弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

玉川上水(5)

2010-03-07 10:56:30 | 杉並世田谷散歩
前回に続き、玉川上水沿いを歩きます。


多摩都市モノレールは、上北台というところを北端の駅とし、中央線の立川、京王線の高幡不動と交叉し、南端は多摩センターに達するモノレール路線です。上北台から2駅目が玉川上水駅で、西武拝島線の玉川上水駅と交叉しています。
  
モノレール 玉川上水駅          駅前広場の下を流れる玉川上水

今回の当初予定では、モノレールの玉川上水駅で終了にするつもりでした。拝島からの距離は6.9キロということです。しかしまだ時間は午後1時半、もう一区間歩けそうです。ということで、鷹の台までの4キロを歩くことにしました。

玉川上水駅をすぎてほどなく、小平監視所に到達します。
羽村取水所で取水され、第3水門で大部分の水が村山貯水池へ分水され、残りの水は延々とここまで流れてきました。しかしそれもここ小平監視所で終了です。ここまで流れてきた水道原水は、ここで落ち葉や空缶などのゴミが取り除かれた後、暗渠にて東村山浄水場へと送られています。つまり、小平監視所が現役上水路としての最終地点ということになるわけです。
 
小平監視所

小平監視所から下流側のいきさつについては、やはりこちらの説明が役立ちました。「小平監視所と東村山浄水場は、昭和38年(1963年)に建設されました。それ以来、玉川上水の水のほとんどが東村山浄水場へ送られているので、下流への流れは途絶えてしまいました。そして、その2年後には新宿の淀橋浄水場が廃止されたのです。水が涸れた上水堀は荒廃の一途をたどり、この役割を終えた緑地帯の多くは公園などに転用されていきました。しかし、付近住民からの玉川上水の復活を望む声が強く、東京都も昭和49年頃から玉川上水の復活を検討し始め、清流復活事業計画として具体化されていったのです。
 昭和61年8月、ついに清流が復活。昭島市にある多摩川上流処理場で、周辺の市や町から集めた家庭の雑排水や工場排水を高度処理した水を、約9㎞離れた小平監視所下流に導水ポンプで送り放流したのです。」
 
小平監視所下流からの放流

 
小平監視所下流                     小平監視所→西中島橋

野火止用水も、ここ小平監視所付近で分水され、ここから西武拝島線に沿って東北東方向に流れていくようです。地図を追うと、武蔵野線の新座駅近くまで、水路として描かれています。玉川上水の下流側と同様、野火止用水にも、処理水が放流されているそうです。

さて、玉川上水をさらに下流側に歩きます。
くぬぎ橋と寺橋との中間に設置されたトイレは、車いすでも使用可能なトイレでした。

上の写真は、玉川上水の左岸から撮したものです。トイレの手前に木の橋が見えます。この下を小さな水流が流れているのです。歩いているときは気にかけていなかったのですが、どうもこれは「新堀用水」と呼ばれる用水のようです。小平監視所で取水され、少なくとも鷹の台駅までについては玉川上水の左岸に沿ってずっと流れています。

小平監視所以降、玉川上水は土を掘削したままといった感じで、護岸工事がされずに土はだが見えています。現在はちょろちょろしか水が流れていませんが、徳川300年間、この水路には奔流が流れていたはずです。こんな水路で本当に300年間も保持されたのだろうかと驚嘆しました。しかし、逆にこちらの記事によると、この区間は水の供給が絶たれて以来、両岸側壁の崩壊が目立っているとのことです。この用水路の断面を満たして水が流れていた当時は、側壁が崩壊しなかったということでしょうか。
 
寺橋                         寺橋から

玉川上水は西武国分寺線の鉄橋に到達しました。
本日の予定はここまでです。西武国分寺線の鷹の台駅から西武線に乗り、国分寺経由で帰宅の途につきました。
 
西武国分寺線鉄橋                   西武国分寺線鷹の台駅

ところで、前回の記事の中で、西武立川駅の近くで玉川上水が暗渠になっている点について、戦時中に飛行場の滑走路を延長するために暗渠になった、ということを述べました。
さらに調べたところ、飛行場というのは、近くにある昭和飛行機工業という会社の飛行場であったようです。この会社は現在もすぐ近くの昭島市にあります。ウィキペディアによると、現在の業務は「社名の航空機内装備品のみならず、タンクローリーやバルク車などの特装車、給食カートや介護入浴装置などのライフサポート機器、ハニカム構造体などを手掛ける」とのことですが、もともと戦前にダグラスDC-3という旅客機の名機をライセンス生産する目的で設立されたようです。戦時中は海軍にDC-3を零式輸送機として430機製造したほか、九九艦爆や紫電改などもライセンス生産したようです。
青梅線の昭島駅は、昭和飛行機の従業員通勤のために新設された「昭和前駅」が発祥のようです。また、玉川上水沿いから見える昭和の森ゴルフコースは、もともと昭和飛行機の飛行場があったところで、現在も昭和飛行機が運営しています。

その6に続く。
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玉川上水(4)

2010-03-04 21:25:12 | 杉並世田谷散歩
前回に続き、玉川上水沿いを歩きます。


美堀橋と松中橋の間の区間で、玉川上水は一部区間が暗渠になっています。左下写真は上水が暗渠に入る部分です。そして暗渠である区間については、南側がゴルフ練習場、そして北側に広い空き地が広がります。空き地の向こうに西武立川駅が見えます(右下写真)。玉川上水の暗渠化といい、この広い空き地といい、何か意味がありそうです。ひょっとして、戦時中に飛行場か何かだったのか?
私の勘は当たりました。こちらに説明がありました。「玉川上水は美堀橋を越えたすぐ先で300m程の暗渠に入ります。これは戦時中、上水の南側にあった飛行場の滑走路を延長するため、上水に蓋をした名残と言われています。ここは西武立川駅からすぐの所で、当時の飛行場だった場所は現在はゴルフ場になっています。」ということでした。
  
暗渠へ                    西武立川駅


開渠へ

松中橋のすぐ下流に、砂川分水の取水口があります。現地の案内板によると、砂川分水は明暦3年(1657年)、柴崎分水は元文2年(1737年)の開通で、それぞれ砂川新田・柴崎村(現 立川市)の人びとに永い間生活・農業用水として利用されてきたそうです。
下の写真が玉川上水本流からの分水口です。
 
砂川用水分水

砂川用水は玉川上水と並行して流れています(左下写真)。この分水はしばらく行くと暗渠に隠れますが、五日市街道(この先の天王橋で玉川上水と交叉)に沿ってずっと流れ続けているそうです。それともうひとつ、南東方向に向かう分水があります(右下写真)。これは柴崎分水のようです。同じくこちらの説明によると、「現在も柴崎分水は昭和記念公園内を流れており、JR中央線を「懸け樋」で渡った後、甲州街道日野橋交差点付近の水田の灌漑用水として使われています。」ということです。
 
砂川分水  東へ                 柴崎分水 南東へ

 
一番橋→天王橋                  天王橋→稲荷橋

稲荷橋をすぎると、玉川上水は残堀川という川と交叉します。残堀川は、下の写真のように掘り下げられた河床を流れています。玉川上水はどのようにこの川と交叉しているのでしょうか。


現在の玉川上水は、残堀川の河床のさらに下を潜っているのです。
 
残堀川を潜る直前                   残堀川底を潜った下流側

現在の玉川上水と残堀川の関係はわかりました。それでは、江戸時代はどうだったのでしょうか。残堀川の河床を掘り下げたのは明治以降と考えられます。
やはりこちらに解がありました。「残堀川は玉川上水と交差する唯一の川で、かつては、「狭山池助水」として上水に合流していました。しかし、明治時代になって川が汚れてきたため改修工事が行われ、現在は残堀川の下を上水が潜っています。」ということです。
昔は、残堀川と玉川上水は交叉するのではなく、合流していたのですね。

 
新家橋から                  金比羅橋→宮の橋

玉川上水は、多摩都市モノレールと交叉する地点まで到達しました。

モノレール 玉川上水駅

以下次号
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玉川上水(3)

2010-03-02 20:50:23 | 杉並世田谷散歩
玉川上水は、江戸時代初期に完成した上水道です。羽村取水所で多摩川から取水し、延々と武蔵野台地を流れて最後は四谷大木戸まで続いていました。この玉川上水沿いに歩こうと計画を立てたのは1年以上前でした。そして羽村取水所から拝島までの第1区間を歩いた様子を、08年12月に玉川上水(1)玉川上水(2)として記事にしました。
その後、なかなか先に進むチャンスがなかったのですが、この2月20日にやっと、次の区間を歩くことができました。

羽村取水所から四谷までの全体の概略地図を以下に示します。

       玉川上水全体図

今回歩いたのは、拝島から鷹の台(西武国分寺線)までの約11キロです。下の地図の区間です。より詳しくは例えば玉川上水散策地図を参照してください。


若干、前回の区間のおらさいをします。
羽村取水所から第3水門までは、ものすごい水量が流れています。しかし第3水門で、大部分の水は分水されて地下経由で村山貯水池に流れるので、第3水門以降はゆるやかな流れとなります。今回のスタート地である拝島付近は、そのようなゆるやかな、しかし一定の水量を保った流れとなっています。
 
取水堰直後の第2水門                  第3水門

拝島駅は、JRの青梅線、五日市線、八高線と、西武拝島線が集まるターミナル駅です。駅上から窓の外を見ると、JRと西武線の車輛が並んでいました。

拝島駅の上から北西方向 右は西武拝島線

まずは本日のスタートラインである日光橋に着きます。
日光橋の下流に平和橋があります。平和橋と並行して鉄道線路の鉄橋が架かっていました。何線だろうかと地図を調べたところ、どうも近くの米軍横田基地に続く線路のようでした。米軍専用の線路なのでしょうか。この鉄橋の隣の橋を「平和橋」と名付けたのは、米軍基地と関係があるのかもしれません。
 
日光橋→平和橋           米軍横田基地へ向かう線路の鉄橋(平和橋となり)

平和橋と次のこはけ橋との間に、下の写真のような堰がありました。堰の上流に分水の取水施設があるのかもしれません。
 
平和橋→こはけ橋

上の写真のさらに下流に、こちらは明確に分水施設を見つけることができました。
左下の写真は、右に玉川上水の本流が流れ、つつじ橋は分水経路の上をまたいでいます。右下の写真は、取水口の反対岸から取水口を見たところです。
こちらの説明によると、上の写真は拝島分水、下の写真は殿ヶ谷分水かもしれません。
 
分水とつつじ橋(平和橋→こはけ橋)

こはけ橋とふたみ橋の間で、西武拝島線の線路が玉川上水を渡ります。

西武拝島線の鉄橋(こはけ橋→ふたみ橋)

ちょうど梅の季節でした(左下写真)。
拝島上水橋から美堀橋を経て松中橋までの間、上水の南側は昭和の森ゴルフコースとなっています(右下写真)。
 
ふたみ橋→拝島上水橋(北側)          昭和の森ゴルフコース(南側)


長くなったので次号に続きます。
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