晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

吉本隆明 『フランシスコへ』 立花隆死去 知の巨人 戦後思想界の巨人

2021-06-29 16:40:21 | Weblog

天皇が政治的発言をしてはならないということを前提とする。宮内庁長官の発言が話題になった。現天皇が今般の情況について思う所を間接的におそらく先代にならって表明したのだろう。だが上皇夫妻は長年にわたって努力を積みかさねた結果、徐々に言葉に重みがあった。今回のこの唐突感は、まだ令和3年の半ば、国民が現天皇をまだ一人前の天皇と感じていないからではないか。「そしたことから、いずれにしましても」今回のスガのスルーは適切な対応だったと思う。(この先日和らなければ珍しく誉めたい!)

 

『フランシスコへ』(吉本隆明著 講談社文庫 2016年刊 初出2013年) 立花隆死去 知の巨人 戦後思想界の巨人

「知の巨人」立花隆氏が亡くなった。氏の『日本共産党の研究』、『中核・革マル』など何冊か読んだ。テーマに関する膨大な資料を収集して読み込み、体系化した論理を構築する能力は天才的に突出している。ただ、僕が不満に感じてきたのは、氏の仕事は他者の著作や研究成果などを接ぎ木するスタイルで、氏自身がオリジナルとしてどのように考えるのかがいまひとつ物足りない。「知の巨人」と称えられているが未踏の分野を切り開くような思想家ではなかったということなのだろう。

立花の訃報を聞いてもう一人の巨人のことを思い出した。それは「戦後思想界の巨人」吉本隆明氏だ。丁度、書棚の一番近いところにあったのが『フランシスコへ』という飼い猫の死に対する想いを語った吉本最晩年の著作だ。吉本が亡くなったのは2012年3月16日、本書はその3カ月ほど前の2011年12月頃に語った内容をまとめたものだ。自身の体力、気力が衰えてきたところに愛猫の死、大きなショックを受けている様子がよく表れている。

本書は吉本がこれまで考え抜いてきたことを、そのテーマも行ったり引き返したりしながら、最後の最後に脳髄の表面に残ったエッセンスだけを言葉にしたものだ。そこでは、難しい論理をこねくり回すのではなく平易な語りが残されている。さらに、様々なテーマと格闘してきた吉本だが、結局最大の関心事は親鸞についてであったということがわかる。親鸞の生き方、考え方に自分を重ね合わせて、どのように関心を持ち、どのような影響を人生や思想に受けたのかを振り返っている。親鸞と吉本に共通するのは、それぞれ既存の宗教や思想に対する破壊者であったことだと思う。納得できないことに疑問を持ち、それを徹底的に掘り下げ、独自の考え方を作り上げる。許すことができなければ師匠の教えも否定する。思想の前では親友とも袂を分かつ。吉本は、論争の人でありながら迷える人であり、情熱の人でありながら謙虚でシャイな人であったと思う。

僕は自分がこれからもっと老化が進み、死ぬことがそう遠いことではないと感じられ始めた時に、何についてどう考えるのだろうか。最後の関心事は一体どういうことになるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

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 『スガーベ政治をKO!』     

2021-06-19 09:37:03 | Weblog

『スガーベ政治をKO!』

 

就寝中に、来たる衆議院議員総選挙における野党統一スローガンが浮かんだ。

 

『スガーベ政治をKO!』というものだ。選挙用のポスター、リーフレットに使ってほしい。

 

僕の現状認識では、ポンコツ・スガを引きずり降ろしただけでは駄目だ。この先しばらくはアベ本人またはアベの傀儡政権が続く可能性がある。「アベのウィルス」を駆除する必要があるからだ。

その理由は数多あり一つ一つ書く必要もないだろう。これまで感じた怒りを忘れてはいけない。怒りを思い出そう。

 

珍しく熱くなっている自分を感じる。

政権の延命という本当にちっぽけな野心のために。多くの犠牲が出ることをわかっていながら五輪がこのまま強行されようとしている。

 

『スガーベ政治をKO!』だ。

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池田清彦 『環境問題の噓 令和版』 地球温暖化人為活動原因説を疑う 

2021-06-07 14:09:15 | Weblog

抱っこちゃんとフラフープの登場に始まり、生活の隅々にプラスチック製品が浸透し便利さを享受してから半世紀以上経っている。最近になって、レジ袋は使うな、カップヌードルはシールの廃止で年間33トンの節減・・といきなりプラスチックを悪玉にする動きがあるが、その程度の取り組みが環境に対してさほどの効果もないことは皆が感じている。これってちょっとだけの自己満足じゃないの!

 

『環境問題の噓 令和版』(池田清彦著 MdN新書 2020年刊) 地球温暖化人為活動原因説を疑う    

僕の中でずっと引っかかっている問題がある。それは地球温暖化だ。かなり前に当ブログで「地球温暖化への異論」(2008.6.28、7.3の2回)、「クライメート(気候)ゲート事件」(2009.12.16)として取上げた。

ひとつは、バイデンもスガも習近平も世界中が、温暖化対策、CO2削減、カーボンニュートラルの大合唱をしていることだ。地球温暖化の原因はCO2をはじめとした温暖化効果ガスの人為的な排出による。(いわゆる地球温暖化人為活動原因説)だから化石燃料に固執しないでCO2をあまり排出しない新エネルギーを開発すべき。火力発電はダメで、太陽光、風力、波力などの自然エネルギー、エコカー、水力発電などを推進すべきという考え方だ。

もうひとつ感じていることは温暖化対策と原発との相関関係だ。この国では2011東日本大震災以前は温暖化対策の言説が賑やかだった。しかし、福島第1原発事故以降はしばらく鳴りを潜めていた。それが事故から10年が経過し最近は温暖化対策の言説が息を吹き返し原発の再稼働もその一環ということになってきていることだ。

皆が同じ方向を向いたときは疑った方がいいと吉本隆明氏は言っていた。それに習うと、この温暖化の議論にはたとえ世界中を敵に回してもあえて逆らうべきと思う。僕は、「CO2増→温暖化」ではなく「温暖化→CO2」と因果が逆ではないかと考えている。もし、温暖化の原因が人為活動によるものでなかったとしたら、人類は今一体どこに向かって何をしているのだろうかということになる。

本書は、推奨できる質を持っているとは思わないが、一点だけ傾聴すべき理論が示されている箇所がある。(以下引用)

「CO2の濃度上昇が温暖化の原因になっている証拠はない。逆に気温上昇の200~1,000年後にCO2上昇していることから気温の方がCO2濃度に先行している。また、寒冷期には大気中のCO2は海水に取り込まれ、温暖期には海水からCO2が大気に放出される。」

「スベンスマルクの理論が紹介されている。・・太陽の黒点が減少し、太陽活動が弱まると地球にやってくる宇宙線が大気をイオン化して凝集核が生成して、そこから水滴が成長して雲が形成され地球の気温が下がる(寒冷化)。反対に、黒点が増加し太陽活動が活発化すると宇宙線の大気中への浸透が妨害され、その結果雲が減少し気温が上がる(温暖化)。」

「人為的な活動がCO2濃度を上昇させその結果気温が上昇する」という理論は誤りで全く因果が逆なのだ。気温の変化は太陽活動に起因し、その結果CO2濃度が遅れて変化するという。

では、人為活動原因説が虚構の産物だとしたら、なぜここまで皆が一方向に突き進むのだろうか。答えは、経済なのだろう。経済の行き詰まりを打開するために新産業を創出して新たな需要の掘り起こしを行う必要に直面している。人びとの暮らしにとって必要かどうかという視点はなく、資本が生き残りのためにもがいている姿がある。そこには経済的な利権が国際レベルで渦巻いている。

このテーマに関連して、CO2封じ込め技術(CCS)の危うさについて、当ブログ2019.6.24に『多発する人造地震―人間が引き起こす地震』(島村英紀著 花伝社 2019年刊)を書いた。

 

 

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