真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢電車 夢指で尻めぐり」(2010/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:近藤力/撮影監督:創優和/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/音楽:レインボーサウンド/助監督:竹洞哲也/監督助手:櫻井信太郎/撮影助手:宮永昭典・丸山秀人/スチール:佐藤初太郎/音響効果:山田案山子/現像:東映ラボ・テック/協力:広瀬寛巳・山口寛人・鍋島宇宙・新居あゆみ・米山理人・エバラマチコ・山口大輔・野村蓮司・星野勇人・白井良平・柳沢聖人・矢樹修二・上田展康・かめいとも子・タランチュラ原田/出演:かすみ果穂・紺野和香・ほたる・倖田李梨・津田篤・竹本泰志・柳東史・サーモン鮭山・平川直大)。
 一両の満員電車に乗り合はせる男女、ダンサー志望の女子高生・日比恵都(かすみ)は、出がけに平川直大が兼任するサル彼氏に阻まれつつ、履き潰したダンス・シューズをお守り代りにオーディション会場へと急ぐ。童貞で対人折衝能力の欠如を拗らせる就活生の伊沢道晴(津田)は、未だ強く感じる疑問を克服せぬまゝリクルート・スーツ姿で電車に揺られる。日野猛(竹本)は社員旅行先の熱海で知り合つた、二十近く歳の離れた妻・来夏(紺野)との倦怠期を、車中での痴漢プレイで打開すべく電車に乗り込む。そして和服未亡人の町田名(ほたる)は、事故死した亡夫・靖(柳)の遺品の中から出て来た期限切れの定期券を手に、在りし日の夫の日常をトレースしようとしてゐた。無造作な車内アナウンスとともに、人身事故で電車は一時停車する。その弾みで会場への遅刻の絶望と同時に、大切なダンス・シューズを落としてしまつた恵都は痴漢(演者後述)に遭ふ。名は名で、御馴染みのグレーの一張羅に身を包んだ広瀬寛巳に、靖にしか触られたことのない秘所を弄(まさぐ)られる一方、猛も妻の体に手を伸ばす。ほどなく電車は動き始め、銘々の人生も、半分動き始める。結局オーディションには木端微塵に落ちた恵都は一旦就職するものの、心的外傷を抱へた電車で通ふのを嫌ひ退職、自転車通勤で事済むイメクラ嬢になる。ところが人の話を鳥のやうなお頭(つむ)でまるで聞いてゐない、イメクラ「妄想爆裂都市計画」―し損じた足し算のやうな店名だ―店長(平川)は、そんな恵都を電車セットの部屋に配属し閉口させる。一対一の電車痴漢のみでは行き詰まりを感じた猛は、第三者を噛ませたいはゆる「他人棒」プレイに活路を見出す。サーモン鮭山は、ここでの他人棒氏・沖田博昭。名はひろぽんとの関係をぐずぐず継続させるも、ホテルにまで連れ込まれさうになると、頑として抵抗する。結局コロッと社会に出そびれた道晴は、薄暗い部屋で一方的に送られて来るスパム・メールに目を落とす、虚ろな日々を送る。意を決して出向いた妄想爆裂都市計画では、恵都いはく“指名ではなくお節介”ナンバーワンの森野さつき(倖田)に、筆卸をして貰ふ、ではなく初物を喰はれてしまひながらも、道晴は恵都と再会する。再来店し今度は恵都を指名した道晴は、互ひにスパムとケイトと名乗る。
 通常に発話される台詞も、明瞭とはいへ扱ひとしては背景音と同じレベルで聞こえもするが、あくまで主軸は各々のモノローグを、童謡「森のくまさん」の輪唱に似た形で重複させた部分を基点に、次の話者が新たな局面に移行させることにより全篇を通して展開を紡いで行く。といふ、極めて独自な手法で編まれた意欲作。プログラム・ピクチャーとしては極めて異色な体裁を採つてはゐる反面、物語自体は―恐らく意図的に―欠片も奇抜なものではなく、全体の核を成すのは、「僕は君のことが好きだ」などといふ、大人の娯楽映画としては逆にどうなのよと思へかねないくらゐに、プリミティブ極まりないエモーションではある。丹念に追求され尽くした丁寧な個々の繋ぎ―あるいはこの点に関しては、音楽理論に於ける対位法の素養があれば更に今作に対する理解が深まるのやも知れないが、それは残念ながら当方の手には全く余る―は特殊な意匠も全く無理なく観させ、恐らくは小屋の主要客層であるお父さん方が、置いてけぼりにされることも特にはないのではなからうか。斯様な次第で、量産型娯楽映画としての軸足は決して失はない上での試作機的な実験作といふ有り様は、素晴らしくユニークである。ところがそれが劇映画としての面白さに必ずしも直結しはしないのが、難しいと同時に、別の意味で面白いところ。道晴・ミーツ・恵都、あるいはスパム・ミーツ・ケイト。二人が恐々と自己紹介を交した時点で、それまで積み重ねた機軸を決然とかなぐり捨てる、あへていふならばチャンスがあつたのではあるまいか。そこから標準的な文法を用ゐた上で映画をクライマックスの高みへと遮二無二叩き込む、戦法も残されてゐたやうには思へる。狙つた趣向をよくいへば貫き通した、逆からいふならばそれに固執した代償に、全般的なメリハリと、作劇上の勘所とを失した印象は強い。道晴と恵都の物語を成就させる段に、副次的に名にも前を向かせしめたまではいいにせよ、名も落とした形見の定期を拾ふ契機が与へられ得た筈の、猛は独り置き去りにされた感が漂ふことも気に懸る。大体が、ラストに際し名は再び書き始めた日記に、「好きな人が、できました。」と認(したた)める。その、“好きな人”とは一体誰のことなのかも、説明が足らず力強く判らない。繰り返すが面白いのか詰まらないのかといへば最終的には惜しいところで大きな魚を逃がした他方で、一風変つた映画そのものの形は頗る興味深い。立体的かつ変則的な両義性が、それはそれとして実に魅力的な一作である。

 潤沢な協力勢は、概ね車中の乗客要員か。その中でも、発端の一日に恵都に電車痴漢を働く、妙なイケメンは一体誰なのか。山口大輔の名前が、協力の中でもビリング的に、他とは明らかに別枠にされてゐたことが気にはなるのだが。最後に特筆したい瑣末として、今回柳東史の出番は、衝撃的に短い。


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