真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「緊縛と虐待」(昭和60/製作:飯泉プロダクション/配給:新東宝映画/監督:北沢幸雄/脚本:しらとりよういち/撮影:倉本和人/照明:佐藤才輔/音楽:エディみしば/編集:金子編集室/出演:高原香都子・萩尾なおみ・佐野和宏・佐藤靖・池島ゆたか・打田内敬一・長井勇)。ビリングは佐藤靖まで、スタッフも北沢幸雄と倉本和人のみ。最早焼野原にすら似た、新東宝ビデオ仕様簡略クレジットに悶絶する。その他に関しては、jmdbの記述に従つた。
 ビデオ題「嗜虐の緊縛」でのタイトル開巻、逆に二度見するほど殆ど変らないのに、殊更別タイトルをつける頑なさに何か意味があるのか。豪快な第一声が、「レイプするのも飽きたな、沼田」。斯くも清々しく非道な台詞、今では頭の捩子が外れてゐないと書けない気がする、隔世の感。兎も角、「ああ、齢かな坂崎」と佐野の声で、互ひに相手の名を御丁寧に呼んで呉れる、如何にもイントロダクション的な会話が続く。「ただのヤリすぎよ」と入つて来る、女の名前は理恵。一旦話が落ち着いたところで、坂崎が「なあ沼田、若い娘縛りたくないか?」と斬新な切り口で主題を強引に開陳。因みにこの間、画は如何にといふと、件のレス・ザン・インフォメーションなクレジットと黒バック。実際の本篇が、どうなつてゐるのかは知らん。てな塩梅で、目隠しした主演女優が乗せられた車がトンネルを抜けると、そこは雪国ではなく、海が見えた。売春婦・しおり(高原)の左に沼田(佐野)が座り、助手席には理恵(萩尾)、坂崎(佐藤)がクラウンのハンドルを握る。一向は霧に煙る別荘に到着、場慣れしてゐるのか、何をされても抵抗も見せず従順なしおりを嬲り始める。
 配役残り池島ゆたか以下三名は、戯れに外出した四人が偶さか交錯する、地元の田吾作ズ。
 大蔵×新東宝×ミリオンの三社三冠を息を吐くやうに達成してゐた北沢幸雄の昭和60年、全十三作中第十作。あくまで分別の範疇の中で、エクストリームに遊ぶ坂崎と理恵に対し、沼田は俄かに、どうかした勢ひでしおりに入れ揚げる。如何にもありがちな展開ながら、含みばかり持たせた行間があまりにも広大すぎて、生煮えるか煙に巻かれる印象が兎にも角にも強い。沼田がしおりに心奪はれる、契機から判然としない過程は理解に遠いどころか、殆ど木に接いだ竹。そもそも佐野がハゲてからの方が色気も増して寧ろカッコいいやうな人なので、漫然とうろうろする始終をヒッこ抜くかのやうに無理無理挽回するでなく、ある意味綺麗に共倒れる。反面、接写も多用、本来は恐らく縄師もクレジットされてゐたにさうゐない、高原香都子に対する責めは本格的で十二分にも十三分にも見応へがある。いつそ割り切つて低劣な嗜虐心を満たす分には、辛うじて戦へなくもない一作である。

 今にも吉川晃司のボーカルが入つて来さうな、ハードロック調の劇伴で腹か頭を抱へさせつつ、その手の術語をまるで持ち合はせぬ不明は心の棚に上げ、変拍子を多用する美麗な奏法は確かに三柴理の仕事だ、と素人耳にも思はせるピアノを聴かせる。


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