晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

笠井潔、白井聡 『日本劣化論』 その1

2014-09-28 13:53:42 | Weblog

 午後から雨の予報なので、午前中にランニング。ついでに汗だらけのまま、古書店に寄ったり、昼食のパンを買いました。昨日は、近くのグラウンドでダッシュ走をしたいと思って行ったのですが、何故かカラスが200羽近く集合していて、怖くなって戻ってきました。あれは、何だったのだろうか。

 

 『日本劣化論』(笠井潔、白井聡著 ちくま新書 2014年刊)

 白井聡と笠井潔の対談。一部、根拠が薄弱と思われる誇張した発言もあるが、読んでワクワクする。白井氏については、このブログで、『未完のレーニン <力>の思想を読む』の読後感を、2010.8.28その1、8.30その2、9.5その3『一週間』井上ひさし、9.11その4無政府論、9.13その5外部注入論を記した。白井氏は、今をときめく『永続敗戦論』で原理論から現状分析にスタンスを移している。

 本書を読むに当たって、①アへ政治に対する米国政府の認知度、警戒度はどのようなものか、②私の「国民国家の黄昏」論を補強できるような論理が見出せるだろうか、を問題意識とした。

 第一章 日本の保守はいかに劣化しているのか

 (P22笠井発言要約引用)「アへ首相の侵略の定義は定まっていない発言、河野・村山談話見直し、靖国参拝、自民党新憲法案から、安倍路線が欧米各国の立場と対立していることは間違いありません。」

 (P24笠井)「冷戦時代の米国は、日本の左翼勢力を封じこめる役割を果たすなら、教科書や靖国に反応する中国や韓国と違って、黙認、放置する態度を続けてきた。」

 (P29笠井)「もし、日中軍事衝突になった場合、米国は同盟国(日本ほか東アジア各国)の安全保障を放棄した場合発生する世界的動揺のリスク、日中戦争に巻き込まれるリスクのどちらをとるか。」(P30白井)「米国は、アへを狂人として切り捨てたいのが本音。」

 (P48白井)「一連の安全保障政策は自立を、それは突き詰めれば対米自立を目指すものだということになるはずです。ですが、それはまさにアメリカが決して許さないものです。」

 (P58白井)「首相官邸筋から日本企業に、中国での経済活動から引き上げるようにという勧めが出ているというのです。そして財界には、その要求に応える土壌がある程度できている。現地生産には技術流出の問題があり、日本企業は嫌気をさしている。経済界が政治の右傾化へのブレーキのはもうならない。」

 最近の動きを見ても、アへ首相は22日から27日の日程で訪米したが、国連演説を行ったが、オバマとの会談はなかった。これは、本書で述べられていることと同じく米国のアへ政権へのスタンスを示しているのではないか。

 一方、財界は、過去最高規模の訪中団を22日から派遣した。このことは、本書で述べられていることとは反対に、アへ政権が中国との関係を構築できない中、日本の貿易先、人的交流先ともに中国が多いという事実があり、しびれを切らした財界が動いたと言えるのではないか。

 

 

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梯久美子 『昭和二十年夏、僕は兵隊だった』

2014-09-23 16:37:55 | Weblog

 午前中に25kmラン、身体が疲れると眠たくなる。スタート時点で気温12℃、それが徐々に上昇して、昼には20℃に。涼しくなったと感じる。午後は、少し本を読む。今日は理想的な晴走雨読生活。そして、どちらに正義があろうが、戦争はしてはいかんと思う。

 

 『昭和二十年夏、僕は兵隊だった』(梯久美子著 角川書店 2009年刊)2014.9.23

 2013.1.26、27、このブログで映画『人間の條件』の感想を記した。旧軍隊内部の病理を題材とした映画で、現実をかなりリアリティに表現しているのではないかと思った。

 本書は、水木しげる、三国連太郎ら二十歳前後で戦場に送り込まれた兵士たちからの聞き取りである。敵との闘い、病との闘い、そして飢えとの闘いにおいて、同僚が次々と亡くなっていく現実。私たちは、戦争を経験していないので、映画のシーンや写真を思い出したりしながら、戦争の現実を想像することしかできない。

 一人ひとりの兵隊にも家族があり、友があり、こころがある。しかし、戦場では、それは員数であり、モノであり、消耗品の扱いである。

 2014. 8.24付け「集団的自衛権問題の核心」で、私は、「人を殺してはいけません、人など殺せませんと言っていた人たちが、親兄弟を守るため、やられたらやりかえせ、といった勇ましい言葉やムードの前に木っ端みじんに絡めとられてしまった歴史を持っているのではないか。」と書いた。

 本書を読むと、アへ首相が唱える集団的自衛権だろうが、個別的自衛権だろうが、一度戦争が始まってしまうと、終わりの無い負の連鎖が限りなく続くということがわかる。

 同じく、2014.8.29付けで、「終戦か、敗戦か」を書いたが、著者は、本書のまえがきの冒頭で、「昭和20年夏。戦争は、敗けて終わった。」と書いた。そう敗けて終わったのだ。

 

 

 

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なだいなだ 『常識哲学』

2014-09-20 17:07:51 | Weblog

 スコットランドの独立の是非を問う住民投票問題は、最近になって唐突にマスコミに報道されたような感じを持っています。雑誌「世界」10月号でも全く触れられていません。ノーマークの動きだったのでしょうか。世界の各国における独立、自治、分権、分離などの動きは、国民国家の黄昏を示しているとともに、国家が解体、廃絶の方向に向かっている兆候と捉えていいのではないかと思います。

 

 『常識哲学 最後のメッセージ』(なだいなだ著 筑摩書房 2014年刊)

 2013年6月6日、作家であるとともに精神科医のなだいなだ氏が亡くなった。本書には、亡くなる5日前に行った講演の記録、そして6月末に予定されていたフランスでの講演原稿、最後のホームページ更新となった5月28日の文章など氏の遺した最後のメッセージが収められている。

 私は、このブログで2011年1月22日に、『いじめを考える』(岩波ジュニア新書 1996年刊)の読後感を書いた。3年ほど前の文章なのに読み返すと我ながら随分とラジカルなことを書いたものだと感じる。なぜなら、それだけ氏の思想が私たち読者のこころを揺さぶるからなのだろうか。

 私が「国民国家の黄昏」なる考え方を持つに至ったのも、かなり昔に、氏の『権威と権力―いうことをきかせる原理・きく原理』(岩波新書 1974年刊)を読み、現在は常識となっている国民国家の存在が、比較的最近に、人為的にこしらえられたものだということを教えられたことがきっかけであった。

 アへ首相が、「もう一度日本を強い国にする」と発しているが、私たちが存在することが当たり前と思っている国民国家日本は、明治になって西欧の国民国家の仕組みを真似して作り上げたもので、一定の歴史的限界性をもっているものであり、国民国家の黄昏に際して、アへなりの危機感の表明ではないかと考える。

 私は今、『近代天皇制と古都』(高木博志著 岩波書店 2006年刊 2014年復刊)を読んでいるが、京都と奈良が古都と言われるようになったのは、明治になってから近代天皇制のもとではじめて成立したものだということが分析されている。

 常識について、本書で述べられる著者の境地には達しないが、現在において常識と捉えられることが、未来永劫続くとは思われない。歴史と共に新しい常識ができあがる。そのようなことを著者は言っているように思える。

 なだいなだ氏から大いなる影響を受けた。落ち着いた議論をするこの年代の方々が次々と亡くなっていくのが惜しい。それより下の世代の議論は、少し乱暴な感じを受けるから。

 

 

 

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伊東光晴 『アベノミクス批判』

2014-09-16 21:21:27 | Weblog

 子どもの頃、よくクジラの肉を食べた記憶がある。牛肉は近所の肉屋で扱っていなかったのであまり食べることは無かったと思う。豚肉も高価だったのだろうか、鯨肉(げいにく)をよく食べた。クジラのベーコンも赤い色素が入っているようだったが美味しかった。

 クジラ、さらにウナギを食することが国際的に批判されている。それに対するこの国の言説が気になる。日本に固有の食文化だと主張する、ナショナリズムの臭いに対してだ。理解者や共感者を増やすのではなく、自分だけが正しい、それを理解できない周りが間違っているというものだ。何か、領土を巡る言説に似ている。国際的に孤立の道を選ぶのか。

 私は、クジラやウナギを食べなくても特に苦痛は感じない。

 

 『アベノミクス批判 四本の矢を折る』(伊東光晴著 岩波書店 2014年刊)

 著者は、1927年生まれなので87歳である。はしがきに、体調を崩してリハビリ中なので本書の半分は口述速記になったとある。今のアへ政権の危うさに黙っておられない、また現役の経済学者がアベノミクスを真正面から論破できていない歯がゆさから出版に至ったということなのだろう。伊東氏はいわゆるケインジアンであるが、私が思うにマルクス経済学の方法論もきちんと踏まえている方だと思う。本書は、アベノミクスをシンプルに批判した非常に解りやすい良書である。

 第一の矢である金融政策、アへ首相は、杞憂緩和の効果で株高、円安になったと宣伝しているが、それは2012年12月の政権交代より以前、民主党政権時代から始まった外国人投資家による円買いの効果であると批判する。第二の矢、国土強靭化政策は10年間で200兆円を投資するというものであるが、現在の財政状況から非現実的な政策と一刀両断に切る。第三の矢、成長政策は、生産年齢人口減少社会では勃興期のような成長を望むのは無理であるとする。

 アへ首相は第四の矢を唱えていないが、伊東氏はアへ首相の右に傾いた政治軸(第四の矢)を批判する。集団的自衛権、領土、歴史認識、憲法問題などで歴代政権とは異なる質の危機感を感じているのだと思う。

 本書の最後から引用する。(P145)「学生時代の彼(アへ)を知る人によると、気が弱い一方、虚勢を張っていたという。調子に乗って大見得を切るのも好きである。」今も性格は変わっていないことがわかる。お腹の調子が悪くなる原因も想像できる。

 アへにしても、次の石破にしても、どうしてこのようなバランスの欠いた人格の持ち主しかトップになれないのだろうか。昔の政治家は、もう少し徳が備わっていたように感じるのは、自分が歳をとったということなのだろうか。

 

 

 

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ことば 一読者さまへ 

2014-09-12 21:20:52 | Weblog

 小噺をひとつ。薬局で育毛剤を購入したら、レジで店員さんから「お大事にして下さい」と言われた。「うっ! ハゲは病気か?」

 

 ことば 一読者さまへ             

 一読者さま、丁寧なコメントありがとうございます。触発されたことがありますので、少し述べたいと思います。

 はじめに、憲法観についてですが、このブログ2007年5月3日(憲法記念日)に、『日本の青空』と題して、大澤豊監督の同題名の映画を観た感想を書きました。

 この映画の主題は、日本国憲法は決して押し付けられたものではなく、鈴木安蔵という憲法学者を中心に高野岩三郎ら民間人による「憲法研究会」が、1945年12月27日に作り上げた憲法草案が、GHQが1週間で作ったと言われている憲法案の元になったというものです。

 不勉強で、アへ首相らの単純な言説に巧く批判できませんが、一方的に押し付けられたというのは、事実とは異なるのではないでしょうか。仮に、押し付けられたとしても、その後のこの国の歴史を振り返ると、結果的に良かったと言えると思います。不本意ながら親が予め決めた、いいなずけと結婚させられたが、その人はとてもいい人だったので今は幸せですという感じです。

 次に、一読者さまが、「言い換えによって問題の核心を漠然とした方向に反らしてものごとを決定してしまおうとする意図がある訳です」と述べられたことに、異議なし!

 特に、政治の世界は言い換えやはぐらかし、肩透かしが多用されていると思います。アへ首相など、論理的な説明ができないので、根拠も示さず「大丈夫だから安心して下さい」「こうすることが国民のためなのです」・・理由も何もない国民を小ばかにしたような物言いです。

 実社会での話題に変えます。会社の採用試験の論文に「アルバイトの時、仕事の手抜きをしたことがあり、会社に迷惑をかけたことがあった。だから、御社ではその経験を生かし、一生懸命がんばりたい」というようなことを書く人がいます。

 本人は、自分が正直で誠実な人と見られると思ったのでしょうか。私は、何と無防備な人なのだろうと思います。この種の人は、会社に入った後も、正直路線で、話してはいけないことをお客様に話してしまったり、非現実的と思われる正論を述べるタイプに見られるのではないでしょうか。実社会では、戦略的思考は大変重要だと思います。

 私は、ある意味政治家の言い換えも可とするものです。なぜなら、大衆から見ると政治家が嘘を言っているということが明らかにわかるだろうと思うからです。

 

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