弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

郵便不正事件の謎(2)

2010-03-09 20:57:25 | 歴史・社会
2月27日の記事で、厚労省の局長であった村木厚子氏を被告とする「郵便不正事件」について2月中の公判の様子を記事にしました。
3月3、4日に公判が開かれ、民主党の石井議員、事件当時に村木課長の部下だった課長補佐(当時)らの証人尋問が行われたようです。

厚労元局長の指示「記憶ない」=元部下が供述翻す-大阪地裁
3月3日20時19分配信 時事通信
第10回公判が3日、大阪地裁であった。当時、課長の村木被告の部下だった元課長補佐(61)=退職=が証人出廷し、捜査段階で村木被告の関与を認めたことについて「わたしはずっと『記憶にない』と話した」と述べた。
元課長補佐は2004年2月下旬、村木被告から自称障害者団体元代表倉沢邦夫被告(74)が訪ねて来ると教えられ、「担当者を紹介してあげてください」などと指示されたとの供述調書に署名している。 

証人の石井一議員「国会行かずゴルフ」 アリバイで口利き否定 郵便不正公判
3月4日12時7分配信 産経新聞
第11回公判が4日開かれた。石井一参院議員(75)が証人として出廷し、証明書発行をめぐる口利きを「まったくありません」と全面否定した。
倉沢被告は公判で、自身の手帳の記載をもとに、平成16年2月に議員会館内の事務所を訪ねて石井議員と面会した際、「厚労省に知り合いがいるから、電話してやっていいぞ」と言われた-と証言したが、石井議員はその日の面会そのものについて「絶対ありえない」と反論した。
 その根拠として「自分も手帳をきっちりつけているが、そこに名前がない」と説明。「当日、事務所には行っていない。国会は集中審議が行われていたが、予算委のメンバーではなかったので出席せず、千葉県でゴルフをしていた。東京に戻ってからも議員との懇親会に出席している」と“アリバイ”を示した。

石井議員への口利き依頼については、2月公判で木村氏も否定しています。『7回公判が17日「凜の会」を設立した元新聞記者(木村氏)(67)が証人出廷した。木村氏は倉沢被告と共に石井一・民主党参院議員(75)に口添えを頼んだとされるが「会った記憶がない。検事にもそう言ったが聞き入れられなかった」と証言した。』


2月中の公判における倉沢被告の証言についても、ここで補足しておきます。
村木被告第3回公判詳報 郵便不正事件郵便不正第4回公判 倉沢被告への質問詳報(いずれも産経新聞)によります。
 《検察側が冒頭陳述で明らかにした村木被告と倉沢被告との接点は計4回あった。(1)証明書発行に向け便宜を求めた(2)日本郵政公社(当時)に手続きが進んでいると電話で伝えてもらった(3)日付をさかのぼった証明書を発行するよう求めた(4)証明書を受け取った-で、いずれも村木被告が当時課長を務めていた企画課内で行われたとされる》

これに対し、村木被告の公判において倉沢被告は、(1)と(4)は認めたものの(2)(3)については「村木被告と会っていない」と証言を翻しています。
(1)についても以下のような内容だったと証言します。
 検察官「村木被告とはどんなやりとりを?」
 倉沢被告「『石井一事務所の倉沢と申します。障害者支援団体の件で相談に上がりました』と」
 検察官「村木被告は何と言ったか」
 倉沢被告「『ああ、そうですか』と言った程度と記憶している」
 検察官「それだけ? 名刺交換は?」
 倉沢被告「していません」

(4)について
 《検察側が冒頭陳述で明らかにした偽造証明書の受け渡し時期は、16年6月上旬ごろ。厚労省において、村木被告から倉沢被告が直接受け取ったことになっています。》
公判の証言では、
 倉沢被告「課長(村木被告)が厚労省の封筒の上に、2行ぐらいの短い書類を載せて『ご苦労さまです』と手渡してくれた。私はお礼を言って帰った」
 検察官「それ以上の詳しいやりとりは?」
 倉沢被告「ありません」

ところが、弁護人が倉沢被告の手帳を示しながら質問すると、結局、6月1日~10日のいずれの日についても、「行っていない」と答えるのです。裁判官が再度質問しても同じでした。

ところで、『第8回公判24日で上村勉被告は証明書発行について「自分で勝手に決めて、自分一人で実行した」と述べ、村木被告の指示を否定した。
上村被告は検察側の質問に対し、村木被告を含む上司には「まったく報告していない。一刻も早くこの雑事を片付けたかった」と証言。証明書は6月1日ごろに自分で作成し、その直後に厚労省の隣の建物の喫茶店で、自称障害者団体「凛(りん)の会」発起人河野克史被告(69)に渡したと述べた。』という証言があります。
上村被告の証言によると、証明書は上村被告から河野被告に渡されたのであって、村木被告から倉沢被告に渡されたのではありません。
この点について河野被告がなんと証言しているのか、その点が気になります。ネットニュースでは見つからなかったのですが、3月8日の日経夕刊に記事が載っていました。
河野氏は、「上村被告から受け取ったことは100%ない」と否定しているそうです。


2月公判における証人の証言と3月公判における証人の証言の全体を俯瞰すると、検察が描くストーリーが正しいとする証言がほとんど存在しません。
しかしいずれの証人も、捜査段階では検察の取り調べに対して、検察の描くストーリー通りの調書に署名しているのです。

裁判所は、調書記載内容と公判での証言のどちらを真実として認めるのでしょうか。
従来は、一度調書に署名してしまうと、公判で「それは間違いだ」と証言してもなかなか認めてもらえないようです。自白調書の扱いがまさにそれでしょう。
もし裁判所に「自分に不利な事実について書かれた調書に署名したら、後から撤回することは困難」「撤回を認めさせるためには、撤回で利益を得る側に証拠に基づいての立証責任がある」という考え方があるとしたら、今回も村木被告が有利とは必ずしも言えないかもしれません。

それにしても、厚労省の元部長、元課長補佐らを含め、公判段階で「それは間違いだ」と証言するような内容についてよくも調書に署名をしたものです。検察に取り調べられたら、人間とはかくも弱くなるのでしょうか。そうとしたら、5ヶ月間の拘留中に完全否認を貫いた村木氏は立派です。

p.s. 3/10 以下の産経新聞記事も挙げておきます。
郵便不正公判 村木被告の指示否定 元部下証言 凛の会元会長と省内で面会
2月16日16時5分配信 産経新聞
「第6回公判が16日午前、始まった。当時部下だった元係長、上村勉被告(40)=起訴=の前任係長が証人として出廷し、証明書発行に関する村木被告からの指示について、「まったく受けていない」と明確に否定した。
この日の尋問では「報告は記憶にない」と説明し、調書の内容を否定。そのうえで、「上村被告の前任の私が指示を受けた事実はないから、おそらく村木被告は冤罪(えんざい)ではないかと思う」と述べた。
一方、障害者団体「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告(74)=公判中=と平成16年2月に省内で会った際に「村木被告もいた」と証言。村木被告が証明書発行に関与しなかった根拠のひとつとして、倉沢被告と一度も面会しておらず働きかけもなかったとする弁護側の主張と食い違いもみられた。
このほか、16年4月に自身が異動する際、後任の上村被告に「石井議員がらみで、障害者団体としての実態はよく分からないから慎重にやるように、と引き継いだ」とも証言した。」
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