真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「月と寝る女/またぐらの面影」(2020/制作:ラブパンク/提供:オーピー映画/監督・脚本・編集:石川欣/プロデューサー:髙原秀和/撮影監督:田宮健彦/撮影助手:宮原かおり/録音:田中仁志/助監督:森山茂雄・福島隆弘/メイク:三田めぐみ/スチール:本田あきら/挿入曲:A little love little kiss by Eddie Lang《public domain》・As Time Goes By by Herman Hupfeld《public domain》・Moonlight Serenade by Glenn Miller《public domain》/挿入歌ボーカル:佐藤良洋・安藤ヒロキオ/演奏《ギター・キーボード》:石川欣/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:奥田咲・あけみみう・加藤絵莉・佐藤良洋・安藤ヒロキオ・山岡竜生・末永賢・金田敬)。
 タイトル開巻、公開題上の句と下の句をスラッシュで繋ぐのは、本篇に従つた。副題が随時スーパーで掲げられる、「ユミとマコト ゾロ目22才の恋」。困惑した面持ちで立ち尽くすユミ(奥田)の眼前、ベースとギターが鍔迫り合ふ。学際ライブ終了後、ギターの高倉マコト(佐藤)とベースのシュウヘイ(安藤)が、ユミ一人に古のねるとん的なコンペ告白、ユミはマコトを選ぶ。映画がど初つ端から豪快に蹴躓く、三人が三人とも二十二には凡そ見えない全滅の死屍累々、ないし土台な無理がいきなり爆裂しつつ、安藤ヒロキオがその短い一幕限りで、呆気なく駆け抜けて行く無体な起用にも軽く驚いた。寧ろ、後述する多分末永賢の方がまだ台詞も多い。当時マコトが住んでゐた、マンション「モモヤパンション」、正確な表記は知らん。二人が致すとその夜は中秋の名月、マコトは月に祝福された、地球で最高のカップル云々とスッ惚けて錯覚する。デモテープが認められたマコトは、劇中何処なのか明示されない郷里にユミを残し上京。ところが結局その話は潰え、父親(山岡竜生でも金田敬でもない消去法で末永賢)が娘との結婚に示す難色を押し切り、ユミをつれて行くダスティン・ホフマンにもマコトはなれなかつた。こゝで髙原秀和がマコトのその後、料理修行時代の前時代的に高圧的な店長か板長、厨房にもう一人二人人影感覚で見切れるのは特定不能。
 「ユミとマコト ゾロ目33才の恋」篇以降の配役残り、足掛け五年七本目の戦歴を積み重ねて来た割に、本隊とは依然交はらない加藤絵莉は、その頃屋号不詳のバーにてフードを担当するマコトと、一緒に暮らすカオリ。詳細は語られないまゝに、この人の店なのかマコトを食はせてゐる風の口ぶり。あけみみうはユミとの別れを経て、女性不信を拗らせたマコトがカオリと二股かける、ただでさへ狭い通路を、半分以上塞ぐあり得ないショバで商売してゐる占師・さくら。遠いロングにつき全く以て覚束ないが、山岡竜生は四十四のマコトが墓参に帰郷した際の、墓地を掃除してゐた坊主?そし、て。山岡竜生に劣るとも勝らない、最大の謎が金田敬、謎とは何事か。抜いて貰へるとまづ気づく特徴的な御仁であるにも関らず、全体何処に出てゐたのかまるで手も足も出ない。よもやのまさかがもしかして、ラストに於いて右腕しか映り込まないサカノウエ先生とかいはんぢやろな。もしも仮に万が一さうであつたとすると、そもそもクレジットはおろか、ポスターにまで名前を載せる意味があつたのか。
 三十有余年ぶりの電撃復帰が大きな話題を呼びは、したものの。蓋を開けてみると思ひのほか派手に酷かつた、「優しいおしおき おやすみ、ご主人様」(主演:あけみみう)の半年後、形式的には2020ピンクの掉尾を飾つた石川欣大蔵第二作。ある意味見事に、飾れてはゐないのだけれど。枯れては、ゐるけれど。
 三十三はユミの出府、四十四は逆にマコトの里帰りに伴ふ偶さか。実をいふと初めから約して落ち合ふのは五十五から先の、互ひの齢がゾロ目となる、十一年毎に満月の下でランデブーする恋人達の物語。六十六にして漸く、マコトといふか要は佐藤良洋が髪を白く染める一方、ユミこと奥田咲は全然変らないの一点張りで堂々と押し通してのける辺りは、大いに評価も割れようがぎりぎり許される範囲の映画の嘘、にせよ。案外自己を強く持つユミに対し、良くて他愛ない、直截にいへば自堕落なマコトの造形が冷静に振り返つてみるに、しなくていゝのに前作を踏襲した、踏襲してしまつた致命傷。中身のない能書ばかり捏ね繰り回し、さしても何も意気地のない。要はダメな男を主役に据ゑてゐるつもりなのかも知れないが、にしても無様は無様なまゝでも、ピクリともクスリとも輝かぬでは元も子もない。佐藤良洋を、斯くも一欠片たりとて魅力を感じさせず撮る人初めて見た。あの、といふのがどのなのかよく判らない、塾長以下といふ衝撃。当サイトの印象としては貫通力に富んだ発声が持ち味の佐藤良洋に、終始ボソボソ燻らせて全体何がしたいのか。一旦話を逸らすと、女の裸を愛でる分には、もつともつと揉むなり吸ふなり舐めるなり、奥田咲のたをやかなオッパイを粘着質に嬲り尽す。裸と映画でいふと裸寄りにもう少し―でなく―攻め込んで欲しかつた心を残しながらも、絡みに情感が決して伴はないでもなく、事後のユミとマコトが満月を見上げる件に際してさへ、乳尻を逃しはしない貪欲な画角は何気に火を噴く。二三番手は潔くいはばさて措いた上で、主演女優に関しては質的にも量的にもある程度以上に愉しませる。さうは、いつてもだな。遂に映画が詰むのが「66才の恋」パート、理由は特に語られないが、ユミの都合がつかず兎に角、あるいはとりあへず。同じ時刻に、同じ月を見るといふ趣向に基き銘々別個の行動。仕事で間に合はなくなりさうになつたマコトが、智恵子抄でもあるまいに「都会は月が見えない」とやらで、延々延々途方もなく延々、ビルの谷間を無駄に右往左往する。そもそも画的にすら見栄えしなければ代り映えもしないカットが暫し羅列される、壮絶に馬鹿馬鹿しいクライマックスには悶絶するほど呆れ返つた。それさ、開けたロケーションに抜けるとか高い場所に上るとか、選択肢幾らでもあるよね。兎も角奔走するマコト爺さんが、ぶつかつた相手に「月を見なきやいけないんです!」だなどと気の触れた抗弁に及んだ挙句、ガード下に入り込んでみせた日には、あまりの下らなさに引つ繰り返つた、本気で月見る気あんのかよ。投げた匙が大気圏の突破はおろか、太陽系通過して外宇宙に突入、モノリスになつて還つて来るぞ。挙句の挙句、然様なクソ以下のシークエンスで盛大に尺を空費した結果、然るべき位置に置かれた然るべき形での、締めの濡れ場が綺麗に消滅する木端微塵の体たらく、言語道断の体たらく。一歩間違ふと、髙原秀和より詰まらないのは逆の意味で凄くないかと傾げた首が肩を打つ、「おやすみ、ご主人様」で胸を過つた勘の鈍りといふ疑問が、力強い確信に変る一作。幸ひにも2021年は素通りして呉れた石川欣に果たして、三度目の正直はあるのや否や。別に、望んでゐる訳ではないからね。
 ユミは後背騎乗の状態から、仰向けに寝そべり完全に男を下に敷く体勢。さくらは最中ひたすら無言を強ひ、カオリは打点の高い後背位。三本柱が各々好む性行為の様態を明確に分けてみせた点については、裸映画をそれなりに希求しようとした節が、そこそこ窺へもする。とりわけカオリの場合、女二人は居酒屋に流れる三者会談を通して、結局ユミとカオリが双方マコトから去る。即ち一旦顛末を決着させたのちに、佐藤良洋のモノローグで「ところでカオリとのエッチだが」と、木に濡れ場を接ぐ力技の展開が唯一、もとい一番面白い。清々しく開き直つた“ところで”ぶりには、普通に笑ひが出た。

 付記< ユミが何時まで経つても変らない方便に話を戻すと、ところで冒頭、あるいは出発点の二十二歳時。実は実に四十年前を昭和に見せようとする努力がさういへば見当たらないのは、地味に見逃せない範疇の横着


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )