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晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

戦後左翼史その44 1959年 安保改定阻止国民会議 『現代の理論』 砂川事件(伊達判決)

2017-02-26 14:04:29 | Weblog

藻谷浩介氏が今日の道新朝刊(2.26)で、鉄道はJRが維持管理費を負担しているのに、道路には公費が投入されていてイコールコンディションではない、しかるに鉄道にも公費を導入すべきと主張している。僕も結論は同じだが、藻谷氏が触れていないことがある。それは、道路特定財源のフレームである。かつて『我田引水』ならぬ『我田引鉄』という言葉があった。政治家にとって、駅の建設、鉄路の延長は票の成る木であった。さて巧成り名遂げるのは誰だ!

 

戦後左翼史その44 1959(昭和34)年 安保改定阻止国民会議 『現代の理論』 砂川事件(伊達判決)            

(★印は日共関係)

1月 『共産主義者』(~59.11)、思想の科学研究会編『共同研究 転向』(講談社、全3巻、~60.1)

1.1 キューバ革命軍、バチスタ政権を打倒(キューバ革命)

★1.3 全日自労主唱「戦争と失業に反対する国民大行進」出発(大牟田)、3.4東京着

1.27 ソ連共産党第21回大会、競争的共存下における「共産主義の全面的建設期」を規定

*(れんだいこHPに学ぶ)経済発展7カ年計画(1959~65)で「1970年までに、工業生産の絶対量でも人口一人あたりの生産高でも米国を追い越し、世界最高の生活水準を達成する」を目標。1.23~3.9日共代表団(団長宮本書記長.団員春日正一、西沢富夫)は、党大会出席のため訪ソ、2.9スースロフ、クーシキンと会談、将来の民主政府のもとでの南千島返還で合意、帰途チェコスロバキア、朝鮮、中国を訪問。

2月 共産主義者同盟「全世界の獲得のために」『共産主義』第1号

*(れんだいこHP)佐伯(東大卒、山口一理論文執筆他)、青木昌彦(東大卒、現経済学者、姫岡論文執筆)、生田浩二、大瀬振、陶山健一らが論客。

2月 吉本隆明『芸術的抵抗と挫折』未来社

2.9 強制連行された中国人劉蓮仁、戦争末期以来逃亡中のところ「発見」

3月 黒田寛一『現代における平和と革命』現代思潮社

3.9 社会党代表訪中、浅沼書記長「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」声明

*(れんだいこHP)3.4第二次訪中使節団(団長浅沼書記長)勝間田清一、岡田宗司、曽弥益、中崎敏、佐多忠隆、田中稔男。

*(*は僕の考え)僕は、現在の野党が活路を開くには外交でオルタナティブを提起するしかないと主張してきた。現在に比較すると、当時の日共、社会党の外国訪問を評価したい。政府が出す情報を鵜呑みにせず、別の外交ルート、人脈の構築の努力をしていた。南千島に係る当時のソ連と日共の合意は、現在の日ロ交渉では日共は完全に蚊帳の外にされているが、こういう合意は日共が外交において独自の見解を発する根拠になりえるはずである。

3.15 『朝日ジャーナル』創刊(84.4.13より『Asahi Journal』、~92.6.30)

3.28 総評・社会党ほか、安保改定阻止国民会議結成

*(れんだいこHP)総評、社会党、中立労連、全日農、原水協、平和委、基地連、日中国交回復、日中友好、青年学生共闘会議など13団体が中央幹事団体。全労、新産別は不参加、日共はオブザーバー参加。日共は、安保改定を「日本を米国の犠牲にする売国条約」であり対米従属が一層深まるとし、日本独占資本の帝国主義的復活に基づく自発的行動の側面を無視した。(安保問題特集号5.16) 

3.30 東京地裁砂川刑事特別法裁判、日米安保条約違憲判決(伊達秋雄裁判長)

*(れんだいこHP)「政府が米軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条に違反する不合理なものである」とした。「米軍駐留は違憲」、刑事特別法は無効と全員の無罪判決(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集)。検察は最高裁判所へ跳躍上告。

4.13 ジュネーブで日朝赤十字会談開始、8.13カルカッタで在日朝鮮人帰還協定調印、12.14第1回北朝鮮帰還船出発

★5月 『現代の理論』(第1次)創刊(~10)(*大月書店)

*(れんだいこHP)第1号(59.1)佐藤昇「社会主義権力の矛盾」、日高六郎「マルクス主義者への二、三の提案」、不破哲三「日本の憲法と革命」、田口富久治「ネオ・ファシズム」、今井則義「国家独占資本主義論における二つの潮流」。第2号表題「現代帝国主義」、杉田正夫、上田耕一郎、富塚文太郎、遠藤湘吉、井汲卓一、古在由重、増島宏。6.26アカハタ「マルクス・レーニン主義党の破り難い原則-雑誌『現代の理論』をめぐって」で「雑誌の刊行は既に中止されているにも関わらず、党内の一部には、中委の決定に反対しているものがある」、「前衛党の中委とは別個に、特定の党員(個人や集団)が、マルクス主義理論誌を刊行し、理論の発展をはかるというのは、根本において誤りである」とした。8.17アカハタ「主張-雑誌現代の理論について」で「このような性質の刊行物を党員が出し、又党員がこれに参加すること」を「即座に中止すべきである」と指示。9月第5号で廃刊。

7.7 上原専禄・清水幾太郎ら安保問題研究会結成、10.17藤山外相公開質問状、11.7回答

7.21 自民党、安保反対を表明した日本原水協を批判、府県助成金打ち切りを指示

8.7 中印国境衝突

9月 吉本隆明「転向ファシストの詭弁」『近代文学』、『中央公論』緊急増刊「松川事件特集号」

9.10 総評、炭鉱失業者救援の黒い羽根運動開始

9.30 フルシチョフ訪中、対立激化

10月 対馬忠行『ソ連「社会主義」の批判』論争社

11.9 中島健蔵・松岡洋子・亀井勝一郎ら安保批判の会結成

11.27 安保改定阻止第8次統一行動、デモ隊2万人国会構内へ

*(れんだいこHP)全国700の共闘組織、350万が参加。清水丈夫書記長(現、中核派指導幹部)、葉山岳夫(現、弁護士)、糠谷・加藤副委員長らに逮捕状。11.28 党声明「第8次統一行動に対する自民党岸内閣の弾圧と謀略を粉砕せよ」で「反共と極左冒険的行動を主張していたトロツキストたちは、右翼の暴行や警官の弾圧などによって緊張した状況を逆用して挑発的行動及び統一行動を乱す行為にでた」と批判。中国人民世界平和保衛委員会は、「日本の安保阻止行動は、日本人民の闘争のたかまりを示しており、日本軍国主義の復活に反対し、米日軍事同盟に反対する意思を力強く表明している」(12.1北京放送)と評価した。

12月 白戸三平『忍者武芸帳』第1巻、三洋社

12.11 三井鉱山、組合に指名解雇通告(*1,200名)、三池争議始まる

12.16 最高裁、砂川一審判決を破棄

*(れんだいこHP)「安保条約は高度の政治判断の結果。極めて明白に違憲と認められない限り、違法審査権の範囲外であり司法判決にはなじまない」とした。

 

*戦後左翼史の1940年代前半から1959年までは「その29~その44」で終える。使用した年表は、『戦後日本スタディーズ 全3巻のうちの第1巻「40・50」年代』(岩崎稔・上野千鶴子・北田暁大・成田龍一編著 紀伊國屋書店2009年刊)に掲載されている道場親信氏の作成である。「その45」は、「その28」に続くかたちで、1966年からを対象に再開したい。

 

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戦後左翼史その43 1958年 『現代マルクス主義』 警職法改悪反対闘争 共産主義者同盟(ブント)

2017-02-23 16:11:29 | Weblog

殺された人物が金正男本人なのかどうか、死因は何か、犯行に関与したのは誰で、どこの国が関係しているのか、いずれもはっきりしていない内から、日共は拙速に北朝鮮犯行説を発表しました。(以下、引用)「報道をみるかぎり、北朝鮮の犯行だと考えています。これは、独裁政権の非道さを示すものであり、外国で行われた犯行である点も重大で、主権の侵害ということになります」「北朝鮮に、こうした国際的無法をやめ、拉致問題を含めて過去の無法をきちんと清算することで、国際社会の責任ある一員になるよう強く求めたい」。日本国政府は非常に慎重に情報分析をしています。

 

戦後左翼史その43 1958(昭和33)年 『現代マルクス主義』刊行 警職法改悪反対闘争 共産主義者同盟(ブント)結成

★印は日共関係)

*(*は僕の考え)左翼には、内実は権力闘争なのだが、表面的には理論闘争の装いをしていることがよくある。この年、『現代マルクス主義』が刊行され、いわゆる構造改革理論が党内外に影響をもたらす。党は、同理論を修正主義などと批判し、その後構造改革派グループを除名した。しかし、現在も含めて以後の日共の路線は構造改革そのものであり、ためにする理論闘争だったと言えよう。また、中国の文化大革命を見ても、理論闘争の装いをした権力闘争だったことは明白である。

★1月 山口一理「10月革命とわれわれの道」『マルクス・レーニン主義』第9号

*(れんだいこHPに学ぶ)国際共産主義と日共の運動を批判的総括し全学連に衝撃を与え、後にブントの原典となる。日共を「『敵は優勢、味方は劣勢』という空虚なスローガンによってズブズブの大衆追随主義に革命部隊を封じ込め、抽象的な『平和と民主主義』のスローガンによって、プロレタリアートの前衛的部隊を武装解除させてしまった」と批判した。

2月 高野実『日本の労働運動』岩波新書

2.7 総評・全労・新産別・中立労連、最低賃金制確立連絡会議結成

2.15 産別会議解散大会

3.7 松川事件対策協議会結成

3.27 ソ連ブルガーニン首相辞任、フルシチョフ党第1書記就任

*(れんだいこHP)党第1書記と首相を兼任したフルシチョフは、第6次5カ年計画(1956―60)を7カ年計画(1959―65)に切り替え、米国に追いつき追い越せを目標に、生活必需品だけでなくテレビや冷蔵庫などの生産にも力を入れた。

4月 『月刊社会党』創刊(96.2より『社会民主』)

4.23 都教組、勤評反対10割年休闘争

★5月 井汲卓一・長洲一二・古在吉重・村田陽一編『現代マルクス主義』刊行(大月書店、全3巻、~7)

*(れんだいこHP)第1巻『マルクス主義と現代』、第2巻『マルクス経済学の展開』、第3巻『現代革命の諸問題』。上田『戦後革命論争史上下2巻』に続き、『現代資本主義双書』として、豊田四郎、田沼肇、長洲一二『現代資本主義とマルクス経済学』、井汲卓一『国家独占資本主義』、村田陽一『現代民主主義の構造』、不破哲三『社会主義への民主主義的な道』等々が発刊された。不破は、「コミンテルン時代の古い革命論が反ファッショ人民戦線時代に事実上の修正を蒙ってきた経緯を跡付け、伊共産党の構造改革路線を中心に『社会主義への民主主義的な道が社会主義革命の一般的法則にまで高められた』理論的過程を論証した」。 

5.2 長崎で行われていた切手展で中国国旗引きずりおろし事件。5.10日中貿易停止

5.5 『週刊読書人』創刊

5.18 百里基地反対同盟、防衛庁の資材搬入に対し座り込み

6月 『月刊労働問題』創刊(~81.12)

★7月 小山弘健『戦後日本共産党史』三月書房

7.21 総評第10回大会、「組織綱領草案」提示、太田薫議長選出

8.11 官公労解散大会、単産ごとに総評加盟

8.15 総評、和歌山で勤評反対・民主教育を守る国民大会

8.29 中国共産党政治局、人民公社建設運動全国化を決議

10.13 総評・社会党中心に警職法改悪反対国民会議結成

*(れんだいこHP)10.8岸内閣、警察官職務執行法改悪を上程。10.8日共は「人民弾圧の治安警察法の復活-絶対に成立させるな」。社会党も「戦前の治安維持法の復活じゃないか。反動立法のさいたるものだ。」と批判した。しかし10.13「国民会議」から日共は排除された。10.21日共は「学生運動における極左的傾向と学生党員の思想問題」で全学連を「跳ね上がりのトロツキスト」と批判。12.11閣議で廃案に。

10.22 松川事件大行進

11月 吉本隆明「転向論」『現代批評』

12月 谷川雁『原点が存在する』弘文堂

12.9 神奈川県教組、勤評「神奈川方式」を協定

★12.10 共産党、中立政策に転換

*(れんだいこHP)ソ連、中共の日本の中立化期待の声明に応じて、日共幹部会は突如中立支持の声明。

12.10 共産主義者同盟(ブント)結成

*(れんだいこHP)ブント書記長島、書記局員、島・森田・古賀・片山・青木が選出。メンバーには門松暁鐘(廣松渉)、富岡倍雄、山口一理、佐久間元、北小路敏、清水丈夫、北海道からも灰谷慶三・唐牛健太郎。香村正雄(東大経済卒、現公認会計士)、古賀康正(東大農卒、現農学者)、鈴木啓一(東大文卒、現森茂)、樺美智子(東大文、安保闘争で死亡)、倉石庸、 多田靖、常木守。12.13~15全学連第13回大会、塩川喜信委員長、土屋書記長、清水書記次長、青木情宣部長。12.25日共は、「学生運動内に巣くう極左日和見主義反党分派を粉砕せよ」「島他7名の除名について」と全学連を攻撃。

 

 

 

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『みうらじゅん&いとうせいこう ザ・スライドショー』

2017-02-19 09:48:05 | Weblog

『みうらじゅん&いとうせいこう ザ・スライドショー』(伏原正康監督 製作:WOWOW 2017年作品)札幌シネマフロンティア2.18 

こんな映画を観る人っているのだろうか。

みうらじゅん、いとうせいこう両氏は、3,4年前からBS12金曜日20:00からの『新見仏記』で天才トークを見るようになってからのファン。『見仏記』自体が長く続いている番組なことも知らなかった。もちろんお二人が『スライドショー』という公演を20年も前からやっていることも、2007年に北海道厚生年金会館に来たことも、武道館を満員にしたことも、チケットは即日完売なほどの超人気イベントなことも全く無知。

昨日(2.18)封切りなのに12:20と21:30のたった2回上映、映画館のロビーは多くの人たちでにぎわっている。皆さん、どのヒット作を観ようとしているのか、僕には全然わからない。完全に僕はずれてしまっていることを自覚。封切り初回観客40人弱、年齢60歳代中心。

スライドショーのどこが面白いのだろうか。

「スライドショー」の構成は極めてシンプルである。みうらじゅん氏が撮りだめした写真から選んだスライドをスクリーンに写し、それを両サイドからお二人が掛け合いトークを演ずるというもの。とにかく二人は仲が良い。天才同士がリスペクトし合いながらだまし合っている感じ。爆笑するような可笑しさではないが、いいところを突っつかれる。毒があるところもいい。大衆全体のヒーローにはならないが、限られたごく少数の求めている人にはたまらないのだろう。

おそらく1週間くらいで上映は終わるだろうから、観たい人は観た方が良いと思う。

来場者におまけとしてお二人が写っているマグネットがもらえる。ほしい人は少ないと思うが、会社の冷蔵庫に貼っておこう。

 

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戦後左翼史 その42 1957年 50年問題総括 

2017-02-18 16:53:39 | Weblog

このブログ2016.6.19に「北海道コンサドーレ札幌専用スタジアム構想」について超現実的な夢を書きました。「財界さっぽろ」3月号のコンサドーレ特集記事の中で現石屋製菓社長の石水創氏が会長室(石水勲)の壁には、サッカースタジアムの構想図が飾ってあると述べています。日ハムのドームからの移転話し以降、野々村社長のコメントもドームを使いたいとしていますが、夢は持ち続けているようです。ちなみに、北広島の石屋製菓新工場は秋からの稼働に向けて内部工事が進んでいるようです。また、石屋が取得した隣接の旧ダウ加工用地は広~い更地になっています。

 

1957(昭和32)年 50年問題総括    

 ★印は日共関係)

1月 『月刊総評』創刊(~89.8)

1.16 労農党大会、解党・社会党合流を決議

1.27 日本トロツキスト連盟結成(太田竜・黒田寛一・内田英世ら)

*(れんだいこHPに学ぶ)機関紙「第4インターナショナル」。国際共産主義運動の歪曲の主原因をスターリニズムに求め、トロツキー路線を正当性とした。日本共産主義労働者党→第4インター日本支部準備会→日本トロツキスト連盟→12.1日本革命的共産主義者同盟(革共同)へと至る。

*(*は僕の考え)僕が「戦後左翼史」で新左翼をとりあげないのは、日共の歴史、とくに1955年の6全協までを振り返ると、そこで生じた事象やその原因がその後の新左翼でほとんど同様の構造で再び繰り返していることがわかるからだ。新左翼は日共の批判、否定を契機に組織化されたのだろうが、日共の遺伝子、そこにはソ連も中国の遺伝子も含み、が新左翼に確実に継承されていると考える。新左翼の祖父はソ連、祖父のきょうだいが中国、親は日共。

2月 岩村三千夫・古在吉重・竹内好・貝塚茂樹「座談会・中国革命の思想と日本」『世界』、藤田省三「現代革命思想の問題点」『中央公論』

2.17 北朝鮮、「千里馬」運動開始

3月 『中央公論』臨時増刊号「特集・スターリン批判以後1年」

*(れんだいこHP)座談会「若き日共党員の悩み」で武井昭夫が地下指導部の時代の「トラック部隊」事件に言及。党中央は規律違反として統制抑圧。

★3.5 『前衛』臨時増刊「文化問題と日本共産党」

3.9 政府、ソ連に核実験中止を要請、4.29米に核実験中止を要請

4月 竹内好・埴谷雄高・江口朴郎・丸山真男ほか「座談会・現代革命の展望」『世界』(~5)

4.5 自治労、第1回自治研究全国集会(自治研)開催

5.17 全学連、原子戦争準備反対学生総決起デー

6.8 中国、「反右派闘争」始動

6.22 ソ連共産党中央委員会総会、マレンコフ、モロトフらを追放

*(れんだいこHP)「反党グループ事件」:フルシチョフ打倒に計画したが、阻止され失脚。

7月 花田清輝「ヤンガーゼネレーションへ」『文学』、藤田省三『天皇制国家の支配原理』みすず書房

7.1 東京の国連軍司令部、朝鮮半島に移動

7.10 国労新潟闘争

7.27 日中国交回復国民会議結成

8月 本田秋五『転向文学論』未来社、吉本隆明「戦後文学はどこへ行ったか」『群像』、『思想』特集「マルクス主義と現代」(佐藤昇「現段階における民主主義」)

8.2 杵島炭鉱争議

8.10 太田総評副議長、「低姿勢」論を発表

8.22 中国帰還者連絡会(中帰蓮)、第1回大会

8.26 ソ連、大陸間弾道弾実験成功を発表

10.4 ソ連、スプートニク1号打ち上げ成功

*11.3スプートニク2号打ち上げ。ライカ犬が宇宙旅行

11.5 全駐労・日駐労、失業反対スト、25,000人整理で敗北

★11.7 共産党、「50年問題について」発表

*(れんだいこHP)「1950年の党の分裂は、非常に不幸なできごとであり、全党に深刻な打撃を与え、分裂した双方の誠実な同志に大きな犠牲を与えた。また多くの大衆団体に分裂と混乱を波及させた。」「1955年の6全協は、この問題を根本的に解決し、党の統一と団結を回復することを決議した。」とした。しかし分裂の責任を徳球前書記長の家父長的指導とその派閥的指導体制に帰した。これにより、伊藤・志田・椎野ら徳球系旧指導幹部を「規約違反」として処分。4全協以降の会議を規約に拠らない非適法としてその効力を否定。一方、分派とされてきた旧反対派(国際派.国際派以外の中委少数派.その他)に対する「名誉回復」が行われた。

*ここが全てだと思う。4全協以降の運動を全て一部の党員の責任に帰して終わらせるとした総括が、その後の大衆の心の奥底に根深い日共への不信感を残している。ここを真摯に捉え直さない限り、どんなに正論と思えるような言説を吐こうが大衆から責任を託されることはない。端的に言うと、宮本顕治に対する総括が行われれば可能性があると思う。

11.14 社会主義12(*64?)カ国共産党・労働者党代表者会議、11.21同会議「モスクワ宣言」

*(れんだいこHP)11.16~19モスクワで社会主義革命40周年祝典。志賀、蔵原が初の出席。11.29日共常任幹部会、「12カ国モスクワ宣言」(ソ連、中国、アルバニア、ブルガリア、ハンガリー、ベトナム、東ドイツ、朝鮮、モンゴル、ポーランド、ルーマニア、チョコスロバキア)と「64カ国の平和の呼びかけ」を無条件に支持。推定党員数38,500名。

12.1 日本トロツキスト連盟、日本革命的共産主義者同盟と改称

*(れんだいこHP)10月、黒田寛一らで「弁証法研究会」が創設、機関誌「探求」。黒田、西京司、太田竜(栗原登一)らで「日本トロツキスト連盟」が発足。機関紙「第4インターナショナル」。12月革共同と改称。

12.10 愛媛県教組勤評闘争ピケに警官隊出動

 

 

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戦後左翼史 その41 1956年 スターリン批判 日ソ国交回復 ハンガリー事件 

2017-02-16 15:47:11 | Weblog

JR北海道の島田社長は皆から嫌がられる仕事を引き受け、難しい顔をしながら大変頑張っていると思います。気の毒な感じがします。一民間鉄道会社がどんなに努力しても地域の情況からは限界があると思います。行政に経費の一部負担をしろと言われても道内に裕福な自治体など無く、自ずと限界があります。高橋はるみ(ったくない)知事は、初めから他人事のようで論外です。では、この壁を突破できるのは?僕は今こそ政治家の出番!だと思います。麻生財務大臣がシグナルを出してくれています。特に、道内選出の国会議員の皆さん、今汗をかかず、いつやるのですか?目の前に、大きな手柄が転がっていますよ!この北海道の置かれている窮地を救うことができたら、偉人として名前が残ると思います。超党派でもいい、仕事をしてほしい。

 

1956(昭和31)年 スターリン批判 日ソ国交回復 ハンガリー事件

(★印は日共関係)

*(れんだいこHPに学ぶ)(「東大学生新聞第274号」1956.10.8所収)

風声波声

日本共産党よ 死者の数を調査せよ。そして共同墓地に手厚く葬れ。

政治のことは、しばらくオアズケでもよい。死者の数を調査せよ。共同墓地に手厚く葬れ。

中央委員よ 地区委員よ 自らクワをもって土を耕せ。穴を掘れ。墓標を立てよ。

-もしそれができないならば-

非共産党よ 私たちよ 死者のために 私たちの為に 沈黙していいのであろうか。

彼らがオロカであることを 私達のオロカサとしていいのであろうか

*(*は僕の考え)戦後史に翻弄され、前衛党に裏切られた者たちを想うとやるせない気持ちになる。

1月 『世界革命』(~96.6.24より『かけはし』)創刊

2.14 ソ連共産党第20回大会、「平和共存」「社会主義への平和的移行」路線採択、2.24フルシチョフ、スターリン批判

*(れんだいこHP)「フルシチョフ・テーゼ」:①社会体制の異なる諸国家間の平和共存、②戦争の宿命的不可避性の否定=世界大戦防止の可能性、③社会主義革命の多様性、社会主義への平和的移行の可能性、「議会をブルジョア民主主義の機関から、真に人民の意思を代表する道具に変える可能性があり、多くの高度に発達した資本主義国で伝統となっている議会は、真の民主主義、勤労人民の為の民主主義の機関となることができる」とした。また、秘密報告「個人崇拝とその結果について」を発表。スターリン政策、特に社会主義的民主主義と法秩序を無視した恣意的独断的指導、党、軍の多数の幹部の粛正の実態について報告。フルシチョフは、スターリンがナチスと結んだ独ソ不可侵条約を批判し、モスクワ裁判を通じた大粛清により党幹部、政敵、反対派、無実の人々に対する抹殺を事実と認めた。それによると、1934年「勝利者の大会」と呼ばれた第17回共産党大会で選任された139名の中央委員、同候補のうち98名が1937~38年に銃殺され、この時期に殺された農民まで含めると数百万人にのぼるという。1953.3.15スターリンから3年目のことである。安東仁兵衛「戦後日本共産党私記」では、「スターリン批判と我々の態度-六全協一周年にあたって」(前衛・9月号、米原論文)で、日共は、「個人中心的な指導、家父長的な指導の問題は、六全協で解決済み」で終わらせたとしている。

*「個人中心的で、家父長的な指導」という徳田球一をイメージしたような日共のスターリン批判は問題の本質を捉えてないばかりか、物事の深刻さの度合いもわかっていない。前衛党において、なぜ、党内権力が集中し、示威的な党運営になっていくのか。それが国家の権力を握ったときに大衆に対してどのようなことになるのか。抑制的に働く牽制の力がなぜ働かないのか。そもそも社会主義は根本的な欠陥を孕んでいるのではないか。

2.20 日教組第13回大会。教育三法反対闘争方針決定

4.5 中国『人民日報』「プロレタリア独裁の歴史的経験について」

4.11 全国中立労組懇談会発足、9.8全国中立労組連絡会議(中立労連)に改称

4.15 総評等主催、第1回「働く婦人の中央集会」開催

4.17 コミンフォルム解散

*(れんだいこHP)運動における各民族の独自性を強調して解散。

5月 埴谷雄高「永久革命者の悲哀」『群像』

5.2 中国、「百花斉放・百家争鳴」提起

6.9 全学連第9回大会、委員長に香山健一

*(れんだいこHP)星宮・牧副委員長、高野書記長らを選出。1956年は、国際派ルネッサンスとでもいうべき年で、運動の形成方法も1950年レッドパージ反対闘争の復興であった。

6.28 ポーランド・ポズナニ暴動

7.3 中国で釈放の元戦犯第1陣335名帰国、8.1第2陣329名帰国

7.28 総評松川事件対策委員会、第1回調査団派遣

8.9 第2回原水爆禁止世界大会(長崎)

8.10 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成

9月 吉本隆明・武井昭夫『文学者の戦争責任』淡路書房

10月 大井広介『左翼天皇制』拓文館

10.12 砂川基地拡張をめぐる(*第二次)強制測量で警官隊と支援学生・労働者激突、10.13再度激突「流血の砂川」、10.14政府、測量中止

*(れんだいこHP)武装警官隊2,000名に襲われ、学生1,000名重軽傷。現地指導部(森田・島)の「現地動員主義の成功」評価に対して、留守指導部(高野・牧)がその他の運動との結合との絡みでしか評価しないという対立。

10.19 日ソ国交回復に関する共同宣言

*(れんだいこHP)1.25元ソ連代表部首席代理ドムニツキーから鳩山への秘密裏の手紙には、「ソ連側は、日ソ関係の正常化を目指して意見交換を行うことは時宜に適するものと信じる」と書かれており交渉が開始。北方領土の帰属の話し合いが難航。最終的に、鳩山は、領土問題を先送りしても国交回復を優先すべきだと決断。「領土は何年たってもなくなることはないが、人の命には限りがある。国連に加盟できれば、択捉、国後についても話し合いの出来る機会が生まれるに違いない。」。10.12フルシチョフの宴会発言「日露戦争では我々が日本に負けた。しかし、あの時は革命前の腐りきった軍隊だから負けるのが当たり前だった。ところが今度はどうだ。ノモンハンでも張鼓峰でも、君達の兵隊は、そこに座っているジューコフの軍隊に全滅にされたではないか」。10.19共同宣言は、①戦争状態の終結、②大使交換、③抑留者の送還、④漁業条約の発動、⑤日本の国連加盟への支援などを締結。「歯舞諸島、色丹島を日本に引き渡すことに同意。但し、現実には日ソ平和条約締結後に日本に引き渡す」と明記。北方領土問題が取り残された。

10.24 ソ連軍、ハンガリー第1次介入、11.1ハンガリー首相ナジ、中立化・ワルシャワ条約脱退声明、11.4ソ連軍第2次介入

*(れんだいこHP)10.23ハンガリーの首都ブダベストで非スターリン化の中で政府に不満を持つ学生・労働者が暴動化。10.24ナジ=イムレが首相に就任。ソ連軍が出動し多くの死傷者が出た。11.1ナジは、ワルシャワ条約機構からの脱退と中立を宣言。ソ連軍再介入。11.4ソ連軍ブダペストに総攻撃。ナジ政権の閣僚全員が逮捕。カダル新政権成立。ナジは1958年処刑された。日共は、このソ連軍の行動を、「帝国主義勢力からの危険な干渉と闘う」としてソ連を支持。

11月 丸山眞男「スターリン批判の批判」『世界』、黒田寛一『スターリン主義批判の基礎』人生社

 

11.1 愛媛県教委、教職員の昇給に勤務評定適用と決定、勤評反対運動高揚

★12月上田耕一郎『戦後革命論争史』上(下57.1)大月書店

*(宮地健一氏HPに学ぶ)1950年段階の国際派学生対策委員だった内野壮児、勝部元、山崎春成、小野義彦、石堂清倫で「戦後日本の分析」研究会を開催。討論を内野がまとめ出版する予定だったが超遅筆のため、筆録していた上田が代わって執筆した。その後上田は内野グループから離脱し、宮本派に鞍がへした。『論争史』を評価しない宮本は上田兄弟を自己批判させたが、兄弟は5人の了解も取らずまるで自己の著作であるかのように絶版措置をとった。 

*年表の1951年における記載は誤り。同書については、このブログ2009.11.5、12.30に記した。

12.6 総評、スト規制法要求貫徹総決起大会、12.8参議院、スト規制法恒久化を決議

12.8 伊共産党、「社会主義へのイタリアの道」発表、構造改革路線

12.26 ソ連から最後の引揚船、舞鶴に到着

 

 

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戦後左翼史 その40 1955年 55年体制 日共6全協 日本生産性本部発足 社会党左右両派統一 保守合同 

2017-02-12 16:48:08 | Weblog

各国が様子見状態なのに、アへ首相のトランプ政権への前のめりした接近に危うさが見えます。北朝鮮がアへにとって効果的な絶妙のタイミングで一発ぶっ放してくれました。依頼したのか、忖度なのか・・この国は、アへのトランプへの擦り寄りによって、対米従属を脱する機会を逸しようとしています。民族独立派、ガンバレ!

 

1955(昭和30)年 55年体制 日共6全協 日本生産性本部発足 社会党左右両派統一 保守合同             

(★印は日共関係)

*(*は僕の考え)1955年は重要な節目となった年である。日共6全協における国際派、所感派の統一、社会党左右両派の統一、民主党と自由党による保守合同に共通しているのは、良い意味では小異を捨てて大同についた、またの名は野合だったということである。各政党の内実は、左右、硬軟ごった煮状態での55年体制のスタートであった。各党のその後の推移を見ると、日共は構造改革派、ソ連派、中国派などを次々と排除していった。社会党も民社党が分裂するなど左翼は先細りの道をたどった。一方、自民党は、常態的な派閥抗争、文句の言いたい放題と常にゴタゴタのように見えながら、異なるタレントを持つリーダーによる疑似政権交代を繰り返し、柔軟で強靭な組織を維持した。組織というものは一枚岩ではもろくて硬直化しがちだが、逆に議論百出状態の方が現実への適応力に富んでいて、しぶとく強いということがわかる。 

★1.1 共産党、『アカハタ』に「党の統一とすべての民主勢力との団結」を発表、極左冒険主義を自己批判

*(れんだいこHPに学ぶ)「極左冒険主義」路線の破綻と徳田書記長急死が重なり地下指導部が「自己批判」。志田、椎野、吉田、岩本らは公然化の準備とその後の対策を協議。1951.4以来4カ年にわたる軍事方針にピリオド。

1.21 改造社、編集局員全員解雇

1.26 民間6単産、春闘賃上げ共闘会議結成(春闘方式)

2.10 総評、生産性本部参加拒否

2.14 日本生産性本部発足

*(れんだいこHP)会長石坂泰三、「生産性向上3原則(1.失業防止、2.雇用増大、3.労資強力・協議・公正な成果分配)」を掲げ、左派系労働運動に代わる労資協調路線を模索。

*生産性本部発足の背景として、労働者を裏切り続けた日共系労働組合運動は論外としても、GHQの指導の下結成された総評が、当初の穏健路線から階級的な政治主義に転換していったことがある。また、高度経済成長路線に人的なエネルギーを集中するためにも協調的な労資関係が必要だった。労資が一体となって企業の労働生産性を向上させて収益を上げ、適切な分配をすれば、労働者も豊かになるという考え方は、結果的には1970年代前半までの時代情況に適合していたと認めざるを得ない。しかし、高度成長が行き詰り、対抗文化であった社会主義が崩壊(中国、キューバ等を除く)すると、資本はその本質を再びむき出しにし始めた。新自由主義イデオロギーが蔓延し、労働者収奪型の現在こそオルタナティブな社会の構想が求められていると考える。

3.16 中国貿易使節団訪日

3.16 第11次中国帰還船興安丸、舞鶴入港(最後の中国帰還船)

4.18 アジア・アフリカ会議(バンドン会議~4.24)

★5.5 日本民主青年同盟結成

5.6 砂川基地拡張反対同盟結成、5.8総決起集会

*(れんだいこHP)5月、東京都砂川町議会、立川飛行場の滑走路拡張に反対決議。8月、支援労組、学生等による基地反対共闘会議結成。

5.14 ワルシャワ条約調印

5.15 米英仏ソ、オーストリア国家条約調印、墺主権回復、10.26永世中立

★5.24 民戦大会、解散を決定、5.26民戦を改組して在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)結成

*(れんだいこHP)1.1アカハタ「極左的冒険主義と手を切る」発表により、在日朝鮮人活動家の間で二つの考え方が対立。一つは、北朝鮮支持の旗を日本国内で掲げるべきという考え方。もう一つは、幅広い統一戦線をつくるために、旗は心の中に掲げるべきという日共民族対策部の考え方であった。韓徳銖は、日共の下で日本革命を共に目指した“民対派”に対して、朝鮮や朝鮮労働党との結合を主張。3.11民戦中央委員会で韓徳銖は“在日朝鮮人運動の転換について”演説。5.23浅草公会堂で最後の民戦6全大会、5.24解散。5.25朝鮮民主主義人民共和国支持、日本の内政不干渉を掲げて、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が結成。日共に党籍のあった在日朝鮮人は一斉に離脱。7.24日共は民対を解消、朝鮮人党員離党の方針を決定。日朝共同的共産党活動時代が終焉。

参考)韓徳銖:1907年(明治40年)慶尚北道で出生。1927年(昭和2年)渡日、日大専門部入学(後に中退)。日共系労組である全協に加入、1934年(昭和9年)熱海線トンネル工事争議で検挙。戦後は朝連に参加。朝連中央本部総務局長などを歴任。後に朝鮮総連中央常任委員会議長、北朝鮮最高人民会議常任委員を歴任。

*差別や抑圧と闘うのがコミュニストの本分と考える。在日朝鮮人の中に、日共から別れようとする動きが出ること自体が、日共の度量の無さ、狭さを示している。これは、のちに解放運動でも同様の事態になる。

6.24 全国軍事基地反対連絡会議結成

7.25 全国一般合同労組連絡協議会結成

7.26 総評第6回大会、高野実を破り岩井章(*国鉄)事務局長選出

*(れんだいこHP)日共労働対策部は前年の高野支持から中立へ。以降岩井派が総評主流派、高野派が総評反主流派。他に共産党となる。高野派は、本籍を社会党において、労働組合におけるグループとして自生。有力メンバーとして、平垣美代司(日教組)・松尾喬(全国金属)・内山光雄(私鉄)。

★7.29 共産党第6回全国協議会、極左冒険主義清算を発表

*(れんだいこHP)党の内紛に決着をつけた歴史的大会。 講和条約締結後に対応して、党活動を公然化する上での重要な一段階。主流派系地下指導部の武闘方針を「極左冒険主義」として誤りと認め、公然と全面的な自己批判を行わせ、以降切り捨てるという方針を明示。7.29第一回中央委員会総会で野坂参三を第一書記に選出。野坂-宮本体制確立。故徳田書記長の追悼式を決定。8.2常任幹部会が中央委員会人事を決定、常任幹部会の責任者に宮本。以降党は、「中央委員会」自体が飾りになり「常任幹部会」主導により運営される。中心的指導権力を宮本が掌握していく。

8.6 原水爆禁止世界大会広島大会開催

★9.13 砂川基地拡張のための強制測量、農民・労働者と警官隊が衝突(*年表の砂川は立川の誤り)

*(れんだいこHP)町長を先頭に反対闘争。11.5アカハタ概要「政府の挑発と分裂の政策に乗ぜられることなく、いわゆる『条件派』の人々も含め、一切の住民の具体的要求を統一するよう」主張し、現地で戦う労働者と農民の怒りと不信を買った。

*日共のいう「挑発」という名の敵前逃亡はいつも同じパターン。三里塚でも同じ。

9.19 原水爆禁止日本協議会結成(事務局長・安井郁、原水爆禁止署名運動全国協議会・原水爆禁止世界大会日本準備委員会の統合)

9.20 ソ連・東独主権回復協定

10.13 社会党統一大会(委員長・鈴木茂三郎)(*左派)

*(れんだいこHP)3.2左派和田と右派浅沼の両書記長会談。左派:委員長・佐々木更三、事務局長・成田知己ら、右派:委員長・三宅正一、事務局長・松井政吉らの統一交渉委員による「綱領、政策、組織などについての意見の一致を期し、速やかに統一を完成する」申し合わせ。5月中旬から本格的な討議。左派:伊藤好道、右派:三輪寿壮が黒子役。7.29書記長・浅沼稲次郎(右派)、財務委員長・伊藤卯四郎、政審会長・伊藤好道、国対委員長・勝間田清一、選対委員長・佐々木更三、統制委員長・加藤勘十、顧問河上丈太郎など、150議席。左派綱領を統一綱領とした。綱領には、「共産主義は事実上民主主義を蹂躙し、人間の個性、自由、尊厳を否定して、民主主義による社会主義とは、相容れない存在となった」、「我々は共産主義を克服して、民主的平和のうちに社会主義革命を遂行する」と記され、共産党によるソ連型運動を否定した労農派社会主義論を展開。

11.11 世界平和アピール7人委員会発足

11.15 保守合同・自由民主党結成(鳩山一郎・緒方竹虎・三木武吉・大野伴睦代行委員)

*(れんだいこHP)鳩山民主党の総務会長・三木武吉が緒方竹虎(吉田茂の跡目)自由党との合同を策す。4.13大阪での記者会見で「保守合同」をぶち上げる。民主党内の歓迎派が岸や根本龍太郎。反対派は松村や三木武夫ら。財界は保守合同歓迎の意向。「強い保守党」を望むアメリカ。5.15三木は自由党総務会長大野伴睦と交渉(高輪の料亭「志保原」)。この動きを、読売新聞社主(衆院議員)正力松太郎が現金1千万円、現在に換算して約10億円を支援。(「別冊歴史読本「昭和秘史歴代総理と財界巨頭」P57「正力松太郎:一千万円の代償は伴食大臣」.1987.11.15発行」)5.27民主党岸幹事長、三木総務会長、自由党石井幹事長、大野総務会長の四者会談。6.4鳩山・緒方両党総裁会談で「両党総裁は、保守勢力を結集し、政局を安定することに、意見の一致をみた。」声明発表。6月末10名ずつ民主党から福田赳夫、中村梅吉、井出一太郎、早川崇、堀木謙三、自由党から水田三喜男、船田中、塚田十一郎、灘尾弘吉らの政策委員により政策協定づくりに向かう。

11.28 第1回臨時工全国懇談会

12.20 うたごえ運動の関鑑子、国際スターリン平和賞受賞

 

 

 

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戦後左翼史 その39 1954年 ビキニ水爆 自衛隊発足

2017-02-05 15:39:55 | Weblog

「最右派が皇太子妃雅子のことを嫌い、彼女をしっかりと支えている皇太子のことも嫌っているのは公然たる事実で、徳仁に代えて秋篠宮を天皇にという主張・・・」(ケネス・ルオフ「遅すぎた退位論議」『世界』2016年11月号169Pから引用)初めて見た考え方である。現天皇の想いは、生きている内に皇太子に後継の道をつけたいということなのだろうか。

 

戦後左翼史 その39 1954(昭和29)年 ビキニ水爆 自衛隊発足

1.15 憲法擁護国民連合(護憲連合)発足、2.15第1回憲法擁護国民大会(日比谷公園)

*(れんだいこHP)総評が推進役、議長片山哲

1.29 全日本自治団体労働組合(自治労)結成

2.11 日教組、教育防衛中央国民大会

2.20 総評、MSA予算粉砕・吉田内閣打倒国民大会

3月 小泉信三『共産主義批判の常識』新潮社

3.1 米、ビキニ岩礁で水爆実験、静岡県焼津市のマグロ漁船第5福竜丸被曝、9.23無線長久保山愛吉死去

3.8 日米相互防衛援助(MSA)協定調印

*(れんだいこHP)岡崎勝男外務大臣とD・アリソン米駐日大使

3.13 北ベトナム軍、ディエン・ビエン・フー攻撃

*(れんだいこHP)16,000人の仏軍が立てこもる要塞を攻略

4.3 尼崎製鋼所、賃下げを含む会社再建案(尼崎争議)、6.2会社倒産、7.5組合解散

4.22 全日本労働組合会議(全労会議)結成(議長滝田実)

4.23 青年法律家協会結成

4.26 ジュネーブ会談、朝鮮・インドシナ問題を協議(~7.21)

4.29 中印、平和5原則(領土主権相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存)合意

5.9 原水爆禁止署名運動杉並協議会結成

5.16 全国的に放射能雨降り始める

6.1 東大ポポロ事件、東京地裁で無罪判決

6月 労働大学設立

6.3 教員の政治的中立に関する教育2法公布

6.3 近江絹糸争議始まる、9.16勝利妥結

6.9 防衛庁設置法・自衛隊法公布、7.1防衛庁・自衛隊発足 

6.9 MSA協定等に伴う秘密保護法公布

7.8 日鋼室蘭争議、12.30妥結、3万人解雇

8.8 原水爆禁止署名運動全国協議会結成

8.22 中国人民政治協商会議その他、「台湾解放連合宣言」、9.3金門・馬祖両島砲撃

8.30 北朝鮮南日外相声明「共和国公民」と在日朝鮮人を規定

9月 『日本プロレタリア文学大系』(三一書房、全8巻、~55.5)

10月 花田清輝『アヴァンギャルド芸術』未来社

*(れんだいこHP)7月中旬、第7回大会を10月に予定していた新日本文学界は、2年3ヶ月勤めていた花田清輝編集長更迭。後釜に中島健蔵。更迭賛成派は窪川、国分一太郎、信夫澄子、金達寿、西野辰吉。反対派は佐多稲子、佐々木甚一、菊池章一、大西巨人、秋山清。議長中野編集長が更迭に票を投じ決まった。

10.12 総評中小企業対策委員会発足

10.28 日中・日ソ国交回復国民会議結成

10.30 中国紅十字会代表団(代表・李徳全)訪日

11.12 全日本医学生連合(医学連)結成

12.2 米上院、マッカーサー議員非難決議

 

 

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戦後左翼史 その38 1953年 スターリン死去 徳田球一北京で客死

2017-02-03 19:45:17 | Weblog

マスコミは、この国のアへアへ総理に対するのと異なり、随分と違い気安い気分でトランプを批判している。僕は、現在の情況をパックス・アメリカーナ終焉の政治的な顕在化と捉える。米国は、第2次大戦後の世界を政治、経済、軍事、文化でリードしてきたが、既に国力は落ち、もう世界全体に目配りができない、他国を面倒見るよりも自国を何とかしなければならないところまで追い込まれている解するべきではないか。そこに登場したのがトランプだ。

 

戦後左翼史 その38 1953(昭和28)年 スターリン死去 徳田球一北京で客死                       

(★印は日共関係)

2月 小山弘健『日本資本主義論争史』上(下、53.7)青木文庫

2.14 海員組合・全繊同盟など4組合、総評の指導方針を批判して民主主義労働運動連絡協議会(民労蓮)結成

2.28 日教組、各地で教育防衛大会開催

3.4 スターリン死去

*(Wikipedia参考)スターリン謀殺説がある。スターリンによるモロトフ、ベリヤ、マレンコフ、フルシチョフらの粛清計画があり、その阻止のために部下たちがベリヤを使ってスターリンを殺害。ベリヤは、口封じのために殺されたというもの。

*(*は僕の考え)謀殺説は初めて知った。側近を粛清しながら権力基盤を固めていく手法は、命こそ奪わないが、日共宮本と同じ。北朝鮮では現在でも粛清が続く。これは、左翼の宿痾なのか。

(れんだいこHPに学ぶ)死去後は新書記長マレンコフらによる集団指導体制。死去の前後に、チェコスロバキアのゴットヴァルト党首の死亡、スランスキー党書記長がスパイとして処刑。前南朝鮮労働党書記長で、北へ移り金日成政府の副首相格外交部長朴憲永らが、日米のスパイとして処刑。ソ連から北朝鮮に派遣されていた政治顧問2名処刑。ソ連でも内相ベリアがスパイとして処刑。いずれも「帝国主義の手先」、「裏切り者」のレッテルによる処刑だった。

3.23 日本赤十字・日中友好協会などにより中国からの引揚開始

4.1 国際自由労連東京事務所開設

4.8 最高裁、公務員の争議権禁止は違憲でないとの判断

4.11 総評、平和経済国民会議運動開始

4.30 政府、石川県内灘村に米軍試射場のための土地永久接収を申入れ(内灘闘争始まる)

5月 『思想の科学』特集「転向について」

5.25 全自日産自動車争議、8.31第2組合結成、9.21妥結

 

6月 久留間鮫造『恐慌論研究』新評論

6.13 内灘村の農民、試射場実力阻止の座り込み、6.14北陸鉄道労組、弾薬輸送拒否、6.15米軍試射開始、57.1.23接収解除

6.16 日本製鋼赤羽工場(PD工場)で72時間スト、10.22解雇撤回闘争(~12.5)

7.4 スト規制法反対闘争、第1波スト、7.11第2波、7.27第3波

7.8 総評第4回大会、高野実と太田薫の激論(平和勢力論対第3勢力論)、民労連系総評脱退

*(れんだいこHP)左派色の運動方針案を採択。社会党の「平和4原則」に加えて、米国を戦争勢力、中ソを平和勢力とみなし、その他先進国における民主主義的社会主義志向勢力、後進国における民族独立勢力を第三勢力と規定し、米帝を中心とする戦争勢力と闘う方針を掲げた。これに対し右派系の海員組合や全繊同盟は、総評の「極左的偏向」と非難し脱退。

7.10 ソ連、ベリア追放、12.23処刑を発表

7.22 最高裁、政令325号事件に関し免訴判決

7.27 朝鮮休戦協定調印

8.5 電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律(スト規制法)成立

8.7 三井鉱山、6,700名の人員整理発表、「英雄なき113日の闘い」により解雇撤回

8.8  マレンコフ、ソ連最高会議で水爆保有を公表

8.12 全駐労・全日註48時間スト

9月 高野実・大河内一男ほか「座談会・試練に直面して:労働運動の現実」『世界』

9月 『日本資本主義講座』(岩波書店、全11巻、~55.2)

9.12 ソ連共産党第一書記にフルシチョフ

10.12 全日土建第8回大会、」全日本自由労働組合(全日自労)と改称

★10.14 日本共産党書記長徳田球一、北京で客死

*(れんだいこHP)9.15伊藤律除名。徳田の後ろ盾を失った伊藤はその後1980年9月まで27年間北京で幽閉された。

*幽閉された四半世紀の間に、伊藤に何があり、伊藤が何を思っていたのかは、『伊藤律回想録―北京幽閉二七年』(伊藤律著 文芸春秋 1993年刊)に本人が赤裸々に記している。

10.26 広津和郎・宇野浩二・志賀直哉・川端康成・吉川英治ら、松川事件の構成判決要求書を裁判長に提出

10.28 公共企業体等労働組合協議会(公労協)結成

11月 『レーニン全集』(大月書店、全41巻、~60.5)

11.8 左派社会党綱領草案発表

 

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