晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

確信犯 中山成彬

2008-09-28 19:33:39 | Weblog
 日暮れが早くなりました。この時期になると、ランニングも週末中心、ただ今年は夏の走り込み不足がたたって、少しきつく走ると股関節が痛くなったり、相変わらず五十肩(右肩関節周囲炎)が痛かったり。騙し騙されながらです。

 19日の北海道ロードレスまで3週間、「ハーフ」もようやく走れるかどうか?



 昨日、あっそー内閣には、麻生、中山、石破の3馬鹿トリオがいると書きましたが、あの上品そうに見えるが発言内容のキツイ中山参与の旦那が突然辞めてしまいました。本当に残念です。もう少し、彼の発言を聞きたかったのに。

 でも、彼(ら)の言っていることは、本気でそう思っているのでしょうね。アイヌのこと、日教組のこと、成田闘争のこと、全部確信犯でしょう。他の方々は皆、腹の中ではそう考えているが、それなりに利口なので口に出さないだけです。ある意味、中山氏は正直なのです。だからもっと聞きたかったのです。

 彼の発言を「論外」と言って、取り合わない空気が与野党共通に漂っていますが、根底的に糾すべきだと思います。「差別」と「選民思想」、この国の保守思想の真髄が現れています。

 きちんと批判できないのは、その人(党)の中に、「内なる差別思想」「内なる選民思想」が宿っているためです。



 さて、3バカトリオのメンバーを変更します。中山に変わって、鳩山か中川どちらにしようか。鳩山にします。彼にも濃いのが期待できます。あっそー内閣新3バカトリオは、麻生、鳩山、石破になりました。


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あっそー!

2008-09-27 10:49:15 | Weblog
 「あっそー」は、園遊会での昭和天皇の専売特許!

 あっそーさん、4度目の正直で悲願の総理大臣に。これでオジーちゃんにようやく顔向けできるというもの。
どうせ短期の選挙管理内閣だから、あっそーにでもやらせておこう、てな感じが見え見えの、途中失速総裁選挙出来レース。

 この内閣、発足早々楽しいじゃありませんか。麻生、中山、石破の3バカトリオがこれからも楽しませてくれると思います。

 総理大臣や大臣は、世間からは「選ばれた方々」と見られているのでしょうが、どんなにマスコミがイメージを作り上げても、身から出る錆というか、欠落した人格がはみ出てしまうのでしょう。

 内輪話を外でしてはいけませんよね。こんなのは、どこの家庭でも当たり前のこと。「よそで、こんなこと言ってはいけませんよ」と母親が子ども達に真面目に教えることって結構あると思います。

 2世議員とか、世襲とかといって批判されていますが、そのことは特に悪いことではないと思います。会社経営でも、教員でも、郵便局でも、公務員でもたくさんいます。農家は世襲の他は中々参入できない職業ですし。

 問題は、動機のわからない人です。民主党の鳩山由起夫、毛並みは抜群です。財産も溢れるほどあります。(今回のリーマンショックで何億も損をしているはずです。兄貴が言っていますから。)庶民の暮らしなど全くわかりません。彼が、民主党にいること、彼が生活防衛を主張していること、不可解です。彼が、政治家として何をしようとしているかが見えません。総理大臣になりたいだけなのでしょうか。

 あっ、自民党を批判しようとして、思わず民主党を批判してしまった。時々区別がつかなくなります。

 小沢は言います。「1回だけやらせてくれ」「1回だけでいいから」、小沢の顔を思い浮かべながら、この台詞を何回かつぶやいてください。変な雰囲気が漂います。
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『21世紀の歴史』 その1

2008-09-26 20:03:29 | Weblog
 「明日あると 信じて来たる 屋上に 旗となるまで 立ちつくすべし」

               道浦母都子「無援の抒情」より



 『21世紀の歴史』(ジャック・アタリ著 作品社 2008年刊)

 本書は、フランスで大ベストセラーになり、それがきっかけにサルコジ大統領は、諮問機関として「アタリ政策委員会」を設置、21世紀のフランスの国家戦略を議論したという。

 約350ページ全6章からなるが、281ページまでは、悲観的な未来予想が延々と続き、まさに地獄絵図である。最終の第6章で、ようやく人類に可能性を感じさせるような「転回」があり、そのために今取り組まなければならない政策が提言される。

 ストーリーは、おおよそ以下のようなおとぎ話である。
 米帝による世界支配は、2035年以前に終焉する。続いて、世界は多極化し、超帝国、超紛争の時代に突入する。気候変動による被害、領土をめぐる紛争、石油、水資源、宗教などによる紛争状態である。そして、2060年頃、最後に超民主主義が勝利する。

 ただ、なぜ、フランス政府がおお真面目でアタリのこのような言説を国家戦略の構築に活用しようとしているのか。

 反対に、この国は、このような戦略的な試みさえ無く、場当たり的な国家戦略しかないことも問題である。米帝の後をシッポを振って着いていっても、後15年で、否、その前に放り出される運命なのに。


 生産力と生産関係、上部構造と下部構造など唯物史観的思考に慣れてしまっている私にとっては、本書のような未来予測は、その根拠がわかりにくく、歴史の必然性が感じられない単なる予想にしか思えないのであった。

 次回、本書の中で断片的に出てくる日本に関する記述についてふれる。


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『国産はじめて物語』

2008-09-20 19:14:59 | Weblog
 『国産はじめて物語 世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』(レトロ商品研究所:編 ナナ・コーポレート・コミュニケーション 2003年刊)

 写真が多く読みやすい本ですが、立派な技術史になっています。

 外国に行くことが稀な時代、海外から珍しいモノを買ってきて、バラして構造を研究、そして真似る。この国が島国だったことが、地理的に幸いしています。現在ほど特許などに比較的ルーズな時代だったのでしょう。

 この国の先駆者が巧みにカッコつきの「国産化」を達成しています。小さな製造業の会社から今日の企業へ飛躍しています。現在の企業名にも創業者の名前が残っていたりします。

【明治】
・オルガン、ピアノ:創始者 山葉寅楠→日本楽器製造→ヤマハ
  山葉の弟子、河合小市が独立→河合楽器研究所→カワイ
・鉛筆:眞崎仁六→眞崎鉛筆製造所→三菱鉛筆
・自転車、消火器(昭和:戦後):宮田栄助→宮田製銃所→宮田工業
・カメラ、カラーフィルム(昭和:戦前)、オートフォーカス・カメラ(昭和:戦後):小西六右衛門→六桜社工場→コニカ→コニカミノルタ
・蓄音機、LPレコード(昭和:戦後):日本蓄音機商会→コロンビアミュージックエンターテイメント

【大正】
・腕時計、クウォーツ・ウォッチ(昭和:戦後):服部金太郎→服部時計店→精工社→セイコーウォッチ
・シャープペンシル、鉱石ラジオ、白黒テレビ(昭和:戦後)、電卓(昭和:戦後):早川徳次→早川兄弟商会金属文具製作所→早川電機工業→シャープ
・量産乗用車、ディーゼル・バス(昭和:戦前):三菱造船株式会社→三菱重工業→三菱自動車
・ミシン、コンピューター・ミシン(昭和:戦後):飛松謹一、亀松茂→パイン裁縫機械製作所→蛇の目ミシン工業
・クレパス:山本鼎→桜クレイヨン商会→サクラクレパス

【昭和:戦前】
・洗濯機、電気炊飯器(昭和:戦後)、ワープロ(昭和:戦後):芝浦製作所→東京芝浦電気→東芝

【昭和:戦後】
・スクーター:中島飛行機→富士産業→富士重工業
・セロテープ:歌橋慶一→歌橋製薬所→日絆工業株式会社
・テープレコーダー、トランジスター・ラジオ、ウォ-クマン、CDプレーヤー:盛田昭夫、井深大→東京通信工業株式会社→ソニー
・ブラジャー:塚本幸一→和江商事→ワコール
・ナイロン・ストッキング:堀禄助→厚木綿織→アツギ

・ホッチキス:山田勝太郎→山田航空工業→山田興業→マックス
・ジュース自販機:ホシザキ電機
・カッター・ナイフ:岡田良男→OLFA株式会社→日本転写紙→エヌ・ティー
・スタンパー:舟橋高次→舟橋商会→シャチハタ
 
・アイスノン:鎌田泉→白元
・ロータリー・エンジン:東洋工業→マツダ
・超極薄コンドーム:岡本巳之助→岡本理研ゴム→オカモト
・缶コーヒー:上島忠雄→上島忠雄商店→上島コーヒー→UCC上島珈琲
・電子ジャー:象印マホービン株式会社

・カラオケ:井上大佑→クレセント→イノウエ
・CPU搭載一眼レフカメラ:キャノン
・ビデオデッキVHS:日本ビクター
・マイコン:日本電気(NEC)
・使い捨てカイロ:ロッテ電子工業

・液晶型携帯ゲーム機:任天堂
・レーザーディスク・プレーヤー、GPSカーナビゲーション(平成)、DVDビデオプレーヤー:パイオニア
・ミッドシップ・スポーツカー、ハイブリッド・カー(平成):トヨタ自動車
・レンズ付きフィルム:富士写真フィルム

【平成】
・修正テープ:シード
・プリント倶楽部:アトラス


 私は、「技術とは、人間実践における客観的法則性の意識的適用である」と習いました。
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日米軍事再編

2008-09-15 17:48:58 | Weblog
 気温はそこそこ夏のように高いが、空気が乾いていて、やはりもう秋ですね。週末ランニング、白石サイクロングロード往復20km、1週間で3kgほど体重を落としましたが、その結果、体は軽く感じるが、ちょっとスタミナに問題が発生です。



 『沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟』(西山太吉著 岩波新書 2007年刊)の第4章「変質する日米同盟」より引用(要約)する。

 ①米国の世界戦略の転換
 「日米軍事再編は、米国の世界戦略の根本的な転換を反映している。」「米国は、すでに欧州、すなわちEUと冷戦後のロシアとの関係改善などから、同地域を“安定の弧”ととらえ、世界の軍事戦略の重点を西から東に大幅に移し替え、“不安定の弧”と称する中東から東南アジアにかけての地域への対応に集約した。」

 「米国の対中国政策の決定的ともいえる転換」「すでに、中国の外貨準備は世界一の1兆ドルに達し、米国債の最大の引き受け先となった。」「中国は、逃げられては困る大事なスポンサーになった。」「中国は、日本が米国への右へ倣えに終始している間に、東南アジア全体に強大な影響力を及ぼすようになった。」

 「米国の北朝鮮に対する見方は、かなり冷静である。」2005年5月のランド研究所の見解では、「長期的には朝鮮半島の政治的統一、南北和解、あるいは北朝鮮の体制崩壊により、北朝鮮の脅威は消滅し得る。」このため、2012年までに米韓連合軍司令部は廃止され、朝鮮半島有事の際の戦時作戦統制権が韓国へ委譲される。」

 ②日米軍事同盟の変質、一体化
 「米陸軍第1軍団(ワシントン州フォートルイス)は、2008年度までに座間へ進駐する。」「座間進駐の理由は、第1軍団が第7艦隊や第3海兵遠征軍と共同作戦を展開する機会が増大したため。」「日本側も、大臣直属の中央即応集団を編成し、2012年度までにキャンプ座間に移し、米側との共同作戦に参画する。」

 「航空自衛隊総隊司令部も2010年度までに、府中から米第5空軍司令部のある横田基地に移転し、共同統合運用調整所において、協力する。」



 戦争は、一瞬で私たちの平和な暮らしを根底から破壊してしまう愚行である。上記のように日米の軍事一体化が進んでいる。しかし、米国は、既に、日本よりも中国やインドを重視する姿勢に転換している。日本の片思いである。

 しかし、この国の外交姿勢は将来の展望を持てず全く無策である。自民党も民主党も、その他の雑派も何も示していない。

 自民党か民主党か、果たして政権交代があるのか。年金問題、後期高齢者医療制度・・・が大変である。本当にそうなのか。

 私たちは、どっぷりと生活保守主義、すなわち私生活優先主義に浸かっている。少しでも楽に、負担が無く、受益はたくさん・・・。

 平和を前提として成立している生活のあり方が一瞬でぶっ飛んでしまうような、この国を取り巻く情況が変質している。
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西山太吉 フォーラムin時計台

2008-09-14 17:36:28 | Weblog
 西山太吉 第11回 フォーラムin時計台 2008.9.12 

 西山太吉、元毎日新聞記者、1972年沖縄返還にからむ日米間の密約を暴くが、外務省の事務官とともに国家公務員法違反容疑で逮捕され、有罪判決を受ける。

 西山氏は、1931年山口県生まれ、岸、佐藤、安倍と同じ長州出身、70歳代後半であろうがとてもエネルギッシュ、当時、外務省の女性が惚れてしまったのも何となくわかる。

 当日、西山氏から何点か興味深い発言があったのでメモしておく。

 ライス米国務長官の「6カ国協議を地域安全保障機構へ発展させたい。」との発言は、米国がもはや日米安保同盟より中国を重視しており、北東アジア丸ごと米国の影響下にするという政策転換をしている。しかし、この国の外交政策は無策。

 日本政府は、国連の安保常任理事国入りを狙っているが、日本の力で戦後復興を助けられたはずの東南アジアの国々はどこも支持してくれない現実、皆、中国の方を向いている。

 当時、沖縄返還にからんで密約があるという記事を新聞が書いても、政府は認めず無視する。社会党なんて、追及の材料を何も持っていないので、社会党担当記者を使ってアプローチして来た。それで、社会党の横路孝弘を使った。権力と刺し違えるしかないと思った。(現在の横路氏、この件で何か感ずることはあるのでしょうか。)

 佐世保に米原潜が始めて寄港することをスクープしたが、その事実は政府内でも3人しか知らない機密だった。しかし、その人は、情報漏洩に問われず、後に駐米大使になった。(東郷文彦か?)

 明治維新は、近代化という形をとったが、本質は反革命であった。長州の彰義隊は、維新の過程で、農民や町民を糾合したコミューン形成の動きを見せたが、明治政府はそれを徹底的に弾圧した。明治政府は、死に体だった天皇を担ぎ出し、財閥、軍閥、藩閥によるアンシャンレジームを形成した。

 この国の歴史は、戦後も連続しており、民衆の下からの市民社会の構築は無く、近代化によって大衆社会が存在しているだけである。そのため、コイズミ劇場のように簡単にマスコミによって世論が誘導されてしまう。

 
 西山氏の著作を読んで見たくなり、『沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟』(岩波新書 2007年刊)を帰りに購入。



 シュークリームも食べますが、毎日1時間の通勤ウオークと週末ランで、1ヶ月減量作戦に入りました。目標は、10.19北海道ロードレース(ハーフマラソン)です。




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楽に寄す

2008-09-13 20:38:07 | Weblog
 『楽に寄す』という名を冠した小さな友人のコンサートに行ってきました。

 ドビュッシーやシューマン、マーラー、シュトラウス、メンデルスゾーン、オッフェンバックなどフランス、ドイツの歌曲を唄ってくれました。

 『楽に寄す』というのは、シューベルトの歌曲のタイトルです。その曲の詩は、「どんなに辛く険しい人生が私を縛りつけようとも、音楽は温かい愛を持って私をより良い世界へと導いてくれる。そんな音楽に私は感謝する。」という意味なのだそうです。

 友人は、小さな時に母親を亡くし、10年ほど前に父親も亡くなり、音楽の志を立てるためドイツに留学していましたが、体調を崩して帰国しました。今回のコンサート、ようやく復帰できたように感じました。

 今日のコンサートで彼女が、「おかあさん」を唄った時、彼女の人生を知っている人は涙をこらえることができませんでした。ピアノの伴奏をしている女性も泣いてしまい、次の曲を始めることができませんでした。

 山田耕筰という日本の作曲家の曲もありましたが、その時、ちょっとしたエピソードが紹介されました。

 山田耕筰は、元々山田耕作だったのが、髪の毛が薄くなってきたため、名前に竹冠を付け耕筰になったのだそうです。私もそろそろ名前に竹冠をつけようと思いましたが、果たしてそのような字があるのでしょうか。

 全く門外漢のジャンルの音楽もほんのたまにはいいものですね。

 
 
  
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『昭和とは何であったか』

2008-09-10 20:35:09 | Weblog
 自民党の総裁選候補が揃いました。参議院は、民主党に渡しても、衆議院を簡単には渡せないのでしょう。権力が総動員されました。今や、マスコミは、自民党の広報部門と化しています。どなたが書いたストーリーなのかわかりませんが、順調な展開です。

 候補者の顔が楽しいです。奇人変人が揃いました。

 麻生は口が曲がっています。顔も歪んでいます。過去に何か強いストレスがあったのでしょう。

 石破は、どこを見ているかわかりません。軍事おたくと言われていますが、マザコンも窺えます。疲れています。

 石原は、どうして左右の眉毛が繋がっているのでしょうか。慎太郎パパは、昔「スパルタ教育」というベストセラーを出しました。きっと強い子に育っているのでしょう。

 小池は、化粧でごまかせなくなっています。女性総理の可能性としては、話題性NO1です。しかし、あちこち渡り歩き過ぎで節操がありません。身体検査でひっかかるでしょう。

 与謝野は、強さも意欲も感じませんが、一番フツーな感じです。青島幸男に似ています。

 自民党員にしか選挙権の無い選挙ですが、何か自分たちで選べるような錯覚に陥っています。何もかも思う壺です。福田さんの「あなたと違って、自分は自分を客観的に見ることができる」というのも、まんざら嘘ではなさそうです。



 『昭和とは何であったか 反哲学的読書論』(子安宣邦著 藤原書店 2008年刊)

 「著者渾身の昭和論」と帯カバーにあり、題名に引かれて購入。

 著者の言う読書論は、「読書による昭和の体験的解読、すなわち、昭和と言う時代をどのように人々が経過したのかを言説上に追体験的に辿りながら昭和を読み解く」と言うことである。

 具体的には、古書店で店頭に並ぶ安価な古書、著者によれば1冊2000円以下、それを読み込むことで昭和を捉えようとする試みである。

 素材は、教科書「小学国語読本」、雑誌「文芸春秋」であったり、小説では、火野葦平「小説 陸軍」、角田房子「閔妃暗殺」、清水安三「朝陽門外」、評論では、橘樸「国体論序説」、田辺元「種の論理の弁証法」などである。

 はたして、その試みは成功しているか。NOである。読み手の側の感受性も感度の良好な日もあれば、鈍感な日もある。最近は、少しスランプ状態。

 しかし、それを割り引いても、伝わるものが少ない。自分でも、著者が読んだ書物を読んでみたいという気持ちにならないのである。

 この著書は、昭和を語る方法論の段階で成立していないのだろう。もう少し、歴史的な背景や時系列がきちんと説明されてほしいし、取り上げた分野も絞りきれていないため散漫な感じだけ残ってしまっている。

 
 戦前、小学校1年生の国語読本の最初の文が「サイタ サクラガ サイタ」と紹介されている。はたして、自分が小学校に入学した時(1961年)の「国語」の最初の文が、何だったのか調べてみたくなった。
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『労農派マルクス主義』 その6

2008-09-08 20:48:41 | Weblog
『労農派マルクス主義』 その6 (完)

 著者の結び、「終章 これから」から引用する。(1.2.3.の各標題は、私が付けた。)

1.現在の情況
 「21世紀初頭、旧社会党勢力だけでなく共産党系もふくめ社会主義政治勢力総体が後退させられ、議会の議席でみるならば戦前の無産諸政党のそれにも劣るといってよい状態になっている。」

 「今や非正規労働者が4割に迫り、正規労働者といえども企業内で終身を保障され「出世」するのはごく一部に限定され、労働者の人生は入口から決定される。」

 「民衆総体が階級社会を意識する条件がふたたびあらわれている。この明快な階級社会の再現が、これからの社会主義運動の土台となる。」

2.率直に誤りを認めるところから
 「労農派の一定の時期におけるソ連社会主義の評価と発展の見通しはあやまっていた。」

 「そのさい問題になるのはレーニンの評価である。」

 「社会主義協会の盛期に、民主主義を軽視して直裁に社会主義を強調したような傾向がないとはいえなかった。」

 「共産党、社会民主党、新社会党をはじめ左翼は今や一蓮托生である。」

 「統一戦線が形成されぬまま国会で左翼総体が敗退するという民主主義のたちおくれは、今こそ克服のときである。」

3.社会民主主義について
「社会民主主義とは、資本主義と社会主義の間の区別を排除する観念であって、社会主義も民主主義もともにあいまいにしかねない理論である。」

 「戦前の諸条件のもとでは、社会民主主義の一部は、民主主義を限度とする共同戦線党を否定し社会ファシズムに転化した。」

 「新自由主義のもとで資本のグローバルな搾取衝動が強化され、一国的な階級強調の諸条件は崩壊し、西欧社会民主主義もあらたな分化と変質の時代に入っている。」

 「21世紀は「ソ連型社会主義」を継承することにはならないが、あえて「社会民主主義」である必要もない。」
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『労農派マルクス主義』 その5

2008-09-07 15:58:09 | Weblog
 『労農派マルクス主義』 その5

 現在から歴史を振り返ると、1964年に決定された「日本における社会主義への道」(「道」)は、日本におけるマルクス主義の適用、日本的社会主義として、1960年代半ば以降4分の1世紀にわたる社会党・総評ブロックの左派の規範であった。

 「道」では、「社会主義体制の優位性」を全面的に承認しており、後世からみれば極めて楽観的であった。中ソ対立、ソ連のチェコへの軍事介入なども必ず解決できると理解していた。



 しかし、「解体」はあっと言う間の出来事であった。(「第Ⅸ部 総評・社会党ブロックの解体」)

 1980年代になり、グローバル資本主義化が進み、この国の内部でも、第2臨調行革、労働戦線統一、日本的労資関係の見直し(注:労使ではなく労資が正しい)などが強行された。

 「解体」は、資本の側からの攻撃によるものだけではない。歴史の主体になるべき労働者による労働運動の内部からも崩壊が進んだ。労働戦線統一では、「自治労や日教組などの幹部は、労働戦線統一に総評がまとまってなだれ込めば総評路線は堅持できると下部を説得していた。」いわゆる「なだれ込み論」であり、まさに、「内部に敵あり」である。

 象徴的なのが、国鉄の民営分割化である。社会党(田辺誠副委員長が主導=自民党の金丸信とパイプ、当時田辺の懐刀として、国労出身北海道1区衆議小林恒人が動いている。)は、「分割反対、民営化やむなし」の方針を国労に押し付けたが、国労は、1986年10月の修善寺臨時大会で否決、その後の社会党=総評による国労の分裂工作が行なわれた。

 この国の労働者は、あの時、労働組合は、いざと言う時に救ってくれないことを学んだ。すなわち、闘い続けると資本からもかつ労働者からも見捨てられるということを。

 もうひとつ、重要なエピソードが紹介されている。1994年の小選挙区制法案の審議における参議院の社会党護憲派への圧力である。

 「後藤森重自治労委員長(自治労北海道出身)が、小沢一郎に「組織内は反対させないからまかせておけ」と確約し、推薦取り消しを含めて造反しそうな議員に翻意をせまった。そのため、自治労政治連盟会長の山口哲夫(元釧路市長)は会長職を辞して青票を投じた。」


 
 この間の、総評・社会党ブロック解体策謀の中で、かつては社会党王国といわれた北海道、そこを基盤とした労働組合幹部(彼らは、典型的な帝国主義本国における労働貴族)や議員たちが労働者に対する裏切り行為を働いたことを忘れてはいけない。そして、民主党北海道もその延長線上にあるということも。
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初折りの表

2008-09-04 19:25:51 | Weblog
 【初折りの表】


秋風や サミットまでなの 温暖化

 思いのひとひら 湖面さざめく

落ち葉浮く 宴の喧騒 森に消え

 母のふるさと 生家朽ち果て

祭りのあと 微かな紅潮 後の月

 夜に爪研ぐ 猫のたくらみ




 何やら、「初折りの表」が完成しました。

 ネットを使った「歌仙の愉しみ」の可能性が見えてきます。

 凄く贅沢を感じるのは、そこに自己満足が横たわっているからでしょう。




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『歌仙の愉しみ』

2008-09-01 19:41:43 | Weblog
 『歌仙の愉しみ』(大岡信、岡野弘彦、丸谷才一著 岩波新書 2008年刊)

 全く俳句の素人が手を出してしまいました。上記の3人が丁々発止で句を読みます。句と句のの間で、句の意味や謎を語り合います。最初は、歌仙というもののルールもわからず、でも、言葉の展開の面白さ、意外さに引き込まれていきました。

 ちょっと、はまりそうな世界の予感がしています。しかし、私の持っている言葉の少なさ、使える言葉の貧弱さからは、遊びレベルまで達するには、相当の困難さを感じました。しかし、究極の贅沢な遊びの臭いが漂っています。

 
 自分の知らない世界はたくさんあって、それぞれ人が夢中になる理由がわかります。囲碁、短歌、アーチェリー・・・自分にとって無数の未知の世界があります。


(参考)
歌仙:一巻三十六句からなる連歌、俳諧の形式。連句の代表的な形式。二枚の懐紙を用い、初折(一枚目)の表に六句、裏に十二句、名残(二枚目)の表に十二句、裏に六句を記す。
発句:第1句は発句とよばれ、五七五の形をとる。
脇:第2句の脇は、七七の形をとる。
付合:前の句をうけて次の句を詠むこと。長句(五七五)の次には短句(七七)を、短句の次には長句を詠む。
定座:歌仙第1巻のなかで、花の句、月の句を詠むべき位置のこと。一巻に「花」二箇所と「月」三箇所、つまり「二花三月」を詠み込むことが決まりとされる。

 

 
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