晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『初期歌謡論』

2012-12-31 15:50:12 | Weblog

 『初期歌謡論』(吉本隆明著 河出書房新社 1977年刊)

 2012年3月16日、吉本隆明が亡くなった。年初は『情況への発言』から始まった。大晦日の今日、『初期歌謡論』を読み終えた。吉本に始まり吉本に終った1年であった。

 この『初期歌謡論』は、古書店の500円均一ワゴンの中に無造作に積まれていた中から見つけた。当時の定価で1,800円、箱入りのかなり高価な書籍だったはずである。

 私にとって本書は、超難解であった。著者の意図の半分も理解できていないであろう。ただ、歌の持つ情の部分は、今も昔もそれほど変わらず、この国の感性として、この国の人々の心中に連綿と繫がっていることがわかる。

 本書の構成は、「歌の発生」「歌謡の祖形」「枕詞論」「続枕詞論」「歌体論」「続歌体論」「和歌成立論」である。古代歌謡から「万葉集」を経て、「古今」、「新古今」に至る和歌の成立過程を分析している。

 詩歌の起源をたどることから始まり、次に、枕詞に注目し、歌の中に出てくる二重地名のうち一つは枕詞で、一つが地名、ここから先住の人の地名に、移住してきた人の地名が重ねられたことを解き明かす。次に、歌体に着目する中で、平安朝までに今の短歌の形式(五七五七七)になっていくが、元の歌が後年になって別の作者によって上の句を足されるなどして改竄されていることも明らかにしている。

 これは、吉本が別のところで言っている、いわゆるグラフト(接ぎ木)国家論の現れ、横合いから来て権力をかっさらう、その際に後者が前者の歴史をあたかも連続的に存在したかのように書き換える、これが詩歌の歴史にも現れていることがわかる。(記紀においてそれ以前の歴史を天皇制の歴史に書き換えたとされる。)

 (ノオト本書の中にある年表から抜粋

 古事記(712年)太安万侶(おおのやすまろ)によって献上。日本最古の歴史書。須佐之男命が櫛名田比売と結婚したときに歌い、和歌の始まりとされる「八雲たつ 八雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」、倭建命が東征の帰途で故郷を想って歌った「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し うるわし」などがある。

 日本書紀(720)舎人親王らの撰、奈良時代の歴史書。

 懐風藻(751)。

 万葉集(770)最古の和歌集、大伴家持による編集が有力、竹取物語の原型が載っている。

 続日本紀(797),文華秀麗集(818)、日本後記(841)、続日本後記(869)、在民部卿家歌合(880)。

 竹取物語(890?)最古の物語、作者不詳。

 菅家文草(900)、菅家後草(903)。

 古今和歌集(905)、平安時代の勅撰和歌集、醍醐天皇の勅命による、撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人。

 新古今和歌集(1205)鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集、源通具・六条有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮が選者。

 

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まだまだ成長したい!

2012-12-30 16:55:02 | Weblog

 今年もあと2日、慌ただしい日々に追われ、少しの休みが続くと一体全体自分は何をしているのだろうかと思うことがあります。

 正月休みに本を読もうと思って紀伊国屋書店、それと狸小路のラルズで小樽の古書店が合同市をやっているので覘いてみました。何冊か買い込んだのですが、数日間ではそれ程読めるわけでもなく、でも少し気持ちが落ち着きました。

 昨日は、-6℃の中をランニング、今日は雨だと予報が出ていたのでちょっと無理して走りました。今年の走行距離は700km超え位。若い頃はこの3倍も4倍も走っていましたが、今の時間と体力の中ではこんなものかなと思っています。

 走りながら思い出したのは、生まれ育った釧路の事でした。小学1年生の頃、通学路の近くに小さな川が流れていて、澄みきった水の中を子どもたちの間で「とんぎょ」と言っていた2~3センチくらいの魚が泳いでいました。あの魚の本当の名前は何と言うのだろうか。

 3年生の時、海の近くに引っ越しました。自宅から崖を降りると5分位で海に着きます。釣り針とテングスは買って、鉛は溶かして錘を作りました。棹は高価なので買えません。岩の上からテングスを投げての釣りです。その頃、秋刀魚が1匹10円で買えたので刻んで塩づけにして餌にしました。よくカジカと油子が釣れました。少し大きいと食べることができます。子どもたちが「ガンズ」と呼んでいた、食べても不味い魚も釣れましたが、未だにその魚の本当の名前がわかりません。

 興味があっちに行ったりこっちに来たりしていますが、先日浄土真宗のお坊さんと話しをしたら、あらためて親鸞に興味を持ったり、古代史も全然わからないし、まだまだ様々な興味が尽きず、このブログで自分なりに整理をしながら少しわかってきたことももちろんありますが、もっともっと成長したいと思っています。

 2012年、この左翼絶滅種が主宰していますこのブログに訪れて下さった皆様ありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。

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『真実 新聞が警察に跪いた日』

2012-12-24 16:45:06 | Weblog

 新しい札幌駅になって3月で10年が経つ。初めてJRタワー展望室タワー・スリーエイトに昇った。話題になったトイレに入った。

 

 クリスマスイブの今日、太陽は出ていたが日中の気温マイナス10度、屋外ランニングに挑戦。「こんなバカなことができるのも二十歳になるまでさ、これでいいよね♪」なんて唄いながら走ったが30分が限界。寒くて人間は風邪をひかない、は私の持論。暑く汗をかいて冷えると風邪をひきます。

 

 『真実 新聞が警察に跪いた日』(高田昌幸著 柏書房 2012年刊)

 著者は元北海道新聞報道本部次長、北海道警察の裏金報道を牽引した立役者。

 本書で、著者が述べる論理は理解できる。ジャーナリストは真実を追いかけ読者の知る権利のために報道しなければならない。しかし、組織の上層部同士が取引をしてしまったら、下の者は仕事ができない。まして、トカゲのシッポ切りにされてしまったら。

 ただ、会社という組織の中で30数年間生きてきた私にとっては、著者の論理に諸手を上げるような一面的な評価だけで終らせることはできない。道新の幹部、それも著者の近くで何とか彼らを「守ろう」とした人々の論理もわかる。執拗な抗議を続けた道警の元総務部長佐々木氏は、自分の人生に汚点を残したくない、退職後においてもまた組織の意向を受けての行動、それも一部だがわかるから。

 現在の新聞に驕りは無いか。社会の公器、報道の自由、ジャーナリスト精神、権力のチェック機能、社会への警鐘、真実を伝える権利、読者とともに・・・

 キレイな言葉が並ぶが本当にそう言いきれるか。著者のこれまでの報道人としての自己についての反省が全く無いのも気になる所である。自分だけが正しいと考える類の人間で無ければ良いが。

 私は、道警に屈服以降の道新に何か変化があったとは感じない。

 根本的には、政府機関や警察からの情報に寄生しているマスコミのあり方が問題なのではないか。依存しているから真に対峙できないのであろう。悔しいが、米国は違う。

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気の抜けたビール喋りの安倍晋三 

2012-12-23 15:14:49 | Weblog

 よつ葉ホワイトコージ(札幌パセオ店)で「4種のベリー&ベリーのワッフル」、表面がカリカリと硬いワッフルが特徴です。ただ今人気商品。

 

 本日は天皇誕生日。私は営業も無く久しぶりの3連休。テレビの天皇陛下は、少し太られたのか、顔が浮腫んでいるような感じ。年齢に対して忙し過ぎるのではないか。

 私は、今回の選挙結果で一番の特徴は自民党の大勝にあるのではなく、投票率が非常に低かったことにあると考える。投票しようにも選択肢が用意されていなかったのである。民主党3年間への失望が自民党にも他党にも行きようが無かったことなのである。もちろん、社共にも。これは、選挙で世の中変わるか?と思った有権者が増えたことを意味しているのではないか。

 政権が自民党になったからといって大きく変わる雰囲気は無い。経済政策の毛色は多少変わるだろうが、国家の枠組み自体が議論されているわけではない。財務官僚が用意したシナリオのA案を使うか、B案を使うか位の違いである。肝心なのは、今は「国民国家の黄昏」だ、という時代認識を持つことにある。自公政権に戻ったことは、国民国家の延命策に国家官僚と共に取り組むというメッセージである。

 自公に対抗するためには、脱原発、消費税反対の日共、社民党の引き続く惨敗から明らかなように、大衆にとって口当たりの良い政策を並べることではなく、今と異なる社会のあり様を提示することである。私は、国境とか、ナショナリズムとかを薄める方向、対立より強調、強行より柔軟を基調に政策を再構築すべきであると考える。

 

 どうでも良い民主党については、野田氏は責任をとるために党首を続けるべきであると考える。政党が政策によって出来上がっているとしたら、民主党は今こそもう一度政策を作り直すべきであり、それが出来なければ解党の道を歩むだろうと思う。

 この1ヶ月あまり、選挙を中心に表層的に政治をなぞってみたが、私の中では急速に今の政治への興味が失われつつある。

 

 

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世論調査が世論をつくる

2012-12-16 10:29:35 | Weblog

 本日は総選挙、投票前からマスコミで自民党の圧勝が伝えられている。安倍晋三は既に首相になったつもりであろう。投票は、20時までだがテレビの選挙特番では、20時1分頃には大方の選挙区の当落を報道するであろう。出口調査の結果であるからかなり正確である。これは、いつも我々が見ている光景である。各選管による開票作業は、当落を判明させるものでは無く、票数を確定する追認作業になっている。(一部接戦の選挙区、比例区は除く)

 既視感は続く。連立の枠組みが議論され、内閣の構成ができあがり、スタート時の安倍内閣の支持率は60%を超えて、国民から熱狂的な歓迎を以って受け入れられる。しかし、何かをなそうとしていくうちに、徐々に支持率が低下し始める。

 はたしてマスコミの世論調査は、世論の動向を把握するためのものなのだろうか。反対に、世論調査の結果が世論を作っているのではないか。小泉内閣の長期政権以降、安倍内閣とそれに続く短命内閣が続いている。私は、この世論調査は抑制すべきであると考える。これを、マスコミから発議するのは難しいと考えるが、こんなことを繰り返していたら政治はますます劣化してしまう。

 「歴史は繰り返す。最初は悲劇として、二度目は笑劇として、過去の亡霊を呼び出し、その由緒ある衣装に身を包み、借りものの言葉を演じる。」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリューメル」より)

 これは、そっくり安倍晋三に送る言葉である。お腹を壊した1回目、この次の笑劇は一体どのようになるのだろうか。

 泡沫政党に落ちる瀬戸際の日共にもコメントを。90年の歴史を誇っているが、今ほど党が「値打ち」を無くした時代は無い。TPPも原発も消費税も、他党も同様に語っていることで、現在と別の社会の枠組みを語ることの出来なくなった党に存在の価値は無い。

 

 

 

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総選挙を考える

2012-12-08 10:09:18 | Weblog

 「とんかつ かつ伴」(中央区北3条西4-1-1日本生命札幌ビル B1 )、旭川「とんかつ 井泉」と経営が同じ店です。

 

 『国民国家の黄昏の中で総選挙を考える』   

 情報垂れ流し状態のマスコミ報道からは物事の本質は伝わってこないと皆が感じている。日共、公明党は、それぞれ信者を候補としているので、筋は通っている。しかし、他の自民党、民主党、維新、みんな、未来などの候補者は、自分が当選できれば、どこの党でも良いからであろう、節操なくウロウロと渡り歩いている輩が目立つ。

 瑣末な言葉尻を捉えた批判や、政治行動と関係の無い私生活、いい人のように見えようがルックスなどもどうでもいいことだ。

 私は、「国民国家の黄昏」をキーワードとして、各党の主張から国民国家に変わるオルタナティブを感じるかどうかで判断したいと思っている。

 TPPについては、それに反対しているのがドメスティックな既得権を持っている団体であることから、国境という障壁を越えるという方向には基本的には賛成である。ただし、現在のTPPが米国従属を強めることになることから、方法論としては誤りと考える。

 経済政策については、消費税などの税制、年金などの社会保障、金融政策、雇用政策などで、各党は主張の違いを競っているが、いずれも国民国家の枠組みの中での議論であり、大きな違いは無いと考える。どの党が政権を担おうが財務省の描くシナリオの範囲内の改革であり、現在の国家が廃絶された後のイメージを描くことのできるものではないと考える。

 脱官僚政治については、現民主党政権が掲げながら挫折をした政策であるが、明治以降、敗戦を挟みながらもこの国を実質的に担ってきた国家官僚は、国民国家の根幹を担う装置である。制度上は、行政は政治に従属する仕組みになっているが、残念ながら頭脳の質が違う。今後1回や2回の選挙で中々変わらないであろうが、脱官僚政治は国という枠組みを超えた社会を構築する上で、重要な争点であろう。脱官僚を掲げる各党の本気度が試される。

 領土問題については、強硬論を声高に叫ぶことは、大衆の喝采を浴びやすいが、所詮国民国家の黄昏に対する焦りの表出であると考える。国境を巡って国家という共同幻想のためにこれまでどれだけの血が流されたか。国境という観念を薄め、共同統治を構想するべきであろう。

 原発については、これまでこのブログで何回か述べたが、3.11後フクシマの情況に驚愕して、脱原発などの主張を始めた党や個人を私は信用しない。情況追従主義、大衆迎合主義は、その時々で今後においていくらでも主張が変わるということを自己表明しているに過ぎないからである。人類は、技術の歴史の中で数々の失敗や困難を克服してきた。空を飛ぼうとして何人もが失敗したことであろう。そこで、空など飛ぶことは神の教えに逆らうことだからしてはいけないと断念していたら、現在はどうなっていただろうか。原子力政策を巡るこれまでの政府、電力会社の行動は犯罪的だが、脱原発、原発0、卒原発などを主張する党の腹の底を見極める必要がある。

 選挙なんかで世の中が変わるか!

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『国民国家論の射程』

2012-12-02 16:17:58 | Weblog

 コンサドーレ札幌、ホーム最終戦、大挙してやってきた横浜マリノスサポーター。

 北朝鮮がまたミサイルを飛ばそうと騒いでいる。これって、この国の政治と繫がっているのではと疑ってしまう。危機を煽るため、誰かが北朝鮮に頼んでいない?北朝鮮のミサイルのおかげで総選挙が得する人は誰?安倍ちゃん正直に言ってみて。

 

 『国民国家論の射程 あるいは<国民>という怪物について(増補版)』(西川長夫著 1998年 新装版2012年)

 私は、私たちが生きている「今」の「ここ」を「国民国家の黄昏」と捉えている。また、他者への権力性を及ぼさない「自由」を求めたい。

 本書の初めの部分に「国民国家」の指標が示されているので、それを転載したい。ここが、議論のスタートになると思うからだ。

 国民統合の前提と諸要素

 ①経済統合―交通(コミュニケーション)網、土地制度、租税、貨幣―度量衡の統一、市場・・植民地

②国家統合―憲法、国民議会、「集権的」政府―地方自治体(県)、裁判所、警察―刑務所、軍隊(国民軍、徴兵制)、病院

③国民統合―戸籍―家族、学校―教会(寺社)、博物館、劇場、政党、新聞(ジャーナリズム)

④文化統合―国民的なさまざまなシンボル、モットー、誓約、国旗、国歌、暦、国語、文学、芸術、建築、修史、地誌編纂

⑤市民(国民)宗教―祭典(新しい宗教の創出、伝統の創出)

 

著者が整理しているように、私たちの生活を取り巻く国家の装置!

 

国民化(文明化)

①空間の国民化―均質化、平準化された明るく清潔な空間、国境、中央(都市)―地方(農村)―海外(植民地)、中心と周縁、風景

②時間の国民化―暦(時間の再編)、労働・生活のリズム、神話、歴史

③習俗の国民化―服装、挨拶、儀式(権威―服従)、新しい伝統

④身体の国民化―五感(味覚、音感・・)、起居、歩行―学校・工場・軍隊等々での生活に適応できる身体と感覚、家庭

⑤言語と思考の国民化―国語、愛国心

こうやって国民としての意識ができあがっていく。

 

⇒ナショナリズム⇒国民の誕生

 

 

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