真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「マゾ麗奴 囚はれて」(2004/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:渡辺護/撮影・照明:飯岡聖英/編集:鵜飼邦彦/音楽:MIKA UTAMURA/助監督:城定秀夫/演出助手:三浦麻貴・三上沙恵子/撮影助手:小宮由紀夫、他一名/タイミング:安斎公一/協力:佐藤選人・太田耕一/出演:富士川真林・秋津薫・佐々木基子・西川方啓・綺羅一馬・内山太郎・美堀ゆか)。出演者中、内山太郎と美堀ゆかは本篇クレジットのみ。
 サラリーマンの水戸和夫(西川)は、遊び慣れた先輩・伊東(綺羅)に連れられ入つたバー「黒薔薇」にて、ホステスの一条加代(富士川)と出会ふ。夜の街の女にしては不釣合ひな、パンツ姿にトックリを合はせた露出の少ない服装で、加へて陰気な加代に対し水戸は初め好印象を持つてはゐなかつたが、伊東の咥へた煙草にマッチで火を点けようとするも無視される、憚ることもなく自らの読解力の浅墓さを露呈するが、正直よく理解出来ない契機で興味を抱く。以来黒薔薇に通ひ、やがて加代と店外での逢引きを重ねるやうになつた水戸は、六度目のデートで、連れ込みに誘ふことに成功する。情交時に於いてすら加代は肌を晒すことを拒む中、事後、眠る加代の浴衣を捲つてみた水戸は驚愕する。加代の体は、腹は切り傷だらけで、太股には火傷の痕が残されてゐた。目を覚ました加代は、時代錯誤の暴れ咲く狂乱の末に告白ではなくあくまで白状する。加代は、切腹と炎とに歪んだ劣情を激しく掻き立てられる、真性のハードマゾであつたのだ。腹の傷はいはゆる切腹プレイの痕跡で、太股の火傷は、自慰に耽りながら煙草の火を押しつけたものだつた。
 ざつくばらんにいふならば、堅気の平凡なサラリーマンが、今時にいふとメンヘラ女の地雷を踏んでしまひました、目出度いのか目出度くないのか、といふお話である、目出度い訳がないか。簡潔に片付けるならば渡辺護が自分で撮つてしまへばまだしも良かつたのに、などといふと正しく実も蓋もないが、同じ顔合はせによる前回の残念から殆どを通り越して全く何も学ばかなつたのか、荒木太郎は今回も、大先輩から押戴きはした重量級のアナクロニズムを自分のものとしてまるで料理し得てはゐない。富士川真林の、公募デビュー三作目―その癖、三本とも主演であつたりもするのだが―といふことで仕方もないのかどうなのか、棒読みとよくいへば硬質な、直截にいへば乏しい表情とは、とはいへそれなりに、過激さはさて措き気違ひ女の所作としてそれらしく見えなくもない。ところがさうなると、受ける男側がここはしつかりして呉れなくてはならないところが、顔立ちの古さは昭和五十年代中盤といふ劇中時代設定に上手く合致してもゐるものの、西川方啓もお芝居の方は如何せん弱く、軽い。いはば素人に毛の生えた程度の主演女優を、頑丈な芸達者が展開ごと牽引して貰はないと物語が成立しない状況に於いて、心許ない同士で、野球でいふと野手が打球をお見合ひしてしまつた感は強い。与へられた脚本から精一杯愚直に、あるいは努めて忠実に振り回される情念が、最終的にはどうにもかうにも形にならない。ここは少々年齢が上がつてしまひ富士川真林とのつり合ひを失しようとも、水戸役には別の選択肢もなかつたものか。加へて加代の、最早狂気と紙一重の危険な悦楽の激越を描ききるには、それこそ女優を壊しかねない勢ひの、一歩間違へば単なるサディズムにしか過ぎなくなつてしまふ鬼の非情さも要求されようが、一個人として“いい人”であることは恐らく兎も角、それと“いい映画監督”であることとは全く別問題であるといへる荒木太郎には、その得物の持ち合はせもあるまい。既視感すら漂はせる敗戦模様として形式的には、再び臆面もなく放たれる、しばしば好意的に荒木調として賞賛されもする反面、当サイトに於いては基本的に一貫して断罪するところの荒木臭として、水戸の心象風景を、実際に西川方啓に発話させてみたりする変化球が挙げられようが、それすらも、繰り出されるのは序盤までで中盤以降は影を潜めてしまふ中途半端な不徹底さは、全方位的なミス・フィットに一層の火に油を注ぐ。要は渡辺護の脚本に荒木太郎が負けてしまつた、などといへばそれこそそれまでとはいへつつ、富士を望む広大にして荒涼な平野での、水戸と加代との別れのシーンは幾分以上に映画的で、オーラス、最早開き直るかの如く破天荒な加代切腹のイメージ・ショットには、やぶれかぶれの勢ひも感じられなくはない。その限りに於いては、チャーミングな一作ともいへる。

 佐々木基子は、伊東とアフターする黒薔薇の女・西あけみ。あけみと捌け際に伊東が水戸を称して、「馬鹿だよ、あいつは」と捨てる印象的な台詞は、翌日は休みなのか日も昇つてからのあけみとの濡れ場をこなした後、伊東は一切登場して来ないこともあり、もうひとつもふたつも活きて来ない。内山太郎と美堀ゆかも、黒薔薇店内の男女。秋津薫は、加代と別れた後の水戸が、上司の紹介で結婚する峰子。デフォルトの制約上仕方のないことなのか、それとももう少し配分をどうにかしやうもあつたのではないか、といふ点に関しては議論も別れようが、峰子に割かれる尺が実際上ほぼ残されてゐない為、セックス・シーンといふ意味では最後の濡れ場ともなる、水戸と峰子の絡みが単なるノルマごなしになつてしまつてゐるところは、脚本世界と監督の資質との親和云々以前の、一本のピンク映画として明確な設計上の減点材料であらう。荒木太郎も少なくとも、ここでの明確なちぐはぐさは自覚してゐる筈だ。
 過積載の脚本のツッコミ処に関しては、 m@stervision大哥が公開当時に既に詳細なレビュウを書いてをられる。ここでこの期に、ドロップアウト風情がのこのこ出る幕はない。とはいひつつも、触れられてゐない瑣末を一点。ハードコア過ぎる性癖に次第に恐れを成すと同時に、加代から性病をうつされた水戸は、関係に終止符を打つ腹を固める。その、水戸が自身の罹患を知つた理由といふのが、社内の定期健診でワッセルマン氏反応の陽性が出たといふのだが・・・・梅毒かよ!とかいふ以前に、ワッセルマン検査なんて、通例検査項目に入つてなからう。あるいは、社内健診で梅毒を検査しなければならないとするならば、水戸や伊東らが勤めるのは、一体どういふ特殊な業態の会社なのか。


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