弁理士の日々

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湯之上隆著「日本型モノづくりの敗北」

2013-12-04 23:09:24 | 歴史・社会
湯之上隆さんについては、前著「日本「半導体」敗戦」を読み、また、メルマガ「内側から見た「半導体村」 今まで書けなかった業界秘話」を愛読しており、湯之上さんの主張については「なるほど」といつも納得させられています。

その湯之上さんの最新作が以下の著書です。
日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ (文春新書 942)
湯之上隆
文藝春秋


メルマガ「内側から見た「半導体村」 今まで書けなかった業界秘話」のVol.040(2013/08/29発行)で、湯之上さんは零戦について言及しました。
零戦(1千馬力級エンジン搭載)は、昭和15年に登場した当時は、どの敵戦闘機も寄せ付けない圧倒的な強さを有していました。しかし、当時の航空機発達は日進月歩でしたから、遅くとも昭和17年の終わりころには、2千馬力級エンジンを搭載した新鋭機に道を譲るべきでした。ところが、日本は航空機エンジンが遅れており、優秀な2千馬力エンジンが量産されるのはやっと終戦間近になってからだったのです。そのため、とっくにリタイアすべき零戦が終戦まで酷使され、2千馬力級エンジンを搭載した米軍の戦闘機と戦い続けることとなりました。
しかしこのことは、零戦の責任ではありません。零戦の後釜を送り出すべきなのにできなかった日本航空工業界の責任です。
私は湯之上さんに、メールでこのことを伝えました。湯之上さんからは即座に、ご丁寧なお返事を頂戴しました。

さて、10月20日に発行された湯之上さんの上記著書「日本型モノづくりの敗北」では、どうも零戦にスポットライトが当たっているようです。そこで気になって、購入して読んでみました。
零戦に関しては「はじめに」に記載があり、その記載内容は、8月29日に発行されたメルマガの内容そのものでした。従って、私が湯之上さんに差し上げたメールは本の内容に影響していないようです。
まあしかし、太平洋戦争中の日本の工業力について、「零戦」とのキーワードに込めて語ることは、堀越二郎氏や「永遠の0」が脚光を浴びた本年であれば仕方ないことではあるでしょう。

さて、本の内容です。
今まで、メルマガで定期的かつ断片的に湯之上さんの論を拝読していましたが、上記の書籍を通読することで、まとめて全体を見渡すことができました。

○ 日本半導体メーカーは、大型コンピュータ用に製造した25年保証の高品質DRAMを、PC用にも転売した。そのDRAMは、PC用に対して、明らかに品質加除ヴ出会った。その結果、PC用に低コストDRAMを大量生産した韓国などにシェアで抜かれて、競争力を喪失し、DRAMビジネスから撤退することになってしまった。(63ページ)
○ エルピーダは日立とNECのDRAM部門が統合した。NEC相模原の開発センターで最新半導体を開発し、日立の量産工場で量産しようとした。しかし、日立の量産工場における製造装置の約60%がNEC開発センターの装置と異なっていたため、NEC開発センターで構築されたDRAMフローを日立の量産工場仕様に作り直すことが不可能であった。特に洗浄工程の違いが決定的であった。これが、エルピーダ設立から2年間でDRAMシェアを激減させた原因である。

○ NECと日立のエンジニアのモノの考え方は根本から相違しており、融合は不可能であった。そこで、2002年11月に坂本幸雄社長が就任した際、対立していた日立とNECに対して、「ここはNECだ、NECに合わせろ」と大号令をかけた。反発した日立の技術者はエルピーダを去った。(78ページ)

○ 湯之上氏は日立を退職して同志社大学の教員となり、最初の研究対象にエルピーダを選んだ。
2002年に坂本社長に交代したとたんに、エルピーダのDRAMシェアがV字回復した。2004年に(湯之上氏が)行った調査で、坂本社長が経営上の問題のほとんどすべてを解決したことがわかった。一方、技術者たちは、社長交代前後で比較すると「技術力が向上していない」と感じていることが明らかとなった。

○ エルピーダには、途中から三菱電機のDRAM部門も統合された。このとき三菱電機から来た技術者が、エルピーダ内で重要な役割を果たしていた。三菱特有のDRAM文化と技術力のおかげであった。
(エルピーダにおいて)『日立が新技術の研究開発を行い、三菱が開発センターでインテグレーション技術を担当し、NECが量産工場の生産技術に専念すればよかったということである。もし、そうしていれば、エルピーダは、おそらく世界最強のDRAMメーカーになっていたのではないだろうか。しかし、現実はそうはならなかった。本当に残念なことと言うしかない。』(86ページ)

○ 日本半導体メーカーとサムスン電子を比較すると、量産技術力についてはサムスン電子の方が圧倒的に優れている。
サムスン電子は、歩留りを向上させる可能性がないなら新技術は導入しない。ただし、過剰なまでに高歩留りを追求することはない。
サムスンが選定している製造装置のスループットはエルピーダの2倍である。

○ サムスン電子には、専任のマーケッターが230人もいる。最も優秀な人材をマーケッターに抜擢する。世界中に配置され、世界の動向からその国や地域での市場を予測し創造することが、マーケッターに要求される。

○ サムスングループには韓国中のエリートが殺到し、2万人もの新入社員が入社する。一方、40歳で部長になっていなければサムスンに残ることはできない。日々猛烈に勉強を続けなければならない。こうして選ばれた役員が、世界中から集まる情報を元に、即断即決で決めている。

○ ルネサスは、山形の最先端工場である鶴岡工場を閉鎖すると報道された。
『ルネサスが閉鎖を決めた鶴岡工場をNECが買収し、クアルコムのファンドリーとして(または自前の設計でもいいから)スマホプロセッサを製造したらいいのではないか? その能力はあるはずだと思う。
そして、NECブランドのスマホを作り、NTTドコモやレノボに挑戦状を叩きつけたらいいじゃないか。』(107ページ)

○ ルネサスは、マイコンの世界シェア1位(30%)、車載用マイコンECUに限れば世界シェアの42%を占めるマイコンメーカーであるが、その収益性は恐ろしく悪い。クルマメーカーの下の電装部品メーカー(1次下請け)、その下の2次下請け、さらにその下に半導体メーカーとしてのルネサスが位置づけられている。ルネサスは、価格は上から決められ、一方で「不良ゼロ」の製品を要求されている。
多くの2次下請けメーカーが半導体チップ製造の下請けとしてルネサスを選び、那珂工場で製造されていた。そのことをトヨタは知らなかった。この那珂工場が東日本大震災で被災し、ECUの製造が完全に停止した。
---以上---

20年以上前になりますが、私がシリコンウェーハメーカーの技術者だった頃、NECの鶴岡工場を営業で訪問したことがあります。たまたま8月末で、いただいた枝豆がとびきりおいしく、はじめて“だだちゃまめ”を知ったのです。
その鶴岡工場がNECからルネサスに移行し、その末に閉鎖されるということです。それも最先端の能力を保持しながら。湯之上さんに言わせれば、NECが鶴岡工場を買い戻せば十分に力を発揮するはずとのことです。
そうとしたら、結局ルネサスの凋落は経営の失敗ということになりますか。

こうそうするうちに、ルネサス鶴岡工場をソニーが買収するというニュースが流れました。ただし、ソニーは鶴岡でスマホ用のCMOSイメージセンサーを作ろうとしているようです。湯之上さんによれば鶴岡はシステムLSIの新鋭工場です。その特徴を生かさないのは残念なことです。
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