最近勉強して自分の認識が大きく変わったことがある。ファイザー、ビオンテック、モデルナ、アップル・・今をときめく企業の創業者は移民もしくはその子孫だ。移民は排斥の対象ではなく社会に新たな活力をもたらす。(放送大学高橋和夫氏)内向きのこの国から創造性は生まれず。
長縄宣博 「イスラーム教徒と帝国の戦争」 2022年度北大スラブ・ユーラシア研公開講座『溶解する帝国』 第3回(2022.5.16)
(僕の感想)現在のロシアとウクライナの戦いで、双方の国民は国家への愛国的な忠誠を求められることと人間を殺せという理不尽な行命令の間で葛藤している。ロシアとウクライナともに戦意の喪失感が高まってきているとの報道もある。この戦いがどのような形になろうとも、現在の政治体制を溶解させるだろう。歴史は、かつて強国を誇ったロシア帝国も幾度かの戦争を経るなかで最終的に崩壊したことを教えてくれる。
【第3回】講義ノオト
◎幾度かの戦争から生まれた改革とロシア革命によりロシア帝国が溶解した。ロシア帝国の中におけるムスリム(イスラーム教徒)は、国家への忠誠と戦争への疑念の中で葛藤した。
・ムスリムとしてのタタール人(ヴォルガ、ウラル地域の住民)は、露土戦争、日露戦争、第一次世界大戦(70万人から150万人)に動員された。
○1874年、ロシアで20歳以上の成年男子に国民皆兵制が導入される。(ちなみに日本は1873年徴兵令施行)ムスリム男性も国民軍に組み込まれた。一方、ロシアに併合される前の中央アジアやコーカサスでは、ムスリムは異教人として差別された。
○露土戦争(1877~78年)
・キリスト教徒のスラブ人がイスラム教徒のトルコ人に勝利した。ロシア軍内のムスリム兵士の心境は複雑。
○日露戦争(1904~05年)
・5~6万人のタタール人(ムスリム)が動員され、それはロシア軍兵士の2割を占めた。ムスリムは愛国的に開戦を受け止めモスクで皇帝への忠誠を示し戦勝を祈念した。だが、モスクの指導者が戦争に動員されて宗教行事が停滞し、また男手が失われてムスリム女性は窮乏化した。
・大阪浜寺収容所には、旅順でのロシア軍捕虜2万2千人以上を収容した。日本は国際法を遵守する文明国を目指していたため捕虜の扱いに留意し、信仰に応じて別個の兵舎、食事、礼拝所、墓地を用意した。なお、ムスリム兵士は650名ほどいて、識字や宗教の勉強会が開かれた。
・ロシア国内のムスリム社会では前線の肉親からの情報で、ロシア帝国主義の破綻、ロシア軍の威信の失墜という情況を直に知ることができた。地域の指導者は、軍内の信仰生活の保障と宗教行政の改革(ムスリム部隊の編制、豚肉や酒を除いた食事、儀礼・祭日への配慮、ムスリム聖職者の兵役免除など)を政府に訴えるべく大小の集会を開き嘆願書を携えた代表を首都に送った。これは、戦争による犠牲の代償を人々が求めたことを意味する。
○第一次世界大戦(1914~18年)
・ロシア国内のムスリムを管轄下におさめている宗務協議会は、モスクを中心とする共同体に募金を呼びかける愛国的な反応を示した。また、ムスリムを戦時協力に組織化する試みを行った。だが、ロシア人兵士はムスリム兵士に対して根深い不信感を抱いていた。
・さらに、ロシア語の不自由さと食生活が、ムスリム兵士たちの境遇をより過酷なものにした。