『炎上 1974年富士・史上最大のレース事故』(中部博著 文藝春秋 2012年刊)
1974.6.2「富士グランチャンピオン・シリーズ第2戦 富士300キロ・レース」第2ヒートのスタート直後の多重クラッシュ事故で、4台が炎上、風戸裕、鈴木誠一が亡くなった。私の当時の記憶は鮮明である。本書で新たな事実の発見や関係者の証言があるのだろうかと期待して読んだが、それはスカ。
今でもたまにF-1位はテレビで見るが、中学、高校とレースファン(カーキチというやつ)だったなあと改めて思う。道内のサーキットでも観戦した。白老町竹浦に北海道スピードウェイ(HISCO)が開設されたのは1970年、高校生の頃釧路からの夜行列車に乗って見に行ったものだ。グラチャンマシンのレースだったと思う。1973年に閉鎖。倶知安の北海道スピードパーク(HSP)は、1985年開設、2011年に閉鎖。排気量の小さなツーリングカーを見た。本場の富士グラチャンにも行った。
当たり前のことだが、人の興味、関心というのは変わる。芝居も一時はまっていたが、最近はさっぱり。自分の中で他に事に比重が移ると自然に遠ざかることもある。不易流行?変わること、変わらないこと、変わることは、悪いことでは無いと思う。「転向」が悪という考え方に対しては、国のために殉じよというのと同種の権力性を覚える。
その頃を思い出した。1973年、浪人、石油ショック、寒くて灯油を売ってくれる石油スタンドを探し回った。トイレットペーパーは五番館から。1974年、大学1年目、高度経済成長が消え去り、暗く耐える時代が始まったとは全然感じていなかった。