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7.8 元首相狙撃事件に想う  精神鑑定 動機 国葬

2022-07-25 14:10:53 | Weblog

各政党からの言説がグラデュエーション化していて聞く前から何を言うかが大体わかってしまう。自民党が動きを見せると、公明党が少し批判して、さらに維新がもう少し批判して、国民、立憲、社民、共産と批判の度合いが強くなる。いつもの光景だ。これだけは譲れないとか、許せないとかの頑固さがない。れいわ、N党は少し尖っていることが救いか。参政はまだわからない。

 

7.8元首相狙撃事件に想う   精神鑑定 動機 国葬 

参議院は任期の途中で解散が無く6年という時間を与えられているのでじっくりとテーマを追求できる利点があるはずだ。国会中継などを見ていても、参議院の方が衆議院よりもレベルの高い論戦が繰り広げられていると感じている。だが、根本のところで選挙で世の中が変わるとは考えていないためあまり関心を持っていなかった。そこに、ひとつの事件が選挙もぶっ飛ぶような衝撃をもたらした。

以下は、今の情況に対しての僕の想いだ。

まず、容疑者の供述内容は、日々小出しに発せられるケーサツ発表のみなので、当然バイアスがかかっている。そのことを前提に事件全体を理解しなければならない。問題は、容疑者本人が自らの口で何を語るかである。それは裁判の場において動機を含めてどのようなことが語られるかにある。ところが、検察は4ヶ月もかけて精神鑑定を行うという。制度に詳しくないので不明な所もあるが、その間、弁護士の接見はできるのか、公正な鑑定が行われる保証があるのか。

想定される最悪のストーリーは、容疑者の責任能力は問えないという判断が出た場合である。不起訴になり、裁判において本人が陳述できる場が奪われてしまうのではないか。その先は、どうなるのだろうか。治療施設へ収容するなどということになるのだろうか。権力が意図を持って容疑者の口封じをすることに危惧する。

当初のマスコミ報道は、この狙撃事件を容疑者の極めて個人的な恨みによるものとして世論を誘導していた。母の統一教会への入信によって資産を奪われ、経済的に破綻して進学を断念するなど本人の人生が大きく狂わされた。その統一教会への憎しみと前首相がその教会と政治的な関係があると「思い込んで」実行に至ったと伝えられた。この「思い込んで」というところがポイントだ。言外に、前首相と教会は無関係なのにそれを誤解してという意味がある。

その後、マスコミは教会の過去からの酷い活動内容を繰り返し紹介するところから、徐々に元首相をはじめとする政治家と教会の間に政治的な関係があることを明らかにしてきている。すると、言い方が「思い込んで」から「思って」に変わった。

僕は、この事件が、個人的で非政治的な動機によるものであると結論付けたとしたら、そちらの方が社会にとって根深いものであると考える。今、人々がどのような思いを抱いているだろうか。コロナによる行動抑制、格差の拡大への不満、将来への不安、組織への信頼の失墜・・行き所のない怒り、やり場のない絶望感・・を多くの人がこころのどこかに持っているとしたら誰しもが何かをしてしまうような社会ということになる。こちらの方が危険だ。

一方、容疑者の動機が、元首相と教会の政治的な関係に対する理論的な裏付けを持ったものだとしたら、この種の事件は政治的領域における思想的な背景を持つ者だけが起こす可能性があると限定できるのではないか。社会的には極めて少数の思想犯が生起させた事件ということになる。

しかしながら、政府は元首相の弔い方を国葬という極めて政治的な方法とすることに決定した。一方で、この事件を非政治的に扱おうとしているのに、皮肉なことに自ら国葬という政治的な領域に引っ張り込もうとしている矛盾。火を消そうとして燃料を注いでいるという頓珍漢ぶりだ。街角のポスターには現首相と「決断と実行」とスローガンが書かれている。「検討する」を連発している首相が唯一決断したのがこの国葬。

さて、国葬に至るまでの世の中の空気がどのようになるのだろうか。海外からエース級が来るかな。東京五輪のようなショボイものになるか。遠慮がちにコメントしている野党もきっと出席するだろうな。

 

(参考)僕が時々見ている「ニムオロ塾」というブログにこの事件について興味深いことが書かれている。(7月10日、17日、21日)

 

 

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森達也 『千代田区一番一号のラビリンス』

2022-07-17 16:59:20 | Weblog

今ごろになって統一教会がこれほど話題になると思わなかった。報道で、被害の実情を知ると怒りが湧きおこる。狙撃犯の動機に同情を寄せる人も多いだろう。だが、手段は許せないと。報道はここで終わってはダメだ。マスゴミは、警察情報に頼るだけではなく統一教会と政治の関係を徹底的に取材して明らかにすべきだ。

 

『千代田区一番一号のラビリンス』(森達也著 現代書館 2022年刊) 

これは、「ザ・ニュースペーパー」の公演をご覧になっている方にはおなじみの千代田区一番一号に住まわれている「さる高貴なご一家」のご主人様と奥様の退位前を描いた物語だ。ファミリーネームの無いご夫妻の日常の家庭内での会話、普通の家庭とそう違いの無い会話がリアルに書かれている。

この小説を貫くキーワードはカタシロだ。カタシロという正体不明の存在が最初から時々姿を現す。カタシロが何なのかはわからない。主人公は、会ったことも無いが、いや偶然会ったような気もする、ずっと関心を持ち、想いを寄せている人のことを考えると何気なく近くにカタシロが現れる。幻視なのかも知れない。一方、思われている人のそばにもカタシロが現れていたのだ。

主人公は、ご夫妻のことをずっと想い続けてきた。このご夫妻はどんな方たちなのだろうか。ご夫妻でどんなことを話しているだろうか。退位にあたってどんな想いで過ごしているのだろうか。聞きたいことがたくさんある。

僕は、作者の森達也氏は、これまでの作品から判断して現状を批判的な視点から捉えている。制度としての天皇制には批判的だろう。しかし、生きているひとりの人間として天皇、皇后に対して抱いている気持ちは敬愛のようにさえ感じる。とてもやさしい眼差しでご夫妻を見ている。

翻って、右派といわれているひとたちはどうだろうか。制度としての皇室は彼らの思想の一丁目一番地、屋台骨であるはずだ。だが、このほど狙撃されてしまったアへ氏と現上皇、上皇后ご夫妻との関係は人間的にそりが合っているようには見えなかった。それは政治的な意図をもっての尊敬であったからであろう。

タブーに挑んだとか問題小説だという書評もあるが、僕もそれにつられて購入した口だが、主人公側とご夫妻側の双方のまなざしのやさしさに包まれたほんわかした小説である。小説が苦手な僕でも星☆☆☆☆を付けたい。

 

 

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