真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「青春のさゝくれ 不器用な舌使ひ」(2018/制作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:深澤浩子/撮影監督:創優和/録音:大塚学/編集:三田たけし/音楽:與語一平/整音:吉方淳二/助監督:江尻大/監督助手:増田秀郎/撮影助手:武藤成美/スチール:阿部真也/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:川上奈々美・竹内真琴・美泉咲・細川佳央・櫻井拓也・岡田貴寛・安藤ヒロキオ)。
 公衆トイレの手洗ひで手を洗つた川上奈々美が、顔も拭ひ、鏡で笑顔の練習をする。左から右に流れる、電車の車窓と思しき田舎の風景にタイトル・イン。作りは丁寧だが、タイトルバックの訴求力は薄い。逆に、あへてプルーンな画を狙つたのかな。
 大学生の門脇大智(細川)が、海に近い片田舎の叔母宅を訪ねる。ところが叔母の伊藤小夜子(美泉)は、配偶者ではない門脇の見知らぬ男とニッコニコ親し気にしてゐた。出入りさせてゐる便利屋の、上田義明(安藤)だといふ。大した情報量でもない割に、編集がグッチャグチャで時制が無駄に混濁する序盤を仕方がないのでザックリ整理すると、門脇は恋人の沢村麻利絵(竹内)を他の男(岡田)に寝取られ、恐らく大学を退学まではせず一時的に東京を離れる。消えた門脇を追ひ、後輩の富山千夏(川上)も片田舎に現れ、たまたま帰りの上田に道を教はり伊藤家に辿り着く。一年前の矢張り冬、サークルかゼミか知らんけど、兎も角何某かの合宿で千夏と門脇はそこそこデカい伊藤家を利用。場に馴染めず別室に一人でゐた千夏を、門脇は酔ひ醒ましがてら散歩に誘ひ出す。冬の海を見に行く―門脇的には単なるその場の口―約束をし繋いで呉れた手を、千夏は健気か頑なに覚えてゐた。その件、セミモノクロの色調から、二人の手が繋がれた瞬間フルカラーの色彩がフワッと火を噴くカットは、竹洞哲也らしい繊細なパンチ。散発的に上田を連れ込み絡みの回数を稼ぐ以外には、昼間どころか夜も小夜子―に限らず姿形を一切見せない小夜子の夫も―が一体全体何処で何をしてゐるのか。といふ初歩的だか根本的な謎は豪快にスッ飛ばした上で、門脇は帰れといふのに帰らない千夏を、叔母に見つからぬやう一室にほぼほぼ軟禁する。
 甥と叔母設定の細川佳央と美泉咲が、実年齢は同い年―母方の祖父母が頑張るかやらかしてゐれば、決してなくもない話ではある―といふ地味なツッコミ処はさて措くにしても、通り過ぎられないのが麻利絵役の竹内真琴。三月末で引退した竹内真琴にとつて、黄金週間前封切りの今作が可憐に初土俵を踏んだ国沢実2015年第二作「スケベ研究室 絶倫強化計画」(脚本:高橋祐太)、ビリングに疑問を感じさせるほどの超活躍で今世紀最強の痴漢電車を支へた「痴漢電車 マン淫夢ごこち」(2016/監督・脚本:城定秀夫)に続く三作目で、残念ながらラスト・ピンク。と、いひたい気持ちではあつたのだが。全般的にギャルいのみならず背中も汚く、劣化とかぞんざいな単語を使ひたくはないものの、今回映つてゐたのは、少なくとも当サイトが知る竹内真琴ではなかつた。
 配役残り櫻井拓也は、上田が出会つた翌日からのアルバイトを一方的に決めた門脇を、迎へに来る便利屋の従業員・御木本伸介。千夏に、脊髄で折り返した興味を持つ。
 OPP+戦線に於いて山内大輔と無双する、竹洞哲也2018年第二作。原題兼、予告が何故か門脇目線のR15版題が「つないだ手をはなして」で、尺は85分。画期的にブツ切つたラストが、「つな手」も観た方の評によると起承転結を転で端折つた、いはば竹洞哲也が師匠の大御大・小林悟の荒業―兎に角多過ぎて代表例を絞り難いが、とりあへず「小林ひとみの快楽熟女とろける」(1997/脚本:五代暁子)―を継承した格好の代物らしく、さうなるとベルの音に釣られて「小屋に木戸銭落とした客ナメてんのか、この野郎!」とキレる筋合にもあらうところが、案外満更でもない辺りが映画の妙。一度手を繋いだきりのメモリーに文字通りの捨て身で突つ込んで来る千夏と、小夜子ロスも癒えぬまゝ、さういふ晩熟の後輩が鬱陶しくて鬱陶しくてしやうがない門脇。そんな二人による、「何でもいふこと聞きます」とマキシマムに膳を据ゑる千夏を、現に門脇は恣に嬲る。今時にタグ付けするところの肉便器ものは低劣な嗜虐心を激弾きする川上奈々美の持ちキャラにも加速され、細川佳央に対しこの娘に手を上げようものならキルるぞ小僧!とかいふスリリングまで含め、必ずしも悪くない。女に捨てられた御木本の、それはそれとしてそれなりの絶望を千夏が受け止める件も、カッコつけずにもう少し引いて乳尻抜けよといふ不満さへ強ひて呑み込むならば、ピンク映画ならではの名シーン。ついでに竹内真琴はいつそ忘れてしまふとボローンと熟れた、美泉咲のオッパイは激しく悩ましい。事実上ともに濡れ場要員につき、主演以外の番手に意味はない。ブツ切られたラストもラストでショット単体の完成度は高く、画力(ゑぢから)の一点突破で幾許かの一皮剝けた余韻は残す。無碍に処断する議論はひとつの議論として成立し得るにせよ、それもそれで忍びないなかなか複雑な一作である。


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