真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「鞭で泣かす」(昭和55/製作:日本シネマ/配給:新東宝映画/監督:梅沢薫/脚本:梅沢薫/企画:伊能竜/製作:江戸川実/撮影:鈴木史郎/照明:守田芳彦/音楽:石黒和美/編集:酒井正次/記録:佐野麻美/助監督:中山潔/監督助手:山田大樹/撮影助手:遠藤政志/照明助手:森久保繁?/効果:秋山効果団/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:朝霧友香・笹木ルミ・江島絵美《新人》・江上真吾・楠正道・陶清・柴田リエ・下元史朗)。出演者中、陶清と柴田リエは本篇クレジットのみ。笹木ルミが、ポスターには佐々木ルミ、絶妙に惜しい。企画の伊能竜は、向井寛の変名。併映の「人妻拷問」(昭和55/監督:高橋伴明/脚本:西岡琢也/主演:丘なおみ・下元史朗)同様、ビデオ用のものなのか、タイトル共々フォントの荒いクレジットが激しく見辛い、協力に至つては全く判読出来ない。
 薄暗い海岸、黒づくめの朝霧友香が一人当てもなく彷徨ふ。ハーフを思はせる朝霧友香の容姿、全篇を貫き響くメランコリックな劇伴。何はともあれ、サマになる風情ではある。波打ち際座面が抜け壊れた椅子を見つけた朝霧友香は、骨組みの縁に腰を下ろす。最も豊潤であつた時代の歌謡曲のやうな気障なシークエンスに、それだけで胸が躍る。「ビシャー」と大仰な鞭の打撃音とともに、首輪で繋がれた友美(ユミ/朝霧友香)の大写し。向かつて左背後では、心なしか白塗りに見えなくもない、夫の高田明(下元)が鞭を携へる。怯える友美をよそに、高田がとりあへず足下の床に激しく鞭を振るふのに合はせタイトル・イン。初つ端から、画の威力がことごとく尋常でない。
 海岸と回想を往き来する序盤を手短に片付けると、加被虐両面と思しき箍の外れた変態夫との生活に疲れ果てた友美は、高田と判れた後(のち)、自死を目的にこの海を訪れる。とはいへ死にきれぬ頃合を見計らふかのやうに、混血風の精悍な青年・ヤスオ(江上)が友美の前に現れる。ヤスオは問ひかけにも応じず、友美の首から抜き取つたスカーフで海水で洗つた顔を拭ふと、返しもせず自らの首に伊達に巻く。繰り返すが、時代からも許された、気障な歌謡曲のやうなシークエンスが堪らない。付き纏ふ友美をヤスオは贅沢にも遠ざけつつ、今度はヤスオの回想と海岸を往き来する。時間軸を遡つて行くヤスオの来し方を簡略に整理すると、自動車整備工のヤスオは、夜の女らしきマリ(笹木)と付き合つてゐた。ところが本気のヤスオに対し、マリは車のセールスマン(楠)を度々家に上げ、どうやら間男以上の関係を持つ。その事実を突き止めたヤスオはマリがセールスマンと致す現場に乗り込むと、咄嗟に出刃をヒッ掴み男を刺して来たものだつた。互ひに心と男は脛にも傷持つ者同士、つかず離れずしてゐる内に友美とヤスオは夕暮れ時の草叢で体を重ねる。廃屋に陣取つた二人は、友美がよろず屋で買つて来た食物を分け合ふ。さうすると友美は、高田に便りを出す酔狂をその場で思ひつく。
 配役残り、友美が高田の後ろ髪を引く手紙を悪戯に認めた、直後に正しく飛び込んで来る江島絵美は、高田の今カノ。ファースト・カットは、後背位の体勢でガラス・テーブルに押しつけられ潰れたオッパイを、テーブル下から抜く定番ショット。“定番”とはいつたもののそれは今だからいへることで、昭和55年当時既に、このメソッドが確立してゐたといふ事実はひとつの発見であつた。果たして映画史上、最初にオッパイ潰れショットといふ至高を発明した天才は何時何処の誰なのか。流石にテレビに先んじられるとは考へ難いにせよ、エロ本その他異業種がまづ先に生み出した手法であるのかも知れないけれど。問題が、仕事中マリ宅の様子を窺ひに脱け出すヤスオを、見咎める工員は陶清としても、柴田リエに該当しさうな女の頭数が如何せん見当たらない。
 普段はピンク映画一本とレジェンドを主にVシネ二本の計三本立て、といふ番組を漫然と送り続ける福博最後の牙城駅前ロマンが、出し抜けに“名作特選(緊縛特集)”と銘打ち前述した「人妻拷問」・「残虐女刑史」(昭和51/監督:山本晋也/脚本:山田勉)の二本とこれぞ正しく三本立てで投げ込んで来た、梅沢薫昭和55年全十二作中第九作。正味な話ありふれたエピソードに長々と費やす、失速感も否めないヤスオの回想までで思ひのほか尺を喰つてしまひ、高田もノコノコ二人が戯れる海にやつて来て以降は、些か性急も通り越し直截には粗雑。友美とヤスオがまるで高田を無視するかの如く乳繰り合ふ、不自然極まりない導入から結構へべれけな無体なオチの一発勝負には、それが意図するところであれば仕方もないにせよ、ポカーンと置いてかれる拍子抜けは禁じ得ない。仕出かすだけ仕出かし高田を絶望の底に突き落としておいて、「本当にこれでよかつたのか」といふ高田の問ひに対する友美の答へが「風に訊いて」、「さう潮風に訊いて」とは、リアルタイムの感覚としては兎も角、幾ら何でも狙ひ過ぎではあるまいか。総じて雰囲気は味はひ深い反面、冷静に吟味すると作劇自体は他愛ない一作、と乱暴に断じかけたところで、ハタと気がついた。量産型娯楽映画に際し論理と技術とに第一義的に重きを置く立場からは、今作の白眉は案外古びないスタイリッシュではなく、実は三番手を戦線に投入する超絶のタイミングにこそあるのではなからうか。完全に退場したかに思へた高田を呼び戻す段取りの一環としてと同時に、江島絵美自身のインパクトをも叩き込む。濡れ場要員を如何に全体の体裁を損なはずに登場させ得るか、ピンク映画永遠のテーマに対する、捉へ処のない自然さがなほ一層際立つ一つの模範解答。一見何気ない裸混じり繋ぎの一幕にも見せて、よくよく反芻してみるとなんてスマートなのかと改めて強い感銘を受けた。件のガラス・テーブルに、幻想的に映り込ませた友美と高田が対峙するだなどといふのは、さうはいへど鮮度も洗練度も失した演出としか映らなかつたが。

 友美回想パート、一旦壊れた友美が娼婦に変貌する件を始め、そこかしこで闇雲に鳴り始めるハードコアの音源は、どうも昭和55年当時のものには聞こえない。ビデオ化に当たつて、後から付け足されたものではないかと邪推する。

 DMM備忘録< 高田の眼前、友美がM性に何時の間にかすつかり目覚めた今でいふNTRエンド   >一旦三人を抜いたロングから、再び椅子に寄るラスト・ショットは矢張りダサいと思ふ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )