晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

派兵しても、ゴルフ三昧の毎日  

2015-09-22 16:15:16 | Weblog

 シルバーウィークも残り1日、歩いたり本を読んだり、心と身体のリハビリ―。晴走雨読ではなく晴歩雨読。7月24日、「9月に旅行を予定しているのですが、キャンセルした方が良いですか。」「否、大丈夫、行けますよ」との医師の言葉、例年の小旅行にも行くことができ、厄払いを。

 この間、安保法制は予定調和のように可決された。民主党の言っていた「ありとあらゆる抵抗」という名の「言い訳づくり」の成果も無く、あっさりと採決を許してしまった。野党は、来年の参議院選挙で民意を問うといっているがお気楽なものだ。では、どこの誰に投票しろというのだ。全てアへのせいにして、誰一人、詫びの言葉も無い。僕は、一人くらい責任を感じて議員を辞職するのが現れるだろうと思っていた。結果的には、ひ弱に見えるアへの方が胆力で勝っていたと思う。

 今回の安保法制論議での論功行賞は、誠実だが知力が少し劣る中谷防衛相では無く、ヒゲの隊長こと佐藤元久参議だろうと思う。氏は、会津(福島県)出身(悲しいかな賊軍!)なので、常に長州を意識しているアへから内心バカにされていると感じているだろうか。しかし、過去に派兵された経験のある佐藤氏にはこれからのし上がってくる何かを感じる。これから派兵命令を下したとしても週末になると別荘に行ってゴルフ三昧のアへは、遠くないうちに裏切られ、乗り越えられるのではないか。

 60年安保では、アへの祖父岸信介首相は、安保条約改定の後に辞職し、池田勇人首相が所得倍増論という鞭から飴路線への変換で国民世論を鎮静化させた。今回は、アへの政治生命にいささかも揺るぎは無いように見えるため、このあとの政策に注目したい。特定秘密保護法、安保法制、タカ派外交、自衛隊派兵、愛国教育、憲法改正と引き続きハード路線を貫くか、消費税増税の先送り、社会保障、柔軟外交などソフト路線に転換するかである。

 NHKニュースは政府広報に堕してしまっているが、作り手の意志を感じる番組もある。1995年に放映されたNHKスペシャル『映像の世紀』全10回がリマスター版として再放送されている。冒頭で映像の中で遺体が映るシーンがあるが・・という字幕があり、戦争、虐殺などで無惨に殺された市民や兵士の姿が映し出される。おびただしい死体の数、ハエがたかり、腐敗が進む。アウシュビッツ、サイパン、ガダルカナル、広島、長崎・・。

 いつからか画面から死が消えた。戦争の実像を伝えないためなのか。人々が戦争のリアリティを想像できないようにするために。歴史は教えてくれる。闘いは、始まるとそう簡単には終わらない。犠牲者の怨念の数だけ、引くに引けなくなる。兵士が足りなくなれば補充も必要になる。

 

 

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野党議員は辞表を叩きつけろ! 

2015-09-08 20:12:27 | Weblog

 自民党総裁選挙はアへ総理の無投票で決まり、いよいよ安保法制は採決に持って行かれるかどうかの土壇場に来た。野党は、内閣不信任案の提出を最終手段と考えているようだが、数の論理であっさり否決されるであろう。

 僕は、国会内の議員の思いと連日デモをしている大衆との間に、温度差があると思う。内閣不信任案は、野党のただのアリバイ作りにしか受け取られないであろう。もし、安保法制を許してしまったら、反対した議員全員は国会議員を辞職すべきと考える。相当数の議員が辞めてしまった国会はもう国会ではなくなってしまう。政局は否応なく選挙モードに。ただ、その準備と覚悟が野党にあるのかが問われるが。また、バッヂを失いたくないという自己保身がはたらくか。

  

 『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎著 朝日新書 2015年刊)は、東日本大震災、福島原発事故直後の2011年4月から2015年3月までの間、朝日新聞に掲載された論壇時評をまとめたもの。僕は北海道新聞の論壇時評を読み続けきているが、論壇とは政治不信や社会問題をことさら取り上げる月刊誌、週刊誌などを素材に、時の話題や潮流をまとめたものだと思っていた。従って、世の中は多くの課題や矛盾を抱えており、時代は閉塞感に覆われ、その論調はとても暗く展望がないという印象を持っている。

 しかし、高橋源一郎氏の時評は、言説の素材範囲を業界紙やネット、時には単行本まで拡げ、いわゆる学者や評論家、専門家といわれる人たちだけではなく、若者やマイノリティと思われる人たちのことばにも丁寧に目を通している。そこには、世の中少し変わってきているぞ、まんざら捨てたもんじゃないぞ、と著者の何とか明るい希望を見出そう意図を感じた。

 本書を読むと、暗い顔して護憲とか、9条を守れとか言ってきた人々、その次の手を持ち合わせていない人びと、僕も含めた旧来の左翼が既に乗り越えられていることがわかります。この国にはもっともっと柔軟でしなやかな感性を持った若者たちが生まれてきており。彼らが次の時代を切り開いていくと思う。この若者たちを顕在化させたのは、反語的だがアへ政権の功績だと思う。

 

 

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お世話になった病院への礼状 

2015-09-04 18:47:59 | Weblog

 病院食に慣れてしまうと外食の味はくどく感じて、つい蕎麦になってしまいます。

 

 お世話になった病院への礼状

 この度は、循環器内科の○○○○子医師をはじめ、緊急手術をしていただいたスタッフの皆さま、5階入院病棟の看護師の皆さま、○○○病院の全てのスタッフの皆さま、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

 病院到着後の素早い対応、適切な処置、気配りの行き届いたケアのお蔭で大事に至らず、自宅療養ののち職場に復帰することができました。

 お礼に代えまして、退院から1か月が経ち、この間考えたことを記したいと思います。(以下、駄文ですので読むのを省いていただいても結構です。)

 わたしは、今回の病気で死ぬということを現実的なものとして少し考えることができるようになりました。これまで、死というものに直面したり、実感したりすることが無かったことから、頭の中では「死ねば、死に切り、ただの終わり」という程度の認識でした。

 それが、心の変化というか、少し変わってきたと感じています。

 それは、自分という存在が、これまで社会や誰かの役に立ってきたとか、これから何かの役に立つのだろうかということではなく、またこれから何かを成すということでもなく、ただ今は自分として、「まだ途上だな、途の途中だな」と感じていることです。

 自分なりの目標に向かって何をどう整理するか、整理をしているかは別として、もう少し家族のことや世の中のことを見ていたい、ただ見続けることができればいいと思っていることです。

 もう一つは、前の会社の先輩たちの中にも、退職後それほど経過しないうちに、身体の不調を発症し、中には若くして亡くなられた方もおられます。

 今回の病気の原因は何かと考えた時に、元々の体質的なものもあるのでしょうが、私はこの3月末に前の会社を定年退職し、4月から新しい職場に変わったのですが、その切り替えが上手くできなかった、気持ちの切り替えに失敗したことも一因だと思っています。身体が心に影響するだけでなく、心が身体に影響したのではないかと推測しています。

 終わりになりますが、病院における医師、看護師、スタッフの皆さまの仕事を見ていますと、責任も重く、また肉体的にも相当ハードだと感じましたので、皆さま自身のお身体にも十分留意され、この地域の人々のためにご活躍されることを願っております。

 この度は、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

 

 

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