弁理士の日々

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法科大学院の今後

2009-09-30 20:50:24 | 弁理士
9月21日・朝日の朝刊には
《法科大学院 多すぎる?》司法試験合格者、前年下回る
という記事が掲載されています。

「合格者『2043人』。昨年を下回る人数に、どの法科大学院幹部も『まさか、減るとは・・・』と驚きを隠さなかった。
『10年ごろに3千人』とする政府計画を目指し、今年の合格者の目安は2500~2900人だった。しかしほど遠い結果で、計画達成は困難になった。」

このブログでも、平成21年新司法試験合格発表で本年の成績について解析を行いました。解析データについては2009年エクセルファイルに掲載しています。
なお、エクセルファイルの第4、第5シートに、平成18年のデータを追加記載しました。

朝日新聞の記事では、06年から09年にかけて、既修者・未修者別に、新司法試験合格率の推移をグラフにしています。そしてそのグラフで、既修者・未修者のいずれも、年を経るごとに合格率が低下している状況を示しています。
このグラフは、私の上記エクセルファイルでいうと、第4シートの「合格率」の数値に該当します。ただしこの数値は、その年に受験したすべての受験生を対象としています。すべての受験生の中には、前年に法科大学院を卒業して第1回目の受験である受験生の他に、2回目、3回目の受験生も含まれています。これらの受験生は一度ないし二度の試験で不合格だった人たちであり、再度の試験での合格率が低くなるのはやむを得ません。そして、年を経るごとに複数回目の受験生比率が増えているのですから、全体の合格率が低くなるのは当然の結果です。

従って、試験の傾向を正しく評価するためには、1回目の受験生、2回目の受験生のように層別してデータを評価する必要があります。残念ながら「n回目の受験生」という形でのデータはわかりませんが、「何年前に卒業した受験生」という形では層別が可能です。それが私のエクセルファイルの第5シートです。

第5シートのデータを以下にも示します。

このデータを解析してみましょう。

上記の表で「1年前」とあるのは、試験の前年に法科大学院を卒業した意味であり、全員が1回目の受験生です(一部に旧司法試験をすでに受けた2回目の人もいるでしょうが)。
そこで、「1年前」の人たちの合格率を見てみます。
まずは、「1年前-既修」です。
合格率は、平成18、19、20、21年度のそれぞれについて
48.3、47.1、51.3、48.7%です。
この数値で見ると、新卒の既修の人たちの合格率は、この4年間でほとんど変化していないことがかわります。
このことから何が言えるのでしょうか。
もしも、“平成17~20年度の法科大学院既修者のレベルはほぼ同じ”だったと仮定すると、“平成18~21年度の司法試験の難易度レベルはほぼ同じ(①)”である、という結論が得られそうです。

次に、「1年前-未修」のデータに着目します。
合格率は、平成19、20、21年度のそれぞれについて
32.3、23.7、22.2%となります。
「既修」の傾向とは著しく相違し、卒業年次が最近に近くなるほど、「未修」の合格率が著しく低下しているのです。
上記①で“試験の難易度はほぼ同じ”と仮定しました。その仮定に従うと、“卒業年次が最近に近いほど、「未修」のレベルは低下している(②)”との結論になってしまいます。
本当のところはどうなのでしょうか。

次に、「2年前」「3年前」に目を移します。
するとどうでしょう。「2年前-既修」「2年前-未修」「3年前-既修」のいずれにおいても、試験年次が最近に近づくほど、合格率が低下しています。

結局、試験年度によらずに合格率が一定であったのは「1年前-既修」のみであり、それ以外のいずれの分類においても、試験年次が新しくなるに従って合格率が低下しています。

これでは、上記結論①、結論②を見直すべきかもしれません。
法科大学院卒業生のレベルが卒業年を追うごとに低下したのか、それとも司法試験の難易度が試験年を追うごとに難しくなったのか、そのどちらかということになります(③)。
試験年別の推移を論じる以前の問題として、未修の合格率は既修に比較して著しく低いという現象があります。
法科大学院おいて、既修は2年コース、未修は3年コースです。未修の2年生が既修の1年生と一緒に勉強します。どういうことかというと、未修生は1年生の1年間に、既修者が法学部の2~3年間で習得する法律知識を詰め込まなければならないのです。法科大学院での実態を聞くと、それはほとんど無理を強いているようです。
そして未修者は消化不良のまま法科大学院を卒業し、既修者と同じ司法試験を受験します。未修の合格率が低いのは当然の帰結といえるでしょう。

朝日新聞の記事によると、未修者に厳しい現状に対して、中央教育審議会(中教審:文科相の諮問機関)及び文科省からは、法務省に対して不満が出ています。それに対して法務省は、「最低限の質が保てない以上、合格者数は増やせないだろう」とのスタンスです。
法務省も最高裁も、新司法試験の難易度を易しくする気はさらさらないようです。

そうとすると、そもそも「未修者に法科大学院3年間の教育を行うことで法曹を育成する」という最初の考え方に無理があったということになりそうです。

「法科大学院の理念は、『多様な背景を持った法曹を送り出す』ことだった。」(朝日記事)
しかし現状は、たとえ多様な背景を持っている人であっても、法律しか勉強してこなかった既修者と同じレベルの法律知識を要求しています。これでは、「法律以外の背景を持つ人については、スーパーマン的な能力を持っていない限り無理」と言っているに等しいでしょう。

現状のまま、法曹界と文科省、大学院がそれぞれ責任をなすりつけ合って進むのか、それとも法科大学院の理念を再度根底から議論し直すのか、後者の進め方が必須と思われます。

なお、朝日記事には「実際、関東地方の大学院で教える弁護士は『法律知識以前に、日本語の読み書きに問題がある学生が相当数いる。絶対に受からないと思いながら教え、進級させている。どんなに改革を進めても合格者は2千人程度が上限ではないか。』と明かす。」との記載があります。
これは、大学院の入試の難易度の問題、及び進級の難易度の問題です。大学院側としては、最低限のハードルをきちんと設置すべきでしょう。

また、司法試験に合格しても、司法修習が修了した後の就職難という問題が顕在化しています。
弁護士としてひとり立ちを希望する場合、まずは法律事務所に勤務して実務能力を身につけます。このような身分の弁護士を“いそ弁”と呼ぶようです。
ところで、日本全体の法律事務所において、いそ弁を雇う雇用キャパにはもちろん限界があります。新司法試験体制になって司法試験合格者が増加したことに起因し、昨年の司法修習修了者をいそ弁に雇った時点において、日本のいそ弁雇用キャパを使い切ってしまったようなのです。そのため、本年の司法修習生は、現在深刻な就職難に陥っているようです。その点のみに着目すると、日本の法科大学院体制はすでに崩壊の瀬戸際に立っています。
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