいま反応が返ってくるという直接的な対応を期待することが難しい時代になっている。いったん地下に消えて、断絶を介して間接的に現れるような作用を考えたい。」(民衆の思想が培われるには長い時間を要するという意味。)
 
 「『世話(ケア)の論理』というかたちで、壊れものとしての人間の関係についての、他者との関わりの技法についての貴重な富が、膨大に埋もれているような印象を持ち始めているんです。」(高齢者や障害者のケアにあたる現場の人の中にある経験について)

 これが、氏の求める「生きる場の哲学」ということなのか。インテリの位置から民衆を見下ろし、民衆の中に自明に存在するものをインテリ向けに言語化、体系化しようとしているだけではないか。かっこよく大学を辞めたところまでは良かったが、運動体の中で祭り上げられてしまい、切磋琢磨を怠った結果がこのレベルということか。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 太田昌国 | トップ | 野本三吉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事