晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

「悪人」

2007-12-31 15:51:08 | Weblog
 積雪も少なく、気温も比較的暖かで穏やかな大晦日、1年の締めくくりの日であるが、普段の休日と同じように「晴走雨読」生活。



 『悪人』(吉田修一著 朝日新聞社 2007年刊)

 今年度出版された小説の中で、昨日の日本経済新聞の書評で評価が高かったので直ぐ購入、途中で止められぬ位一気に読んでしまった。☆☆☆☆☆傑作といって良いだろう。

 「格差社会」といわれている今日の社会情況をテーマにした場合、このような小説になるのだろう。一方に、外車を乗り回し、皆からのあこがれの的のような富裕層出身の学生がいる。他方に、働いても働いても生活に追われ、何になれるわけでもなく、何かを実現できるわけでもない多くの若者がいる。

 いずれも、真に心許せる友も無く、大切に思える人も無く、これといった目標の無い毎日の生活が続く、そこにゆきずりの出会い、そして偶発的な事件の発生。

 2007年という時代が良く描かれていると思う。何年か後に読み返すと当時の社会の雰囲気が伝わる小説になると思う。

ある世代より以下の若者達の内面に広がる「刹那」。この社会の地下で蠢く崩壊感。そして、許せないメディアの暴力。



 この絶滅品種主宰のブログに立ち寄っていただきありがとうございます。良いお年を!そして、来年のテーマは、「自ら行動した結果の感動を!」であります。
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「TVウワサの眞相」

2007-12-29 17:25:15 | Weblog
 本日から年末年始休み。突発的なことが発生しない限り会社に行くことはない。普段どおりの「晴走雨読」的な生活をしようと思う。



 天候が悪いので、今日は読書、「TVウワサの眞相」(岡留安則著 七つ森書館 2007年刊)を午後から読破。BS朝日で放送された同名の番組を活字化したもの。

 休刊中の雑誌「噂の真相」元編集長の岡留氏が毎回ゲストを招いて、政治、芸能、ジャーナリズムなどのタブーに挑むという企画。読み通して驚くような事実は特になかったが、河野洋平と田中真紀子がかつて親密だった事は初めて聞いた。

 TV報道が私達の考えに与える影響力は大きいが、それらの情報が大きな制約の中にあるということを改めて感じた。新聞も同様であるが、ニュースの出所の大半が国や市からの官庁情報であること。政権与党批判、大手芸能プロ所属のタレント批判、芸能人が特定宗教の広告塔として活動している事実などは報道のタブーに属する。



 さて、我が家の現在のテレビは画面の大きくない厚型アナログTVであるが、2011年からはデジタルTVしか見れなくなるという。デジタルへの買い替えか、チューナーを付けることが必要。

 もし、お国の言うことを聞かなかったり、経済的理由から聞けなかった場合は、TV情報を得ることができなくなる生活になるということだ。災害が目前にせまっていても悠然とした生活、会社や隣近所、友人と話が噛み合わない生活、野球もサッカーも生しか見れなくなる生活、部屋の中で家族の声だけが聞こえる生活・・が想像される。

 これは、お国による国民への恫喝なのか、それとも半世紀続いてきたテレビの死に繋がるのか。

 情報を得る手段がTVの他にたくさんあることに気付く、時間を楽しむ方法ももっとあることがわかったり、工夫したりするだろう。何となく、新しい世界が広がっていくような気がする。

 やはり、こんなことを強行したら、TV文化が死滅するだろう。

 そもそも、なぜ巨額の費用を投資してデジタル化しないといけなかったのか。なぜ、両方式を続けることが出来ないのか、なぜアナログを止めなければならないのか。この疑問は、ただ私の不勉強からなのか。

 

 

 

 
 
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「精神のリレー」

2007-12-26 20:19:50 | Weblog
 11月8日のここに、「県立神奈川近代文学館」で開催されていた「無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」に立ち寄った事を書いた。

 繰り返しになるが、1976年に「死霊」を20数年ぶりに刊行した時は、丁度私の学生時代にあたり、全国4都市で行なわれた「死霊」全5章刊行記念縦断講演会を聞きに行った記憶が蘇った。当時、その札幌での講演会の講師は、吉本隆明、秋山駿、小川国夫だったと記憶している。
 
 この講演会の模様は、『精神のリレー』として河出書房新社から刊行されていたことがわかったので、早速古本屋サイト(古書 一路)に注文をした。と記した。

 

 『精神のリレー 講演集』(埴谷雄高 島尾敏雄 小川国夫 秋山駿 真継伸彦 小田実著 河出書房新社 1976年刊) この画像は、1997年に刊行された新装版の装丁で、1976年とは趣を変えている。

 札幌での講演会は、1976年5月10日、講師は、吉本隆明「『死霊』について」、小川国夫「宇宙論と現代文学」、秋山駿「理由のない人間」の3人で、司会は内村剛介氏であったことがわかった。

 思想、行動、表現すべてに自由を尊重するノンセクトラディカルの学生たちと共同して集会を開けるところまでこぎつけることができました、と企画した評論家の川西政明氏が記している。



 1976年は大学3年目、その後あと3年も行くなんて当時は知る由も無い。そして、全然何もわかっちゃいないのだが、今から思えば、随分と世の中を舐めていたなと感じる。(わからないのは今も同じだが。)

 3人の語られた内容は、ほとんど理解できなかった、しかし、吉本は多少読んでいたので、彼の話の中身が、彼の著書の内容とどうも違うのではと聞きながら感じていた。講演の後、質問の時間があり、学生のひとりが、そのことを吉本に質した。

 対する吉本の答えがまた振るっていて、今日話したことについて、私は全然そんなことを考えているのではなく、埴谷氏の刊行記念ということで、趣旨に沿った話をしただけのことと。

 吉本という人は、大物なのか、人を食っているのか、舐めたお方と思ったものだ。

 しかし、国家の死滅のイメージとは、政治が町内会の当番のようになる、つまり権力が無くなる状態、というようなこととか、埴谷の思考方法が、現在から未来を見通すのではなく、21世紀、22世紀から現在を逆に透視しているなどの言葉が、30年以上経っても頭の中に残っている。(ただし、「精神のリレー」に吉本の講演は所収されていない。)

 20歳前後は、頭が柔らかかったのでしょう。その頃、思考の土台が作られ、今は情況に合わせてそれなりに演じることもできるようになったと思っているが、人間の中身はあまり変わらないのではないかと感じる。


 

 

 
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コンサドーレ札幌 2007

2007-12-24 16:18:58 | Weblog
 道新ぶんぶんクラブトークショウ 「やった!待ってた!J1昇格 コンサドーレの2007年を語ろう」の一コマです。

 平川弘氏の辛口トークが始めにあり、三浦監督の凄さ、手腕を褒めていましたが、暗に過去3年間の柳下監督のあの時代は何だったのだろうか、と匂わせていました。ずばり来季のコンサの目標は、15位で残留がギリギリとのことです。歯に衣着せぬトークで会場は大いに和みました。

 続いて、石井謙伍、藤田征也、西大伍の3選手が表れ、普通の20歳前後の兄ちゃんの部分と、プロサッカー選手の部分が見えました。この手の現役スポーツ選手を迎えてのトークショウは、彼らが話のプロではないため、盛り上がりに欠けるのが普通ですが、今回の3人は年齢も同じくらいで先輩への遠慮も無く、良かったです。

 中でも、藤田征也選手は、ちょっとモノが違うかも知れません。山瀬、今野クラスの雰囲気が漂っていました。非常に高いところに自分の目標を置いているようでした。他の選手がカラオケへ行っても行かないそうです。石井謙伍選手は、先輩選手に随分いじられているようですが、藤田には誰もそんなことをしないようです。

 西大伍選手は、今季ブラジルに留学しましたが、その感想を聞かれて、日本に生まれて良かったと答えていました。食事や宿舎の環境が劣悪だったようです。ダビ選手などは、そういう所から来ているのでしょう。生活のために必死なのだと思います。

 さて、来季J1で闘うことになりますが、若手3選手は一層努力してポジションを獲得してほしいと思います。補強がどんどん進んで、有力選手が入ってきています。ポジション争いに敗れて、出番が無くなり、J2チームへ移籍では全く昇格の意味がありませんから。

 

 中途半端な連休でした。というのは、何と土曜の夜に会社の忘年会がありました。今年3回目、多分これで終りかな、例年より少なく私としては良かったです。昨日の午前中は、営業がありました。全く年末気分から遠いです。

 雪が路面に残る季節になってしまいました。それで、昨日、今日は、スノーランニングシューズを履いて1時間程のジョグ。スタッドレスタイヤの様に、靴底のゴムが柔らかく雪を掴むので、夏用ランニングシューズより走りやすいです。この靴が出現して4年位ですが、日進月歩で技術は進歩しています。

 

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「東大生はどんな本を読んできたか」

2007-12-21 20:52:33 | Weblog
 『東大生はどんな本を読んできたか 本郷・駒場の読書生活130年』(永嶺重敏著 平凡社新書 2007年刊)

 明治初めから現在までの130年間に東京大学で学んだ学生たちが、どんな本を読み、どのような読書生活を送り、どのような読書文化を築いてきたのか。

 駆け足で歴史をなぞると、明治期は、国家的な超エリートの学生が、漢書をマスターし洋書を原文で読むというレベルの高い読書であった。戦前は、マルクス主義の影響が強く、読書会やセツルメント活動など読書に「共同性」が存在していた。

 戦後の特徴は、東大生は一般社会と異なる読書文化を形成していて、それは「岩波書店」という一出版社の影響力を受けた読書文化であった。



 本書の後半は、「読書」という切り口からの戦後史であるが、ここでも、『「感動」禁止!』と同様に、1970年がひとつの画期と言える。

 1970年を境として、学生の読書は、マルクス主義古典から同時代の新しい文学や左翼文献に変わり、読書の「共同性」も衰退した。丁度時を同じくして、学生服も姿を消す。月刊の総合雑誌文化からマンが・週刊誌への転換期でもあった。

 大学進学率は、1960年10%、1970年19%、1975年32%に急上昇、学生の存在が少数の社会的エリートから大衆的存在になる。
 私は、1954年生まれで1974年に進学している。著者の永嶺氏は、1955年生まれ、『「感動」禁止!』の著者の八柏氏は、1953年生まれで、1970年後に学生時代を送っており、戦後史の捉え方に共通なものを感じる。

 その後は、コミック、情報誌の隆盛であり、インターネットの普及と読書習慣の喪失、「教養」の解体と、「情報」への移行であった。
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『「感動」禁止!』

2007-12-20 20:59:14 | Weblog
 『「感動」禁止!―「涙」を消費する人びと』(八柏龍紀著 KKベストセラーズベスト新書 2006年刊)

 著者は、最近人びとが発する「感動をありがとう!」「勇気をもらいました!」などの言葉に違和感を持つという。私も「勇気をもらった」「元気をもらった」と書いた記憶がある。

 本書は、「感動」を切り口にした戦後史である。著者は、1970年を画期として、感動が変質したことを分析する。全共闘運動などを例に、1970年までは、感動に主体性や共同性が内在していたが、それ以後は、全て「商品化」され、「消費」の対象になってしまった。

 私が、先日、コンサドーレ札幌のJ1昇格で味わった歓喜とその後の虚脱感を著者が見事に言い表している。

 メディアからの情報を消費する文脈で、以下P126より引用、『人びとは、そこに「参加する者」ではなく、「観客」として存在するだけである。それは、人びとがつねに情報から疎外関係におかれていることを意味する。観客でしかない人びとは、同時に客観的であることを強制されているのだ。結局、観客である人びとは、情報を見終わったあと、興奮で少しは眠りの時間を妨げられるものの、しばらくすれば眠りに入るか、忘れてしまう。「観客」の位置は、しょせんそんなものである。』

 そこには、共通の理念や価値を媒介にする連帯感がない。時が経てば、それぞれの日常に戻ってしまう。

 また、先日私は、「健康」などに対する不安に乗ずる人々を批判したが、これを解くヒントも著者が示している。

 以下P176より引用『多くの人びとは、悲しみや痛苦から逃れたいと思っている。したがって、資本はそうした人びとの内在化している希望をも商品化する。そうした結果、豊かな商品=モノに囲まれて、そのなかで人との関わりを排除して生活することは、人びとから不安や痛苦などを遠ざけ、また安楽をもたらす。だが、それとともに、不可視な差別や差異化を持ち込むことにもなり、不安や痛苦、不可視なものへの想像力を萎えさせることにもなってしまうのだ。』

 著者は、最後にこう結ぶ。『感動は自己自身が感じられる主体的な感情だし、勇気もやっぱり自分の内面からわきだしてくるものではないかと思う。』

 映画やスポーツの感動は、それはそれとして、2008年は、自分で主体的に行動して、喜び、怒って、哀しみ、楽しみましょう。心から「感動」し、本当の「涙」を流しましょう。

 著者の八柏龍紀氏は、1953年秋田県生まれ、予備校の教師をしながら1999年に情況出版から、歴史を中・高校生にもわかりやすく、興味深く、しかもしっかりとした歴史認識を持った『戦後史を歩く』という良書を出している。
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社会情勢の不安に伴い・・

2007-12-16 15:11:03 | Weblog
 金曜日の夜は、忘年会、しかしJRのトラブルに巻き込まれ随分と難儀して帰宅。
 昨日は、朝から1日中営業、しかし成果が見えず、トホホ・・ 



 あるショッピングセンターの壁にあった掲示です。数秒間立ち止まってしまいました。読み返すうちに、色々なことが頭に浮かびました。

 「社会情勢の不安に伴い・・・」
この切り出しで、来店者へ訴えかける社会とは何なのでしょうか。

 BOOK MARKにありますRetriever Legend’s blogに時々コメントしています。
 http://pub.ne.jp/dogyamat/?entry_id=1087491

 晴走雨読のコメント(2007.12.13)
 自分の非を絶対認めない人、自分の考えが絶対正しいと主張する人、他人の考えに耳を貸さない人・・には、そのことに対する多少の自覚症状を持っているのだなと感じる時があります。

 しかし、私は、「交通安全」のように、誰も否定しようの無いスローガンを掲げて、運動をしている輩、こちらの方に怖さを感じます。ましてや、交通安全運動で事故減少の効果はあるのでしょうか。

 「健康」「平和」「まちの美化」「環境保護」「人権擁護」「活性化」・・誰も反対できません。



 「社会情勢の不安に伴い・・・」から、いくつか感じたことがあります。
人々の不安に乗じる輩、不安を煽動し事を進めようとする怖さです。

 誰しも「健康」であることを希望していますが、病気やハンディとともに生きることはそれ程ネガティブなことでしょうか。健康不安に乗じて、どれほどの商品が売り込まれているのでしょうか。この社会(資本主義的生産様式)は、個人の健康までも商品化しています。

 健康ブームの逆説は大変怖い世の中になります。「健全な肉体には健全な精神が宿る」の逆説を浮かべて下さい。ここから、差別や排除の論理が生まれます。
現在は無意味な健康志向と言ってもいいでしょう。

 犯罪も怖いものです。例えば、あなたの子どもが学校への生き帰りに犯罪に遭うかも知れませんと言われれば、誰しも、我が子の「安全」のため、見守りや送迎、監視や取締りを求めます。そこには人間不信の増幅と個性をもつ人に対する排除、監視国家への道が待っています。

 最近の犯罪報道のパターンは、メディアが捜査のお先棒を担ぎ、先入観で犯人と決め付けるようなこともあります。先日の隣家で祖母と孫が殺された事件では、父がその風貌ゆえ疑われるような報道でした。

 国際社会の中で、隣国と協調が出来ないため、今にもミサイルが飛んで来るような危機を煽り、「平和」を守るため防衛費を増額してきたが、その裏は、接待付けと利権が蠢く社会であったことが次々明らかになってきました。

 この国の地底深くで何かが進んでいます。私のこのコメントは、不安を煽る意図ではなく、変革への希望です。
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「マラソンを走る・見る・学ぶ Q&A100」

2007-12-13 21:02:56 | Weblog
 イートイン第2弾、札幌東急百貨店地下1階「ラバン・スタイル」で、牡蠣フライ。この店は、市内の何人かのレストランのシェフが共同で開店、美味しければ是非レストランの方へという狙いが。

 トレイが安っぽいけれど、美味い牡蠣フライでした。付け合せのしめ鯖も取り合わせとしては合っていないと思いましたが、美味でした。

 でも、市内のデパ地下、意外とイートインは少ないのでは。丸井今井、三越にはありませんでした。



 『マラソンを走る・見る・学ぶ Q&A100』(山地啓司著 大修館書店 2007年刊)

 題名のとおりマラソンを走る人にも、見る人にも、学ぶ人にも、面白く書かれている。マラソンの、起源、男子・女子・車椅子の歴史、知っているようで知らなかったことが。

 日本にマラソンが伝わったのが、明治期でちょうど富国強兵策を採っていた当時の気分とピッタリ。マラソンの持つイメージ「頑張る」「努力する」は、今でも通用するこの国の好まれる言葉。

 見るのが好きなスポーツ、第1位プロ野球に次ぐ、第2位がマラソンだそうだ。第3位は、駅伝、高校野球、第5位プロサッカー、第6位大相撲。

 マラソンの科学も年々進歩していて、トレーニング方法、マラソン体型、コンディションづくりの方法と徐々に実践者向きな内容に。

 マラソンマニアの雑誌月刊「ランナーズ」などでは、断片的な知識が紹介されるが、この本はそれらが整理されて体系的に学べる。マラソンの入門編、中級編としては、お薦めの本です。
 
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「作家的時評集 2000~2007」 その3

2007-12-11 19:49:22 | Weblog
 ランニングで体が冷えてしまった後のコーヒー、珈琲茶寮「珈楽庵」(こーひーさりょう、からくあん)で、珈琲とホットサンド。調べたら、ここはイタリア料理のクッチーナと同じイーストンの経営。参考までに、珈琲550円、ホットサンド200円。




「作家的時評集 2000~2007」(高村薫著)最終回

 2002年の主な出来事、5月末日韓共催サッカー・ワールドカップ開幕、9月小泉首相訪朝し、金正日と会談
 この年について、高村の関心、地方の価値、現代人の時間感覚、民主党代表選挙など



 2003年の主な出来事、3月イラク戦争開戦、9月阪神タイガース18年ぶりセリーグ優勝
 この年について、高村の関心、イラク戦争をめぐる小泉の言説、阪神優勝、再び、小泉政治など



 2004年の主な出来事、2月陸上自衛隊イラク派遣、6月年金制度改革関連法成立、7月参議院選挙で自民党改選議席を下回る、8月アテネオリンピック、9月宅間死刑囚死刑執行、11月パリーグ新球団に楽天
 この年について、高村の関心、イラク派兵、超高層建築物、年金改革法、選挙に行こう、○言葉と闘う物書き、死刑制度、老い、情報と欲望と犯罪など



 2005年の主な出来事、4月個人情報保護法施行、ペイオフ解禁、JR福知山線事故、9月衆議院選挙で自民党圧勝、11月耐震強度偽装が発覚
 この年について、高村の関心、メディアの呪縛、言論の退潮、家族、公共の喪失、戦争の変質、小泉政治、選挙に行こう、再び小泉改革など



 2006年の主な出来事、1月宮崎勤に死刑判決、9月麻原彰晃死刑確定、安倍首相誕生、民主党代表に小沢、小林薫に死刑判決、12月「国を愛する態度」を目標にした改正教育基本法成立
 この年について、高村の関心、言葉、死刑、天皇制、再び言葉、関西経済、小泉改革の5年、同和問題、教育基本法改正、サミット誘致、格差社会、地方の格差、○同世代としての安倍首相、再び死刑判決、高校など



 2007年の主な出来事、1月そのまんま東宮崎県知事に、5月国民投票法成立、7月参議院選挙で民主党第1党に、9月安倍辞任まで
 この年の半ばまでについて、高村の関心、学力、震災、原子力、安倍政権、憲法改定、政治の言葉、自民党大敗、エネルギーと欲望、団塊世代、政治の劣化など

 ○印の時評は比較的良質。



 今に近づくほど、事の本質が見えにくいものだ。目の前で繰り広げられる現象を追うのに精一杯で、そのことの意味や変化への兆しなど感じることが出来るのは、少し機が熟してからだ。

 それでも、毎日毎日、一刻一秒、時は進み、その流れの中で人は生きている。記憶とは、起こった事象に対して公平ではなく、改めて時評などを読めば、自分に都合の良い出来事ばかりの歴史が頭の中にできあがっていることに気付く。

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人権擁護団体

2007-12-09 17:36:17 | Weblog
 久々に白石サイクリングロード20km長距離ラン、気温1℃でも汗が吹き出る。走り込み不足のため、恥ずかしながら途中から左足の裏に水豆が発生して痛い。



 人権擁護団体による子どもを対象とした人権セミナーに参加した。いくつかの寸劇を行い、1話ごとに司会の人が、子どもに質問をし、内容の解説をした。



 子どもには、自由に意見を述べる権利があるのだから、家庭も含めて大人と子どもはしっかり話し合おう。
 どんな人もみんな同じだから、男のくせにとか、女だからと言ってはいけない。
 障害のある子どもも社会の中で自由に生活する権利があるから、平等で差別してはいけない。
 全ての人はすこやかに生活を送る権利があるのだから、お年寄りや弱い人にやさしくすること。

 以下は、対立した考えが含む。
 子どもにもプライバシーがあるから、親だからと言って、日記を読むなどしてはいけない。しかし、親には子どもの発達に合わせて、子どもを育てる責任がある。
 子どもにも信教の自由があるから、その家の宗教と違う宗教に入ってもかまわない。
 みんなにいじめられたので、ガマンできずに相手をたたいた。しかし、暴力は絶対にだめだ。



 小学生、中学生の子どもたちが、司会の質問に答えていた。小学校低学年は無邪気におそらく自分の思っているとおりのことを答えていたのであろう。中学生になると、複雑になり、自分の考えと相手に期待される考えを使い分ける位のことはやっていたのだろう。



 さて、現実の社会は果たしてどうなのだろう。学校は、成績で常にふるいけを強いられ、部活でもレギュラーと補欠、平等について子どもたちはどのように思っているのだろうか。

 テレビでは、お笑いタレントが、外見を捉えて大笑いをし、ワイドショウはプライバシーを暴き立てる。社会に性差別は依然としてあり、我が内なる性差別もある。



 人権擁護団体を敵視している運動もある。人権団体は、正しいことを言っているに違いないが、もう少し現実と向き合い、子どもにも現実社会を見る目を養うような視点で語りかけた方が良いのではないかと思った。彼らの主張だけでは、ひ弱な子どもが育ってしまう。

 日本国憲法で、獲得された「基本的人権」の重要性について、改めて考えてみたい。

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「いくつになってもハッピーバースデイ」

2007-12-07 20:38:33 | Weblog
拓郎の曲から~

 何回目かの記念日が
 今年も明日またやってくる
 もう一つ年を重ねるわけだね
 祝ってなんかくれるなよ

 20才の頃ならそいつもいいだろう
 仲間を集めて飲んで踊って
 世の中を変えてやるんだと
 力一杯右手をさし上げる

 53年前の今日は、吉田茂内閣が総辞職した日だそうだ。そういえば、富士ゼロックスで生まれた日の新聞をコピーしてくれるサービスがあったのだが、あれはどこへいってしまったのだろう。

 さて、肉体的なカーブを振り返ると、30歳代半ばに体力の低下の自覚があり、その後走ることが日常になった40歳代前半までは、上昇カーブ、そして48歳位から昨年位まで、再びの低下の自覚、現在は希望的にはフラットな状態ではないかと。それで、これからはどうすれば維持することができるのかを模索しなければならないのでしょう。

 精神的には、人間はあまり成長しないものなのでしょう。若い頃、身近にいた50歳代の方は、すごく大人に感じた、というより、年寄り臭く感じたものだ。しかし、いざ自分がその年になると、俗物であり、気持ちだけは余り変わっていないような気がする。

 今70歳代、80歳代の方もそれほど違わないのであろうか。それとも、突然に老化が訪れる時があり、変わってしまうのであろうか。

 物事の現象形態のとらわれることなく、重要なのは本質でsる。
 
 
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「作家的時評集 2000―2007」 その2

2007-12-04 20:57:18 | Weblog
 2001年の主な出来事、2月ハワイ沖で宇和島水産高校の愛媛丸が米原潜と衝突、4月小泉首相誕生、外相に田中真紀子、7月参議選で自民党圧勝、9月米同時多発テロ、10月米アフガニスタン空爆、12月さる高貴なご一家にお孫さんが誕生、先週6歳になる。

 高村は、この国に異議を唱える。有効な災害対策を、無知と無関心、感情を無くした日本人に、ひどいの次の一言がないことに、小泉の空虚な語法に怒りをぶつける。

 私は、概ね高村の怒りに賛同するが、高村の言説の所々に違和を感じる。それは、一言で言うと、高村が気分でしか語っていないからだ。「大きな物語」を避けているからだ。現状は「ひどい」、それで「こうするのだ」という「次の一歩」が無いのは、高村の方ではないか。

 違和の例として2001年の時評からだけでも、東京都の防災訓練での自衛隊のパレードを批判しながら、「いざというときは自衛隊の出動が大切ということは痛感しています。」と語る。
全共闘運動の大学の権威主義への反対には共感したが、「マルクス主義的実存などの理念になると、市井のわたくしたち一般市民の意識とは感情の次元で大きくずれていたのだろう。」
「私は航空機が突っ込むより、地球の温暖化のほうがよっぽど怖いと思う」

 1999年末は、新ミレニアムにあたって記念行事があったり、コンピューター2000年問題対策で会社は大忙しだったが、結果的には何事も起こらず2000年が明けた。それに比べ、新世紀となる2001年の始まりは誠に静かであったことを思い出す。
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「作家的時評集」高村薫 その1

2007-12-03 20:57:31 | Weblog
 「作家的時評集 2000―2007」(高村薫著 朝日文庫 2007年刊)

 論壇時評に代表されるようなその時代に対する発言集を読むのは楽しい。
時間の流れを振り返ることができる、その時自分はどのような事に直面し、どのようなことを考え、何をしていたのかなどと。

 作家高村薫は、北海道新聞に毎月「時評社会」というコラムを持っていて、いつもパンチの効いた短文を寄せている。今までに高村の作品としては、「レディ・ジョーカー」を読んだが、それはグリコ森永事件を題材にしていたかと思うが、ストーリーが骨太であると同時に緻密で、サスペンスとしては非常に面白かった。少し描写が詳しすぎて、長すぎるのが欠点だが。

 「作家的時評集」は、この8年間、高村が新聞などに寄せたコラムをまとめたもの。

 2000年の主な出来事、4月小渕首相が急死、森政権に。2月大阪府知事に太田房江が初当選、全国初の女性知事。その太田氏、本日3選不出馬声明。国会で党首討論が始まったのもこの年の2月。6月金大中、金正日会談、7月そごう倒産、9月シドニー五輪、10月田中康夫が長野県知事に、大晦日に世田谷一家殺人事件(未解決)

 高村は嘆く、新年の祝いとともに記憶の全てを流してしまうこの国の国民性を、「嘘」だらけの警察、行政、食品や薬品メーカー、モラルを失った警察、公務員、教育者、そして、選挙に行かない国民、インターネットに代表される匿名社会の危うさを。
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イートイン

2007-12-02 20:24:28 | Weblog
 先週は、夜の営業が続きました。昨日は、コンサの応援で疲れがドッと。疲れを取るため、1時間ほどのラン、しかし今朝は、空気が完全に冬仕様、国道の温度計は1℃を示していました。毛糸の帽子と手袋は必需品です。

 「イートイン」という言葉を覚えました。札幌東急デパート地下1階フードショウ内日本料理「花城」(はなぎ)で、お弁当。

 専門店ぽい店で、値段の割りに美味いものが食べることができました。昼食をどこで食べるかあちらこちらを探すより、デパートです。店内が狭く、通りがかりの人が見ることを除けば、まずまずです。

 そこで、当面のマイブームは、これまでの「ロールケーキ」から「イートイン」に変更です。

 とりあえず、この件について、うんちくや哲学はありません。

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コンサドーレ札幌 悲願のJ1昇格達成

2007-12-01 20:04:26 | Weblog
 本日の人文字は「ONE&ONLY」です。



札幌ドームより帰還、見事な逆転勝ちで、J1昇格、おまけに東京が引き分けたために、J2優勝。東京、京都が先攻する中、水戸に先取点を取られたときはかなり悲観的になりました。5日の入れ替え戦かな、広島は強いぞ。J2に残留したら、今年のようなことはしばらくないだろう。またJ2暮らしが長くなるだろうなと。

 FWダビの同点ゴールで、元気が戻りましたが、同点で後半戦が進むに従って、きっと悪夢のロスタイムになってしまうだろうなどと悪いことばかり想像していました。しかし、終了間際、ダビのゴール、皆飛び上がって喜びました。これは、勝ったぞと。試合終了のホイッスル、興奮、涙が出てきました。ヤッター。

 5年間のJ2、最下位もありました。経営不振で資金力も底をついています。スポンサーや選手、役員の不祥事も何回もありました。昇格のMVPは、三浦監督だと思います。三浦氏は、現実主義者であった、合理主義者です。常に、客観的に戦力を分析し、選手の起用を含め、勝つために確率の高い選択をしました。

 

興奮状態も落ち着き、今、冷静になって考えています。

 確かに時間は動いていたのです。5年間が過ぎ去ったのです。サッカーの試合毎に一喜一憂しながら、日々の元気ももらいました。それが、何だったのでしょうか。自分で試合に出たわけではないのです。ただ、観戦しただけのことです。コンサが勝とうが負けようが、何の関係があるのでしょうか。社会の何が変わるというのでしょうか。たかが、エンターテイメントです。

 その間の自分とは何だったのでしょうか。最大の時間と持っている能力を使う会社では、課題解決に一生懸命取り組みました。家族も子どもを一人前にしようと努力しました。友人・知人とかけがえのない良い時間も過ごしました。体力が低下する中、マラソンも一生懸命走りました。これらは、自分で考え、自分の力を出し、自分の思ったとおりに進めようとできることでした。

 その間、社会も動きました。国内、国外で様々なことが起こりました。時代が生み出す言説もたくさん生まれています。それらと自分は直接的な連関の中で生きているのでしょうか。それとも、全く関わりの無いことなのでしょうか。

 歴史に何も残すことも無く、市井で平凡な生活を営む私達が、時代と共に歩むとは、コンサと共に闘うとは、一体どういいことなのだろうか。


 
 ♪♪私は今日まで生きてきました、そして今、私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと。
コメント (2)
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