晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

富田武 『日ソ戦争 1945年8月 棄てられた兵士と居留民』 プロジェクト・フラ レンド・リース 

2021-04-22 15:28:43 | Weblog

友人からの推薦で、NHK・ Eテレ 月曜(22:50 ~23:15)でアニメ『不滅のあなたへ』(大今良時原作)を今週放映された第2回目を視聴した。宗教的な慣習や権威への反抗?何度死んでも甦るという不滅性?今のところ何が何だかわからないというのが正直な感想だ。大昔の「カムイ伝」のように感じたが、次回以降も見ようと思う。

 

『日ソ戦争 1945年8月 棄てられた兵士と居留民』(富田武著 みすず書房 2020年刊) プロジェクト・フラ レンド・リース   

1945.8.9のソ連参戦から、8.15玉音放送を挟んで、9.2の降伏文書調印までの間の主に旧満州を舞台とした日ソ戦の様子だ。戦力の大半を南方へ割いてしまった関東軍とドイツ軍の後退開始後にヨーロッパから精鋭部隊を東進させたソ連軍とでは戦力に圧倒的な差があった。

「第二章 日ソ八月戦争」

鹿児島から出撃した特攻隊のことは多く語られてきたが、満州においても、戦車も大砲もない日本軍兵士は爆弾を抱えてソ連軍戦車の下に潜り込めというような無謀な戦いが命じられた。部隊によっては8.15の玉音放送を傍受できていたのに、大半の指揮官はソ連の謀略として無視したため多くの命が失われた。これらは、戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず,死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」という言葉による呪縛である。

そこで起きたことは、まさに地獄絵図、阿鼻叫喚。僕らが想像しようとしても想像できない現実があった。具体的には、本書を!

 

「第一章 戦争前史―ヤルタからポツダムまで」

ソ連の北方四島占領作戦が米国の援助の下で実施されたという事実、その作戦名「プロジェクト・フラ」について、このブログ2020.3.14「太田昌国 『さらば!検索サイト』その2 プロジェクト・フラ ソ連の北方四島占領を援助した米国」に書いた。

本書を読んだ成果は、「プロジェクト・フラ」作戦の背景を知ることができたことだ。

1941.3米国議会で英国に対する武器援助措置として「レンド・リース・アクト」(武器貸与法)が可決された。同年6.22ドイツがソ連に侵攻開始、6.30ソ連がアメリカに援助を要請、同年10月ソ連も「レンド・リース」適用対象国になった。ソ連は対独戦初期の段階から、大量の航空機、戦車、トラック、食糧などの補給を米国から受けた。

1941.12.8日本は米英と開戦。日ソ中立条約があったがソ連は米英の同盟国になった。1942.6「戦争遂行上の相互援助に関する米ソ合意」を締結。米国はソ連に武器、食糧などを、ソ連は米国に鉄鋼、原燃料を供給する、さらに相互にサービスや情報を提供することとした。

米国は、ソ連の要望に応じて、対日戦、特にソ連軍が経験したことのない上陸作戦(千島や南樺太)のために米海兵隊による訓練と上陸用舟艇の供与を行った。1945.4.16ソ連将校220名、水兵1,895名の訓練がアラスカのゴールド・ベイで開始された。この艦艇供与と訓練の全体が「フラー」作戦と呼ばれ、「レンド・リース」の一環だったのだ。

「フラー」作戦は、同年8.15まで行われ、駆逐艦10隻、大型上陸用舟艇30隻、対潜哨戒艇、掃海艇などがソ連に供与され、12,400名が訓練を受けた。そしてソ連兵は千島のパラシム島攻撃に参加した。

雑誌『極東の諸問題』(Problemy Dal’nego Vostoka)1996.6-72~80 R.Rassel.Sekretnania sovertsko-amerikanskaia voenno-morskaia operatsiia po lend-lizu v Kold-bei,Alaska,1945god.(1945年アラスカ・ゴールドベイにおけるレンド・リースに基づく米ソ海軍秘密作戦―筆者は米国人)が文献一覧に載っている。

 

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谷崎潤一郎 『小さな王国』  「国家を考える」ノオト その16   

2021-04-12 16:20:19 | Weblog

公害対策に総量規制という考え方がある。有害物質を排出する際に濃度の基準では、希釈すればクリアーできるという抜け道があるからである。そのため有害物質の総量(=濃度×排出量)を基準とするのが原則だ。福島第一原発の汚染水を希釈して海洋に放出するなんてのは愚の骨頂だ。

 

『小さな王国』(谷崎潤一郎著 『お金物語 中学生までに読んでおきたい日本文学4』松田哲夫編 あすなろ書房 2010年刊所収) 「国家を考える」ノオト その16 

友人の推薦で近くの図書館から借りて読む。素直に面白く谷崎潤一郎、恐るべしと感じた。

(あらすじ)大正7(1918)年の作品。貝島先生が担任の尋常5年のクラスが、沼倉という転校生に思い通りに動かされていく話。沼倉は、一つの国家のような体制をつくり上げ独自の紙幣まで発行する。すると、子どもたちの間には貧富の差がなくなっていく。そして、貧しい暮らしにあえぐ貝島先生も沼倉に屈服する日がやってくる。

この作品を読みながら子どもの頃を思い出した。子どもの世界には社会の原初の姿が見られると思った。理由は定かではないが何となくいつもクラスの中心にいる子がいた。ケンカが強い、運動ができる、やさしい、面白い、頭がいい、顔がいい、お金持ち・・・様々な個性の子どもがいたが、やっぱりあいつでないとダメだよなとみんなが思っている存在だった。人類社会の初期の頃、未だ武器も発達せず、財力の差もない時に集団の中で崇められるリーダーが出現した経緯が想像できる。

沼倉は転校してくると徐々にクラスの子どもたちが自分に逆らうことができないようにしていく、それは、暴力を振るったり恫喝によるものではではない。彼は、各自に○○大臣のような役職と仕事を与え、子どもたちの間に序列をつくり、相互の行動や言動を監視する体制を作った。なかでも独自の紙幣を発行した効果は大きかった。金持ちの子からモノを安く買い、貧乏な子に紙幣を多く分け与えることによって一種の平等社会が形成された。お金を手段として使うことによって支配権をますます強固なものにし、最後には担任の貝島先生まで沼倉に従属することとなった。

沼倉が手にした力の源泉は一体どのようなものなのだろうか。彼は、権力を持ったからリーダーになったのか、リーダーになったから権力を持ったのか。

会社組織などでは「立場が人を作る」といわれる。通常は最初から偉い人はいない。(世襲などの例外はある。)権限のあるポジションにつくとそういう役回りをこなさねばならなくなる。こなしているうちに本人は偉くなったという意識を持たなくても周りの見方が変わってくる。そうすると、本人も変わってくるというものだ。それは、組織の中に一種の幻想(観念)が生まれたことによって権力というものができあがっていく過程を表す言葉なのだと思う。

紙幣の効果も似ている。紙幣自体は火がつけば燃えてなくなってしまうただの紙きれだが、皆が価値あるものと思い込めば価値を持ち、紙幣としての機能を発揮するようになる。反対に、国家などの紙幣の信用を裏付ける権威が崩壊するとただの紙くずにもなる。紙幣も皆が価値あるものと幻想することによって成り立っている。さらに、この小説にもあるようにお金には人のこころをも動かす魔性が潜んでいる。

本書は、人類社会の原初において、権力の源泉となったものは何か、国家はいかにして発生したのか、貨幣の本質とはどういうものか、ということを問題提起してくる作品だった。

 

 

 

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