弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

日本少年サッカーの現実

2008-04-06 20:13:19 | サッカー
Tazuさんから、日本はバルサを超えられるサイトを教えてもらいました。
ブログのプロフィールに「村松尚登(むらまつ なおと) 日本サッカーが強くなる為のヒントをバルセロナで探し続けて144ヶ月目。」とあります。

「私は現在、バルサスクールで12歳以下の子供達の指導に携わっています」
「日本のバルサキッズキャンプで小学生相手に指導していた」
「先日、日本から小学生と中学生のチームがバルセロナに遠征に来ていたので通訳を務めさせていただきました。」
などから、村松さんの活動状況を見て取ることができます。

日本のサッカーに対する、以下の問題提起が印象的でした。
○ 小学生のうちから、「考えてサッカーをする」ことの大切さを身につけさせよう。そのためには、小学生のうちかは戦術を教えることが必要である。
○ 小、中、高いずれも、1チームの人数が多すぎ、一部しか試合に出られない。またトーナメント大会であるため、弱いチームは試合数が少ない。少年たちが所属するチームは18人程度の少人数とし、大会はリーグ戦形式とし、すべての子どもが年間30試合程度の試合を経験できるようにすべきである。


2007年04月17日
フッボールはフッボールをトレーニングすることによってのみ上達する
「先日、日本から小学生と中学生のチームがバルセロナに遠征に来ていたので通訳を務めさせていただきました。
今回はその際に感じた「日本チームの特徴」について書きたいと思います。まず、彼らのプレーを見たスペイン人たちが驚いていたのは日本人のテクニックのレベルの高さでした。また、俊敏なところもスペイン人たちから高い評価を得ていました。
そして、スペイン人が指摘していた両チームに共通する特徴は「ボールさばきは上手いが、サッカー(の試合運び)が下手。ボールを持ったときの状況判断が悪い。戦術的な知識が乏しい」というものでした。」

日本の小学生の指導現場において、「“小学生年代でテクニックを身につけ、中学生年代でグループ戦術を身につけそして高校生年代でチーム戦術を身につける”という大まかな年代別の役割分担が生まれていないでしょうか?」という問題提起です。

2007年08月31日
日本サッカー界の“見えざる神”
「今回は、この夏日本で行われたバルサキッズキャンプ中に感じた「日本フッボール界の“見えざる神”」について書きたいと思います。」
「今回日本に行った3人のカタラン人コーチは全員、日本人の子供たちのテクニックのレベルの高さに驚いていました。」
「日本の子供たちのテクニックのレベルの高さに感心するのとは逆に、カタラン人3人は日本の子供たちの戦術レベルの低さに驚嘆していました。結局のところ、戦術というのは“考えること”だと思うのですが、我々には“日本の子供たちはグラウンド内で考えてない”ように映ったのです。」
「例えば、カタラン人コーチの誰かが言いました『彼らはグラウンド外ではテキパキしていて表情もシャキッとしているのに、グラウンドの中では何であんなにボーッとした表情をしているのだ?』と。」
しかし、日本の子ども達に“考えながらプレーすることの大切さとそれをするためのヒント”を教えてあげると、少しずつできるようになります。コーチたちは「なんだ、やればできるんじゃないか!」と驚きます。
結局、「日本では小学生に戦術を教えていない」という実態があることがわかります。そこで、「なぜ日本では小学生に戦術を教えないのですか?」と逆に質問すると、日本の指導者たちは明確な理由を答えられないのです。
スペインのコーチが出した結論は「日本フッボール界には“見えざる神”が存在するようだね。そして、その見えざる神が「子供には戦術は教えるな」と言っているから、みんなはその神のお告げに無条件で従っているだよね、きっと」というものでした。

オシム氏の「考えて、走る」との標語が、当たり前のように見えて新鮮に受け取られたのは、日本サッカー界のこのような慣行があったからかもしれません。

2007年09月01日
日本サッカー界の根本的な問題
「スペインでは、上手い子も下手な子も6歳くらいから年間を通じてのリーグ戦を戦っています。通常は16チームによるホーム&アウェイですから、年間通じて30試合の公式戦を戦うことになります。ですから、公式戦の経験値を全員が毎週末に小さな頃からコツコツと積み上げて行くことになります。
しかも、1チームが100人で構成されることは絶対になく、30人ということもありません。多くて22人。普通は18名前後(GK2人を含む)でチームが構成されています。」
「では、日本はと言うと、とても残酷です、、、、。
まずは、日本での大会運営のメインはトーナメント戦です。つまり、強ければ強いほど試合数が増え、弱ければ弱いほど試合数が減るという「強いチームだけが得をし、その他大勢の弱者が損をする」大会運営方式です。
また、学校の部活動の場合、20人選手がいても100人選手がいても大会には1チーム(11人)しか出場できませんから、結局は「上手い選手だけが試合に出場でき、下手な選手は試合に出場できない」というシステムです。
高校サッカーも中学サッカーもチームのメインは3年生で構成されているため、2年生と1年生は「3年生になった時に試合に出れるための下積み生活」をすることになります。」


これらの提言、セルジオ越後氏が「日本サッカーと「世界基準」 (祥伝社新書 (046))」書いている提言と極めて良く一致しています。この点は次回紹介したいと思います。
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小沢一郎という政治家

2008-04-03 22:04:27 | 歴史・社会
政治家の中には、優れた功績を残した政治家、功罪相半ばする政治家、凡庸な政治家などいろいろおられます。
小沢一郎という政治家はどうなのでしょうか。

最近私は、小沢一郎という政治家がいなかった方が、日本の政治にとって幸せだったのではないかと感じることがあります。

自民党の竹下派幹部だった小沢氏は、派閥内での抗争に敗れると派閥を2つに割ってしまいます。さらには自民党を飛び出して新生党を結成したのが1993年です。
その年の衆議院選挙で躍進した新生党、日本新党、新党さきがけの3新党が躍進して自民党が野党になり、細川政権が誕生しました。
そして1994年、それまで中選挙区制だった衆議院選挙が、細川政権のもとで小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)に変わります。この選挙制度の変更こそ、日本の政治をつまらなくさせる大改悪だったと思っています。その改悪に小沢氏が関与しました。
小選挙区制に移行した後、衆議院議員は本当に発言しなくなりました。

細川氏が首相を投げ出し、羽田短命政権の時代があり、小沢氏は新進党を結成しますが、党内に反小沢の動きがあり、新進党は解散、その後小沢氏は自由党を結成します。
98年、99年には自自連立、自自公連立などがあり、自由党の分裂を経験した後、2003年に自由党は民主党と合併し、現在に至っています。

こうして見ると、小沢氏は仲間と意見が合わないとそのたびに組織を壊しています。結局、自民党を割ったときのスローガンであった二大政党は夢のまた夢でした。


そして去年夏の参議院選挙です。
小沢氏が徹底して頑張り、地方の有権者を味方にした結果として、参議院は野党が過半数を握ることになりました。
その後の衆参ねじれ国会のもとで、混乱は予想されていたとはいえ、現在のような体たらくまでは予想していませんでした。
日銀総裁が空席となった件にしろ、暫定税率の件にしろ、日本の政治経済をここまで空白にして一体何を求めているのでしょうか。

例の大連立騒動が尾を引いています。しかし今の民主党が、小沢さん一人で決めた大連立に納得するはずがありません。あそこで小沢さんは大きな勘違いをしました。その後一度は代表辞任を表明しますが、慰留を受けて続投を決めました。その後の民主党内の動きを見ると、大連立騒動で小沢代表の求心力が失われ、民主党は政策党としての一貫性を失っているようです。

参議院で過半数を握りながら、政策党として機能することができず、日本を悪い方向へと導いているようです。
参議院の民主党議員は、小沢さんのおかげで過半数を握ったのにもかかわらず、自分たちの実力だと勘違いしているようです。
大連立騒動の後、以前の小沢さんのように民主党をぶちこわしてもらった方が良かったのでしょうか。


今の日本政治の迷走は、参議院選挙前に安倍首相が自分のやりたいことばかりやり過ぎ、参議院選挙で小沢代表が頑張りすぎ、衆参ねじれ状態で福田首相が無策であったことの積み重ねであるようです。

最初に戻りますが、日本の政治にとって、小沢さんが存在したことは不幸だったのでしょうか。
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プロフェッショナル~祖母井秀隆氏

2008-04-01 23:35:02 | サッカー
私が祖母井秀隆氏の名前をはじめて見たのは、昨年の「サッカー批評 issue36―季刊 (36)」でです。その雑誌のセルジオ氏と宇都宮徹壱氏の対談の中で、ジェフ市原のGM(ゼネラルマネージャー)だった祖母井氏とオシム監督との関係が話題になっていました。
次に祖母井氏の名前を見たのは、そのオシム氏が脳梗塞で倒れたときです。倒れた当日の夜半、オシム氏の長男であるアマル・オシム氏が救急車を呼ぼうとしたとき、間に立って日本語で119番してくれる人が、フランスに在住する祖母井氏しかいなかったという話でした

先日の3月4日、NHK番組「プロフェッショナル~仕事の流儀」で祖母井さんが取り上げられていました。
祖母井さんという人、ドイツのプロサッカーコーチの道を経てきたような話でした。Wikipediaで調べると、「読売サッカークラブで選手としてプレーした後、西ドイツのケルン体育大学でコーチ学を学ぶ。帰国後は大阪体育大学サッカー部および同好会チームの体大蹴鞠団(佐川急便大阪SCの前身)でコーチを担当。1995年からジェフユナイテッド市原(現市原・千葉)育成部長、1997年から2006年までゼネラルマネージャーに就任。」ということです。
ケルン体育大学ということは、湯浅健二氏と同じ途ですね。

ジェフ市原のGM時代、チームは中々勝てず、スタジアムの観客席に「ウバ害」の横断幕を出されたこともあるそうです。そういった中、ヨーロッパで監督として実力を認められていたイビチャ・オシム氏を招聘することを考えます。
オシム氏に対しては、イタリアの主要チームが招聘しても応じませんでした。祖母井氏は「お金では応じない人なのだ。だったら、熱意と誠意で来てもらおう」と考え、毎日のようにオシム氏に電話をかけ続けます。そうしたら、オシム氏が来ることになったのです。オシム氏は契約書にサインしようとしません。「契約だから仕事するのではない。お前を信頼して仕事するのだ」と祖母井氏に言ったそうです。

現在祖母井氏は、フランス二部リーグのグルノーブルでGMの仕事をしています。
監督は自分の考えで選んで招聘し、現場については監督に任せて祖母井氏は口出ししません。しかし練習は最初から最後まで見守っています。
GMの重要な仕事は選手の補強です。他チームに目を付けていた若手選手がおり、そのチームと移籍交渉がまとまりかけていたのですが、直近の試合でその選手が好成績を上げたために突然移籍金がつり上げられ、交渉は不成立でした。金の卵選手に目を付けたという点では祖母井さんの目は確かだったわけで、交渉不成立は残念でした。
しかし結果として、番組の中では今シーズンの有力な補強は成立せず、グルノーブルは現有選手で頑張ることとなりました。


祖母井さんの顔と立ち居振る舞いを、テレビ番組で確認できたことは収穫でした。
プロサッカーチームのGMとして常に功績を挙げることのできる実力を有しているのかどうかは判別できませんでしたが、これからも頑張って欲しいと思います。

湯浅健二氏にしろ祖母井氏にしろ、ドイツでサッカーコーチとして研鑽を積んだ日本人が、日本のサッカーシーンの中枢で注目されることが難しい気がします。なぜなのでしょうか。
このような人たちにこそ、日本サッカー協会の強化委員会のようなところで活躍して欲しいものです。
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