真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「義母の寝室 淫熟のよろめき」(2004/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:小山田勝治/助監督:竹洞哲也/監督助手:山口大輔/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:廣滝貴徳/音楽:レインボーサウンド/挿入歌:猟奇ハンター/出演:須田静香・林由美香・立花りょう・松田正信・野上正義・丘尚輝・久須美欽一)。
 辣腕弁護士・二階堂泰介(野上)を父に持つ法学生の裕也(松田)は、一応勉強もしてゐるやうなものの、一度寝た女とは寝ないと豪語するレディ・ハントに精を出す。田崎美佳子(立花)を抱いた裕也が豪奢な自宅に戻ると、予定外に体の空いた泰介が、後妻の礼子(須田)と昼間から、加へて息子の帰宅も憚らぬ夫婦生活の真最中であつた。全身全霊を込めて好意的な表現を試みたとて、好きな音楽のジャンルはフォークな、元モーニング娘。保田圭の叔母さんとでもしかいひやうのない須田静香に、何がどうスッ転べば斯様に執心してしまへるのかが銀幕のこちら側を納得させて呉れることは終にないが、裕也は、義母に確固たる獣欲を抱いてゐた。たとへば要点は礼子ではなく、兎にも角にも親爺のものを奪ひたい、とかいふエディプス・コンプレックスであるとするならばそれはそれとして話が通らぬでもないが、いふまでもなく、岡輝男がさういふ切り口を繰り出してみせる訳もなからう。翌日、大事な試験を寝坊しトバしてしまつた裕也は、弁護士婦人会と称してゐた礼子が、間男・内藤和孝(丘)とホテル街に消えるのを目撃する。抗弁のしやうもなく連れ立つて歩く二人の様子を、後を尾けた裕也は携帯のカメラで押さへる。その夜遅く義母の帰宅後、裕也が証拠画像を突きつけると、そんなに尺を端折りたいのか少しは抵抗してみせろよとツッコミたくなるほど呆気なく、礼子は観念し義息に一度きりだと体を任せる。翌日、大胆にも泰介の死角で体に手を伸ばし、依然継続する関係を求める裕也に対し、礼子はある条件を提示する。過去に尽くしたものの、礼子を捨てた外務省の官僚・綿引(一切登場せず)が結婚した。結婚相手は敬虔なクリスチャンにつき処女を守つたまま結婚し、挙式後特命を受けた綿引は、その足で洋行してしまつた。とかいふ次第で、新妻とはいへ未だバージンの百合子(林)を、手篭めにして来いといふのである。
 直截にいふとミスキャストにプロットが全く機能せず、ほぼ停止してゐた状態の映画が、尺も凡そ半分も経過したところで漸く動き出したかと思ふと、束の間の、だけれども、だからこそとでもいふべきなのか狂ほしい頂点を迎へる。早速、軽い調子で裕也は百合子をオトしに教会へと出向くのだが、そこに降臨した林由美香に、今作の全ては尽きる。最終的には基本的な映画の出来はアレなので、ほかに喰ひつき処に欠くともいへるのだが。黒のフェミニンなワンピースに、白いレースのショールを合はせた百合子が、細く綺麗な指で聖書を小脇に抱へ登場した時点で、本来本作に関する議論は完結する。軟派に腕に手をかける裕也の頬を張つてしまひ、罪の意識に血相を変へ慌てて十字を切る百合子の姿の愛ほしさで、万事良しとするべきではあつた。私見では晩年即ち絶頂期とみるものである翌年夭折した名女優の、超絶が突発的な永遠を刻み込む。当初はとつとと標的をチョロ負かして、念願の礼子をモノにする目論見の裕也が、次第に百合子の清純さに感化されて行くといふ展開は、確かに工夫を欠いたといへるのかも知れないが、須田静香と対比するのも憚られるが林由美香演ずる百合子の、裕也の心を捉へることに関しての絶対的なまでの説得力が、軒並を瑣末と捻じ伏せる。登場の仕方としては殆どカメオ並の久須美欽一は、百合子と連れられた裕也とが、介護施設に入れられ放しのところへボランティアで慰問に向かふ老夫・斉藤。裕也がのんべんだらりと百合子に染められるばかりで、いつそのこと、そのまま林由美香の濡れ場は回避策としての妄想オチで片付けてあつたとしても、少なくとも私は文句をいはなかつた。綿引が帰国して来た場合は仕方がないにしても、百合子が聖性を保持したままで、ビリングとしては一応トップの礼子のことなど気が付くけば何処かに置き忘れてしまつてゐたとしても、それでも一向に構はなかつたのではないか。今既にある現実は決して、断じて美しくなどはない。なればこそ物語は美しくあるべきだとするならば、軸足を完全に失してしまつたとて、美しいままに映画を畳んでしまふ勇気の有り様もあつたのではなからうか。百合子に絆された裕也が毒牙を納めたところから以降が、ある意味予想の範囲内での展開ともいへ、閾値を遥かに超えて無体に過ぎる。憐れな百合子と憎たらしい礼子との、辿る運命と垂れ流す放埓との落差があまりにも甚だしい。更に、裕也は一歩間違へばその内帰つて来かねない勢ひでひとまづ家を捨て旅立ち、礼子は不貞が発覚することだけが報ひとあつては、明らかに平衡が取れてゐるとはいへまい。表面的な起承転結を重んじたばかりに、加藤義一は娯楽映画としての舵取りを根本から誤つてしまつたと難じざるを得ない、極めて後味の悪い一作である。相手は作りものの映画だといふのに、丘尚輝=岡輝男に対する、轟々と火も噴かんばかりの憤怒が抑へ難い。
 エピローグに於いて、登場人物の心理の核心と全体の整合性とを天秤にかけ、前者を選んだ告解をうける神父の声は、クレジットの有無から拾ひ損ねたが柳東史。

 挿入歌の猟奇ハンターといふのは、ザ・スターリンのナンバーから取り、遠藤ミチロウから公認も受けたとのバンド名が、正しく名は体を表すハードコア・パンク・バンドである。裕也が自室で大音量で聴くCDに「金属バット」、事実上のエンディング・テーマとして「分裂JAP」の二曲が使用される。個人的には手放しで好きな部類の音ではあるが、穏当な作風の加藤義一映画の肌触りからは、若干以上の不協和音も否めないとはいへる。「金属バット」の特に二番の歌詞などは、とても引用出来ないとかいふ以前に、百合子が耳にすれば卒倒しかねない過激なものでもある。因みに2001年の結成後、現在も活動中。大阪のバンドらしいが、LIVE観たいなあ、関門海峡を越えて呉れんかいな。


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )