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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『ホワイトハウスから徒歩5分』 その4

2007-07-31 21:22:53 | Weblog
 ライスではなく、中島公園キタラのランチのパンです。



 『ホワイトハウスから徒歩5分』(金平茂紀著) その4

 2003年11月 
 11月27日 ブッシュ、バグダッド電撃訪問
 11月30日 日本人外交官殺害

 2003年12月
 12月14日 フセイン捕獲される。(2006年12月30日死刑執行)

 2004年1月
 アメリカ大統領選挙予備選挙に
 イラクに存在するとされた、大量破壊兵器の信憑性に疑いが。

 2004年2月
 2月25日から、6カ国協議が北京で開催される。

 2004年3月
 3月11日 スペインマドリッドで列車爆破テロ事件



 2001.9.11以降の歴史を、3月24日9.11調査委員会でのリチャード・クラーク元補佐官の証言(内部告発)をもとに、金平氏がまとめて読み解いている。

 「クリントン政権からブッシュ政権に代替わりした際に、ブッシュ政権、特にライス補佐官らは、冷戦型思考から抜け出せず、アルカイダの脅威を何ら重視していなかった。

 9.11が起きて、ブッシュはこれをイラクと結びつける短絡思考に陥り、その結びつきを探すことに執着した。

 9.11がアルカイダの仕業とわかり、アフガニスタンのタリバン政権という国家体制転覆を、対テロ戦争の第1幕とした。
 
 その勢いの赴くまま、「大量破壊兵器の存在」を盾に、イラク侵攻を決断した。これは、対テロ戦争の第2幕。

 その結果、フセイン政権をあっけなく転覆させた。しかし、大量破壊兵器が無かったことが徐々に明らかになるにつれて、戦争の大義を「中東全体の民主化」にシフトさせようとしている。」

 クラークが告発したのは、スタート地点の思い違い、つまりアルカイダの軽視、イラクとの強引な関与づけである。ライス補佐官(安全保障担当)の危機管理能力は、致命的に何かが欠如していた。



 ライスって、あの黒人の暗い表情の女性のことでしょうか。彼女は、死神のような顔をしています。


 
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『ホワイトハウスから徒歩5分』 その3

2007-07-30 20:07:50 | Weblog
 ♪カラスの赤ちゃん、なぜ鳴くの・・'60安保当時の替歌で、♪岸さん、岸さん、なぜ泣くの・・を覚えていますか。

 ♪安倍ちゃん、安倍ちゃん、なぜ泣くの・・



 今回の選挙に別段の感慨はありませんが、名付けて、「ガス抜き」選挙。

 参議院選挙の結果は、民主党の一人勝ち。野党は、大きな声の出せない安倍総理に退陣すべきと主張しているが、私は人を巧く使えない安倍総理に政権を任せておいて、もっともっとボロを出してもらった方が良いと思う。

 衆議院選挙では無いので、マスコミ報道をはじめ野党を贔屓してくれたことに気付けよ、って。



 『ホワイトハウスから徒歩5分』 その3

 2003年8月 著者の父親が亡くなる。

 四方田犬彦「ハイスクール1968」を読んで著者は、回顧モードに浸るのではなく、今いる位置を確認するために、この時期(1968)に立ち返ることが必要だ。
 拠り所とするのは、我々、僕らなどといった「世代」という甘ったれた集合ではなく、あくまで私、僕といった個だ。
 ひとりであるということ、その自覚から他者への想像力が拡がる。



 ひとりであることを噛みしめる。吉田拓郎の唄からのメッセージの核心です。著者は、私と1歳違い。おそらく拓郎からの影響があるのでは。



 2003年9月 9.11から2年

 この年の9.11は、チリのアジェンデ政権がピノチェットらの軍事クーデターで倒されてからちょうど30年の日だ。

 アジェンデ政権の打倒にアメリカが露骨に動いた現代史と、9.11を結びつけるケン・ローチの想像力こそ、アメリカに向けられた憎悪の中身、つまりテロの本質を考え抜くことにつながる。



 1973.9.11サンチャゴに雨が降る。歴史上初めて議会を通じて社会主義革命を成し遂げたアジェンデ政権に驚愕した米帝は、CIAの工作を通じて、政権の転覆を図った。何百万人が殺されたことか。
 ピノチェットと同類のペルー・フジモリを今回候補に掲げた国民新党なる政党の正体は如何に。



 2003年10月

 日米安保条約の裏には、朝鮮半島有事の際には、在日米軍基地は「無制限」にアメリカ軍が自由使用できるという「密約」がある。
 「無制限」の意味は、核兵器の持ち込みを含む。



 何でも晒し、何でも論じ合う社会のありように、やはり違和感を覚えてしまう。



 マスコミ人の貴方がそれを言ってはおしまいよ。嫌なら辞めるしかないでしょ。



 2005年11月 作家 井上ひさし氏との対談より

 1980年代中頃に日記ブームがあった。バブル経済の時代、東京都内から、地上げの波を受けて、郊外に移り住んだ時に、親父さんやお爺さんのガラクタの類が捨てられたり、売りに出された。

 日記も神田の古本屋に持ち込まれたが、値段が完全に二分された。

 天下国家に対して怒ったり物を申している類の日記はものすごく安い。

 一方、物資の配給のこと、米や魚の値段、電車賃など日常生活を微細に記録している日記ほど、時代考証資料の一級品として値段が高かった。



 私のブログの値段は。値段が付かない。そうでしょ。オヨヨ!



 



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『ホワイトハウスから徒歩5分』 その2

2007-07-28 12:00:29 | Weblog
 ホワイトハウスではありません。中島公園にある豊平館です。塗り替えた青色がケバ過ぎです。


 昨夜は、営業でした。本日は、午後から営業、夜は町内会のお祭りです。明日は、早朝から終日営業の予定。走りこみも、本も読めません。これで、会社は儲かっているのでしょうか。

 早朝は、雷雨でした。

 『ホワイトハウスから徒歩5分』 その2

 慌ただしい日々に追われ、つい昨日のことも忘れてしまう日常です。4,5年前のことならなおさらです。(以下、金平氏の日記からの引用を中心に)

 日記は、2002年11月から始まる。前年(2001年)の9.11は誰しも記憶しているが、その後米軍はタリバンの首謀者ビンラディンを捕捉するためアフガンに侵攻する。

 しかし、問題は徐々にすりかえられ、大量破壊兵器を保有し、タリバンを支援しているとされるイラクが攻撃の対象となっていく。



 言語学者のチョムスキーは、「偽善者とは、他人に課している基準を、自分には課さない人間のことだ。」と述べる。チョムスキーは、米国では狂人扱いだそうだ。

 「敗北を抱きしめて」の著者ジョン・ダワーMIT教授(日本近現代史)は、ワークショップ『9.11と12.7』において、「ジハード」と「聖戦」、「自爆攻撃」と「カミカゼ」、「GOD BLESS AMERICA」と「神州日本」、「グローバリズム」と「大東亜共栄圏」、「AXIS OF EVIL」と「鬼畜米英」を対比している。

 これは、米国の日本に対する認識の一端を示している。

 明らかに、21世紀初頭の段階で、世界は20世紀よりも「悪くなっている」。



 2002年12月 戦争が近づいてきている。

 「マッチョなアメリカ人たちの大部分から見ると、北朝鮮人も韓国人も、中国人も、日本人も、ほぼ同じ範疇だぜ。」

 この感覚は、私自身もカナダで、子どもが書いた日本地図が、朝鮮半島、台湾、日本の位置関係がグチャグチャで、また、彼らには東アジア民族の多分外見からは人種的な区別はつかないのだろうと思えた記憶がある。



 2003年1月 年が明ける。
 
 「クリントン政権時代、ヨンビョンの核施設への空爆が検討され、その被害影響が推計された事実がある。かの原子炉には、隔壁が無く、大量の放射能が大気中に放出されることになるという。風向きの想定では、北海道を直撃する計算もあり得た。」

 この手の情報は、かなり後になってから公になる。



 2003年2月 スペースシャトル「コロンビア」空中爆発

 2003年3月 19日ついに、イラクに対する武力攻撃開始。

 2003年4月 首都バクダット陥落

 2003年5月 22日日米首脳会談(ブッシュ、小泉)

 同行の安倍官房副長官は、「きょときょとしていて、緊張しているようであまり格好がいいとは言えなかった。」



 2003年6月 G8エビアン(フランス)サミット

 「去年の年末、「紅白歌合戦」というのを見たら、ほとんど北朝鮮の番組を見ているような錯覚に陥った。それは、出演者の衣装の趣味・色遣いとか演出のケバさとか、わざとらしい笑い、ひきつった笑顔とか、そういう空気に漂う極東アジア感覚が北朝鮮に見えるのだった。」



 2003年7月 フセインの息子、ウダイ、クサイが米軍に射殺される。(続く予定)




 

 
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『ホワイトハウスから徒歩5分』 その1

2007-07-24 20:52:43 | Weblog
 『ホワイトハウスから徒歩5分』(金平茂紀著 リトルモア 2007年刊)

 著者の金平氏は、1953年、旭川市生まれ。現在は、TBS報道局長、この本は、2002年4月から2005年5月までのワシントン支局長時代の公開日記をまとまたものです。その前は、1994年から2002年まで、「筑紫哲也NEWS23」のデスクで、その間の日記をまとめたのに『二十三時的』があります。

 北海道が生んだ現在全国区の人物に、(財)日本総研会長の寺島実郎氏がいますが、金平氏は、そのキャリア、人脈、教養の広さ・・おそらく今後北海道の将来にとって欠かせない人物として登場してくる可能性を持った方です。



 本を読んでいると、時々気になるフレーズに当たります。

 「今の時代は、日誌を記さなければ自分の位置が確認できないという一種のオブセッション=強迫観念に陥っているケースさえ散見できる。ネット上に蔓延する膨大な数の公開日記。夥しい数の人々が日記・日誌をつけて、それを他人に読んでもらいたいと思いながら公開している。僕は、自分の場合も含めて、このような状況は、社会のありようということでいえば、成員を「認知」するシステムが壊れ始めていることの裏返しの現象だと思っている。「認知」を求める根源的な欲求のようなものがそこにあるのではないか。」(引用)



 こどもの夢に、大きくなったら歌手になりたい、サッカー選手になりたい、有名になりたい、少し大人になると、自分をわかって欲しい、自分を表現したいなどの欲求がある。

 技術が発達して、誰でも簡単にブログ日記などを公開できるようになった。



 あの子は、誰々さん所の息子だ、あの家は、ああだ、こうだ。田舎では、構成員の皆がお互いを知り尽くしている。

 それが、嫌で故郷を捨てる。大都会は自由の塊に感じた。しかし、自分はいつまでもその他の人間、誰も理解してくれない。組織の一部。自分がいなくても会社は回る。

 仲間内で、不特定多数に対して匿名で、自分の内面のほんの一部を、自分にとって都合のいい面だけ公開する。



 金平氏の指摘を、私なりに解釈すれば、こういうことなのだろう。そこに、社会の病理を発見できるということが鋭いと思う理由です。

 日記は、2002年、米軍のイラク侵攻から始まります。(続く予定)

 



 
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『京都スタイル』

2007-07-23 21:42:13 | Weblog
 図書館から『京都スタイル』(濱田由利著 毎日新聞社 2002年刊)を借りて読む。(現在は、新潮文庫から著者名が甘里君香と変わって刊行されている。)



 東京生まれの著者が、京都に移住、そこで感じた京都人の気質について率直に述べられている。

 曰く、京都人は、他人に惑わされにくく、逆に堂々と批判する。京都人は、揺るがずに「自分が一番」なのだ。自分の喜びのために周りの人がいて、日々の生活がある。京都スタイルとは、五感と自己肯定感に裏打ちされた野生のスタイルだ。



 歴史も伝統も、しがらみもない開拓地に生まれ育った私たちには、きっと理解できない奥深いものがあるのだろうか。それとも、同じ人間、たいした違いでもないのだろうか。

 短期間の旅行でしか滞在したことのない私には(高校の修学旅行と昨年の2回きり)、結論的なものは持ち合わせていない。

 できれば、成り上がり者たちが暮らす東京との比較がされれば、もう少し面白い読み物となったのではないか。

 大阪人、関西人、名古屋人、東北人・・・何となく典型的な気質が窺われるが、人間一人一人の個人差の方が私はおそらく大きいのではないかと思っている。

 

 明日は、夜も営業。仕事で疲れたときは、思いっきり体をいじめたいのですが・・・Mです。
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『天皇・反戦・日本』

2007-07-21 18:07:37 | Weblog
 『天皇・反戦・日本 浅羽通明同時代論集 治国平天下篇』(浅羽通明著 幻冬社 2007年刊)

 題名が私の感性に響き購入、しかし結果は最悪の駄本であった。

 著者は、まえがきで、「収録した諸論考、諸エッセイで、私がもくろんだのはむしろ、私たちに既にすっかりおなじみとなってきた、そうしたわかりやすい主張へ、賛同するのも批判するのも含めて、「待った」をかける試みです。」と述べ、右でも左でもない立ち位置を表明している。

 しかし、読んでみて、上記の試みが全く成立しておらず、著者が自慢するような言論も成立していない。言葉使い、議論の粗雑さ、文章の拙さも加えて読むに耐えないものであった。

 氏は、右も、左も攻撃するようなポーズをとっているが、支那、共産支那、大東亜戦争、自虐系左翼は、なる言葉使いは、自らの素性を曝している。

 また、各所にデマゴギーと紙一重の表現がある。特に天皇論では、那須御用邸での記者会見で昭和天皇裕仁が、国民を「赤子」と呼んだが、宮内庁は、「我が子」に改めて発表するように要請、新聞は従ったが、一部週刊誌は「赤子」発言を暴露した。(P38)

 病弱で知られた大正天皇は、実は性的にも不能で、貞明皇后の子は、異なる男をあてがって生ませたもので、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮と皆、顔が違うのはそのため。(P49)

 川島紀子氏(現、秋篠宮妃)が鶴見良行のファンでアジアの貧困を憂うるピースボート的感性の人で、あやさま(現、秋篠宮)とともに上智大学の鶴見ゼミに潜り、天皇の戦争責任を論じる鶴見先生へ、ぜひパパに会って下さいとせがんだ。(P67)など、こりゃ、ダメだ。



 この天候は蝦夷梅雨というものですか。
 本日、9.9北海道マラソンの出走許可証が届く。近年、完走する自信は全く無いが、わくわくしてしまう。
 明日は、朝から夜まで営業。トホホ。
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宮本顕治氏死去

2007-07-19 20:31:18 | Weblog
 昨日、今日の日本共産党の組織と路線を築いた、宮本顕治氏が亡くなった。



 ソ連では、1953年にスターリンが死去し、3年後にフルシチョフによるスターリン批判の秘密報告があった。その中で、スターリンによる粛清の歴史が明らかになった。

 日本のスターリン、宮本顕治が死して、これから現在の改竄されている党史の真実が明らかになっていくであろう。党の無謬性神話も間もなく崩壊することを期待したい。



 さて、宮本の功罪は、数々あるであろうが、私は、労働者階級の党と称しながら、宮本自身は、労働者として実社会での労働経験が無いことが、この党の今に至る最大の弱点を作ったのだと考える。

 後継者としての、不破哲三、志位和夫もほとんど実社会での労働経験が無く、党官僚一筋である。付け加えれば、彼らは皆東京大学卒業である。また、近年の、選挙候補者も民青の活動家あがりか、党の専従者ばかりである。

 このことゆえか、頭の中だけが「赤」く、労働者、生活者が何に直面しており、何を求めているかの腹の中が読めていない。従って、この党は、大衆運動の構築に常に失敗してきたのである。

 労働運動ナショナルセンター、学生運動、原水爆禁止運動、解放運動などにおける孤立と排除のほか、成田闘争などでも地元住民からの信頼を得ることができないのである。

 全ての運動に、必ず分裂と引き回しを生み、大衆から孤立してしまうのである。



 また、宮本の個人的な資質であろうが、異常な潔癖性からというべきか、11PMなどの俗悪番組批判、教師聖職論、自治体労働者の全体の奉仕者論なども、労働者の心情に対する無理解から来ている論理であろう。
 
 

 
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『世界と日本の見方』

2007-07-16 20:13:43 | Weblog
 『17歳のための 世界と日本の見方 セイゴオ先生の人間文化講義』(松岡正剛著 春秋社 2006年刊)

 松岡正剛氏は、ネットに「千夜千冊」という千冊の本に対する膨大な書評を載せている位しか知りませんでした。しかし、若者を中心に人気を博しているらしく、この著書も帝塚山学院大学での講義をもとにしたものです。

 「世界と日本の見方」なる題名から、私たち「物事の見方・考え方」が大切世代は、哲学を基にした独自の歴史観や世界観が提示されることを想像したのですが、見事に裏切られました。

 高校の世界史、日本史の教科書を基本に、キリスト教や仏教など宗教の成り立ちからを中心に著者の博学振りを見せ付けられ、なるほどそういうことだったのか、などという知識は、あちこちに散りばめられていますが、これを以って世界を、日本をどう捉えるかは、私には全くピンと来るものがありませんでした。

 確かに、民族の感性や考え方の根底に、宗教的なものがあるのでしょうが、それが全てのような見方を、17歳の若者に教え込むのは、一面的であり、大変危険で有害と思います。

 多様で多面的な社会について、社会科学的な見方を基礎として捉えることを教えなければならないでしょう。

 

 若い人たちへ、どんなにたくさん本を読んでいても、こんなくだらない奴をカリスマのように扱ってはいけません。

 この混沌とした社会を捉えるのは、気合と努力あるのみ。「全世界を獲得するために!」

 

 
 

 

 
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快速エアポート

2007-07-15 17:10:20 | Weblog
 昨日、たまたま乗り合わせたJR千歳線、快速エアポートが、上野幌駅を通過中にボコッと異音がしたと思ったら、急ブレーキで停止してしまいました。

 写真は、線路を点検する車掌と運転手さんです。結局、原因はわからず、現場に12分停車の後動き始めました。

 電車のブレーキは、予想以上に効くものです。時速70~80kmに減速していたでしょうが、異音から100m位で停車できるのですね。



 私は、昨日からの3日間を走り込み期間と勝手に位置づけています。本日は、JR南千歳駅~北広島駅までの約24km位でしょうが、完走しました。

 時間にして、2時間くらいですが、快速エアポートですと20分かからないで走るのですね。



 私たちは、普段から自分の体と対話していると思います。調子の悪いところはどこか、疲れが貯まっていないかなどです。

 ランニングでは、全力疾走に比べ今は何割位か、距離が進むに伴い、残っているスタミナは、足や腰の張りは、日々の体調の違いがあるので、今日はどうかなどです。

 走り終わった後の、何とも言えない疲労感、虚脱感、達成感、時間とともに疲労が取れていく実感。正に文字を使わない体との対話です。



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ソ連型社会主義の実験と失敗

2007-07-12 19:48:01 | Weblog
 コンサドーレ辛勝

 昨夜は、札幌厚別公園陸上競技場で、サッカーJ2コンサドーレ札幌対アビスパ福岡のナイトゲームを観戦しました。

 常設の照明設備が無いため、投光機と自家発電装置の付いた移動式のクレーン車4台がピッチを照らし、少し雨に濡れた芝生が鮮やかでした。

 7月と言うのに震えるような気温でしたが、両チームとも最後まで走りきった熱いゲームでした。



 情況論ノート第12回

 ソ連型社会主義の実験と失敗の意味を問い直す。(こんなこと、現在は誰も振り向きもしないテーマであろう。)

 20世紀の初め、ロシアで成立した社会主義は、当初の目標とは異なり、資本主義世界システムにとって、周縁に位置する、閉じられたシステムに過ぎなかったが、民族自決主義に対して、反世界システム運動としての強固な基礎を与えた。

 また、ロシアの社会主義政権が、資本主義世界システムによる浸透圧力に抗して、工業化、近代化を自力で達成したことは、開発主義の先駆けであり、非西欧世界における民族自決に基づいた開発を鼓舞した。

 もうひとつ、安定性の不安と戦争の危惧によって高められた社会主義の実験的可能性が、資本主義経済システムの改良を促進することになった。



 ソ連型社会主義が果たした役割

 ①資本主義世界の方位の中で、孤立した農業地域を高度な産業社会へと発展させたことにより、後進国開発のモデルになった。

 ②資本主義世界で、安定した繁栄を求める国民へのメッセージとなった。

 ③中央計画経済としてみてもソ連型社会主義は失敗であった。

 ④資本主義の方位の中で、孤立した共同体をつくろうとする戦略としても失敗であった。



 ソ連型社会主義の崩壊が資本主義の未来にとって何を意味するか。

 資本主義が運動の不安定と軋轢を絶えず生み出し、この世界とその周縁に暮らす人々の労働と生活に動揺と苦難の種を不断に撒き散らす限り、その運動の内部から、社会主義の代替的プログラムが時代に見合った装いのもとに、多様な地域の異なる階層のレベルで、繰り返し提起されてくるのは必定である。

 今日の市場万能主義の歯止め無い浸透は、市場の社会的統御の課題を資本主義経済に突きつけるであろう。

 「ソ連型社会主義の失敗と冷戦後の社会主義の可能性」野口眞による。



 人類は、これからも壮大な社会実験を積重ねながら、より良き社会のあり方を模索していくのだろう。そこで構想される社会を「社会主義」と呼ばなくなったとしても、それは「社会主義」なのであろう。

 株と思想は、最低の時に買うものである。


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小樽都通り

2007-07-10 20:51:26 | Weblog
 小樽都通り、マイカルが出来た頃は、閑古鳥が鳴いたが、最近少し活気が戻って来た様に感じます。

 

 情況論ノート第11回

 1980年代以降、国民経済としての日本の資本蓄積体制が「グローバル化」を進化させた。

 製造業における生産のグローバル化は、国内資本蓄積体制のサービス経済化と以下のような関係がある。

 1.製造業における海外直接投資の増加は、需要面から国内サービス産業の投資と雇用に悪影響を与えている。

 2.製造業大企業が先導する国内でのリストラと海外への工場移転は、’93年以降のサービス経済化を支えるメカニズムを機能不全に陥らせている。

3.製造業の中核となる機械3産業(一般、電気、輸送機械)寡占企業の「組織能力」に翳りが見られる。

 従って、日本の資本蓄積体制の再構築には、製造業における技術開発戦略と新たな組織能力の再構築が不可欠である。



 日本における金融業のグローバル化の特徴は、以下のとおりである。

 1.国内貯蓄のほとんどが国内で投資され、グローバル資本市場のイメージとはかけ離れた状態にある。

 2.日本の金融市場はグローバル金融市場に自ら組み入れてきたが、日銀は金融政策の自立性を失っていない。

 3.日本は、1980年代に対外投資を増大させ、米、英に次いで、金融覇権国の一角を占めたが、同時に国際金融システムを不安定化させる要因にもなっている。

 4.’97年のタイにおける東アジア通貨・金融危機の過程で発表された<アジア通貨基金>構想は、アメリカの圧力で頓挫したが、円の国際化、アジア化のためには、政治面での日本の戦争責任の明確化が必要である。

 5.今後の国際金融危機の火種は、米国の経常収支赤字とそれを支える資本の流入の限度(反転)である。



 『「グローバル化」と日本の資本蓄積体制』芳賀健一による。 



 ヨーロッパは、EUという地域共同体を作り上げた。アジア通貨基金構想は、経済共同体から構築するという発想だったが、米国の干渉で頓挫した。

 しかし、長期的に考えれば、必ずアジアにおいても、中国や韓国が中心となって再び共同体構想が浮上するであろう。

 今、この国は、アジアでイニシアティブを執る道を選ぶか、米国の腰巾着を続けるかの岐路に立っているのである。

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運動会

2007-07-09 20:46:48 | Weblog
 土曜の午前中、日曜日は午後から夜まで営業しました。たまたま通りかかった幼稚園の運動会です。子どもは苦手ですが、見ていると元気をもらえるのが不思議です。



 情況論ノート第10回

 1990年代、冷戦に勝利後、アメリカは唯一の超大国として国際的な威信を維持できる最低限の軍事力を保持する。

 他の同盟国の軍事力を効率的に動員、利用できるようにすることで、アメリカの軍事力が安上がりになる。



 アメリカの軍事力は、規模縮小の中で、アメリカ側の人的損害の最小化を図りながら、効率的に相手側を破壊する資本集約的な軍事力への転換を図った。

 軍事面での転換を促したのは、納税者の論理である。軍事に投下される資金の収益率、すなわち武器の正確かつ効率的な破壊力・殺傷力を上昇させようとするものである。


 
 アメリカの経済構造の転換との関係では、労働集約的な軍事部門は途上国に負担させ、アメリカは戦略核兵器や機械化した通常軍備を機動的に派遣するという国際的軍事体制に転換しようとした。

 湾岸戦争以後の戦闘は、「殺し合い」から「デジタル化」され、人間の「匂い」の感じられない戦闘に変化した。

「基軸国アメリカの軍事財政」渋谷博史による。



 上記の小文から、この国の軍隊が担わされる役割が見えてきます。戦争も経済的動因によって起こされるものです。決して、そこには「正義」と呼べるものなどありません。

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情況論ノート第9回

2007-07-08 20:27:37 | Weblog
情況論ノート第9回

 事故が起こると専門家の言説と私たちの「安全・不安」の感覚との差異が浮かぶ。また、グローバル化社会では、環境をめぐる「公平・不公平」の問題が存在する。



 「事故の確率が極めて低いと考えられていても、一つの事故がつまりは破滅を意味することになると考えられる場合には、その危険性はあまりに高いということになる。加えてまた、科学者が研究の対象にしなかったリスクの性質が大衆にとっての問題になる。例えば、核兵器の拡散、人的なミスと安全性との矛盾、事故の影響の持続性、技術的決定の不可逆性などがそれで、これらはわれわれの子孫の生命を左右する。」(ベック)

 仮に、専門家に対する強い信頼を持ちえたとしても、環境リスクに関する不安や危機感がそれで完全に消えてなくなることは無い。

 専門家の洗練された知といえども、非知を伴い、非知には特定された非知のみならず、特定されない非知をも含まれる以上、知の不確実性と限定性を完全に解消させることはできない。



 グローバル化の環境問題と経済開発の関係では、先進国で自然保護を求めて展開されたエコロジー運動の担い手たちの熱意と、発展途上国で経済開発の必要ゆえに環境破壊にさらされる住民の苦難との間には、落差がある。

 先進国では、生活様式のあり方を軸に人々は、自然固有の価値や生存権を語り、世代間倫理に触れ、地球全体の有限性を声高に語る。
 一方、低開発の底辺で飢餓、戦争、災害による自然の荒廃にさらされている人々が必要としているのは、生きていくのに必要な生計活動そのものを確保することである。

 「グローバル時代の環境問題」木前利秋による



 地球の環境容量に限界があるとすれば、先進国の人々は、現在の生活水準を下げる覚悟無しに、開発途上国に対し、これ以上の環境負荷を負やすなとは言えないだろう。

 私たちの今の生活水準を変えるとは、開発途上国の飢餓の実態と比較した時、レジ袋を止めてエコバックにというレベルの話ではないだろう。
 実行しないより、実行した方がいいだろうが、それが免罪符になってはいけないと思う。

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『絶対に「自分の非」を認めない人たち』

2007-07-06 20:02:40 | Weblog
 今週は、夜の営業や町内会の会合が続きました。町内会組織のどうしようもなさはいずれ分析したいと思います。民生委員・児童委員や青少年健全育成委員など世の中の「いわゆる良い人たち」も切りたいと思っています。



 『絶対に「自分の非」を認めない人たち』(斎藤茂太著 祥伝社 2001年刊)

 図書館でたまたま見つけました。

 「そんなこと、聞いていません」と言い訳、「私のせいじゃない」と責任転嫁、「この場合は仕方がなかった」と開き直り…。あなたの身近にいませんか? 「すみません」が言えない人との付き合いかたを教えます。というコピーに魅かれました。

 斎藤茂太氏は精神科医で歌人斎藤茂吉の長男、氏の文章から、「自分の非」を認めない人の特徴としては、

 ふんぞり返って、威張っている人、「人は皆同じである」という平等思想が欠落している人、「肩書き」にすがりながら「自分は偉い」と思い込んでいる人、自分を飾りたい人、心の要求水準が高い人、自惚れが強く、自慢話が好き。

 いつも周囲から、自分の存在を認めてもらっていないと我慢できない人、その気になりやすく、他人を妬みやすい、相手の話をあまり熱心に聞かない、相手と一緒に考えてあげようという姿勢に欠けている人などです。
 自己顕示欲が強い人とまとめることができます。

 私が、心配なのは、過保護に育ち、罰を受けることも無く、甘やかされ、自立心が希薄で、依存型、劣等感が強く、そのため自己防衛として、裏返しの表現をする人です。彼らは、「すみません」と言えません。

 「自分の非」を認めない人へに対する氏の対処法は、
 相手に対する要求水準を下げる、おだてる、かわいそうな人と思うなどしかなく、少々頼りないものです。



 私たちは、自信と不安の間をさまよいながら生きていると思いますが、一般的には他人から見た自分に対する評価より、自己評価は3割増し位高いものです。そうでなくては生きてゆけませんから。

 この本を読んで、そうそういるいるこんな人と他人事のように思うか、一部自分の中にもこういう所があるなと思うか、その辺りが、「すみません」と言える人か、否かの分かれ道なのでしょう。

 しかし、私には、どうもこの手の人が増えているという実感があり、また、手を焼いている現状があります。

 
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『歌舞伎役者 十三代目 片岡仁左衛門』

2007-07-02 20:23:48 | Weblog
 映画『歌舞伎役者 伝承のダンディズム 十三代目 片岡仁左衛門』全6部の内、最終巻「登仙の巻」(羽田澄子演出 自由工房 1994年作品)

 片岡仁左衛門さんは、1903年(明治36年)生まれ、初舞台が2歳、1994年(平成6年)90歳で亡くなった。羽田澄子は、1986からドキュメンタリーとして片岡の舞台を撮影しているが、この巻は、その最晩年の88歳から90歳までの記録映画である。

 視力を失い、足も弱り車椅子生活の片岡が、凛として舞台に立つ。彼を支えるスタッフや家族の日常も記録されている。

 登仙とは、宋の詩人蘇軾の詩「前赤壁の賦」の中にある言葉で、仙人になって天に昇ることを意味している。



 実際に歌舞伎を見たの一度しかないが、この映画でその魅力と、片岡が合間に語る細かい演技(体全体の使い方、台詞の言いまわし)の意味から、中々興味をそそられる世界である。

 

 羽田澄子氏の自由工房の作品は、これまで1997年「住民が選択した町の福祉」、1998年「続・住民が選択した町の福祉ー問題はこれからです」、2005年「あの鷹巣町のその後」を観ている。



 余談であるが、映画の前の昼食時、あるホテルのロビーでムッシュかまやつさんを見かけた。彼もかなりのお年であるが、足にピタッとした細いジーンズ、革ジャン、まだまだ現役のミュージシャンであった。週末の夕張支援コンサートに出演したのでしょうか。



 
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