晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

原武史 『地形の思想史』 その1

2020-05-31 16:11:33 | Weblog

昨年末(2019.12.28)に『「ウソから始まった五輪」の年2020がグダグダになるであろうことを祈念して本年を閉めたいと思います。』と書いたが実際には? では、この先の2020はどうなるのであろうか。最悪のシナリオは、『経済クラッシュ ハイパーインフレ 預金封鎖 新円切り替え』(2019.6.12)に書いた近未来だ。まさかの坂というのもあるので。

 

『地形の思想史』 その1(原武史著 角川書店 2019年刊) 

在席している放送大学で最初に受講した科目が原先生の『日本政治思想史』だった。通信講座なので生で講義を受けることはできないが、学期の中間に提出したレポートには「良くかけているが誤字には気をつけるように」と直筆のコメントが添えられていた。講師が実際に読んでくれるとは思っていなかったので嬉しかった。それまでも原武史氏の著作は読んでいたが、この受講以来僕の中では原先生は恩師になった。

本書は、これまでの著者の研究分野である天皇論、近代政治思想史、さらに団地論、松本清張研究、鉄道オタクなどの知識が「旅」を通じながら総合化され、新しい境地としてエッセイ風に表現されたものである。

第1景「岬」とファミリー

訪れた場所は、静岡県の奥浜名湖に突き出た「岬」。

エピソードは、現上皇が皇太子であった1968年から78年までの間、浜名湖のほとりのプリンス岬と呼ばれる場所にある企業の小さな保養所で毎年夏に一家5人だけのプライベートが確保された疑似マイホーム生活のこと。

昭和という時代は、高度経済成長と都市化、核家族化、そして住宅団地、マイホームに象徴される生活であった。現上皇の子育てはそんな時代に行われた。時代の空気が皇室にも反映され、子どもと同居し自ら子育てを行うなどそれまでとは大きく異なる家族形態をとることができた。

現天皇は、平成の時代に子育てを行ったのであるが、平成は少子化、高齢化、子どもの声が響き渡っていた団地も老人だらけになってしまった。社会が変わると家族の形態も変わる。情報化が進み公人中の公人である天皇家の人々が皇居や御用邸以外の場所でプライベートな空間を確保することは難しかったのだろう。一家水入らずで静養したという話題は聞いたことがない。

第2景「峠」と革命

訪れた場所は、東京都から山梨県にかけての奥多摩の「峠」

エピソードは、明治初期の五日市憲法草案、1952年の日本共産党山村工作隊による小河内「軍事」ダム建設反対運動、1969年の赤軍派による大菩薩峠「福ちゃん荘」軍事訓練の三題話である。

僕は北海道以外の場所で暮らしたことはないのであるが、この辺りの情景は青梅マラソンを一度だけ走ったことがあるので少し想像できる。青梅市をスタート地点にして青梅線と多摩川に沿ってくねくねと曲がる道を上流の方へ、両側を急峻な山に囲まれた深い谷あいを15km登って折り返すコースだった。

三題話の方は、自由民権運動、戦後左翼運動、新左翼運動の中における出来事であるが、原政治思想史ではこれらが天皇論と絡むのである。2013年、現上皇后は誕生日(10月20日)に五日市憲法草案について「世界でも珍しい文化遺産」述べたのである。また、著者も驚いているが、登山好きの現天皇が雅子妃とともに「福ちゃん荘」に立ち寄っているのである。土地には歴史が積み重なっている。そのエリアをつぶさに観察すると左翼の動きと全く相反するような皇室の動きが交錯することがあるのだ。さらに「福ちゃん荘」に寄ってしまうところに皇室の侮れないふところの深さを感じる。

「ブラタモリ」という番組は、その土地の現在の様相を今に至る歴史的な出来事や、もっと時間的なスパンの長い地形や地質の歴史から解き明かしていくユニークな番組だと思う。この「地形の思想史」もこれまでの原思想の根本モチーフを現場で紡いでいく興味ある「旅」シリーズになっていくのではないだろうか。本書では、さらに島、麓、湾、台、半島の5景を訪ねている。

 

 

 

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コロナ マークⅡ 憲法記念日 

2020-05-03 16:05:07 | Weblog

バリカンを買いました。理髪店に行くのを躊躇していましたが、どうせ髪の毛も少なくなったし、人前に出ることもないので自分で刈れないだろうかと思ってケーズデンキに行きました。皆さん同じことを考えているのですね。最後の一台が残っていました。

 

コロナ マークⅡ 憲法記念日  

 

「マークⅡ」

さよならが 言えないで どこまでも歩いたね 🎵

街あかりさえ 消えて 足音がさみしいよ♫

よしだたくろう/詞:吉田拓郎/曲

 

この1月あまりの間に妄想したことを埋め草的にメモします。

 

「コロナ国債発行で金利上昇、財政破たん。預金封鎖、denominationが正夢に。コロナ禍の長期化に乗じて緊急事態条項を憲法に入れる策動。憲法の日。」

(*補足)敗戦時の歴史に学ぶと国民生活に最も影響があったのは経済的な制限だった。戦争協力で買わされた国債は紙くずに、虎の子の預金は口座が封鎖されて降ろせず、新円切り替えで価値が百分の一へ。歴史を繰り返してはいけない。

 

「国が無策で地方へ丸投げ、知事たちが強権を競い合う。惨事便乗型全会一致翼賛政治が目の当たりに。」

「まさにナオミ・クライン惨事便乗型資本主義を目の当たりにしている。大衆は賢者か、否か。大衆迎合全会一致翼賛政治の行き着く先は?ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ。」

「権力に逆らう者、コロナと同類。国はやっているふりだけで最後は地方に丸投げ。ここから国家の廃絶が見えませんか?」

「コロナ対応は最後の所で地方へ丸投げ。僕らの観念から国が消えていくと良いが!」

(*)国は、予算、法律、許認可権を握っている。しかし実際の現場対応(検査、治療、給付など)は、全て地方自治体へ丸投げ。いまだかつて都道府県知事がこれほど目立ったことはあっただろうか。国なんか無くてもやっていけるというイメージが見えてくる。ただ、悲しいかな、「ミネルバの梟」の僕は、眼前で起こっている事態の本質を認識できる能力がない。

 

「マヌケなアへ首相を意識している小池の野望は何か?毎日、アへが私邸に帰る理由は?社会のあり方として、自由、不自由、安全、危険から2つを選べ?」

(*)4つのキーワード。例えば、監視カメラを例にすると、(安全)な社会のためには監視(不自由)は必要だ。犯罪が起きても(危険)監視の無い(自由)社会がいい。(不自由)で(危険)な社会は最悪。(自由)と(安全)が両立した社会は、少し前にこの国にあったように感じる。

 

「この外出禁止要請は、人間が類的存在であることを認識することにつながるのだろう。」

(*)社会的距離をとることが必要なのは理屈では理解できるが、友人・知人たちと実際に会うことができないことが、人間の本質に反していると実感できる。要するに、みんな寂しいのだ。このコロナの雲を抜けた時、識者のいうような「新しい生活様式」に移行できるか。否、この間の反動でこれまでより3密になってしまうのではないか。

 

「誰も責任をとる必要のないコロナ対策は、政治家にとって美味しい出番なのでしょう。国民の意識が強権指向に変わる時が本当の危機。」

「コロナの増殖で指数関数の意味が実感できる。」

「僕が若者だったら、人生百年時代とか定年延長などといつまでものさばっている年寄りはさっさとくたばってくれ!と言うだろうな。」

 

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