弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

平成22年新司法試験合格発表

2010-09-11 10:39:13 | 弁理士
法務省が公表した新司法試験合格者の大学別統計(pdf)を、例によって(昨年一昨年3年前)エクセルファイルに組み替えてみました。以下に4年分を示します。
2010年エクセルファイル
2009年エクセルファイル
2008年エクセルファイル
2007年エクセルファイル

このうち、2010年エクセルファイルは、5シートで構成されています。
第1~第3シートは、本年の結果について、法務省のpdfファイルから取り込み、合格者数の多い学校順に並べ替えたものです。
次の第4、第5シートは、複数年次の対比を行ったものです。
第4シート(4年間の比較)を見てください。
総合の合格率は、
平成19年 40.2%
平成20年 33.0%、
平成21年 27.6%
平成22年 25.4%
と一直線に下がり続けています。

次に第5シート(卒業年別・4年間の比較)に移りましょう。このデータのみイメージで下に示します。

法務省発表データには、法科大学院の卒業年次別のデータが入っています。このデータについて、平成18~22年の対比しました。タイトル行に「1年前」「2年前」等々の文字が入っています。これは、今年(平成22年試験)であれば、平成21年度(平成22年3月卒業)を1年前、平成20年度卒業を2年前と表示したものです。

「受験者数割合 %」に表示されている数値は、各年別に、合計受験者数に占める該当年次の受験者数の比率です。
「合格率 %」に表示されている数値は、各年別に、該当年次の人のみで算出した合格率です。

平成21(去年)と平成22(今年)の比較をしてみましょう。
「1年前」の「合計」では平成21も平成22も同じ35.0%で差がありません。「2年間」「3年前」では、むしろ平成22の方が平成21よりも高い合格率です。それにもかかわらず、「計」では平成21の27.6%に対して平成22が25.4%と合格率が下がっているのは、要するに合格率の低い「4年前」「5年前」の受験者数割合が増大し、逆に合格率の高い「1年前」の受験者数割合が減っているからです。

次に、「既修」「未修」を対比すると、「1年前」~「3年前」のいずれも、未修の合格率が既修に比較して著しく悪いことが明らかです。

毎年の新司法試験合格者数は、だいたい2000人強で落ち着いてきましたね。司法制度改革での目標3000人には遠く及びません。
新司法試験受験者の合格率はどの程度になるのでしょうか。実は毎年の法科大学院修了人数がわからないので、合格率計算の上での分母が不明です。一つだけ文科省のサイトで資料(pdf)を見つけました。古い資料ですが、19ページによると、修了者の数が平成18年度4415名、19年度4910名となっています。一声、法科大学院修了者数を「4500人/年」とし、司法試験合格者数を「2000人/年」とすると、合格率は約45%となります。

同じ資料4ページによると、法科大学院入学者数は平成20年度で5397名となっていました。また資料1ページには法科大学院の志願倍率が年度順に記載されています。H16:13.0倍, H17:7.2倍, H18:6.9倍, H19:7.8倍, H20:6.8倍ということで、平成16年度入学者の志願倍率が際だって高いです。この人たちの司法試験受験は、平成18既修(1年前)、平成19未修(1年前)、既修(2年前)となり、データを観るとこの人たちの司法試験合格率は他の年次と比較してたしかに高いです。

新司法試験合格者人数は、今後目標の3000人に向かって上昇するのでしょうか。上昇する機運は全くありません。
第1に、現在の合格者2000人レベルでも、もう就職先が不足しています。去年までは何とか弁護士事務所が新人を受け入れていたようですが、とうとう満杯になり、今年1月に司法修習を終えた人たちから就職戦線は特に厳しくなっているようです。
第2に、司法修習の修了試験不合格者が多発しています。毎日新聞 2010年8月24日によると、「今回が2、3度目の受験となる修習生は75人で、うち16人がまた不合格となった」ということです。3回受けて不合格だったらアウトです。
第3に、私が法科大学院の今後で書いたように、昨年9月21日朝日記事には「実際、関東地方の大学院で教える弁護士は『法律知識以前に、日本語の読み書きに問題がある学生が相当数いる。絶対に受からないと思いながら教え、進級させている。どんなに改革を進めても合格者は2千人程度が上限ではないか。』と明かす。」との記載があります。
このような状況下で、法務省が新司法試験のボーダーを下げて合格者数を増大させるとはとても思えません。

大学卒業後に大変な思いをして法科大学院に入学し卒業しても、最高3回まで受けられる新司法試験で最終的に合格するのはそのうちの45%程度であり、新司法試験に合格しても司法修習の卒業試験をクリアできない可能性があります。法科大学院が2~3年、司法試験受験が1~3年、その時点でそれまでの努力が水泡に帰すわけですから、当人たちにとっては本当につらい人生です。
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明日は郵便不正事件判決

2010-09-09 21:11:35 | 歴史・社会
厚労省元局長の村木厚子さんを被告人とする裁判の判決が、いよいよ明日9月10日ですね。
5月26日に郵便不正事件の謎(8)供述調書証拠不採用で書いたとおり、検察による供述調書の相当部分が不採用になりました。検察側が証拠請求していた8人の供述調書計43通のうち、今回事件の主犯である上村被告(事件当時の厚労省係長)と倉沢被告(凛の会元会長)の調書21通はすべて却下です。凛の会元メンバーの調書も却下されました。残る5人の調書は合計で21通ありましたが、そのうちの9通のみが証拠として採用されたのみです。
裁判所のこの判断から類推すれば、明日の判決で村木さんの無罪は確実でしょう。
しかし検察は反省の色がありませんから、必ず控訴するはずです。控訴審ではどのような判断が下るのでしょうか。

郷原信郎著「検察が危ない (ベスト新書)」を読みました。なかなか感想を書く時間が取れません。今回の郵便不正事件との関連で気になった部分があるので書き留めておきます。

郷原氏はこの著書で「特捜検察の暴走」を露わにしようとしています。その中で、「裁判所によるチェックはなぜ機能しないのか」として2つのポイントを指摘しています。その第2について、
「第二に、裁判官は同じ法曹資格者の検察官の集団である検察庁が組織として意思決定し、起訴した特捜事件について、基本的に検察の主張・立証を信頼している。この傾向は、上級の裁判所になればなるほど顕著で、特捜部が起訴した事件に対して地裁で無罪判決が出されても、ことごとく高裁で覆されている最大の理由はこのあたりにあるように思える。」
と述べています。

今回の事件はどうなのでしょうか。
たとえ地裁で無罪判決が出ても、高裁が一転して検察の供述調書が信頼できると判断したら、判決が覆る可能性は十分にあります。
ある人がした供述において、検察での供述調書の記載と法廷での証言とが真っ向から対立した場合、どちらかが嘘であることが明らかです。どちらを嘘と認定するのか。高裁が「検察官の面前で読み聞かせの上で署名をした供述が真実に近い。法廷での証言は信用できない。」と認定したらそれっきりです。

このように考えると、たとえ明日の判決で無罪が言い渡されたとしても、今回の裁判はまだ半分までしか到達していないことになります。
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フレミングの法則

2010-09-07 21:37:26 | Weblog
8月30日、私は岩手県の釜石に出張しており、夜9時にホテルに入って9時のNHKニュースを見ました。管首相と鳩山前首相が会談し、翌日に管氏が小沢氏と会談することが決まったというのです。しかし、管氏の発言を聞いていると、鳩山氏との会談では(小沢陣営に用意する)ポストの話等一切なかったということで、これではとても管・小沢会談が成功するように思えませんでした。そして案の定、31日の会談は物別れとなり、管氏・小沢両氏の出馬となったわけです。
鳩山氏は一体、どのような構想の下に両者の間に立ったのでしょうか。

ところで30日、鳩山氏は記者団に「フレミングの左手の法則」を見せたそうですね。
フレミング鳩山氏、キングメーカーの存在感
8月31日1時27分配信 産経新聞
『「フレミングだよ!」
鳩山氏は30日、小沢氏、輿石東参院議員会長と会談後、記者団に左手を突き出し、親指と人さし指、中指で「フレミングの法則」の形を作った。
「首相を辞める直前は親指を突き出したけど今度は3本指か…」。ある党中堅は首をひねったが、鳩山氏は小沢、菅両氏との「トロイカ体制」を、電流、磁力、力の相関関係になぞらえたようだ。』

フレミングの法則が一般に知れ渡っているとはとても思えません。一応、日本国民は義務教育の中学で習ったことになっているのでしょうか。
フレミングの右手の法則と左手の法則は、いずれも電磁誘導の作用の方向を覚えるためのものです。
《フレミングの右手の法則》(発電機)
「磁界の方向(人差し指)に対して導体を親指の方向に動かすと、電流が中指の方向に流れる。」
《フレミングの左手の法則》(電動モーター)
「磁界の方向(人差し指)に対して導体に中指の方向に電流を流すと、その導体には親指の方向に力がかかる。」

この法則を、一時期(中高の期末試験、大学入試)にでもきちんと覚えていた人が、一体どれだけいるでしょうか。
私も、頭が混乱して覚えられませんでした。発電機は右手だったか左手だったか、という点を覚えるだけでも大変です。

そこで私が高校生の頃、もっと簡単に覚える方法がないものかと思案しました。そしてひとつの法則を見出したのです。“内藤の右手の法則”と名付けました。
その法則では、右手だけを使います。そして、
・原因 → 親指
・磁界 → 人差し指
・結果 → 中指
というシンプルなものです。発電機の場合は、原因が運動で結果が電流です。電動モーターの場合は原因が電流で結果が力です。一度覚えたら忘れません。私自身、62歳になってもまだ覚えています。

今、中学校や高校ではどのように教えているのでしょうか。まだフレミングの右手・左手の法則を教えているようであったら、この際内藤の右手の法則に切り換えたらいかがでしょうか。

ところで、フレミング鳩山氏ですが、フレミングの左手の親指、人差し指、中指がそれぞれ管氏、小沢氏、鳩山氏を意味しているのだとしたら、3人の向かう方向がてんでんばらばらということになります。30日の段階で、すでに31日の会談決裂を暗示していたということでしょうか。
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日本代表対パラグアイ戦

2010-09-05 11:27:31 | サッカー
4日の対パラグアイ戦は、前半の途中から観ました。
たまたま主力選手のケガや移籍交渉中との状況により、南アW杯の先発メンバーとは大幅に入れ替わった布陣となりました。私にとっては、観ていて楽しい試合でした。

香川の瞬発力はすごいですね。ドリブルで相手を抜き去ったプレーには驚きました。そして中村憲剛からのパスを受けてのゴールです。香川のゴールへの走り出し、トラップ、シュートは見事でした。ドルトムントに移籍してまだわずかですが、その経験がここまで香川を進化させたのでしょうか。
憲剛のラストパスも見事でした。しかし、あの場面で憲剛は若干の時間ボールをキープしていたようですが、相手ディフェンスからのプレスをほとんど受けずにパスが出せたようです。パラグアイの甘いディフェンスに助けられたということになりましょうか。

長友のエネルギーは健在でした。よくあれだけ走力が持続するものです。
その他の南アW杯先発メンバーはどうだったのでしょうか。テレビを通してはよくわかりませんでしたが、湯浅健二氏のコメントによると、『前戦選手たちの「お座なりディフェンス」。松井大輔にしても本田圭佑にしても、この試合でのエネルギー傾注レベルは、ワールドカップで魅せつづけた「闘う意志」のレベルとは、とても比べられるモノじゃなかった。』ということで、W杯本戦とはずいぶん違った戦いをしていたようです。

浦和レッズの細貝選手が、初招集で初スタメンながらよく働いていました。
私は細貝選手の話題を聞くとつい応援してしまいます。
Jリーグの試合をスタジアムで観戦したのはたった1回、ちょうど3年前の07年8月に埼玉スタジアムで浦和レッズの試合を見に行ったことです。浦和にてで記事にしました。そのときは、埼玉スタジアムのビューボックスという特別席で観戦することができました。めちゃくちゃ暑い日でしたが、ビューボックスの中は空調で快適であり、その部屋のすぐ外が観戦席になっているという仕組みです。
ビューボックスには、その日の試合に出場しない選手が訪問してくれます。試合途中、われわれのボックスにも二人の選手が来てくれました。それが細貝選手とエスクデロ選手だったのです。

2選手とも、このときはベンチにも入れない選手で、だからこそ上の写真があるわけですが、その後レッズでレギュラーとして活躍する様子が伝えられるようになり、密かに応援していたのです。
細貝選手は、この3年間で所属チームの非ベンチメンバーから日本代表のスタメンにまで成長したわけで、これからも頑張ってほしいです。
今回は大勢の中盤主力選手がケガで出場辞退していることからスタメンが転がり込んできたわけで、本人は「幸運」といっていましたが、この運をぜひ生かしてさらに上を目指してください。
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高橋洋一氏の予言

2010-09-04 13:33:45 | 歴史・社会
円高対策について、日銀は8月9、10日の金融政策決定会合では何もアクションをとらず、8月23日に予定されていた管総理と白川日銀総裁との会談は中止されて電話会談に終わりました。ところがその後、8月30日に日銀は臨時の金融政策決定会合を開き、追加の金融緩和策を決めました。あわせて、政府は30日の経済関係閣僚委員会で、雇用対策や消費拡大などを柱とする追加経済対策の基本方針を決定しました。

高橋洋一氏は30日のコラムで、「これらすべて私が予言してきたとおりだ」と述べています。財政諮問会議を復活させ、政府・日銀はこの秘策で円高に挑め~予備費や新型オペの拡大では効果がない
2010年08月30日(月) 高橋 洋一
『筆者は、ここ2回のこのコラムで円高の警報を発してきた。
8月9日のコラムでは、同月10日に行われる日米金融政策で、日銀は無策だがFRB(米国連邦準備理事会)は事実上の金融緩和となって円高が加速されることを、8月23日のコラムでは、政治状況から31日ごろに政府・日銀の経済対策が出されることを指摘した。
いずれもそのとおりになった。日本の株価は円高パンチで米国より幾分下げ幅が大きいが、何もインサイダー情報があったわけでない。
9月1日告示、14日投票という民主党代表選という政治スケジュールから、政府・日銀の官僚機構が動かないことがわかれば合理的に推測できることだ。誰が政権のトップになるのかわからない段階で、官僚は保身に走り、一方に肩入れしないのである。』

そこで確認してみました。
無策の日銀「金融政策決定会合」直後に始まる「強烈円高」の可能性~政治家も日銀も動かない日本の為替が狙われる
2010年08月09日(月) 高橋 洋一
『9日と10日に日銀の金融政策決定会合が開かれる。
しかし、日銀は、9月の民主党代表選の様子見で、今の時点で行うべき金融政策をやらないだろう。この時点で何か行っても、民主党代表が誰かによってさらに追加策を求められるかもしれないので、その時に備えて「弾」をとっておくというスタンスだ。マーケット関係者やマスコミもそうみている。』

ピンボケした「デフレ政策論争」は民主党代表選で決着をつければどうか~菅・白川会談「見送り」が中央銀行の独立維持のため?
2010年08月23日(月) 高橋 洋一
『来週の31日前後に、デフレ・円高対策を打ち出すかもしれないのだ。
しかし、いまのところその内容は、政府のほうからは、エコポイントの延長、中小企業関係の低利融資、その他の環境関連小規模減税程度である。なにしろ予備費と剰余金というが、補正ではせいぜい1兆円程度しか財源がない。
日銀は、新型オペの規模拡大程度である。金融政策でバランスシートを20兆円以上拡大すれば、デフレのギアバックになるだろうが、今のところ、そこまで日銀は踏み込む予定はない。
政府と日銀が打ち出す対策で、多少目先は円高傾向は緩和されるだろうが、デフレ脱却までには道遠しである。』

たしかに高橋氏が述べているとおりですね。23日のコラムでは、政府・日銀が打ち出す円高対策の内容までしっかり予言できているようです。

高橋氏が予言できているということは、市場もそして諸外国も、日本の政府と日銀がとるであろう対策については予め完全に読まれているということになるのでしょうか。


予言ついでに、高橋洋一氏がどのような提言をしているのかについても見ておきましょう(8月30日高橋氏コラム2ページ)。
『今報道されているような経済対策では、申し訳ないが、とても及第点はあげられない。
今年度予算の予備費9000億円を使って、雇用や中小企業対策、エコポイントの延長などがあがっているが、マクロ効果無視で自省の利益追求のいつもの霞ヶ関定番の予算ぶんどりに過ぎない。
実は、今回の円高が、日米での金融政策の対応差から出てきたことを忘れてはいけない。
予備費は新規国債発行ではないので逆に円高を加速することはなりにくいが、円高対策にもならない。どうせ予備費を使うなら、新規国債発行の減額や、さらにマーケットにサプライズを与えるものとして、財務省による長期国債の買いオペを実施する手がある。こうした「金融対策」のほうが、直接円高に対応できる。
と同時に、財務省による為替介入についても、いつまでも口先だけですませず、実弾を撃つことも必要だ。そのために、各年度予算で介入枠を準備している。その場合、韓国ウォンなどの特定通貨に絞って行うことは効果的である。
これら財務省による長期国債買いオペや為替介入は、国会議決は不要で財務大臣の決断さえあれば実現できる。短期的には金融緩和と同じような効果になり、一時期円高を反転できる。そうしている間に、日銀による本格的な量的緩和を行えば、円高をギアバックできるだろう。
では本格的な金融緩和を実施するのか。報道されている日銀の対策は、新型オペの規模拡大や期間延長だが、すでにマーケットには織り込まれつつある。今の段階では、長期国債買い切りの増額など、日銀が自らのバランスシートを拡大させるかどうかがポイントになっている。』

『具体的には、まだ法律上生きている経済財政諮問会議を復活させればいい。そうすれば、自動的に総理、経済閣僚と日銀総裁が議論できる。民主党のメンツでできないなら別の会議をつくってもいい。
そこで、政府と日銀の共有目標として、2年以内に物価を2%程度にするということであれば、逆算して(FORWARD LOOKING)、現時点で、例えば数十兆円規模の量的緩和など、結果としてかなりの金融緩和措置が日銀に求められることになるだろう。』

おっ、経済財政諮問会議を復活との意見、実は私も発したことがあります。
7月17日の管政権はもはや死に体かで、「こんなことなら、経済財政諮問会議を用いて政治主導をめざした自民党政権の方がよっぽどましでした。今からでも遅くはありません。経済財政諮問会議の法律は生きているのでしょうから、こちらを復活させたらいかがでしょうか。」と書いたとおりです。

しかし、民主党政権は、「小泉-竹中路線については何でも反対」という態度ですから、絶対に実現しないでしょうね。この態度のおかげで良いものもすべて捨て去られてしまいました。
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原英史「官僚のレトリック」(2)

2010-09-02 20:56:49 | 知的財産権
原英史著「官僚のレトリック―霞が関改革はなぜ迷走するのか」については、8月24日の記事で話題にしました。安倍政権以来の公務員制度改革の推移について、全体の概略をまとめるとともに、民主党政権になってからの体たらくに関してやや詳細に述べてみました。
ここでは第2回として、安倍政権時代に公務員制度改革がどのように推移したのかを、上記書籍から拾ってみます。

安倍政権で公務員制度改革に着手するのは、2006年12月7日、経済財政諮問会議の席でした。ここで民間議員4名連名で「民間議員ペーパー」が提出されます。
・「各省庁による再就職斡旋を禁止」
・「政府全体で一元化された窓口で(中略)公務員の希望と求人をマッチングさせる。」
という画期的な提案でした。しかし提出時点では、およそ非常識な提案といった扱いで、強烈な反対に遭います。
これに対し安倍首相は2007年1月26日、施政方針演説で「予算や権限を背景とした押付的な斡旋による再就職を根絶」すると表明しました。しかしこのフレーズの中に、天下り根絶を頓挫させる“官僚の罠”が仕掛けられていたのです。じつは霞が関の見解では、「それまでも押し付け的斡旋などやっていない」というスタンスであり、首相の上記施政方針演説は「現状を全て容認する」に等しいコメントだったのです。このフレーズはおそらく、担当部局である行政改革推進本部事務局の官僚が作成して演説案に埋め込まれたもので、そのまま最終稿に残って国会で読み上げられたのだろう、と原氏は推測します。

行革担当大臣は当初佐田玄一郎氏でしたが、事務所費問題で辞任し、2006年末に渡辺喜美氏に交代していました。渡辺氏は就任するや「現状を何も変えない」路線に疑問を呈し、政府・与党内での暗躍を始めました。そして諮問会議での民間議員提案を下敷きに、渡辺案として「各省斡旋の禁止」+「一元的窓口として新・人材バンクの設置」というプランを打ち出します。
渡辺氏を封じ込めようとする変化球も飛んできました。国会の予算委員会での総理答弁資料として渡辺大臣らが準備した原稿が、官邸で「官邸官僚」によって書き換えられるという事件です。書き換えられた原稿には「官製談合に関与した役所については、再就職の紹介などに関して厳しい規制を創設する」とあり、規制を受けるのは官製談合に関与した役所だけになる、という原稿でした。これを安倍首相が予算委員会で読み上げたらすべてアウトです。渡辺氏は予算委員会当日、総理答弁書にみずから手書きで再修正を施し、安倍氏が議場に入ってきたところで手渡しました。そうしないと再度書き換えられるおそれがあったからです。

当初は、渡辺行革大臣が孤立して奮闘している印象でしたが、実は安倍首相や塩崎恭久官房長官も改革路線で腹を固めていることが漏れ伝わり始めます。
決着がついたのは3月16日の経済財政諮問会議です。ここで安倍首相は「機能する新・人材バンクへ一元化をしていかなければならない」と発言。首相が公式の場で明確に軍配を上げました。
経済財政諮問会議の場で対立点を浮き彫りにし、最後に総理が裁断するという方式は、小泉・竹中ラインで多用されたやり方であり、安倍内閣の頃はまだこのやり方が供していたのです。
とはいえ、安倍氏は施政方針演説で「押し付け的斡旋の根絶」とも発言しており、2つの発言は相矛盾しています。このときもう一つの事件が起こりました。
当時無所属の江田憲司議員の質問趣意書が発端でした。江田氏は元通産官僚で、施政方針演説の「押し付け的斡旋」のトリックを熟知した上で、政府に対して「押し付け的斡旋だけを禁止するのか。そんなものは存在しないはずだったのではないか」と質問しました。この質問趣意書の政府答弁を閣議了承する過程で、政府答弁案が事務次官等会議で否決されたのです。これまでの永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけ、ここではねられた案件は閣議にはかけられなかったのです。ところが安倍総理が「閣議に諮りたい」との意向を示したのです。
かくして戦後初めて、事務次官等会議が諒承しなかった案件が閣議に諮られるという前代未聞の事態となりました。閣議当日、霞が関も官邸も蜂の巣をつついたような騒ぎになり、「こんな暴挙を許していいのか」「総理はめちゃくちゃだ」「安倍さんは狂ったのか」と怒号が飛び交いました。このいきさつは高橋洋一「さらば財務省!」(4)に書いたとおりです。あの一件は、江田議員による質問趣意書が発端だったのですね。

細部の経緯もさることながら、重要なのは回答文書の中身です。結論として、それまでの政府見解を翻し、「押し付け的な斡旋が存在する」と明言したのです。
後に、みんなの党で同士となる渡辺氏と江田氏が、この時点で連繋していたわけではないでしょうが、結果として、江田氏の質問が壁を完全に崩すきっかけとなりました。

熾烈な攻防の末、国家公務員法改正案が提出されましたが、その後安倍内閣は防戦に追われることになります。民主党からは「新・人材バンクは『天下りバンク』だ」、「官僚もハローワークに行けばよい」といった強烈な批判がなされました。最も声高に主張していたのは民主党の長妻議員だったといいます。
法案審議は通常国会の会期ぎりぎりまでもつれ込みますが、最終段階で安倍総理は、何としても法案を成立させたいとの強い意思を示し、会期延長を決断します。そして最終的に、2007年6月30日に法案は成立しました。会期延長までして法案成立にこだわっていたことが、直後の参議院選挙での自民党大敗と安倍首相退陣につながったわけで、安倍政権は公務員制度改革に殉じた、と言えなくもありません。
『曖昧な部分を残したとはいえ、「各省斡旋禁止」を実現できたことは、やはり、安倍内閣の金字塔だったと思う。というのも、「各省斡旋禁止」は、それまで誰もが不可能と思い込み、チャレンジすらしていなかった画期的な処方箋だったからだ。』
『その後、鳩山内閣で「天下り根絶」がどうなったかと見比べてみても、「新・人材バンク」プランの方が優れていたと思わざるを得ない。つまり、民主党は、各省斡旋だけでなく「新・人材バンク」による斡旋も否定していたはずだが、結局、「斡旋はしていない」と称する「隠れ斡旋」を野放しにしてしまった。』

安倍晋三総理大臣、塩崎恭久官房長官、渡辺喜美行革担当大臣の3人が、「公務員制度改革」について強い結束を保っていたことが、法案成立につながりました。この1点だけを観察すると、安倍政権を見直します。別の観点、上杉隆「官邸崩壊」()から見ると、安倍政権は倒れるべくして倒れたとも見えますが。

続く
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