来年の年賀状に、「コロナの終息を願うばかりです。」と「ひっそりとした日常に浸っているのも悪くありません。」を相手に合わせ使い分けて書きました。2020には、「無業者になって3年目、晴走雨読しています。」と「今まで知らなかったことを知ることは喜びです。」としました。会社の先輩から、「新聞、テレビに文句ばかり言っています。」、「終活を始めました。」とあったのが印象に残っています。
『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)④ 「国家を考える」ノオト その6
『第3章 動物原性感染症(*ヒト以外の宿主を起源とする)―病理学のパーフェクトストーム』(P89~P108)に入る。
(P89)「苦役とその歴史」で著者は、なぜ人びとは、4,000年という時間もかかって農業社会へと移行していったのかと問う。
(通説)タンパク源である大型の猟獣が乱獲によって減ったため、多くの労働を必要とするが農耕資源を活用せざるを得なくなった。
(著者)農業は、狩猟採集生活と比べて大変な重労働で手間もかかった。人びとに栄養面でプラスをもたらしたわけではなかった。彼らの食餌は、狩猟採集民に比べて相対的に種類が少なく貧しかった。初期の農民の骨格を狩猟採集民と比較すると、後者の方が平均で5センチも背が高かった。農民たちが厳しい健康状態にあったことがわかる。
そして、飼い馴らし(domestication)とともに人びとが新たに直面した危機は何だったのか。それは、定住によって、人びと、家畜、作物、さらに寄生虫の密集からくる感染症だった。必須栄養素が不足していて伝染病への抵抗力も弱かった。時には、人口密集地を放棄することもあったが、その理由は病気だった。
(P106)「多産と人口に関する注釈」で著者は、しかしながらなぜ結果的にこの新しい形態の農耕生活が生き残りかつ発展したのかと問う。
(著者)定住しない人びとは意図的に繁殖力を制限していた。定期的に野営地を移動するには、子ども2人を同時に抱えて運ぶのはかなりな負担であったからである。これに対して、定住農民は、子どもを育てる負担が軽く、子どもは農作業の労働力としても価値があったからである。定住農民の繁殖率はその死亡率の高さを補って余りあるほどが高かったのだ。
(*僕)現在、僕らは人類として新型コロナウィルスと闘っているが、人類と感染症の闘いは定住からだったのだ。定住生活により、人類と作物と家畜と寄生虫などが「密」に接するようになり感染症のリスクが高まったのだ。その後の人類史は病気との闘いの連続であり、南米のように一つの文明がほぼ壊滅状態に陥ったこともある。まさに、西暦2020の今、僕らはヒトであること、人類であることを実感することができる。