晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

退職する先輩に贈った言葉

2012-02-25 21:31:26 | Weblog

整理をしていたら何年か前に退職された方に贈った文章のメモが出てきました。

 

『○○さん、長い間お疲れ様でした。大変お世話になりました。

○○さんと職場を共にしたのは、○年間でしたが、折に触れ良くしていただきました。

○○さんは昔からずーっとソフトな人当たりの方でしたが、人を良く見抜いている方だと思っていました。

僕自身、生意気な物言いがあったのではないかと反省しています。

 

いよいよ数十年間の長いくびきからの解放ですね。

何ものにも畏れることなく、おもねることなく、自由で伸びやかな世界に立ち入るのですね。

 

僕は今思っています。「人は、将来のためとか、夢を叶えるためとかではなく、今、ここを、自分の持っている力を使って全力で生きるしかない」のだから、もう少しの間僕は我慢することにします。』(概ねこのような趣旨で)

 

 

少し時間を置いてから、こういう自分の文章を後で読むと、赤面物です。ひどく自分本位な考え方だと思いました。

 

退職される先輩は抑圧された職場から解放されてうらやましい。自分は未だこの世界にいなければならない被害者。そうなのか、職場の抑圧を作り出しているのはお前自身もだろうとの批判が浮かぶ。自分らしさを語ろうとした後半が駄目です。建前のところだけに留めておくべきだったと自己嫌悪に陥ってしまいます。

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『ALWAYS 三丁目の夕日 ‘64』

2012-02-20 20:40:12 | Weblog

ALWAYS 三丁目の夕日 ‘64』(監督 山崎貴 2012年 東宝作品)

 

 12日に札幌ファクトリー内ユナイテッドシネマで鑑賞。公開後3週間が経過しているにも関わらず、1番スクリーンはほぼ満員。これは大ヒット間違いなし。

 

 シリーズ第3作目は、前作より時代が下って1964年、東京オリンピックの頃。40数年経った現在の私たちが物の豊かさと同時にどこかに忘れてきた人と人との結びつきを描く。情感溢れる各シーンは笑いと涙に包まれる。万人に支持される理由である。

 

 思えば、松竹の寅さんシリーズも同じように下町の人情を描き、観る人は予め想定されるようなストーリーであっても期待通りの満足を得ることができた。盆と正月は寅さんを観なければならないのだ。

 

 

 私は、「昔は良かった。」VS「昔だって現在と同様に様々なネガティブなことがあった。」と対立的に批評してもしょうがないと思う。

 

昔の子どもは夢を持っていたが、今の子どもは夢を盛っていない、持つことができない、と言われると一見そのように感じてしまうが本当にそうなのだろうか。

 

はたして、将来の夢のためにガマンした結果どれだけの人が夢をかなえただろうか。私は、現在の子どもたちの方が、つらい困難な局面を含めて、今、ここを、自分の持っている力を使って全力で生きているように感じる。

 

 私たちは、いつの時代も、今、ここを、全力で生きた結果として、何かをなしているのではないか。

 

 「3丁目の夕日」は、お金を払った分の感動が間違いなく得られるお薦め映画と考えるが、私は過去も現在もそれほど違うとは思わない。

 

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『資本の<謎>』 その3

2012-02-19 17:00:58 | Weblog

 

ロイヤルホストのホットケーキが美味しいと聞いて南郷15丁目店に。メニューにはパンケーキとなっており一枚ずつ丁寧に焼いていますとある。冷凍モノをレンジでチンでは無いという意味か。

 

ホットケーキとパンケーキの違いはわからないが、ケーキの厚みが違う、ホットケーキは2枚載せ、パンケーキは3枚、味や風味に違いはなさそうである。

 

5軒でホットケーキを食べたが、これまでの第1位は六花亭、第2位は雪印パーラーといったところかな。六花亭は、小麦にこだわりがあるということで生地が細やかな感じがした。雪印はホイップクリームが良く合った。

 

 

 

『資本の<謎>』(デヴィット・ハーヴェイ著 作品社 2012年刊)

 

第1章から第4章まで(2008年恐慌の全体像とその資本主義的起源)を簡単にまとめてみる。

 

第1章「なぜ金融恐慌は起こったか?」では、2008年金融恐慌(リーマンショック)の起源は、資本の運動そのものに内在する制限/障壁(バリア)にある。資本は、運動する過程であり流れであるが、その流れを妨げる固有の閉塞ポイントがある。

 

第2章「どのように資本は集められるのか?」では、生産過程は貨幣資本の集積から開始されるが、その集積に制限が内在する。

 第3章「どのように資本は生産をしているか?」では、生産過程においては、貨幣資本をもって生産手段と労働力を入手しなければならない。生産手段では、自然の限界が資本の限界として現われる。労働力では、相対的過剰人口、地理的移動といった問題に直面する。また、技術と組織形態、労働者の統制といった問題も障壁となる。

 第4章「どのように資本は市場を通るのか?」では、市場において資本は自己の価値を実現することになるが、ここでは有効需要と市場問題が制限となる。

 

 これらの制限が資本の流れをせき止めとめるとき、それは恐慌となって爆発する。さらに、恐慌を回避する努力自体にも制限を作り出す傾向が本質的に備わっている。

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『資本の<謎>』 その2

2012-02-18 09:32:07 | Weblog

 第4弾、雪印パーラーにてホットケーキ。隣の席の団体さんが数千円もする巨大パフェをじゃんけんで奢る人を決めてからみんなで食べ、大盛り上がりに気持ちが行ってしまって、あまりケーキの印象が残っていない。

 

 資本にとっては、「アクセス可能な労働力の十分な予備が永続的に利用可能であるかどうか」が重要であり、「マルクスが『産業予備軍』と呼んだものは、資本の再生産と拡張にとって一つの必要条件である。」(P84)「(たとえば、フランスの大家族への補助金のような、国家の側の出産奨励政策は、労働供給条件を資本の側に有利にするというはっきりとした効果を持っている)。」(P85

 

 近年この国でも声高に叫ばれている少子化対策の本質は、長期的に労働力が逼迫すると労賃が上昇し利益率が低下することから、『産業予備軍』を創出し労賃を押さえ込みたいという資本の側からの要請なのである。平たく言うと、「あなたの変わりはいつでもたくさんいるから言うことを聞きなさい。嫌なら辞めてもらっても結構」と言い切ることが出来るための政策なのである。

 

 

 1930年代に生起した世界恐慌以後、ケインズ主義政策の導入などにより資本主義経済における恐慌は克服されたかのように思われていた。「資本主義の恐慌傾向は解決されることなく、ただあちこちにたらい回しされているだけなのである。」(P150

 

「たとえば1970年代に、労働供給の危機を緩和し、組織労働者の政治的力を抑制する動きが起きたが、これは生産物に対する有効需要を減少させ、1990年代に市場における剰余の実現を困難にした。」(P150

 

*この国においては、新自由主義の考え方に基づく、1980年代における中曽臨調行革路線。これにより国鉄、電電公社などが民営化にされると同時に労働組合運動は総評から連合へと右翼的に再編された。賃金は抑制され、国内消費市場が狭まった。

 

「この実現問題を緩和させるために信用制度の利用を労働者階級の中にも拡大する動きが起きたが、これは結局、労働者階級の収入と比較して過剰債務状況を招き、これが今度は、2006年に起こり始めた、種々の債権の質に対する信用の危機を引き起こした。」(P150

 

*リーマンショックである。この危機を克服できたとしても、また異なった形態で恐慌が生起することになる。なぜなら、恐慌が、資本主義の本質的に矛盾をはらんだシステムを「不合理に合理化するもの」(P150)であるからである。

 

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1976(昭和51)年5月10日

2012-02-12 21:06:34 | Weblog

 「PRONTO 新さっぽろ店」(デュオ1 2階)でホットケーキ、3軒目!

 

            

 

どうしても書いておかなければならないことがある。私だけのこだわりだが、『完本 情況への発言』(吉本隆明著 洋泉社 2011年刊)においても、この日のことを書いたが、『新・日本文壇史 第七巻 戦後文学の誕生』(川西政明著 岩波書店 2012年刊)第四十章『埴谷雄高「死霊」の歴史』では、川西氏がこの日のことを書いている。

 

全国四大学主催“「死霊」を祭れ”講演会は、学生たちが川西氏に協力を要請したことから実現した。札幌には、吉本隆明、小川国夫、秋山駿が参加し、会場は「学生たちの群で溢れ物凄い熱気であった。」と川西氏は書いている。

 

川西氏は、当時の学生の様子を離れた視点から冷静に以下のように描いている。

 

「当時、大学に籍を置く学生は、戦後民主主義に絶望していた。だから彼らの内部になにか外から種を蒔いて植えつけるのは徒労に等しいと言えた。」

 

「大学闘争が抑圧された後の奇妙な静寂さのこもる大学へ入ってきた大学生たちは、虚構であることのプロセスを踏むことなく、人間の生の重み自体もまた虚構なのではないかと決めてかかっているように見えた。」

「そして大部分の学生は、雄高や隆明や光晴の作品を系統的に読んでいないのではないかと疑われた。少なくとも大学闘争に参加した学生のようには雄高も隆明も光晴も読んではいなかった。」

「人間の表現のなかには必ず虚構というものがあり、そのプロセスを踏まない限り、政治にしろ文学にしろ、自分を表現することはできないし、他者に伝達することも不可能である。そのプロセスを踏むことなく、あるいはまた本を読むことによって思考を鍛えられることなく、人間の生自体が虚構だと幻視しているかのように見える学生たちの内部には、無限大、未出現、無出現、創造的虚在=虚体を求める雄高の『死霊 五章 夢魔の世界』の出現は、未知の世界を夢見させたようであった。」

 

 

*当事学生だった私は今、先を行く世代からそのように見られていたのか、という思いを持つ。

 

そして、京都の講演では、雄高自ら「意識とか思想とか精神のリレーとかいうものは非常にむずかしい。なぜならそのリレーをする時渡されるバトンには《より深く考えよ》と言う言葉が彫り込まれているからである」と述べた。

 

*「そうだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

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『資本の<謎>』 その1

2012-02-10 21:17:05 | Weblog

 

『資本の<謎> 世界金融危機と21世紀資本主義』(デヴィット・ハーヴェイ著 作品社 2012年刊)

 

ここでは、本書の論理を追うことはせず、気になるフレーズをもとに考えてみたい。

 

 

自己責任、民営化、市場化をスローガンとした80年代以降の新自由主義政策と、リーマンショック(2008年)後に金融機関を救済するために政府(公的)資金を投入した政策は、論理的には矛盾しているように見えるが、「利潤を私的なものにしつつリスクを社会的なものにする」「つまり、銀行を救って人民を締め上げる」(P26)という意味では資本主義社会としての構造的には一貫しているということがわかる。

 

1929年や2008年のように、金融システムと『国家―金融結合体』が破綻したとき、誰もが資本主義の存続に対する脅威が存在することを認識し、それを再生するためにはあらゆる手立てがとられ、あらゆる妥協が検討されなければならないと考えるのだ。」「まるでわれわれは、たとえ資本主義に不満を持っていたとしても、それなしでは生きてはいけないかのようだ。」(P82

ここで言う「資本主義」を私たちは自分が属する様々な組織に言い換えることができる。身近なところでは会社や国家であり、それらが危機に直面した場合、たとえそれらに不満を持っていたとしても、それなしには生きていけないかのように思ってしまう。翼賛への第一歩である。党とて同じである。

古い船を乗り捨て、新しい船で新しい海へ出かけるイメージを持つことができるか。

 

 

 

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パンケーキではなくホットケーキ

2012-02-08 20:55:48 | Weblog

 

コーヒープラザ西林(4丁目プラザ地下1階)のホットケーキセット、2軒目。

 

 痛ましい事故が発生した。岡山県倉敷市のJX日鉱日石エネルギー水島製油所の海底トンネル事故である。事故直前に現場責任者から、機械・電気系統のトラブルを担当する作業員に「早く来てほしい」という趣旨の電話があったことが明らかになってきた。

 

 この事故を聞いて思い出したことがある。

 

 子どもころ育った環境は、自宅から100メートルも行かなくても、海に面して数10メートルほどの急峻な崖がある。いわゆる海岸段丘である。私は自然の中で荒々しい遊びばかりをしていたので何回か少し情況が違っていたら命を落とすようなことも経験をしている。

 

 小学生の頃のある日、崖の上の突き出した土地をくり貫くトンネルを掘ろうと近所のガキたちとスコップで穴を掘っていた。私がトンネルの中に入りかなり掘り進んだところで、天井からパラパラと土が落ちてきたので、誰かが上に乗っているのかと思い穴の外に半身を出した瞬間に崩落が起きた。私は下半身が埋まってしまい自力では脱出できず、また呼吸も出来ず、相当な土の重みの下で苦しんだ。幸い仲間がスコップで掘り出してくれて大事には至らなかったが、危ない事故であった。

 

 今回の倉敷の事故も、おそらく事前に何か予兆があったはずで、それを地上に発信したが、受けて側の感性が不足していたのではないかと推測する。

 

 危ない瞬間を感じることができるかどうかは、危ない瞬間を経験しなければ会得できない。「安心・安全」を求め続ける限り、「安全・安心」の環境からは一歩も外に出ることができなくなる。今の子どもたちの育つ環境は如何に。

 

 うーん、予兆が?

 

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