真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「花と蛇3」(2010/製作・配給:東映ビデオ株式会社/監督:成田裕介/脚本:我妻正義/原作:団鬼六『花と蛇』幻冬舎アウトロー文庫/製作:福原英行/企画:日達長夫・松田仁・小椋正樹/プロデューサー:加藤和夫・嶋津毅彦・太田裕輝/音楽:石川光/撮影:藤澤順一《JSC》/照明:金沢正夫/録音:小林喬/美術:黒川通利/編集:只野信也/緊縛:有末剛/音響効果:中村翼/協力:原田徹/製作協力:ニューウェーヴ株式会社/協力:バイオタイド、他/出演:小向美奈子・本宮泰風・小松崎真理・工藤俊作・斎藤歩・琴乃・沼田爆・松山鷹志・川瀬陽太・錦城志朗・星野晃・白井雅士・和田光沙・睦五朗・水谷ケイ・火野正平、他)。
 美人チェリスト・海東静子(小向)のコンサート会場、遠山グループ総裁の遠山隆義(本宮)が、音はさて措き静子の姿に熱い視線を注ぐ。高校時代に父親の経営する工場が倒産し苦境に見舞はれた静子は、以来パトロンとして支援を受けて来た関西財閥会長・海東義一郎(睦)と結婚するが、海東は既に、齢八十も超えた老人であつた。静子を手中に収めたい遠山は、秘書の津田(沼田)との遣り取りの中で、異母弟との確執を利用し、海東を経済的破滅に追ひ込む企てを思ひ立つ。当然男性機能も失つてゐる以上、静子が自慰を披露し、後に海東が指で愛撫するのみの夫婦生活。老夫の指戯に喜悦する静子に被せられるタイトル・イン明けると、いきなり遠山の姦計は功を奏し、破産した海東義一郎はしかも死んでしまつてゐたりする。速い、贅肉を削ぎ落とした麗しい速さだぜ。本気を出した新田栄ならば、更に一層速からうが。悲嘆に暮れる喪服姿の静子を、上がり込んで来た闇金融の皆さん(星野晃ら)が拉致する。地下室に連れ込まれた静子は吊るされ、鞭打たれる。とそこに、妙に戦闘力も高い小男が単身突入。若い男を一人シメた男は闇金の持つ債権は全て遠山グループが買ひ取つた旨を宣言し、意識も朦朧とした静子を救出する。運転手・カワダ(斎藤)の運転する高級車の中で、遠山は話を呑むしかない静子に対し、逼迫した現況から逃れるには自身の妻となるほかないことを言明する。山中の別邸に到着すると、管理人兼シェフのモリタ(工藤)、遠山家作法係の折原珠江(水谷)、メイドの平原美佐江(琴乃)、そして執事の伊沢(火野)に静子を預け、遠山自身は一箇月の渡米視察と称して退場する。得体の知れぬ家人と、蛇のやうな正体不明の視線とに怯えつつ仕方なく遠山別邸に暮らす静子を、終に決定的な衝撃が襲ふ。ある夜の夕食、使用人である筈のモリタやカワダも食卓に着くことを静子が訝しんでゐると、あらうことかモリタは珠江と、カワダは美佐江と交はり始めた。息を飲み席を立たうとする静子を、食事中だと伊沢が制する。明くる日、静子に伊沢が遠山からの手紙を持つて来る。伊沢は実は、鬼村源一通称鬼源として名の知れた凄腕の調教師で、珠江らも皆、鬼源の手の者であつた。その時から、遠山が求める静子を最高の女とするべく、淫靡で苛烈なSM調教が幕を華麗に開ける。
 残る配役の内、ビリング三番手の小松崎真理に関しては後述することとして、錦城志朗・白井雅士・和田光沙の三名は手も足も出せずに不明。手を替へ品を替へた調教の中、鬼源は露出緊縛状態の静子を家も持たないのか焚火のほとりで酒を飲む二人組の労務者に差し出し、犯させる。縛りと吊りのアクロバットが火を噴くクライマックスを除いては、緊迫感に富むシチュエーションが陰影のコントラストに映える、この場面が最も映画的な煽情性を誇る。松山鷹志と川瀬陽太は、松山鷹志が画面向かつて労務者左、川瀬陽太が労務者右。僅かに光の当てられる松山鷹志はギリギリまだしも、川瀬陽太はほぼ影に沈み、声を発しなければ認識するのに些かの訓練と集中力とを要しよう。ただ、薮蛇をいふやうだが、特に斎藤歩の決して得手には見えない濡れ場芝居を前にするにつけ、その道に長けた川瀬陽太の起用法にはもう少し再考の余地もあつたのではなからうかと、ピンクスの贔屓目としては思はぬでもない。
 石井隆監督と杉本彩主演による二部作から六年ぶり、通算では八作目となる「花と蛇」映画版ではあるが、静子といふ令夫人がサドマゾの淫獄に堕ちる―「白衣縄奴隷」(昭和61/監督:西村昭五郎/主演:真咲乱)などはこの要件すら全く満たさないが―といふ最も大まかな基本設定以外には、ナンバリングされる今世紀版「花と蛇」の前二作と今作との間にさへ、劇中世界の連関は特にも何も存在しない。矢張り兎にも角にも特筆すべきは、今このタイミングでそんな「花と蛇」といふ器の中に、正しく鉄を熱い内に打つべくスキャンダラスな小向美奈子を連れて来た、商売として清々しい嗅覚とそしてそれを目出度く無事完成公開にまで漕ぎつけた、映画企画としての正しさを一にも二にも称へたい。その上で、序盤は卓越したテクニックを駆使し相当勿体つけて引張ておきながら、いざ乳首を解禁する際のあまりの呆気なさ―しかもアップですらない―には少々拍子抜けもしたが、最終的には客が最も観たいものであるところに疑ひはない、小向美奈子の裸はお腹一杯に堪能させて呉れる。そこから先、裸映画から裸を差し引いた素といふ意味での裸の映画としては、大きく軸足を踏み外してしまふこともない反面、さしたる踏み込みを見せるでもない。それゆゑ如何にもありがちな何時か何処かで確実に見たやうな落とし処まで含め、娯楽映画といふには些か小奇麗過ぎる点も踏まへれば、商業映画の鑑とでもいふべき良くも悪くも概ね完璧な出来栄えの“ほどほどの一作”である。ここで“概ね”とわざわざ注釈をつけたのには理由があり、一点明確な疑問が残る。高校・音大を通しての同級生で、静子に秘めた同性愛を注ぎ続けた野島京子(小松崎)が、静子回想の伏線を経つつ調教のギミックの一環として鬼源に招聘され、百合の花香る絡みを展開する。そこで、この小松崎真理に首を傾げざるを得ない。何でも女性ファッション誌の読者モデルとして名前を売り、昨今セミヌードといつた準裸仕事もぼちぼち始めた流れでの初映像作品、兼オールヌードといふ触れ込みではある。ところがこの人が、直截にいふが変哲のない首から上も下にも全く華を欠く。そもそも、小向美奈子主演による「花と蛇3」の間違ひなく主要客層であらう、勿論小生も入れてオッサン連中に女性ファッション誌読者モデルの名前がどれだけ通るのかといふ不条理に加へ、“妖艶”といふ言葉はこの人のためにあるのではなからうかとさへ思はせる、世紀を跨ぎ長く超絶のプロポーションを保ち続ける水谷ケイと、正しく小悪魔的といふに相応しいコケットリーを弾けさせる琴乃とに脇を固めさせた時点で、既に裸布陣は完成されてゐるではないか。読者モデルである以上仕方のないことといへるのかも知れないが、丸つきりそこら辺を歩いてゐる普通の女の子にしか見えない京子が登場する度に一々映画のテンションは下がり、唯一この余計が、洋服を汚してしまつた染みのやうに目につく。逆に、感動的に縄に映える柔らかく艶(なまめ)かしい小向美奈子のオッパイのほかに正方向に賞賛すべきは、バクチクする重低音と凄腕調教師としての分厚い存在感とを文句なく発揮する火野正平。正直そこかしこに安普請さが垣間見えぬでもない映画のグレードを、他を完全に圧倒する正しく役者の違ひで一段力強く引き上げる。


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