真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「をんな浮世絵師」(2012/製作:オールインエンタテインメント・新東宝映画/配給:新東宝映画/監督・脚本:藤原健一/プロデューサー:西健二郎・衣川仲人/撮影・照明:田宮健彦/録音・音響効果:高島良太/衣装:野村明子/メイク:ユーケファ/スチール:山本千里/制作:田中尚仁/編集:石井塁/編集協力:遠藤晶《カラーズイマジネーション》/音楽:與語一平/助監督:躰中洋蔵・松林淳/撮影助手:河戸浩一郎/録音助手:日高成幸/絵画協力:アンドリュー塚越《亀有栄眞堂書店》/制作協力:ANGEL/出演:織田真子・山口真理・ホリケン。・なかみつせいじ)。共同製作のオールインエンタテインメントとは、GPミュージアムソフトの新社名。
 新時代の幕開けを文字通り目前に控へた、一八六七年(慶応三年)。百姓・やすけ(なかみつ)の家にて、やすけの女房・きよこ(山口)を浮世絵師の新之助(ホリケン。)が抱き、固唾を呑む弥助の傍らでは、をんな浮世絵師のちよ(織田)が、その模様を見ながら熱心に絵筆を走らせる。終に耐えかねたやすけは抜いた刀をちよに向けるが、新之助は「斬りたければ斬れ!」と一喝、一応緊迫した修羅場からタイトル・イン。百姓の家に刀があるのはアリなのかナシなのかは、小生ズブズブの門外漢につきよく判らない、鎌その他農具で別に構はないやうな気もするのだけれど。
 “性風俗を描いた浮世絵の一種”云々と春画に関する、最終的には不要に思へなくもない注釈挿んで、三日前。絶妙に不穏な雰囲気も漂はせる、やすけときよこ二人きりの夕餉。その理由はほどなく夫婦生活を通して明らかとなる、やすけは、不能であつたのだ。翌日、昨晩のションボリした風情を引き摺つたまゝ、やすけは山に薪拾ひに出る。一方、人々のまぐはひを描き諸国を漫遊するちよと新之助が山道に登場。エキゾチックな容姿は和装にも特段齟齬を感じさせないとはいへ、織田真子の覚束ない足下が違ふ意味で琴線に触れて触れて仕方がない。結果的にはこのチャーミングは、正しく可愛らしいものに過ぎなかつた。懐より取り出した北斎春画の冊子を、溜息混じりに眺めてもみたりするやすけにちよと新之助は接触。新之助が言葉巧みにでもなく言ひ包め、二人はやすけの家に逗留する流れに。その夜のとりあへず賑やかな夕食、巨根を勝手に見抜いたちよに焚きつけられたやすけは、仕方なく一物が役に立たない旨を告白。するとちよは原因の目星も方策の見当もない癖に、二日でやすけを治すと無責任に宣言する。
 当初新之助が北斎の弟子で、ちよはモデルであつた。ところが耄碌した北斎先生(クレジットが見当たらないゆゑ、北斎役は不明)に代りちよも見様見真似で絵を描き始め、今に至る。慶応三年といふと、北斎没後十八年に当たるのだが、まあ細かい些末は気にするな。因みに新之助いはく、“歌麿みたいに気取つたのは嫌ひだ”とのこと。再度結果的には北斎だらうと歌麿だらうと、それどころの話に辿り着かない。  
 新東宝の対黄金週間決戦兵器が、関門海峡の西は福博、地元駅前ロマンではなくして何故かパレス―後注する―にはお盆映画として漸くやつて来た、藤原健一2012年第一作。ロケセット、結髪、衣装・小道具。制作部の健闘のみならず、俳優部も主演女優の心許ない所作に目を瞑れば概ね堅調、時代劇としての基本的な体裁は、専門的な考証にまるで頓着のない怠惰な観客の目には、ひとまづ十全に整つてゐる。そこまでは、いゝものの。七十分といふ比較的長尺に、男女各二名づつの面子で挑む絞つた布陣も、別にその限りに於いては必ずしも間違つてゐるといふ訳ではない。そこまでも、いゝとして。兎にも角にも特筆すべきは、より直截にいふとただでさへ乏しいその他ツッコミ処をも霞ませるのは、逆噴射で火を噴く非感動的な物語の薄さ。山口真理のやうな極上の女房を持つにも関らず、何故にやすけは勃たなくなつてしまつたのか。物語の鍵を握る―筈の―秘密の他愛なさは、逆の意味で画期的。現に新之助がその場の流れで持ち出した、当座の手段で幾らでも容易に回避出来る。展開上の新しい機軸にも本当に全く欠き、事実上の夫婦交換が狂乱の中繰り広げれるクライマックス。やすけに跨るちよの画面左手から、立位後背位のきよこと新之助が二人四脚でフレーム・インするこゝぞといふ見せ場に際しても、ホリケン。が思ひのほか単調な腰の振りでわざわざ興を殺いでみせる始末。序盤やすけの勃起不全が明らかとなつた時点でチーンとなるお鈴の音を始め、シークエンスや登場人物の心理のベクトルに過剰な説明を加へるチャチい音効は、この期には児戯の名にすら値せず一々癪に障るばかり。主にきよこの心情表現に都合五度も繰り出される、浮世絵にマンガのフキダシを加へる演出も、小馬鹿にされてゐるかのやうで全然面白くない。新東宝やピンク映画の置かれた現況といふか要は苦境も何時しか忘れ、シンプルに開いた口の塞がらぬルーズな問題作。小屋に落としたものなので木戸銭は構はないから、時間を返せといふ感情を久々に覚えた。
 大体が、斯くも希薄な脚本にGOサインを出したプロデューサーは、一体泥酔でもしてゐやがつたのか。とかいふ以前に、藤原時代劇ならばどうして、仕出かし気味の第一作を予想外に安定した第二作で持ち直した、「艶剣客」シリーズでないのかといふ疑問が根本的に強い。ここはいつそ、当初動いてゐた「艶剣客3」が、何某かのアクシデントに見舞はれ吹き飛んだことによる急ごしらへの代替企画。さうとでも言ひ訳して貰へた方が、まだしも首を縦に振れるか否かは兎も角、少なくとも頭では納得行かうといふものだ。

 駅前ロマンとパレスに関する後注< 結局、一旦モギリを通過してしまへば買つたのがどちらの券でも両方自由に観られるのだが、一階ロマンと三階パレス、駅前は二つの劇場を有してゐる。一階ロマンは昔からピンク枠で、現状は基本ピンク一本とVシネ二本といふ構成による、週替りの三本立て。他方、目下平素は和洋問はず純然たるAV二本立ての番組を二週替りで送るパレスは、元々は洋ピン枠であつた。残念ながら私が駅前に通ひ始めた時間差で、洋ピンといふジャンルは丸ごと消滅してしまつたのだが。話を戻すと、「をんな浮世絵師」も、和物のAVを連れに二週上映される。パレスの方がスクリーン位置が低いので、二列目以降に座ると前の客の頭が邪魔で若干観辛い。


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