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戦後左翼史 その51 1967年② 日中友好協会分裂 善隣学生会館事件

2017-09-29 15:51:11 | Weblog

僕は、株と思想は底値が買い時と常々思っている。金も組織も無い小池のハッタリに前原民進党が屈した。さらに小池の踏み絵で、いよいよこの国では、左翼、リベラルの居場所が無くなる。目前の選挙なんかに一喜一憂せずに腰を据えて、アメリカ追随の道ではなく、「アジアの片隅」で北朝鮮を含めて隣近所と仲良くやって行く道をつくっていくべきと考える。10月からNHKでハングルを学ぼうと思っている。

 

戦後左翼史 その51 1967年② 日中友好協会分裂 善隣学生会館事件 

(★印は日共関係、◎中ソ対立関係、■文化大革命関係)

■1967.2.1道新 青島 40,000人の造反派集会(毛支持) 経済主義粉砕を誓う 北京の大衆 ソ連大使館に5日連続デモ

■1967.2.1道新夕刊 壁新聞発表 1966.2月クーデターの全容 賀竜副首相が首謀者(彭真、羅瑞卿、陸定一、楊尚昆) 中国人デモ隊 北京、ソ連大使館に侵入

■1967.2.2道新 新疆 暴動平静に 反動派が分散して逃亡 造反派 8か月の闘争で科学技術委も接収

◎1967.2.2道新夕刊 ソ連 北京大使館を縮小か 敵対行為に対処 幹部だけ残す程度に 新疆事件なども影響 まさに、断交寸前 中国人留学生にレーニン廟参りを拒否

■1967.2.4道新 ユーゴ記者の報道から 毛林派と劉鄧派抗争の内幕(1966.7~8) 中共中央は2派に分裂 毛林は上海に、劉少奇は北京委(1966.4末) 中央委員会全体会議の延期 毛の指示に従っていた鄧総書記寝返る(1966.7) 毛林が北京を掌握 林彪指令で内乱阻止(1966.7までに) 

■1967.2.4道新夕刊 文匯報 徹底的奪取を訴える 上海の革命はまだ モスクワ放送報道 新疆の情勢なお緊張 王恩茂氏は山岳で抵抗

■1967.2.5道新 大衆闘争大会 毛語録の暗唱強制 劉夫妻(玉光美夫人)つるし上げ

■1967.2.6道新夕刊 上海に都市人民公社 パリ・コミューン方式 すべての権力を代行

◎1967.2.7道新 モスクワ大使館事件 中国、強硬な抗議声明 両国の関係を破壊 誤り認め謝罪せよ 自制心にも限度

◎1967.2.7道新 香港紙報道 中ソ国境緊張高まる 新疆地区で衝突の可能性

■1967.2.7道新 上海人民公社 臨時委が緊急起草 「組織」など5部で構成

★1967.2.7道新 インドネシア紙報道 日共がスカルノ救出を計画 デビ夫人を日共が援助(出産のため東京滞在中に接触、20日に航空便を用意)

★1967.2.7道新 日共、事実無根と反論 豊田宣伝部長談

*(*は僕の考え)真実なら大いに評価したいが・・そこまで度胸はないだろう。

■1967.2.7道新 劉・鄧両氏の失脚説の背景 党中央委で完敗 国家主席は当分空席に

■1967.2.7道新夕刊 解放軍 長春でも出動 実権派分子多数を逮捕

■1967.2.9道新 中共中央通達 旧正月後、全面的に小学校を再開

*国の基礎である学校教育までストップしていた。

■1967.2.9道新 光明日報 実権派の権力奪回警戒 “宮廷革命”粉砕を

◎1967.2.9道新 中国抗議 モスクワ大使館にソ連青年乱入 両国の電話回線不通 国交断絶の危機 中ソ互いに応酬

■1967.2.9道新夕刊 林彪副主席が激しく非難 “朱徳(解放軍最長老)は野心家”

★1967.2.10道新 日共 9日付け「赤旗」「紅衛兵に盲従した反党分子を粉砕する」 中共の大国主義非難 毛思想押しつけは不当 公開論争に発展か 北京の人民大学紅衛兵の日共攻撃(日中両党会談の非公開問題を公表) 徳田球一未亡人(たつ)、井出潤一郎赤旗ハノイ特派員ら北京在住党員10名を1.31付けで除名

*(参考)徳田たつ:1953.10.14徳田球一北京で客死。死は1955年まで明かされず。1955.8.25志賀義雄と遺骨を受け取りに訪中。1962年毛沢東と中共の招きにより1972年まで中国に滞在。宮本顕治を弾劾、文化大革命を支持。

★1967.2.10道新 日共離党の親ソ派 共産主義労働者党(共労党)を結成 社会主義革新運動の内藤知周、社会主義統一有志会の春日庄二郎、日本のこえのいいだもも らで結成 日本のこえの志賀義雄、鈴木市蔵、神山茂夫、中野重治は不参加

■1967.2.12道新 中国 賀竜、朱徳氏すでに追放 党軍事委も改組か

■1967.2.12道新 チベットで反毛派軍事管制 毛林派が救援要請

◎1967.2.12道新 北京 反ソ集会 周首相 ソ連指導者を糾弾 人民の友好破壊

◎1967.2.13道新夕刊 きょうからAA連帯委理事会 中ソ対立のあおり 分裂の危機強まる

■1967.2.14道新 北京人民公社 社長に謝(富治)副首相、中央宣伝部長に王力氏 文革指導小組を設置 組長江青夫人、顧問周首相

★1967.2.14道新 日共が安斎康史氏除名 中国派の前中央委員

★1967.2.14道新 紅衛兵新聞 (日中両共産党会談めぐり)痛烈に宮本日共書記長批判

1967.2.14道新 英ソ会談 ソ連の“和解”目立つ 西欧の窓拡大

1967.2.14道新 ベトナム工作 英、失敗を認める 先行き、見通し難

★1967.2.15道新夕刊 日共 西園寺公一氏を除名 北京在住の“民間大使” 元老西園寺公望の孫 1957中国の招待で北京へ 中国で日共に入党 

*(参考)西園寺公一:(『赤旗』の除名理由)「日本人の勤労人民としての生活経験をもたず、中華人民共和国においても、社会主義の政府によって与えられている特恵的な生活になれて、特定の外国勢力に盲従して、分裂と破壊活動に狂奔」。1970.8日本へ帰国。事実上の追放。

◎1967.2.16道新 プラウダが論文 毛沢東政権を激しく攻撃 反ソで失敗ごまかす 両国関係決裂招く 

■1967.2.16道新 中共 新疆安定に乗り出す 建設兵団(漢民族のとんでん兵)に軍事管制

■1967.2.17道新 旅順、大連 軍が造反派鎮圧 鉄道、反動派の手に

■1967.2.17道新夕刊 中国文化革命小組が方針 古書や文化財保護 紅楼夢など今後も出版 南昌 反革命鎮圧に軍出動

◎1967.2.18道新 全欧共産党会議 着々と準備進む ワルシャワ開催本決まり 来週中に起草委

◎■1967.2.18道新夕刊 中央軍事委副主席命令 ソ連の挑発に備え、辺境の軍備固めよ 軍事委 新疆の革命にワク 王力氏 紅衛兵に警告 奪権に三結合(革命大衆、革命幹部、解放軍) ラサ放送報道 反毛派鎮圧に 3個師団が出動

■1967.2.19道新 香港紙報道 毛主席が軍に命令 新疆の闘争停止

◎1967.2.20道新 陳毅外相 中ソ関係で言明 断交もありうる

■1967.2.20道新 香港筋 文化革命足踏みで観測 主流派(毛・林)内部で対立?

■1967.2.21道新夕刊 李雪峰氏が天津で死ぬ 幅広く旧幹部を活動へ

1967.2.21道新夕刊 ジレンマに立つソ連外交 欧州党会議で内部調整へ

■1967.2.23道新夕刊 壁新聞報道 反毛派が軍と結び河南で革命派弾圧

■1967.2.24道新夕刊 中共軍事委 “下からの奪権許さぬ” 軍内部の造反も制限

■1967.2.24道新夕刊 周首相が呼びかけ 文革の方針転換を 攻撃目標を縮小 すべての古い幹部追い出しは誤り

■1967.2.25、26道新 新段階を迎えた文化大革命 金恩愷香港大研究所員の分析 ①奪権闘争の実態:混乱する紅衛兵 実権派、たえず分断侵入 ②奪権闘争の行方:両派の妥協は困難 経済面で深刻さ増す

1967.2.25道新夕刊 スパルジュ元(陸軍)准将 あくまでスカルノ支持

■1967.2.25道新夕刊 陳伯達氏 紅衛兵集会で批判 三角帽は誤り 中共中央が通達 秩序ある闘争を 各機関の接収管理禁止

■1967.2.26道新 北京市公安局が布告 “極左”9団体を解散 指導者逮捕を警告

■1967.2.27道新論壇時評(下)日高六郎 ドイッチャー「中国の文化大革命について」(文芸)一読に値する分析 「中国は、米帝とソビエト修正主義は『基本的に一致調和』するとしているが、それは米国の思うつぼ、ベトナムに関与したくないソ連の思うつぼにはまっている。ソ連と米国を隔てる『深淵』を無視すべきでない」 文革ついて各誌に百家争鳴の見解 ①権力闘争 ②政策路線の対立にはじまる権力闘争 ③文字どおり「文化」「精神」運動 ④毛沢東思想の転回運動 吉田実「文化大革命の新段階」(世界)、新島淳良・中島嶺雄・大久保保泰座談会「燃え上がる毛沢東思想」(現代の眼)、菊池昌典「中ソの和解は可能か」(朝日ジャーナル2.26)

*当時の僕は未熟がらも文革に神秘性を感じていた。革命を成し遂げた後にも、絶え間なく「文化」「精神」の原点に戻りながらより深化していこうとする。魅かれた。現在の通説は、①の権力闘争だと思うが、②は表面的には理論闘争の装いをとっているが、内実は権力闘争という左翼に共通する特徴的な形態。当然僕は③の「文化」「精神」運動に期待を抱いていた。

■1967.2.27道新夕刊 奪権の手綱締める周首相 幹部追放に待った 行政機能のマヒ回避へ

■1967.2.28道新 文化大革命の方向転換 戦術的な後退? 実権派抱き込み図る

■1967.3.1道新 川端(康成)氏ら(三島由紀夫、阿部公房、石川淳)が抗議声明発表 中国の文化大革命は学問芸術の圧殺 学問・芸術を政治権力の道具とする思考方法には反対

*保守と言っていいだろう文化人たちは、限られた情報から本質をしっかり把握していると思う。

■1967.3.2道新夕刊 北京放送 山東省で革命委成立

■1967.3.3道新 チェテカ通信(チェコ) 中共中央委が決定 新疆の文革中止

■1967.3.3道新 ハンガリー紙報道 朱徳将軍、毛主席と激論 自己批判を拒否 文革を支持しない

★1967.3.3道新 日共系(民青)と中国系(華商)学生乱闘 9人重軽傷負う 善隣会館から日共系(日中友好協会本部)の追い出しをめぐり

*(れんだいこHPに学ぶ)1966.10.25第13回常任理事会で日中友好協会分裂。日共の反中国政策に反対する役員(少数派)は、善隣学生会館を出て日中友好協会(正統本部)を結成。日中友好協会は会館1.2階に留まる。だが、3.4階には中国人留学生が寄宿。「中国留日学生後楽寮自治会」は本国を支持し、1966.11大字報で、「日中友好協会(日共系)はこの会館から出て行くべき」と主張。1967.2.28~3.2壁新聞を、協会が破ったかどうかでトラブル発生。3.2日共動員部隊が、留学生と支援日本人を襲撃と不法監禁に対する『正当防衛権の行使』(日共の主張)として排除。留学生の主張では、凶器による暴行で重傷者が出た。

◎1967.3.3道新 モスクワ放送非難 中国はベトナム戦利用し米ソ衝突ねらう

1967.3.3道新 ジュネーブ軍縮会議第4日目 チェコと米が応酬 ベトナム戦、西独核接近で

1967.3.4道新 ソ連幹部会議議長(ポドゴルヌイ)が協調 北爆止めれば和平会談実現 

■1967.3.4道新 ブルガリア通信 林彪国防相が姿見せる 11月以来初めて

■1967.3.6道新 中国奪権闘争 幹部工作に全力 呉徳氏(前北京市長代理)復帰か 実権派抱き込みに焦点

■1967.3.7道新 中共の責任者確認 呉徳氏返り咲く “三結合”(革命軍隊、解放軍、党・政府機関の革命的幹部)に参加か 唐平鋳氏(人民日報編集長)も名誉回復 中国から帰った東独医師語る 毛主席、脳の動脈硬化

◎1967.3.7道新夕刊 ソ連首相(コスイギン) 中国に強硬態度 “国境の尊厳”知らせる いつでも軍隊動員

◎1967.3.8道新 文化大革命の焦点 周首相の動き “柔軟路線”を一手に推進 収拾の切り札?

1967.3.8道新夕刊 “ソ連の利潤導入”核心へ 卸に新価格体系 7月重工業製品を値上げ

■1967.3.9道新 衛生省に革命委 三結合では初めて

◎1967.3.9道新 ソ連の北ベトナム援助 平和共存とのジレンマ 中国との対立深まる 陸上輸送にかなり影響

★1967.3.9道新夕刊 新華社と北京放送 善隣会館事件を報道 日共(日共修正主義分子)を名指しで批判 日中友好協会(正統)本部

*(れんだいこHPに学ぶ)3.11人民日報「日共は、米日反動派、ソ連と結託した修正主義分子」、「中日友好と貿易を発展させるためには、米帝、日本の反動派、ソ連現代修正主義グループ及び日共修正主義指導分子と、断固として徹底的に闘わなければならない」と主張。

■1967.3.10道新 「紅旗」が改めて指示 奪権後は“三結合”を実施せよ 革命幹部が中心役割を 各単位に新機構

■1967.3.10道新夕刊 貴州放送報道 司令官が集会で発表 反毛派に死刑宣告 

1967.3.10道新夕刊 スターリンの娘(スぺトラナ・スターリン1925年生まれ) ローマに亡命 インドの米大使館通じ

◎■1967.3.11道新夕刊 ソ連書記長(ブレジネフ) 毛一派を糾弾 奪権闘争は“破産”

■1967.3.14道新 人民日報社説 春耕生産完遂のため農村の奪取中止せよ

★1967.3.14道新夕刊 善隣会館事件 武田泰淳氏らが日共を非難 日中友好を阻害するもの 伊藤義雄、井上清、内田吐夢、大谷螢潤、北川桃雄、木村伊兵衛、坂本徳松、白石凡、杉村春子、杉本健吉、千田是也、滝沢修、中川一政、中島健蔵、花柳徳兵衛、東山千栄子、松岡洋子、水上勉、向井潤吉、依田義賢、蝋山芳郎ら

■1967.3.15道新 紅代会(首都大専院校紅衛兵代表大会) 10万人が打倒デモ 譚(震杯)副首相を攻撃 周政策への不一致示すか さらに2副首相(李富春、李先念)も攻撃 

■1967.3.15道新 北京の壁新聞報道 重慶の反動派に作家の羅(広斌)氏殺さる

1967.3.15道新 スターリンの娘の“亡命” プラウダも簡単に報道 モスクワでも持ち切り

1967.3.15道新夕刊 ソ連 週5日労働制に移行

★1967.3.16道新 日共「赤旗」(15日付け 若林のぼる中央委員候補署名論文)で中共を攻撃 善隣学生会館事件で 中共非難は初めて 廖承志中日友好協会会長、孫平化同主席代表を非難

■1967.3.16道新夕刊 北京 李先念氏(副首相)を再び批判

■1967.3.17道新夕刊 壁新聞報道 中共中央 「幹部問題」で対立か 重要会議で闘争展開 実権派が巻き返し 当面、譚(震杯)副首相が対象?

◎1967.3.20道新 ソ連外務省が声明 2人の中国大使館員 即時国外退去を要求

★1967.3.20道新 赤旗に論文(19日付け) 日共、再び中共非難 団結乱す思い上がり

*(れんだいこHPに学ぶ)赤旗「中共は、反米帝の国際統一戦線に反対し、日本人民の解放闘争の諸条件を分析することもなく、選挙闘争を事実上、否定する大国主義、極左冒険主義、分裂主義である」と反論。 

◎1967.3.21道新夕刊 モスクワ放送 中国の強制同化非難 少数民族を迫害

◎1967.3.23道新夕刊 モスクワ放送 張司令官が権力行使 チベット反毛軍統治

■1967.3.24道新夕刊 北京 労働者連合大会開く 文革推進を誓う 荘則棟(卓球選手)が自己批判

■1967.3.25道新夕刊 李雪峰氏 返り咲く

1967.3.27道新 プラウダが初の論評 インドネシアの反共運動 帝国主義に奉仕(と批判)

■1967.3.27道新夕刊 北京の造反団体など 劉・鄧路線と対決 粉砕準備委を結成

■1967.3.28道新 人民日報報道 軍部、党中央に進出 徐(向前)氏が政治局委員へ

■1967.3.28道新夕刊 香港筋で中国大陸の情熱を分析 解放軍が春耕作業 農民にみなぎる反抗心

■1967.3.30道新 中国 周首相の実権強まる “党委”の復活を指示 国務院の各省 実権派台頭がめだつ

■1967.3.30道新夕刊 紅代会が紅衛兵に通達 周批判絶対いけない

 

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中島岳志 『親鸞と日本主義』

2017-09-18 16:31:12 | Weblog

4月からの無業者生活、まもなく半年が経過する。この生活で毎日欠かしていないのがNHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』を観ることだ。BSと総合の2回視聴する時もある。有村架純はもちろんいいが、ベテラン人に混じって個性を発揮している若手俳優たちが生き生きとしている。きっとブレイクする方が出てくるだろう。でもあと2週間、このままでは間違いなく『ひよっこ』ロスに陥ると思う。

 

『親鸞と日本主義』(中島岳志著 新潮選書 2017年刊)

本書は著者が、吉本隆明氏の講演会(1995年)で親鸞を知り、その後吉本の著書『最後の親鸞』を読んで衝撃を受けたことから始まる。著者の若かりし頃の思想形成を述べた序章は、僕自身との対話になった。その頃の僕は、自分の周囲にいた「自分を正しいと思っている人びと」に悩まされていた。ボランティアをしたり、他人のお世話をしたりと、いわゆる善人に囲まれていて幸せなはずなのに浮かない毎日だった。

「絶対正しいことをしている」かつ「周囲からもそう認められている」と思っている人は、自分に厳しくもあり自信も持っているのだろう。しかし、その分、他者に対して求める水準が高く、こうあるべきというものを押し付ける傾向があると感じていた。この問題意識は、僕が今左翼の歴史を振り返ろうと思っていることとも重なる。保守(右翼)と左翼の思想や行動を比較すると、左翼の方は理性や知性に基づいて理想社会像を掲げ他者対する権力的な振る舞いがきついと感じる。親鸞思想はこの「自力」思想を警戒する。

本書は、この程度だった僕の認識を一歩進めてくれた。この国最大の仏教宗派である浄土真宗。その親鸞思想が日本主義(超国家主義)と強い親和性があり、戦前の右翼や国粋主義者の拠り所になったという歴史があったことを教えてくれた。

読み方としては、「序章」の次に、「終章」で本書全体の思想を俯瞰し、その後各章を読んだ方が理解しやすい。

 

 

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「ダメ!ゼッタイ」は、ダメ―ゼッタイ 

2017-09-09 09:20:54 | Weblog

以下は、近年出会った中で最も感銘を受けそして本質を突いた文章だと思う。雑誌『世界』(2017年10月号)「読者談話室」への投稿から全文を引用したい。僕が心に残った部分に下線を引いた。読む人それぞれのアンダーラインの位置は違うと思う。

 

 「ダメ!ゼッタイ」は、ダメ―ゼッタイ   須々木真由美氏(荒川区・28歳・教員)

 世の中にはいくつか、「ダメ!ゼッタイ」と禁止されていることがある。薬物依存、売春、自死・・・。

 公益財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センターは、「ダメ。ゼッタイ博士」なるキャラクターを用いて薬物の恐ろしさを警告している。内閣府や警視庁が出すJKビジネスへの警告チラシには、有名タレントの写真とともに「はしゃぎ過ぎダメ」「絶対やっちゃダメ」のフレーズが並ぶ。あるいは自死者については、古くから宗教の世界において「地獄に堕ちる」「天国には行けない」などとタブー視されてきた歴史がある。

 望ましくない行為をしそうな人々に何らかのアクションをすることで、そこから遠ざけたいという善意から発した言葉であることは疑わない。しかし、「ダメ!ゼッタイ」を繰り返すことに、どれほどの意味があるだろうか。

 私にはギャンブル依存の父親と、それを苦にして蒸発した母親がいた。いつもそのことで前向きになれず、友人の少ない学生時代だった。進路相談の面接で、担任から「あなたは暗い。自己肯定感を持ちなさい」と言われた。担任は、「自分を大切にする心がないと、自分を傷つけることに抵抗がなくなってしまう」のだと話した。

 私はうつむいて耐えるしかなかった。わかりきったことを言われ、それでもどうしようもなく孤独だったのに、誰もその「自己肯定感」を持たせてくれる大人はいなかった。

 「ダメ!ゼッタイ」のポスターを見ていると、あの時の気持ちを思い出す。ダメなのは、みんなわかっている。誰もドラッグや売春、自死を善行だとか美徳となんて思っていない。そこに至るまでに抱えきれない孤独感や喪失感を無視して、「それはやってはいけないことだよ」という正論だけを振りかざす

 弱い人が抱えている問題には向き合わないのに、正しくあれと強要してくる社会になってしまった。そうなると、友達が多くてキラキラしていて、健全で伸びやかな心を持っている子どもたちの世界と、そこには溶け込めない子どもたちの世界はどんどん隔たっていく。精神科医の松本俊彦氏は厳罰によっては薬物依存が回復しない旨をしきりに発信しているし、JKビジネスの啓蒙ポスターについての「買う側」の視点の欠如は仁藤夢乃氏が警告している。また、自死者への偏見と彼らが抱える苦悩については、杉山春氏のルポ(「世界」連載)に詳しい。

 それでも世の中は、やってしまった人に「ダメ!ゼッタイ」の烙印を押し続ける。自己責任論の極致ではないか。

 私は学生時代の担任の言葉で、教員になることを決意した。「暗い子」という結果だけを見て「自己肯定感が足りない」と一応の分析をして、「もっと自分を大切に」と当たり前の結論をさも大発見のように言うーしかしそんな教員が悪意に満ちているわけではなく、本気でいることを知ったからだ。そして、世の中にはもっともっと意図的に「自己責任」を刷り込むシステムさえある。教育の現場から変えていきたい。

 

 

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戦後左翼史 その50 1967年① 文革抗争 日共・中共断絶

2017-09-04 20:33:24 | Weblog

猪木氏の訪朝を支持したい。僕は、野党は外交でしか活路を見出すことはできないと考えている。社会保障や教育、経済政策などの内政は、これまでの経験や官僚の協力もあり与党にはかなわない。しかし外交には、現在の米国のポチ状態から脱却する選択肢を提示できる可能性がある。アジア諸国、こういう情勢だからこそ特に北朝鮮とは別のチャンネルを持つことは有益だ。昔の自民党には、金丸信氏が北朝鮮、宇都宮徳馬氏が中国と独自のパイプをもつなどユニークな政治家がいた。

 

戦後左翼史 その50 1967年① 文革抗争 日共・中共断絶

1967年(僕12歳、中学校1年生、小学校4校から生徒が集まる1学年13クラス、生徒数2,000人の超マンモス校に入学)この年に、国内外であったこと。ゲバラ死去、10.8羽田事件

(★印は日共関係、◎中ソ対立関係、■文化大革命関係)

■1967.1.3道新 新年社説 人民日報、紅旗が主張 実権派に総攻撃を 紅衛兵の壁新聞 彭前北京市長らの処刑要求 彭徳懐北京へ連行

(*は僕の考え)1967年になると、実権派、主流派、反主流派、毛・林派、反毛派、反動派、革命派、革命造反派、革命左派など呼称は様々だが勢力間の抗争が毎日詳しく北京特派員から伝えられた。今は夕刊報道の内容が翌日朝刊にほぼ同様の記事で掲載されるため、夕刊を購読する意味が薄れているが、当時は夕刊を読まないと一連の動きがつかめなかったと思う。また、壁新聞などに書かれた情報も細かなところまで丁寧に報道されていた。

■1967.1.4道新 文化革命 生産部門へ急ピッチ 総工会もヤリ玉に 工人日報改組まで停刊 実権派への荒療治 

■1967.1.4道新 紅旗が論文 周揚氏(旧中共中央委宣伝部)を非難 

■1967.1.4道新 全国総工会 世界労連の出席拒否を非難

■1967.1.5道新夕刊 北京市内 紅衛兵 反革命分子41人、一覧表張り出す

■1967.1.6道新夕刊 毛主席上海行きの真相(1965.11~1966.7) 北京で意見実行できず

■1967.1.7道新 北京と国際電話 陶鋳批判の背景 文革推進派だが抜擢の子分が工作失敗 追及の決め手に 毛主席だけが地位安定

■1967.1.7道新 平和を探る⑥ 毛・林路線の行方 外交は硬化の一途 “ベトナム”妥協は不可能

■1967.1.7道新 外務省の中共分析 毛・林ラインは孤立 年内に失脚も予想 毛・林を支えていた陶鋳副首相が失脚 現在、支えているのは江青、陳伯達 

*後知恵になるが、この外務省の情勢分析は誤り。文革の推進役だった陶鋳の失脚は毛の期待に応えることができなかったため切られたのであり、毛の孤立を示すものではなかった。

■1967.1.7道新夕刊 紅衛兵 広州で報道機関占拠 責任者を追放、解任 中国鉄道 4か月間で紅衛兵5,000万人以上を運ぶ 流血事件続発で上海―南京の鉄道遮断 

■1967.1.7道新夕刊 紅衛兵壁新聞 周首相を初攻撃 陳榖外相も非難 劉少奇の系統図発表 陶鋳、李雪峰も攻撃

■1967.1.8道新 北京の壁新聞 “周批判”に反対ビラも 李(富春)副首相も攻撃 昨年(10.24)の工作会議(党中央政治工作報告会議) 毛主席、薄(一波)副首相らを批判

■1967.1.9道新 南京で大流血事件 死傷400人越す 市内はマヒ状態 赤衛隊と労働者衝突 壁新聞が報道 黒幕は陶鋳氏? 北京天安門広場に20万人参加 劉、鄧批判大会開く

◎1967.1.9道新 ソ連党中央委 革命記念の声明 暗に中国非難

■1967.1.9道新夕刊 壁新聞 文化革命小組が分裂 劉志堅副組長(人民解放軍政治部副主任)を批判 

◎1967.1.9道新夕刊 仏共産党が決議 世界党会議開催を支持 ポーランドも賛成

■1967.1.10道新 香港筋の観測 毛・林派優勢と断言できず “面従腹背”が続出 実権派、地方の大半手中に

■1967.1.10道新 紅衛兵 ニセ電話で連れ出し 劉夫人つるしあげ 毛・林両首脳 杭州に滞在か(12月、初~)

■1967.1.11道新 周首相 6人の副首相弁護 自己批判に時間を

■1967.1.11道新夕刊 周首相 劉・鄧批判で発言 毛主席の指示は、打倒闘争は不必要 行き過ぎを抑える意図 紅衛兵運動は転機に 国政の渋滞が心配

■1967.1.11道新夕刊 米の中国専門家が意見 毛主席 権力維持に失敗

■1967.1.11道新夕刊 チェコ通信社報道 反毛勢力総動員へ 近く大衝突を予想

◎1967.1.11道新夕刊 ソ連首相 ウラジオストクで演説 国境に中国の脅威

■1967.1.12道新 北京放送 反毛派労働者が北京へ 職場放棄、全国に波及

■1967.1.12道新夕刊 人民日報・紅旗が社説 主流派(毛・林)に総決起呼びかけ 徹底的に粉砕せよ 反動派、新たな抵抗

■1967.1.13道新 中国文化革命最大の山場に 反動派に最後通告 主流派の巻き返しの拠点・上海

■1967.1.13道新 中国 解放軍の革命小組を改組 革命指導を強化 反動路線の一掃をはかる 周首相、紅衛兵に語る 文化革命、総司令部は軍事委

■1967.1.13道新夕刊 周首相が治安強化草案 毛・林侮辱に“不敬罪”

■1967.1.14道新 陳伯達(政治局常務)委員 軍、党宣伝部握る 人民日報、新華社も 主流派 上海鉄道局を接収 北京 当局の実力行使で公安機関 権威を回復

■1967.1.14道新夕刊 中国 解放軍報 社説で協調 軍の反動派一掃 極端な文化革命推進に毛主席が反対表明

■1967.1.14道新夕刊 紅衛兵 北京放送局を接収 壁新聞報道 陳氏もかばい切れず 以前から陶鋳を警戒

◎1967.1.14道新夕刊 ブレジネフ書記長演説 中国の反ソ分裂政策 新たな危険段階に

■1967.1.15道新 上海の鉄道正常に 革命派ほぼ完全管理

■1967.1.15道新 劉少奇主席 自己批判撤回か “工作組派遣正しい” 巻き返しかなり成功か

■1967.1.16道新 中国共産党「紅旗」が重要論文 文化革命、新段階に入る 上海の指導権奪回 権力派の反撃避ける 大衆惑わす権力派 徹底的に打倒 妥協せぬ

■1967.1.17道新 中共中央 「経済主義反対」5項目を決定 生産、革命に励め 銀行、規定外資金の支出拒否 

■1967.1.18道新夕刊 人民日報新編集長(唐平鋳)ヤリ玉に 北京市内の公園閉鎖 北京 軍事学院士官が反毛活動

■1967.1.19道新 胡痴新華社社長代理も摘発 軍の文化革命破壊図る 紅衛兵が予測 反革命派 広州でも破壊活動

■1967.1.19道新 主流派 上海で自信 北京でも実力行動 市党委、市公安局の接収管理

■1967.1.19道新 解放日報 経済主義、人民公社に波及 生産増強を阻止 職場離脱も勧める 年末分配は公平に

■1967.1.20道新 李雪峰北京市委第1書記も逮捕 劉派の12人亡命か 広東から香港へ 

■1967.1.20道新 毛・林派経済混乱収拾に全力 軍に銀行保護指示 周首相、紅青ら労働者の帰郷を説得 広州市 市民生活に大混乱 100万の紅衛兵が流入 広州でも毛沢東の像焼く 

■1967.1.20道新夕刊 紅衛兵新聞が非難 実権派、反革命陰謀を企図 ソ連大使館と接触 彭真氏ら4人(陸定一、羅瑞卿、揚尚昆)秘密情報を流す 人民日報編集長(唐平鋳)解任さる

◎1967.1.20道新夕刊 ソ連首脳 ポーランド訪問 世界党会議で協議

■1967.1.21道新 香港の観測 中国、一種の無政府状態 幹部の権威失墜 下部の突き上げに屈す 主流派、生産停滞に慌てる 壁新聞報道 羅瑞卿、薄一波氏、罪を恐れ自殺

■1967.1.21道新 複雑な中共軍内の対立 批判される彭・羅系 長老攻撃も一段と激化

■1967.1.21道新夕刊 北京の壁新聞 賀竜副首相逮捕される 

■1967.1.21道新夕刊 上海工人造反司令部 「人民に告げる書」発表 農村でも実権派と闘争を 経済主義の毒素一掃

1967.1.21道新夕刊 金光侠北朝鮮副首相(元人民軍参謀長)逮捕か

*当時から北朝鮮では粛清は行われていたことがわかる。

◎■1967.1.21道新夕刊 プラウダ論評 中国の文革、傍観できぬ 毛一派は分裂策す 世界共産党大会ぜひ必要

■1967.1.23道新 中共両派、全国で激突へ 人民日報、全力で奪取せよ 革命派の大連合を号令 江西省 反毛派が大暴動 放送所などを占拠

■1967.1.23道新夕刊 江西省暴動 革命組織呼びかけ 商工業再開せよ サボ行為、処罰されよう

★1967.1.23道新夕刊 壁新聞 出なかった昨年(春)の日共との声明 毛主席、草案に不満(劉、鄧が起草) その後、毛主席自ら日共と会談 日共は声明を出すことを拒否 日中共産党の関係悪化

■1967.1.24道新 北京放送 革命生産委を称賛 “革命史上輝く一章” 主流派 “康生攻撃は誤り”擁護に乗り出す 壁新聞報道 ソ連などに親中国派結成か 蒋介石総統指摘 北京政権は崩壊の危機に

■1967.1.24道新 中国 接収管理に軍が出動 北京南部の房山県 革命造反派を援助 周恩来首相が言明 反革命、軍が鎮圧 毛主席が命令(林国防相に対し毛派を援助)

*人民解放軍が初出動!軍を掌握しているのが誰かが重要。

■1967.1.24道新 文化大革命 最悪事態に 内戦の可能性も 強かった実権派の反撃 康生批判分子を逮捕 壁新聞 江青女史も非難 中国兵士 南京地区の衝突事件(1月初)で示唆 瀋陽の革命造反団体 党中央東北局を接収 中央首脳 北京の紅衛兵に指示 “市人民政府”つくれ 

★■1967.1.24道新 日共 紅衛兵の非難に反論 「紅衛兵の不当な非難に答える」(1.24付け赤旗) 「日中共産党会議について反論」(1966.3月)

*(れんだいこHPに学ぶ)日共、公然と名指しで中共及び毛沢東を批判。北京在住日共党員10名が、「宮本修正主義」粉砕声明を発表。かくて、文革の深化に伴い日中両党間が完全に断絶。

■1967.1.25道新 解放軍介入 革命派激励がねらい 大きな出動はない 実権派へ“切り札”を強調 香港筋の見解 林彪、毛主席と意見対立 (林)“慎重な歩調”勧告 解放軍の使用にも反対 林彪国防相が昨年8月に軍の人事刷新を明示 蕭(蕭華氏解放軍政治部主任)は劉・鄧の黒幕 北京司令官(楊勇)が批判・・軍内部で対立 モスクワ放送が非難 中国の孤立は毛主席の罪

■1967.1.25道新 北京放送 解放軍に呼びかけ “反対派(毛批判)粉砕準備を” 革命造反派(毛支持) 山西省党委など接収

■1967.1.25道新夕刊 壁新聞(大字報)の実態 独特の大衆伝達方式 ナマの声を反映

■1967.1.26、27、28、29道新 文化大革命は燃え盛る(①~④)香港で伊藤特派員 ①実権派:五つの罪 最も重い“反革命” 党中央宣伝部の9割が該当 新しく“経済主義”が加わる ②主流派の内部:足並みに乱れ出る 林彪国防相と江青夫人対立か 周首相、情勢打開に必死 ③なにもいらない:厳しい精神主義 10余年しいられた耐乏生活 不満の民衆 経済主義を歓迎 ④このおれを見よ:自分を神格、絶対化 “中国が歩む道こそ最善のもの” 毛路線の国際版めざす

◎■1967.1.26道新夕刊 ソ連紙 文化革命を論評 大躍進政策の失敗が原因 鉱工業生産が激減 指導権に大衆の批判増す ソ連外務省が抗議 中国人旅行団 “赤の広場”で騒ぐ 陳毅外相夫人ら引き回される 北京の壁新聞 蕭華を“三反分子”(反党、反社会主義、反毛沢東)と批判(軍内部から)

■1967.1.27道新 北京で張り出し 江青女史に痛烈な批判者(初めて) 一部だけ“ひいき” 毛氏の化身と思い上がる 広州で反毛派処刑説 紅衛兵が100人虐殺? 上海駐屯部隊(中国海軍) 革命左派(毛支持)を支持

■1967.1.27道新夕刊 陳伯達(党中央文化革命小組組長)批判の壁新聞出る

■1967.1.28道新 中国 新疆地区で(造反派と)武力衝突 100人以上死ぬ 実権派の戦車待機か 光明日報編集長の追放必至 劉・鄧反動ラインを遂行

◎1967.1.28道新 世界党会議 ソ連、来年に延期? 慎重期し、まず欧州会議

■1967.1.28道新夕刊 武力衝突の新疆 実権派が“王国”形成 複雑な民族問題からむ

◎1967.1.28道新夕刊 人民日報がキャンペーン ソ連人民も謀反を

■1967.1.29道新 新疆ウイグル自治区 情勢いぜん険悪 林国防相 解放軍報除外せよ 接収の動きに反発 北京大学文化革命宣伝隊の壁新聞は、解放軍報を接収する動き

◎1967.1.30道新 モスクワ 中ソが記者会見合戦 悪化する赤の広場事件(中国人留学生とソ連官憲との衝突) にくしみが表面に 

◎1967.1.30道新 中国外務省 ユーゴに抗議 毛主席の肖像を破壊 劉瀾涛中央委員は失脚か

■1967.1.30道新夕刊 文化大革命 中央軍事委 8項目の命令 軍の介入に基準 壁新聞報道 賀竜副首相を逮捕 周首相 党中央の方針明示 奪権闘争と接収管理で

■1967.1.31道新夕刊 青島で反毛軍が反乱 造反派軍 対決のあと鎮圧 正規軍反乱、初めて

■1967.1.31道新夕刊 紅旗社説 革命造反派の権力機構 新しい国家形態

 

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