晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

2030札幌冬季五輪「阻止」 その2 新幹線延伸時期との不整合 エリア開催

2021-11-25 15:40:50 | Weblog

立憲民主党の党首選挙がショボいのはマスコミが自民党のように取り上げてくれないという理由からではなく、単純に面白くないからである。それぞれの候補者に今がダメなのだから根本的にどのように変えたいという主張が無いからである。党友?の友人に投票用紙が届いたが、主張や経歴を記載した書類が1枚も入ってなかったそうだ。来夏の参議院選挙の顔を決められないならば、立憲民主党は他党の草刈り場になってしまう。

 

2030札幌冬季五輪「阻止」 その2 新幹線延伸時期との不整合 エリア開催

ひとつ疑問がある。北海道新幹線の札幌延伸は2030年度末=2031年3月の開通予定だ。しかし、2030札幌冬季五輪(パラ)は、2030年2月の開催ということで、何と新幹線は五輪に間に合わないのだ。1年のタイムラグがある。さらに、新幹線延伸に連動してサツエキ周辺では大規模な再開発が計画されており、それらと五輪開催との整合性がとれていないのではないか。

これを指摘した報道は今までのところないと思う。おそらく札幌市役所内では、五輪招致と新幹線招致や都心再開発の担当セクションが分かれていて、それぞれバラバラに進んでおり総合的な調整がはかられていないのではないかと勘繰る。

さらに、北海道新幹線のトンネル工事によって発生するヒ素などを含む要対策土問題はどうなっているのか。工事を行っている鉄道運輸機構は、来(12)月にもごみ最終処分場である山口処理場に土砂の搬入を始める予定みたいだが、手稲区の周辺住民は納得したのだろうか。そして、他の場所もどうなっているのか。

ちなみに前の東京五輪は1964年10月10日に開幕したが、東海道新幹線はその10日前の10月1日にギリギリで開通している。1998年2月の長野冬季五輪では、前年秋である1997年10月1日に長野まで北陸新幹線が開業した。これまでは五輪開催と新幹線は連動している。この情況からは秋元札幌市長が2030札幌冬季五輪招致を本気で考えていないようにも見える。ファイターズの札幌ドームからの移転は大失政だったが、五輪は仕方がないのかな。

さて、コロナ禍で「国民の命と暮らし」が最大の危機に直面している中で強行された東京2021五輪(パラ)、あれほど一日中報道の洪水だったのに果たして僕らにどれほどの記憶を残したのだろうか。僕は不熱心な視聴者だったこともあり稲葉監督の野球以外はほとんど思い出せない。マラソンの優勝者は誰だったかな。メダリストで覚えている人は?スガ前総理と同様に東京1964、札幌1972のことはよく覚えている。あの頃は高度経済成長時代で人口も増加していて、この国には勢いがあった。1998長野、2021東京と五輪のインパクトは弱くなってきている。要したお金に見合う経済効果はあったのだろうか。残ったのは負の遺産。

今は、それぞれの競技者の持つ属性や国籍という考え方も国によって多様になっており、個別に捉えるべきと思う。そして国家という威信を背負い気負って競技を行ったような過去のやり方はほとんど意味を無くしている。さらに、国民国家単位での開催、すなわち一国での開催という発想は限界に来ている。莫大な開催地経費を担うことのできる国は限られており、そのため同じ国で複数回開催されるようになってきた。僕は、エリア開催に切り替えて多くの国が費用を分担しながら開催できるようにすべきと考える。地球を南北アメリカ、アフリカ、欧州、アジア・オセアニアなどのエリアに分けて、その地域にある多くの国が協力して開催すべきではないか。そうすれば五輪を開催するためには、その地域が真に平和な状態にあることが前提になる。名実ともに真の平和の祭典になるだろう。為政者のために国家の威信を賭け、ナショナリズムを煽ることは害があってもメリットはない。

 

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2030札幌冬季五輪「粉砕」 その1 札幌市民意向調査

2021-11-21 15:24:30 | Weblog

立憲民主党の党首候補の4人に全く魅力を感じない。なぜなら自民党総裁選と比べて権力闘争の臭いがしない。ノホホンとやっている。何かと闘うというギラギラとした闘志が感じられないし、彼らの背後でうごめく力も見えない。この事態は政権獲得を議論する以前の問題だ。究極の選択を敢えてすると、発言が不安定で必ず物議をかもすこと間違いなしの「死に場所を求めている」と言った小川がイチかバチかで化ける可能性があって面白い。

 

2030札幌冬季五輪「粉砕」 その1 札幌市民意向調査 

秋元札幌市長は、以前は札幌市民の意向調査に基づいて招致の可否を判断したいと言っていたが、今回道民全体の意向を伺いたいとその方針を変えた。この意味するところは、開催賛成の比率を上げるためとにらんだ。東京2021五輪(パラ)に当初の計画以上にかかった費用を見ている札幌市民は税負担を真っ先に考えるから反対が多くなると予想したのだろう。だから開催する方向へと誘導するためにアンケート調査方法を変更したのだ。開催地負担のない市町村では、観光などの経済効果のみが見込まれるため賛成が多くなる。姑息な方針変更だ。うがった見方をすれば、すでに招致ありきを決めているのではないか。

秋元市長は、市外の施設や既存施設を活用することで開催経費を縮減する計画を作るという。僕らはこの夏、国民がコロナの蔓延に怯えていた中でボロボロの東京2020五輪(実は東京2021)を見た。そして、最終的な決算が未だ出ていないが、当初計画で示されていた開催費用が課題投資や無駄使いも含めて水膨れし、大赤字になっていることを知っている。今後、どう負担するのかをめぐって国や東京都でケンカが始まる。いずれにしても、国民、都民の税金からの負担だ。札幌市民、道民はこの成り行きを9年後の自分たちのこととしてしっかり見ていかなければならない。そして、札幌市民(道民)意向調査の実施は、この総括がおわってからでなくてはならない。

また、札幌市は、東京2021五輪(パラ)で急に降ってわいたマラソンと競歩の開催にいくら税金を注ぎ込んだのか、先ずはそこから説明すべきであろう。そして、僕らはIOC、JOC、国、五輪組織委員会から頼まれて嫌といえなかった事実を覚えておこう。

さらに、2030年時点でのこの国と札幌市の実力を想像する必要がある。はたして開催能力があるのか。人口(労働力)減少、高齢化で今以上に福祉や医療にコストがかかるであろう。国民生活にシワ寄せしても五輪を優先するべきなのだろうか。おそらく秋元市長は2030年より前には退任しているだろう。意思決定をする立場の人が、その決定に対して責任をとる立場にいないのだ。招致の可否はより若い世代が主体となってすべきであろう。

 

 

 

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2021衆議院議員総選挙から徒然なるままに その2 法定ハガキ 財政規律論 選挙で世の中は変わらない        

2021-11-04 16:13:38 | Weblog

2021衆議院議員総選挙から徒然なるままに その2 法定ハガキ 財政規律論 選挙で世の中は変わらない

続・立憲民主党の惨敗から考える。

選挙に勝ち切る底力とはどういうものなのだろうか。今回の選挙で僕のところに立憲民主党のある候補者から法定ハガキが来た。推薦人欄には同じ党の道議会議員の名前があった。だが、それはなんとスタンプなのだ。ふつう、はがきが何千枚あったとしても道議本人が徹夜してでも手書きで心を込めて書くだろうに。この1枚のハガキから選対の緩みが見えた。案の定、結果は予想通りだった。

僕も選挙に関わったことがあるが、運動員一人ひとりが一つ一つは単調な作業だが手を抜かず一生懸命やって当たり前である。5階建てのアパートへのチラシの投函は、1階の並んだ郵便受けでは無く、各階1軒1軒の玄関に配る。戸別訪問(違法)も気合を込めてお願いしないと熱が伝わらない。本当に小さな行動の積み重ねの先に勝利がある。今回の立憲民主党は、今まで分散していた票が選挙協力をすることによって簡単に上乗せできる(1+1=2)と考えてしまったのだろう。自公の組織力、そこに発揮された執念の凄さを侮ってしまった。

今回は、コロナ禍で特殊だったのだろうが、有権者(国民)にバラマキ政策だけを見せてしまった。今は病気なので精がつく御馳走を並べてさてどれが食べたいか。でも、家計の内実は多額のローンを抱えている。病気が治ったら、一生懸命に返済する必要があるということを語るべきだった。僕は、こんな選挙をやっていたら世の中が壊れてしまうと思う。この間に公表された財務省の矢野事務次官の財政規律論(未読)は今必要な議論の素材であり、その提起に一票だ!

立憲民主党は、政権選択を問うならば目標とする国家像を提起する必要があった。アへは「美しい国、日本」を掲げ自惚れてみせた。司馬遼太郎は勃興する明治の国家イメージを「坂の上の雲」とした。皆でこの坂をかけ昇ってあの雲の上まで行こう。僕の提案は、「ゆっくりと歩くように」、「何かが少しだけ良くなりそうならば」・・今は、カラ元気は不要、少しずつ着実に進もうというものだ。

僕は、人一倍に政治、選挙の動向に関心を持ってきた。しかし、今まで書いてきたことと矛盾するかもしれないが、僕は根本のところで選挙で世の中は変わらないと考えている。理論的な道理は理解していると思っている。この国は法治国家なので、世の中の制度は法に基づいて動いており、その法を定めるのは国権の最高機関である国会であり国会議員である。そして国会議員を選ぶのは主権者たる国民であり、その権利(参政権)を行使する場が選挙で、国民は投票する義務を負っていると。でも、これまで何度か政権交代があったが、選挙で世の中が変わったという実感が持てない。では、世の中を変えるのは何か。署名、デモ、集会・・僕らの主体的な意志の表明手段は多様だが、それらで変えられるだろうか?

 

 

 

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2021衆議院議員総選挙から徒然なるままに その1  芳野連合会長 枝野辞任 小川淳也 

2021-11-02 16:56:56 | Weblog

2021衆議院議員総選挙から徒然なるままに  芳野連合会長 枝野辞任 小川淳也    

 

立憲民主党の惨敗を考える。

連合の芳野新会長は就任早々から「共産の閣外協力はあり得ない」とずいぶんとハッキリと本音を言う方だと思っていた。連合に組織化されている労働者は、大企業や官公労の正規労働者で一定の生活保障を得ている勝ち組と考えると納得できる。既得権を失いたくない、守ることに必死なのだ。組織労働者(連合)の意識はすでに保守だ。悲しいかな困窮者に対する連帯などという考えは微塵もないのだろう。

では、派遣、非正規、失業・・生活困窮者のことを本気で考えている党があったか。実態を掴んでいて実感を持ち合わせて主張していた候補者はどれだけいたか。口先だけの主張はバレバレだった。そう言っている自分の会社員時代を振り返ると、会社の危機に際しては、現有社員の生活を何とか守るため、新規採用の抑制、非正規化、外注化などのコストカットをやったこともあった。そして僕ら世代は定年退職、年金暮らしへ。そのツケが今の世代の情況につながったともいえよう。

 

未だにここまで有権者のあいだに日共アレルギーがあるとは。与党からの日共批判が効いた。寿都の片岡町長がから久しぶりに聞いた肌感覚という言葉。日米安保、自衛隊、天皇制など日共のアイデンティティを棚上げしても、国民には理論的にではなく感覚として受け入れられないものがあるのだろう。その理由のひとつは、党が開かれていない、党内の議論が外部から見えない、もしかしたら議論など無く、党中央の指示による上意下達ではないのか。それは国会議員よりも中央から派遣されている青山道委員会委員長の権限の方が強いことからも推測できる。

かつてかたくなに自主独立路線で結果的に自民党を助けていた日共がなぜ共闘に前向きなのだろうか。僕は党の財政が苦しくなり供託金を節約せざるを得ないのではないかと思っている。機関紙アカハタの購読部数減、高齢化による党員減などによる収入減だ。衆議院小選挙区当り300万円、法定得票数に達しないと没収される。300万円×200人で6億円だ。

今回の結果で、野党共闘に日共を含めるか否かは議論になるだろう。ただ、来夏の参議選の選挙区は中選挙区制だから日共との共闘の是非はとりあえずペンディングできる。(11.3訂正:1人区が32ありました。)

 

枝野代表辞任のニュースが入ってきた。身の処し方としては当然だ。「政権交代」の絶叫は誰しも現実的とは感じていなかったのではないか。これ以上自民党の横暴を許さないために、少しでも野党勢力を増やしてほしい位で良かったと思う。滑ってしまった。後任には、少し発言が危なっかしく希望の党経由だが、「なぜ君は総理大臣になれないのか」(大島新監督)の主人公小川淳也も面白い。

 

 

 

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