晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

五十嵐敬喜 『土地は誰のものか』 その2 明治維新 財産権 治安維持法   

2022-08-26 15:22:44 | Weblog

秋元札幌市長、言葉だけで「クリーンな五輪を!」と言っても、既に誰も信用しない。東京オリ・パラは、アへの「アンダー・コントロール」という噓から始まり、今は利権まみれだったことがはっきりした。次に、何が出てくるのか、関係者で肝を冷やしている輩もいることだろう。それなのに秋元与党の札幌市議会立憲民主党は何故反対しないのか?

 

『土地は誰のものかー人口減少社会の所有と利用』(五十嵐敬喜著 岩波新書 2022年刊) その2 明治維新 財産権 治安維持法          

前回、この国の資本主義社会に10%の亀裂が入っていると書いた。ではなぜ、空き家、不明土地、マンションの廃墟化が生起しているのか。本書は、その理由について明治なって個人の絶対的土地所有権(財産権)が確立したことにあるという。

○明治維新

「廃藩置県」によって、封建的土地所有を解体し、幕府や藩(農民、都市住民の土地も)の所領をいったん天皇に帰属させた(土地の国有化)。

次に「地券制度」において、地券(所有を証明する登記簿のようなもの)を発行し新たな土地所有者を確定した。さらにこの土地には、相続、売買、流質による所有権の移転も認めた。ここに近代的所有権が認められ「財産」を持つ国民が誕生した。これは、これまでのこの国の歴史では無かったことだった。

法律上の位置づけでは、明治憲法(1889(明治22)年)において、第27条第1項「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」で、絶対的所有権を保障した。ただし、第2項「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」で、災害、公共事業、軍事など公の活動に資す場合を例外とした。

さらに、明治民法(1898(明治31)年)でも同様の規定とした。第2次大戦後の昭和民法と比べると、その特徴は、長男がすべての財産を相続する「家督相続」を原則とすることにあった。

明治は、絶対的土地所有権が確立したターニングポイントであったが、相続の観点から見ると、長男がすべての財産を相続するという極めて単純な制度であった。ところが、戦後の民法改正によって、「平等相続」と変わり配偶者や兄弟姉妹で財産が分割されることになり相続関係が複雑化した。これが、現在の空き家、不明土地の発生、マンションの廃墟化の原因なのである。

僕は、この私有財産制度に亀裂が入っている事態から、治安維持法(大正14年)を想起した。第1条は「國体ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス」「前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス」とある。

戦前において思想弾圧に使われたこの法律は、その取り締まりの対象を「私有財産制度の否認」としている。何ということなのだろうか。この国の現状は、誰かが主張を掲げて運動をした結果ではなく、国民一人ひとりの小さな判断の結果なのだ。まさに私有財產が放棄されている。

さらに、もう一つの取り締まりの対象では「國体の變革」、国体すなわち天皇制の否定だ。こちらも反天皇制などを主張した運動の結果ではない。ただ、天皇家に世継ぎが少なくなっている状態、僕が思うには生物学的な節理から避けられない危機を迎えているのだ。

今僕らは、何か非常に危ういところに立っているような気分だ。

 

 

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五十嵐敬喜 『土地は誰のものかー人口減少社会の所有と利用』 その1 空き家 不明土地 マンションの区分所有

2022-08-22 15:05:40 | Weblog

友人が送ってくれた北広島市にある国指定史跡旧島松駅逓所の蓮の花です。

今年は昨年と違ってランニングしている人が多い。来週は北海道マラソンが開催されるが、各種大会も復活してきていて、ランナーがそれぞれの目標に向かって走り込みをしているようだ。僕も今持っている力をやりくりしながらヨレヨレでも精いっぱい走っている。運動は健康貯金!

 

『土地は誰のものかー人口減少社会の所有と利用』(五十嵐敬喜著 岩波新書 2022年刊) その1 空き家 不明土地 マンションの区分所有    

「あそこの土地は誰のもの?」と問われれば、かつてなら「きっと前に住んでいた何々さんのお子さんのものじゃない」と答えたはずだ。それが「さあ、今は誰のものになっているのだろうか」「調べてみないとわからないね」となった。ところが、最近は「法務局まで行って調べたが結局わからなかった」という事案が急増しているという。そこに存在する土地や建物が「誰のものかわからない」時代になっている。

本書によると、全国に空き家は850万戸あり今も増加している。その内訳は、賃貸51%、長期不在41%、空き家率は13.6%ということだ。「近所の●●さんの家、亡くなった後ずっと空き家だね」というのは珍しいことではないというのが実感だ。

また、所有者不明の土地は全国に410万haあり、この国の全面積の10%、九州全体の広さを超えているという。「えっ、そんなに!」と驚いてしまう。

僕らより前の世代は、いつかは自分の家を持ちたいという目標に向かって懸命に働いた。そして手に入れたマイホーム。それが、跡を継ぐ世代に相続されず放置状態になっている。

昔なら、生まれた土地で育ち、家業を継ぎ、3世代が同じ屋根の下で暮らしていたのだろう。だが、時代は変わった。今は親とは別の土地にそれぞれ暮らしの拠点を持ち、親の家や土地を相続する必要が無くなっている。さらに不動産を所有すると固定資産税を払わなければならない。古家を解体するには費用がかかる。田舎では土地も家も需要が無いので売れない。さらに相続、登記の手続きをしなくても罰則はない。放置状態になってしまう理由がたくさんある。

さらにマンションも将来において廃墟になる可能性があるという。現在、マンションには675万世帯が暮らしている。一世帯の平均居住人口2.33人を掛けると1,573万人になり、人口の10%がマンションに住んでいる。

新しかった建物も数十年もすれ必然的に建て替えの必要が生じてくる。ここにあと何年住むことになるのだろうか。今の居住者がそれまで全員が生きているだろうか。それぞれの建て替えに対する考え方、暮らし向き、経済状態が異なる状態で、建て替えに対して全体に合意形成ができるのだろうか。また、共有施設については区分所有という所有方法もあり、さらに問題を複雑化している。

キシダ首相は「新しい資本主義」なる政策?を掲げているが未だに全く中身を説明できていない。僕はそんなのんきなことを言っている場合ではないと考える.

この国の資本主義社会には10%の亀裂が入っており、この亀裂はさらに拡がり遠からず資本主義システムは崩壊すると思う。

周知のように資本主義社会は私有財産制を基礎としている。戦前の治安維持法下においては私有財産を否定する思想に対して厳罰をもって対処した歴史がある。それほど私有財産は社会の根幹中の根幹である。それが、今は国民自らが私有財産を放棄する事態に陥っているのだ。10%の私有財産がすでに持ち主不明状態になっている。はたしてこのままこの国の資本主義体制は維持できるのか。もしできないとすればそれとは別のあり方を描けるのだろうか。

 

 

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鮫島浩 『朝日新聞政治部』 朝日新聞が死んだ SAMEJIMA TIMES 

2022-08-07 13:20:09 | Weblog

時々想うのは、吉本隆明氏が生きていたらどう考えるだろうかということだ。ウクライナの情況については、「独ソ戦」の再現と捉えるのではないか。プーチン自身は旧ソ連を否定しているが、彼はロシアマルクス主義に基づいたスターリニストそのものだ。一方のゼレンスキーは大衆の熱狂によって大統領に成り上がったファシストだ。犠牲になるのは、逃げ惑う民衆と戦場に駆り出された兵士たちだ。だから「即刻止めろ!」と。

 

『朝日新聞政治部』(鮫島浩著 講談社 2022年刊) 朝日新聞が死んだSAMEJIMA TIMES

紀伊國屋書店札幌店では3ヶ所に平積みされていてかなり売れているようだ。朝日新聞のエース記者だった著者の自伝。「吉田調書」報道で責任を取らされ、その後退社。今は、「SAMEJIMA TIMES」というHPを立ち上げ独立メディアとして活動中。

新聞社の内部論理や取材対象への食い込み方など知りえない世界が垣間見える。こうやって情報を入手し、裏を取って活字にしているのかと。そういう意味では興味をもって読めた。

一方、僕は少し違う面から本書を読んでしまった。組織の中で仕事をしてきた人間として、会社員生活の中で当然体験する数々のイベント(節目)、その時抱いた感情などを思い出した。読みながら、浮かんできた言葉をメモする。

権力  部下  後ろ盾  重用  先輩  組織防衛  発言力  異論  反発  責任  リスク  評価  人間関係  人事  派閥  保身  競争  不満  出世  人脈  失脚  秩序  気配り  嫉妬  左遷  学閥  批判  抜擢  昇格  後輩  謝罪  立場  調整  危機管理  メンツ  上司  根回し  改革  手続き  自由  気遣い  異動  降格  保守  同情・・ご機嫌をとる  顔色を伺う  場を取り繕う・・へへへ

こんな世界で生きてきたのだなと。それぞれ個性に富み、尖がって入社してきた若者たちだったが、会社の中で少しずつ「カンナ」をかけられ一枚一枚削られ丸みを帯び組織の使い物になる部品になっていった。随分と変わってしまった自分に気付く。退職後の僕は、あの頃を取り戻そうとしてリハビリ生活を送っているようなものだ。

さて、本書に戻る。鮫島氏から伝わってこなかった言葉や気持ちがある。氏は、自分を鍛えてくれた登用してくれた上司や先輩のことには触れる。だが、同僚性というか仲間意識、また部下を育てるという視点があまり感じられない。氏は、物凄いほどの上昇志向を持っているひとなのではないか。そこから、自分が左遷された「吉田調書」事件を以って「朝日新聞が死んだ」と断じた理由も見えてくる。この論理の飛躍はやはり理解できない。長い会社員生活の中では巡りあわせによって運、不運がある。しかし、一定以上の立場にある者が責任を取る、取らされるというのは当たり前のことではないか。

そして、鮫島氏に問いたい。もし、あの事件が無ければ、あなたは今も自称エース記者として朝日新聞社内を肩で風を切って闊歩していたのか。自分が外されたこと、躓いたことで朝日が死んだと断じていることは、少し自分を買い被っているのではないか。そして今も朝日の中で、何とか真実に迫ろうとして日々汗をかいている社員たちを切り捨てていいのか。

 

 

 

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