弁理士の日々

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原英史「官僚のレトリック」

2010-08-24 20:24:30 | 歴史・社会
官僚のレトリック―霞が関改革はなぜ迷走するのか
原 英史
新潮社

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本の表題からは、「霞が関の官僚が国民や国会をけむに巻いて自分たちの権益を保護・拡大しようとするときに用いる、だましのテクニックを教えましょう」といった風に読み取れます。
もちろん、そのような側面も本の中で描かれてはいるのですが、決してそれが主題ではありません。

この本の眼目は、『安倍政権以来、「政治主導(脱官僚依存)」と「公務員制度改革(天下り問題などを含む)」がどのように進展し、そして民主党政権でどのように挫折していったのか』を描く壮大なドラマなのです。

著書の末尾によると、著者の原英史氏は1966年生まれ、89年通産省に入省し、2007年から安倍・福田内閣で渡辺喜美行政改革担当大臣の補佐官を務めました。その後、国家公務員制度改革推進本部事務局を経て、09年7月退官。株式会社政策工房を設立し、政策コンサルティングを営んでいます。

安倍内閣で渡辺喜美大臣の下で公務員制度改革を推進した本人であり、著書でも“インサイダー”であることを明言しています。
『ともかく、私はそうやってプレイヤーとして関わった立場なので、この間の改革について第三者的な客観的評価はできない。その代わり、そこで繰り広げられた議論について、正しく記録し、検証しておくことはできると思う。改革はなぜ必要であり、反対派はどういう論拠で反対したのか。そこにはどんな詭弁や議論のすりかえがあったのか。本書ではそうした「論理」の側面に焦点を当てる。』

原氏が描く「公務員制度改革」の歩みは、大雑把に以下のように説明できそうです。
『安倍政権では、不十分ながら二歩前進を実現した。福田政権でもその歩みを続けた。しかし麻生政権では一歩後退してしまった。これら自民党政権時代、野党だった民主党は、「二歩前進でも全く不適切。もっと先を行くべき」といった論拠でこれら自民党の政策に反対し続けた。
そして政権交代が実現した後、民主党政権は、合計で一歩前進であった最近の成果をすべて否定し去り、その代わりに素晴らしい公務員制度改革を実現するどころか、改革は完全に後退し、元の木阿弥に戻ってしまった。』
その全体の流れを、わかりやすく明確に説明してくれるのがこの本です。

『小泉内閣は、道路や郵政などの局地戦では、霞が関と既得権益の秩序に風穴を開けたものの、霞が関の本丸の改革に踏み込むことはなかった。道路公団の天下りOBとは対峙しても、「天下り利権」や「各省縦割り」などを根治する公務員制度改革には、結局手をつけずに終わったのだ。』
『そうした中、最初に霞が関改革、あるいは公務員制度改革に本気で取り組み、突破口を開いたのが、小泉内閣をついだ安倍晋三内閣だった。ターゲットとして挑んだのは、最大の難関というべき「天下りの根絶」。霞が関と自民党内の守旧勢力の抵抗を振り切って、処方箋(「官民人材交流センター」への斡旋一元化)を法案としてまとめ上げ、成立にこぎつけた。これは、歴史的な第一歩だったと評価してよい。
安倍内閣はわずか1年で幕を閉じるが、幸いにしてというべきか、一度動き始めた改革の歯車は止まらなかった。次の福田康夫内閣では、安倍内閣での第一歩を起点に、さらに制度全体の再構築を目指し「国家公務員制度改革基本法」を提出、与野党協議を経て成立に至った。
のちに民主党の「脱官僚」アジェンダ(論点)の目玉となる「天下りの根絶」「政治主導への転換」「国家戦略局の創設」は、いずれも当時、政府・自民党の側から提示されたものだ(「国家戦略局」は、基本法における「国家戦略スタッフ」が下敷きとなっている)。
その後の麻生太郎内閣は、改革に極めて後ろ向きと一般に認識されていたが、それでも、基本法の定めるスケジュールに従い、「内閣人事局」の設置のための法案を提出するところまではいった。この法案は結局、国会で実質的に議論されることなく、廃案となりはしたが。』

以上、自民党政権下での改革の詳細については、また稿を改めようと思います。

民主党政権となってからのこの1年はどのように推移したのでしょうか。
《躓きの始まりは「天下り人事」》
日本郵政社長に斉藤次郎・元大蔵事務次官を充てる人事、さらに日本郵政副社長として坂篤郎前官房副長官補と足立盛二郎元郵政事業庁長官を起用、人事院総裁に江利川毅前厚生労働事務次官が任命されます。さらに日本損害保険協会副会長に元国税庁長官の牧野治郎氏が就任します。これら人事について、民主党政権は「天下りには当たらない」と言い訳し、その結果として、もはや「世の中に天下りなど存在しない」といっているような状況となりました。
『政権発足からわずか2ヶ月弱。あっという間に「天下りの全面容認」への路線変更になってしまった。民主党の面々にとって、「天下り根絶」とは、選挙向けのキャッチフレーズに過ぎなかったのだろうか。鳩山氏の発言や姿勢の「ぶれ」というレベルの問題ではなく、国民にとって「裏切り」に他ならない変身ぶりだった。』

《小沢主導は「ニセモノの政治主導」》
ガソリン暫定税率維持が決まったプロセスでは、小沢一郎民主党幹事長が党の要望として持ち出し、流れが決まりました。この小沢主導について原氏は問題点を挙げています。
第1に、「内閣主導の政策決定」を真っ向から否定し、「陰の権力者による政策決定になってしまったこと。第2に、政策決定が密室で行われたこと。第3に、その最高権力者が、選挙戦術優先の立場で物事を判断しているらしきこと。

《司令塔不在》
マニフェストでは「国の総予算207兆円を全面組み替え」「官邸機能を強化し、総理直属の『国家戦略局』を設置し、・・・政治主導で予算の骨格を策定する」とあります。
『やろうと思えば、10月からの臨時国会の最初に、「国家戦略局」関連法案を提出し、成立させることは可能だったはずだ。なぜ鳩山内閣がこれに手を付けようとしなかったのかは、全くもって謎だ。』『最初の予算編成で「全面組み替え」を断行しそこなったことは、もはや取り返しがつかない』
《各大臣らが、幹部官僚らの手綱を握れず、官僚機構を掌握できなかった》
『政権発足後、次官や局長ら幹部官僚は、結局、全員自動的に留任となった。』『官邸の事務の官僚副長官、官僚副長官補3名などについても、前政権で当該ポストに就いていた人たちをそのまま留任させた。』
『そんな状況だから、「政務三役が、部下の官僚たちを信頼できないのは、ある意味当然かもしれない。だから、電卓を自分で叩く光景に象徴されるように、霞が関の中の“ゲリラ部隊”として孤立してしまったのだ。』『まず、幹部の中で誰が使えるのか、改革の意欲と能力をともに備えているのかを見極めることから着手すべきだったはずだ。』

《2010年2月、鳩山政権は霞が関改革に関わる2つの法案、「国家公務員法等改正案」と「政治主導確立法案」を閣議決定》
「幹部の人事制度(降格制度)」については「次官・局長・部長を同一の職制上の段階とみなす」という最終案となりました。年収が次官2300万円、部長1500万円と異なるのになぜ同一の段階としたのか。『背景としてささやかれるのは、公務員労組の意向ではないかとの憶測だ。』幹部に限っての話とはいえ、「身分保障」に風穴が開くことは避けたいので、このようなトリッキーなプランができあがったのでは、と推測しています。

「内閣人事局」については麻生内閣時の案よりも後退してしまいました。
人事院の機能は一切移管せず、麻生内閣では不発に終わった“内閣人事局の空洞化”という試みが、ここに来て実現してしまいました。『ここでもまた、公務員労組の意向を疑わざるを得ない。』

「天下り根絶」について、法案を見ると、そんな意思は始めから全くなかったとしか思えない内容です。
野党時代の民主党は、「早期退職勧奨の禁止」などの抜本策を盛り込む必要があると主張し、「再就職等監視委員会」の同意人事にも反対してきました。ところが今回法案では、「早期退職勧奨の禁止」にも全く触れられていません。

『結局、「財務省は敵に回せない」などと言って自民党守旧派同様の“官僚への配慮”を続け、加えて“公務員労組への配慮”まで行い始めた結果、自民党政権時代よりも、状況ははるかに悪化してしまったように見える。
「脱官僚」は、残念ながら、もはや、風化しつつある。』

1年前の衆議院選挙で民主党が掲げた「脱官僚」「天下りの根絶」は一体何だったのでしょうか。この1年の民主党政権の施策は、「国民への裏切り」といって過言ではありません。

続く
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