晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』 ④ 「国家を考える」ノオト その6 動物原性感染症 

2020-12-26 15:31:50 | Weblog

来年の年賀状に、「コロナの終息を願うばかりです。」と「ひっそりとした日常に浸っているのも悪くありません。」を相手に合わせ使い分けて書きました。2020には、「無業者になって3年目、晴走雨読しています。」と「今まで知らなかったことを知ることは喜びです。」としました。会社の先輩から、「新聞、テレビに文句ばかり言っています。」、「終活を始めました。」とあったのが印象に残っています。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)④ 「国家を考える」ノオト その6

『第3章 動物原性感染症(*ヒト以外の宿主を起源とする)―病理学のパーフェクトストーム』(P89~P108)に入る。

(P89)「苦役とその歴史」で著者は、なぜ人びとは、4,000年という時間もかかって農業社会へと移行していったのかと問う。

(通説)タンパク源である大型の猟獣が乱獲によって減ったため、多くの労働を必要とするが農耕資源を活用せざるを得なくなった。

(著者)農業は、狩猟採集生活と比べて大変な重労働で手間もかかった。人びとに栄養面でプラスをもたらしたわけではなかった。彼らの食餌は、狩猟採集民に比べて相対的に種類が少なく貧しかった。初期の農民の骨格を狩猟採集民と比較すると、後者の方が平均で5センチも背が高かった。農民たちが厳しい健康状態にあったことがわかる。

そして、飼い馴らし(domestication)とともに人びとが新たに直面した危機は何だったのか。それは、定住によって、人びと、家畜、作物、さらに寄生虫の密集からくる感染症だった。必須栄養素が不足していて伝染病への抵抗力も弱かった。時には、人口密集地を放棄することもあったが、その理由は病気だった。

(P106)「多産と人口に関する注釈」で著者は、しかしながらなぜ結果的にこの新しい形態の農耕生活が生き残りかつ発展したのかと問う。

(著者)定住しない人びとは意図的に繁殖力を制限していた。定期的に野営地を移動するには、子ども2人を同時に抱えて運ぶのはかなりな負担であったからである。これに対して、定住農民は、子どもを育てる負担が軽く、子どもは農作業の労働力としても価値があったからである。定住農民の繁殖率はその死亡率の高さを補って余りあるほどが高かったのだ。

(*僕)現在、僕らは人類として新型コロナウィルスと闘っているが、人類と感染症の闘いは定住からだったのだ。定住生活により、人類と作物と家畜と寄生虫などが「密」に接するようになり感染症のリスクが高まったのだ。その後の人類史は病気との闘いの連続であり、南米のように一つの文明がほぼ壊滅状態に陥ったこともある。まさに、西暦2020の今、僕らはヒトであること、人類であることを実感することができる。

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ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』 ③ 「国家を考える」ノオト その5 火 植物 動物  

2020-12-15 13:58:40 | Weblog

辺見庸氏がスガ首相を公安顔、特高顔と評したようだが、僕には「死に神」に見える。顔にはその人の歴史が刻まれるというが、自分ではどうしようもないところもあり、少々気の毒な感じもする。しかし、一国を代表する顔としては福が全く感じられず貧相だ。選挙が近づきガースー!自民党総裁のポスターが街中に貼られる風景に国民はどう反応するだろうか。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)③ 「国家を考える」ノオト その5    

歴史の推移が、「狩猟採集社会→農耕社会」という不可逆反応ではなく、「狩猟採集社会⇔農耕社会」となる可逆反応、平衡反応であったことがわかってくる。

『第1章 火と植物と動物と・・・そしてわたしたちの飼い馴らし』(P35~P63)の続き。

飼い馴らし(作物化される穀物・家畜化される動物)の開始から、農耕―牧畜社会の出現までの4,000年、その(P54)「ギャップに注目する」。

(通説)ひとたび作物化・家畜化が始まると、自動的かつ急速に農耕社会に移行する。

(著者)採集できる野生の食物がふんだんにあり、狩りができている間は、わざわざ労働集約的な農耕や家畜の飼育に大きく依存する必要は無かった。農耕という単一の技術や食料源に特化することを避ける方が、自分たちの安全と相対的な豊かさを保障できたのだ。狩猟採集と農耕は、行きつ戻りつ4,000年ほど続いた。

 

それでは(P59)「そもそもなぜ植えるのか」という疑問について。

(通説)「食料貯蔵仮説」といわれており、穀物は収穫して脱穀したら何年も貯蔵ができ、野生の資源が不足した場合に対する保険になるという理論である。

(著者)しかし事実は反対だった。狩猟採集民の移動性と食料資源の多様性は、自然の中の生きた貯蔵エリアを活用していたのだ。しかし、定住することによって動きが制限されると食料の安定性は逆に低下してしまった。さらに、農耕・牧畜(domestication)生活は、狩猟採集生活と比べると、植え付け、雑草取り、収穫、脱穀、製粉といったサイクルに縛られ、家畜の世話も毎日しなければならなく、重労働で健康にも悪く、何らかの強制がなければ、自ら進んで狩猟採集や遊牧を捨てる者などはいなかった。

(通説)農耕民は畑を準備する段階から収穫までの見通しを持って労働するが(遅延リターン)が、狩猟採集民は先の見通しを持たず衝動的に行動する野生生物(即時リターン)と同じだ。

(著者)いや違う。魚類や鳥類などの捕獲では、道具や罠などの技術、果実などの採集では幅広い知識や知恵が必要であり、農耕・牧畜よりも高度な事前準備や協働を行っていた。

 

次に、『第2章 世界の景観形成―ドムス複合体』(P65~P87)では、飼い馴らし(domestication)の意味が述べられる。

(著者)人間と動植物が定住地に集まることで新しい人工的な環境が生まれた。そこにダーウィン的な選択圧が働き新しい適応(進化)、すなわち動植物の遺伝子構造と形態の変化が進んだ。しかし、野生の動植物の飼い馴らしは、人間が自然界のへの注意力とそれに関する実践的知識を縮小させたこと、食餌の多様性が乏しくなったこと、活動空間が小さくなったこと、儀式生活の幅が狭まったことなどを意味している。

(*僕)思いこみを持っていた。狩猟採集民よりも農耕民の生活の方が高度だ。同様の見方で、現代社会において就業者が、第1次産業(農林水産業)から第2次産業(鉱工業、そして第3次産業(サービス業)へと推移していくことが、あたかも産業構造が高度し進歩に繋がっているとの考えである。本書はこういう通説を根底から覆す力を持っている。社会の形態を考える時、人間にとってどのような働き方が望ましいのか、そこでは知恵と知識がフルに使われているのか、その実態をもっと掘り下げる必要があると考える。

 

 

 

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ジェームズ・C・スコット 『反穀物の人類史』② 「国家を考える」ノオト その4 domestication 

2020-12-08 14:00:04 | Weblog

秋には遠くシベリヤから海を超えてきた渡り鳥たちが群れをなして南の方へ飛んでいく姿を見ることができ、また鳴き声も聞こえることがある。空から下界を見ている彼らにはここはロシアとか、ここからが日本とかという境目なんてないのだろう。

♬この大空に翼を広げ 

飛んでいきたいよ 

悲しみのない自由な空へ 

翼はためかせ 行きたい🎵

普段に何気なく聴いていた唄の歌詞の意味が突然理解できた。そうだ。僕らも鳥になればいいのだ。国や民族、宗教などの壁を取り払って考えてみると随分と違う解決の道が見えてくるだろう。

 

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)② 「国家を考える」ノオト その4    

どのようにして国家が誕生したのだろうか、通説と著者の主張を対比しながら解き明かしたい。

『第1章 火と植物と動物と・・・そしてわたしたちの飼い馴らし』(P35~P63)

飼い馴らし(domestication)とは、火の道具化、植物の作物化(栽培)、動物の家畜化(牧畜)のこと。

火を使うことで人類が消化できる食物の範囲は飛躍的に広がった。

(通説)穀物の作物化は、永続的な定住生活(農業国家らしきもの)が出現する基本的な前提条件である。栽培するために定住が始まり、それが国家の起源につながる。

(著者)定住すること自体は、穀物の作物化や動物の家畜化よりも4,000年も前からあった。ここに時間的には大きなギャップがある。

(通説)定住は乾燥地から始まり、そのため農業用水を確保する灌漑事業が必要となった。灌漑を行うためには、多くの労働力を集めてそれを統制できる公的権威が必要だった。すなわち灌漑は国家の誕生を促した。

(著者)定住は農業が始まるよりずっと前から湿地帯において始まっており、そこでは自生植物や海洋資源などの豊饒な産物が採集でき、多様な食物を基礎とした安定で豊かな生活が可能であった。そのためあえて農業に移行する動機がなく、国家のような政治的権威は必要がなかった。

では、以上のことが(P51)「なぜ無視されてきたのか」。

(通説)湿地帯での狩猟採集生活は、国家を必要としなかったが、たとえ国家があったとしても、その権力は人々がどこで何を生産しているのか把握することは難しかった。また、生産物を保存、運搬して貢納させることも困難であった。従って、湿地帯での定住生活は国家にとって統治不能なものであった。

(著者)主要穀物(小麦、大麦、米、トウモロコシ)の生産と文明との結びつきの視点から見ると、国家は人々に灌漑などを作らせて穀物の生産を進めた。穀物栽培においては、作付する畑の面積や収穫量を容易に把握でき、かつ生産された穀物は保存がきき運搬ができた。従って穀物は国家にとって課税するのに最適な生産物であった。

(*僕)ここで長年の疑問がひとつ解けた。それは、なぜ江戸時代に藩や武士たちの規模や位を、お金ではなく石高、すなわちコメの量で表していたのか。コメという穀物の生産は、当時の国家にとってどこで誰がどのくらいの広さで田んぼを作っていて、どれ位の収穫量があるかを把握できるものであった。また、コメが保存でき、かつ運搬が容易だった。要するに国家が農民を統治するにはコメという穀物が最適だったということだ。逆に言うと、マタギなどの狩猟採集民や漁業者などを統治するのは中々難儀だったのだろうと想像する。

(著者)湿地帯での定住という事実が、歴史的に無視されてきた理由は、当時の人々が文字を持たず口承文化だったので文書記録として残っていない、また建築資材にヨシやスゲなどを用いたことから傷みやすく、建物の痕跡が残っていない、さらにこうした社会では、仮に国家のような権力があったとしても、ここまで縷々述べてきたように中央や上から支配することは困難であっただろう。

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