サメ映画


D810 + SIGMA 35mm F1.4 DG HSM

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先日、サメ映画「ロスト・バケーション」を観てきた。
残念ながら、期待に反し「ごく平凡な作品」であった。
最後までそれほど面白いと思えなかった。

サメ映画もいろいろあり、全部を見ているわけではないが、オリジナルともいえる1975年のスピルバーグ作品「ジョーズ」を抜く作品は無いように思う。
「ジョーズ」は今見れば技術的に稚拙な部分はあるかもしれないが、何しろもう40年以上も前の作品である。
公開当時は大変な衝撃を受けた。
ショッキングな映像にではなく、怪物がじわじわと姿を現す演出と、ストラヴィンスキー風の音楽の見事な融合に唸ったのだ。

新進気鋭の若手スピルバーグは、すでにテレビで放映された「激突!」で有名になっていた。
しかし「ジョーズ」はそれをさらにパワーアップさせた作品であった。
「サメ映画」という、ひとつのジャンルを作ってしまったのだから、大したものである。
今回の「ロスト・バケーション」を観て、むしろ「ジョーズ」の偉大さを改めて感じた。

「ロスト・バケーション」は、設定そのものは悪くない。
休暇を利用し、亡き母親の思い出の秘密の海岸に、自分探しの旅に出かけた主人公。
ほとんど人のいないそのメキシコの海岸で一日サーフィンに興じるが、夕刻になり切り上げる直前に巨大なサメに襲われる。
足を負傷しながら、海上にわずかに露出した岩まで辿り着くが、岸からは200mほど離れている。
潮が満ちてきて、岩場はどんどん狭くなる。
サメはその周りをゆっくりと回遊し、満潮になり獲物が海中に没するのを待つ。
自らの知識のすべてを駆使し、たったひとりでサメと対決する主人公・・・

面白そうな設定だし、主人公の演技も悪くないのに、なぜか面白くない。
この作品で致命的なのは、登場人物たちの「軽さ」であろう。
医者の道を選ぶかどうかで悩む主人公の女性、弱々しい父親、学生程度の乗りのサーファー、はっきりしない地元民の男性・・
どの登場人物たちにもいまいち深みが無く、何だかホームドラマの延長のようになってしまう。

人にとって圧倒的に不利な海中で、上下左右、どこから襲われるかわからない・・・
これはジョーズ以来どのサメ映画にも共通した恐怖である。
つまり今更それを売りにしても仕方が無い。
そこにからむ人間ドラマの深みが重要なのだ。

もしかすると、世界的に人間そのものに深みが無くなったのではないか・・ということに気付いた。
たとえば「ジョーズ」のロバート・ショウ演じる漁師クイントのように、一筋縄ではいかない男、こういう癖の強い人物が、確かにあの頃はけっこういた。
理由の一つは、大戦の経験者が多かったからであろう。(実際クイントもインディアナポリス号の悲劇から生還した男という設定であった)
しかしそういう「底知れない人物」が、すでにアメリカでも少ないのではないか。

「ジョーズ」の時でさえ、クイントに対する海洋学者のフーパー(リチャード・ドレイファス)や主人公のブロディ署長(ロイ・シャイダー)は、へなちょこな新世代の人物として描かれていた。
ところが強い男の象徴であるクイントが、サメとの壮絶な戦いに敗れて消えてしまい、残された主人公がひとりでサメと戦うしかなくなる、という面白さがこの映画にはあった。

クイントのような核になる人物がいないと、ストーリーに深みを加えるのは難しい。
身近で親しみのある人たちばかりでは、生ぬるいマンガみたいな作品になってしまう。
そういう意味で、これから優れた映画を作るのは、どんどん難しくなるのかもしれない。
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