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弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「ドレスデン逍遙」~ドレスデン大空襲

2010-08-03 22:01:26 | 歴史・社会
ドレスデン逍遥―華麗な文化都市の破壊と再生の物語
川口 マーン惠美
草思社

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今年5月のドレスデン訪問に先だって予備知識を得るため、上の本を読みました。
著者の川口マーン惠美さんは、現在ドイツ・シュツットガルト在住の女性です。たまたま訪問したドレスデンに魅せられて、この本を執筆しました。

主な内容は以下のようになっています。
○ 完膚なきまでの空爆~第2次大戦中のドレスデン爆撃
○ ドレスデンの歴史~特にアウグスト強王の時代
○ ゼンパーオペラ
○ 聖母教会の奇跡(破壊と再建)

まずここでは、第2次大戦中のドレスデン爆撃について紹介します。

最初のドレスデン訪問でこの街に魅せられた川口さんは、2回目の訪問であるペンションに滞在します。そこの女主人である70歳の女性と、もう一人双子の姉妹がドレスデン爆撃の体験者であることを知ります。そしてこれらの体験者からの談話をもとに、ドレスデン爆撃の様子が語られるのです。

ドレスデン爆撃は1945年2月13日です。
すでに1944年10月にソ連軍がドイツになだれ込み、戦場となった東プロイセンでは住民たちが残虐に殺戮されます。その様子を伝え聞いた東部の他地域住民は、一斉に西に逃げ始めます。当時ドレスデンはまだ空襲を免れていたので、避難民はまずドレスデンを目指しました。そのため、空襲当日のドレスデンには、住民の他に数知れぬ難民が滞在していました。

空襲の日、イギリス空軍からは陽動作戦を含めて合計1180機の航空機が投入されました。このちう772機の四発ランカスター爆撃機と9機の木造機モスキートがドレスデン攻撃に充てられました。
まず先導のランカスター機が照明弾を投下して街を照らし出し、2分後に昭明部隊のモスキート8機が到着します。この昭明部隊が地表に赤い標示弾を落として正確な投弾の位置を知らせるのです。攻撃目標には、オペラ座、ツヴィンガー宮殿、ドレスデン城、ブリュールのテラス、聖母教会、市役所、十字架教会などといった壮麗なバロック建築と旧市街がすっぽりと収まっていました。
午後10時30分、第1陣の243機のランカスター爆撃機が到着して爆撃を開始します。
爆撃の方法として、まず、高性能爆弾を投下し、建物の屋根を破壊して蓋を開けた状態にしておき、そこへ焼夷弾を落とします。すると火の手はあっという間に広がり、火の塊ができ、それが急激に上昇していきます。そのため地表ではすごい真空状態が発生して周囲の空気を吸い込み始め、ここに火焔嵐(ファイアストーム)が起きるのです。
3時間後に第2波として529機のランカスターが到着します。しかしドレスデンは予想以上の火勢で燃えていたので、爆撃隊は作戦を変更して爆撃地域を拡大しました。

この2度の空襲で、ドレスデンには1477トンの爆弾と1081トンの焼夷弾が投下されました。死者の数は未だに不明ですが、3万5千人が妥当だろう、と川口さんは述べます。

川口さんの書籍では、実際に劫火の中を逃げまどった人たちの体験談が綴られます。この体験談を読んだおかげで、私は東京大空襲よりも詳しく、ドレスデン空襲の様子を追体験してしまいました。
建物の地下室で空襲を避けていた住民は、爆撃によって建物が崩壊し、地下室に閉じ込められます。やっとの思いで突破口を見つけて外に出ると、今後は火の燃え盛った窯の中に飛び込んだようです。「見わたす限り、火焔の嵐が吹き荒れていた。周りの建物全部が、1階から5階まで火に包まれ、まるで溶けた鉄のように輝いていた。どの窓からも、炎が吹き出している。自分の家がどうなっているかとふり返ったとき、私は目を疑った。家は崩れ落ちてなくなっていた。私達が地下室にいたあいだに、5階建ての建物が私達の上に丸ごと崩れ落ちていたのだ。」

私は、ヨーロッパの街は石造りだから、爆弾で建物が倒壊するだけで、日本が経験した空襲のような火災は起きなかったのではないか、と想像していたのですが、大きな間違いでした。爆弾で破壊した後の焼夷弾により、手のつけられない劫火が発生していたのですね。

爆撃はこれで終わらず、翌14日、今度はアメリカ空軍が空襲します。474トンと爆弾と300トンの焼夷弾が投下されました。さらにエルベ河畔で蠢いていた被災者が機銃掃射で狙い撃ちにされました。

当時、ドレスデンのエルベの北側にはドイツ帝国の中でも有数の大きな軍事施設がありましたが、不思議なことにここは爆撃の目標に入っていませんでした。そして戦後、無傷のままでソ連の手にわたり、その後は東ドイツに譲渡されて軍事施設として利用され続けました。

空襲の後に残ったのは瓦礫の山です。それも半端じゃありません。何mもの高さで瓦礫が山になっています。一人では持ち上げられない大きな瓦礫が山積みになっているのですから、手がつけられません。街中です。
本の中に、市庁舎の時計塔から撮った爆撃直後の街の写真が載っています。下の写真です。
Deutsche Fotothek/Blick vom Rathausturm
街の4階建て、5階建ての建物は、一部の壁のみを残して完全に破壊され、建物があった場所には瓦礫が積み上がっています。

ドレスデンの人たちは、破壊され尽くした旧市街を元の通りに再建しました。
著者の川口さんの心の中に疑問が生じます。「なぜドイツ人は、この気の遠くなるような瓦礫の大海原に立ったとき、これをまた元のように建ててやろうと考えたのだろうか。満足に住むところもない人たちが、悲しみと空腹を抱えながらこの絶望的な光景を見たとき、どこからそんな考えが湧いてきたのだろう。・・・ドイツ人とはいったい何者だろう?」それから川口さんは、この町に文字通り没頭してしまいます。

現在のドレスデン旧市街の姿については、前報ドレスデンの写真をご覧ください。
  
現在の聖十字架教会              聖十字架教会 空襲直後
アルトマルクト広場から。後方に見える塔は市庁舎の時計塔。

続く。
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